竜歴520年

第18話 牧畜/Pastoral Farming

「シグくん、そっちです!」

「任せて!」


 紫さんの鋭い声に答え、逃げる鹿の前に立ちはだかったシグが大きく腕を広げた。


「僕は強い!」


 呪文とともに彼が足を踏みしめると、その小柄な体躯に似つかわしくない、重く強い音が響く。強化魔法がしっかりとかかっている証拠だ。

 アマタの教えを受けて成長し、強化魔法も使いこなせるようになった今の彼なら――


「うわぁーっ!」


 ダメだった。


 鹿の角に大きく突き上げられて宙を舞うシグの姿に、私は天を仰いだ。

 そのまま鹿は首を下げると、木でできた柵を易々と破壊して走り去っていく。


「大丈夫? シグ……」

「うん……」


 声をかけると、彼はむくりと起き上がった。

 全身鱗に覆われた彼の身体は、丈夫さだけは折り紙付きだ。


「ごめん」

「いや、仕方ないよ。やっぱり無理があったんだ。シグのせいじゃない」


 慰めではなくただの事実として、私はそう言った。


 何せ鹿を止められなかったのはシグだけではない。ユウキも紫さんも、リンもルカも同様だったからだ。


 特別教室を始めて、今年で十年。農耕の方は極めて順調に発展する一方で、牧畜は殆どうまくいっていなかった。この世界の生き物は、どうにも強すぎるのだ。


 勿論強いのは相手だけじゃない。こちらもよっぽどだから、仕留めることは大して難しくない。だけれど生け捕りにするとなると、途端に難易度は跳ね上がった。


 更に苦労して捉えたとしても、それを育てるということは殆ど不可能だ。ただの木の柵くらいなら簡単に破壊して逃げてしまうし、何より野生動物たちのことごとくが、人に慣れるということがない。


 どんなに餌をやり、世話をしても、けしてこちらに心を許すこと無く、逃げる隙さえあれば先程のようにすぐさま逃げ出してしまう。


「兎で良いんじゃないの? 私は好きよ、兎」

「ううーん。でもなあ」


 ニーナがやたらと兎を推してくる。兎は、唯一飼育に成功した生き物だ。と言っても、人に懐かないのは同じだから、家畜化に成功したとは言い難い。ただ兎の力では壊せない柵なら作れたと言うだけの話だ。


 だけれど、兎の可食部というのは思った以上に少なかった。その見た目の殆どはふわふわとした毛なのだ。更に骨も多く、下拵えが非常に大変な割には食べられる量が少ない。一つだけ、そんな手間も必要なく美味しく食べる方法がないではないんだけど。


「また、血焼き食べたいなぁ~」

「料理を作るときに失敗して指を切るのはよくあることだけど、料理をつくるために指を切るのは出来ればごめんこうむりたいね」


 いつになく甘えた声でねだるニーナに、私は首を振りながら言った。血焼きとは、赤竜の血を飲ませて体内から兎を焼く調理法だ。内部から熱された兎は毛が燃え尽きて完全に火が通り、骨も一緒に食べられるくらい脆くなる。ニーナ曰く、兎の一番美味しい食べ方なんだそうだ。


 だけどこの調理法は、普通の火では勿論のこと、魔法でも再現できない。ニーナは随分試行錯誤していたが、結局私の血を使うしかないということがわかっただけだった。


「これで、全部駄目でしたね……」


 耳と尻尾をしゅんと垂らしながら、ルカは手にした木板に大きくバツ印をつけた。大角鹿、六脚山羊、角山猫、牙猪。変わったところでは鱗蛙や大丸虫なんてものも飼育を試みてみたが、どれもうまく行かなかった。


「後は……鎧熊?」

「できるわけ無いだろ」


 真剣な表情でニーナは提案するが、これは冗談だ。彼女にはジョークを言うときほど生真面目な表情をする癖がある。確かに鎧熊は意外と美味しいけれど、猛獣の中の猛獣だ。どう考えたって閉じ込めておくことができるわけがない。柵どころか、大木さえ簡単に折ってしまうような怪物なのに。


「では、逆に……鼠はどうでしょうか?」


 一方で、やはり真剣な表情で言う紫さんのそれが冗談なのかどうか私は悩んだ。普通に考えれば冗談以外の何物でもないが、彼女は結構天然なところがあるからなあ。


「鼠も閉じ込められないし、閉じ込められたらこんなに困ってないですよね」

「あら……言われてみれば確かにそうですね」


 どうやら本気で言っていたらしい。紫さんは恥ずかしげに首を傾げた。

 牧畜が上手く行かない以上に問題なのが、鼠だ。

 農耕の方がうまくいっているのはいいのだが、その保存に非常に困っていた。

 保存した芋や麦を鼠が食べていってしまうのだ。


 おぼろげな知識を元に高床式倉庫を建てて鼠返しも作ってみたのだが、全くの無駄だった。この世界の鼠は、鼠返しも齧り壊してしまう。とにかく攻撃力が高すぎるのだ。


 流石に低温には弱いらしく氷室に置いておけば無事なのだが、今度は麦と芋が低温でやられてしまう。食べられないことはないが、パサパサになって非常に食感が悪くなってしまう。


