第17話 変化の兆し/Signs of Change
「たあぁぁっ!」
「やぁっ!」
威勢のいい掛け声とともに、二つの小さな影が地面を駈ける。シグとユウキ。ほんの僅かタイミングをずらした同時攻撃は、どちらを受けどちらをかわしても防ぐことが困難だ。
「それで、この天秤棒を中心からずらすことで、片側の重りを水で調節せずとも重さを測れるように改良したんです」
「凄いな、それは思い至らなかった」
それをアマタは私と話しながら、視線を向けることすらなく片手でさばいた。重心を崩したユウキの脚を払って転倒させつつ、シグの細い上側の腕を掴んで放り投げる。二人は仲良く、地面に這いつくばった。
「……本当に凄いな」
「恐れ入ります」
感嘆の声をあげる私に、アマタは恐縮して頭を下げる。それを隙と見たかシグが背後から襲いかかるが、振りかぶった拳はアマタの手刀で叩き落され、返す刀で吹き飛ばされる。
どう考えても背中に目がついてるとしか思えないんだけど、これも一種の魔法なのかなあ、などと私はぼんやり考えた。
あれから――シグを必ず強くすると誓ってから、情けない限りだけれど私はアマタを頼った。もちろんシグの魔法使いとしての可能性は今も模索しているし、魔法を教えてもいるけれど、一番確実で手っ取り早い手段がそれだと知っていたからだ。
アマタは快く了承してくれて、こうして稽古をつけてくれている。言うなれば、世界最古の体育教師だ。格闘術の授業は希望者のみというつもりだったが、妹であるユウキと強くなりたいシグはもとより、紫さんも武を志すものだ。彼女が一も二もなく参加すれば、面白そうとリンも加わり、教室の他全員が受けるならとルカも入って、結局全員で受けることになってしまった。
今その他三人はぐったりと地面に伏せり、あるいは座り込んで休憩している。まだ元気なのはシグとユウキだけだが、この二人もそろそろ限界が近いのだろう。だいぶ動きは精彩を欠いてきていた。その一方で、アマタは息一つ乱していない。彼だってまだまだ若いのに、末恐ろしい、凄まじい強さだった。流石は次代剣部という他ない。
「先生ーっ、こんなもんでどうでしょうーっ!?」
全くついていけそうもない戦闘風景をぼんやりと見つめていると、遠くから声がかけられた。
「待ってて、今いくから! ……じゃあ程々にね、アマタ」
「ええ。必ずや先生のご期待に答えてみせます」
精悍な顔立ちを更にきりりと引き締めて頷くアマタ。シグとユウキには少し悪いことをしたかもしれないと思いつつも、私は校舎の裏手の方へと向かう。
そちらにいたのは、顔や手足を土だらけにした一般教室の生徒達。そして、張られた縄に合わせてきっちりと耕された畑だった。
「うん、素晴らしい! 皆ありがとう、これなら完璧だよ」
その土を手にとって、生徒たちをねぎらっていく。といっても私に土の良し悪しなんてわからないけれど、小石や雑草が除かれ土がほぐされていれば十分だ。
魔法でこれをやるというのは、意外に難しい。土を掘り返すだけならともかく、丁寧に雑草と小石とをより分け除けていくというような繊細な作業は魔法よりも手でやった方が遥かに速いのだ。イメージとしては、大きなスコップで小さな豆を食べるようなものだ。
とても特別教室の面々だけでできる作業量ではなく、私はこちらでも一般教室の生徒や村の人達の手を借りることにした。度量衡を決めたことによって、具体的に指示ができるようになったのも大きい。
「じゃあここには、ヒイロ麦を蒔こうか」
村で育ててる主な作物は、麦と芋だ。見た目は小麦とジャガイモのように見えるし味も大体似たようなものだからそのまま呼んでも良かったのかもしれないけれど、暫定的にヒイロ麦とヒイロ芋と呼ぶことにした。そもそも私には小麦と大麦の違いもよくわからないのだ。同じものなんていう自信はなかった。
「大地の恵みよ、麦の種。冬の間にゆっくり眠れ。ゆっくり眠って大きく育て」
呪文を唱えながら、私たちは種をまいていく。元はリンが始めた習慣だけれど、どれだけ意味があるのかは実のところよくわからない。気休めのようなものだ。
「冬の間にゆっくり眠れ。ゆっくり眠って大きく育て」
けれど皆で歌うように唱えながら作業をしていると、