 前世の世界でペットとして人気だった猫は、もともと鼠対策で導入された家畜だったという。それを期待して角山猫の飼育も試みては見たが、完全なる失敗だった。あの猛獣は下手をすると鎧熊よりも厄介だ。動きは極めて俊敏で性格は獰猛極まりなく、危うく怪我人が出るところだったのだ。


 私の記憶では牧畜と農耕はほぼ同時期に発生したものだったはずだけど、こんなに難易度に差があるとは思っても見なかった。まあこの世界独特の問題かもしれないし、同時期と言っても紀元前数千年の話だ。百年、二百年程度の差はあったかもしれないけど。


「先生でも上手く行かないなんて、牧畜って本当に難しいんですね……」


 眉根を寄せ困ったように言うルカに、私は複雑な思いを抱いた。

 人類最古の家畜は犬であったと言う。その祖先は狼の一種で……というよりも、人に懐いて家畜になった狼を犬と呼んでいるにすぎない。彼らは私の生きていた現代に至るまで、人類の良き友人であった。


 ところがこの世界には、狼がいないのだ。猫に似た種族も、熊に似た種族も、山羊や鹿もいるのに、狼がいない。いるのは目の前の少女のような半人半狼だ。そういえば馬もいないな。半人半馬はいるのに。


 半人種が本来の種がいるべきニッチを埋めてしまったのか、それとも全て半人に進化してしまったのか、それはわからない。けれどどうもいないのは確かなことのようだった。


 彼らは犬以上に人類の良き友になれるだろう。極めて友好的で、穏やかで、知的な種族。……けれど家畜扱いするには幾らなんでも賢すぎる。人と全く変わらないのだから。


 それが人類にとって……あるいは彼女たちにとって幸いとなるのか不幸となるのかはわからないけれど。


「えっとー、逃げない動物がいたらいいんだよね?」

「何かいい案があるの?」


 不意に声を上げるリンに、シグが尋ねた。以前は頭ごなしにリンの意見を否定していた彼だけど、最近はそうでもない。彼も少しずつ大人になっているという事だろう。


「うん! あのね、ベヘモス!」

「無理に決まってるだろ!」


 そう思った矢先に、シグは即座にリンの意見を切り捨てた。


「流石にそれは、無理じゃないかなあ……大きすぎるし」

「あれを囲える柵を作るのは難しそうですね」


 とは言えそう思ったのはシグだけではない。ルカと紫さんもやんわりと彼に同意する。


「ベヘモス……ベヘモスか」


 私はかつて見たベヘモスの、その姿を思い浮かべた。長い牙を備えた大きな口。カバとサイを足したような顔に、牛のような角。


 測ったことはないけれど、その体高は少なくとも十メートル以上。体長は二、三十メートルはある。アフリカゾウの四倍近い巨躯。陸上でシロナガスクジラを飼うようなものだ。


 ――けれども。


「あんた……」


 ニーナが半眼にした瞳でジトっと私を見つめる。


「やってみたいとか思ってるでしょ」


 案の定、私の思考は完璧にバレていた。


 いや、だって、考えてみても欲しい。

 あんな恐竜みたいな生き物を飼えるとして、ワクワクしない男がいるだろうか?


「ええー、本気? 先生……」


 シグが信じられないとでも言いたげな表情をしながら言う。

 ここにいた。しかもその男は自身が恐竜みたいな姿をしてた。

 彼はロマンというものを解してくれない。まあ、ローマはこの世界にないけれども。


「なんで? すっごく面白そう! お兄ちゃん、あたしはやってみたい!」


 全体的に否定的な雰囲気が流れる中、ユウキがそう言って手をあげてくれた。


「流石はユウキだ。ユウキはいつも私の気持ちをわかってくれる」

「そう? えへへ……」


 恥ずかしそうに照れるユウキの頭を、私はなでなでと撫でる。


「あたしもあたしも」


 ついでに横に並ぶリンの頭も撫でてやった。


「駄目だわ。こうなったらこいつ何言っても無駄だから、覚悟しておきなさいよ、あんたたち」


 頭痛を堪えるように額を押さえるニーナの言葉を遠くに聞きながら、すでに私はベヘモス捕獲の為のプランを考え始めていた。

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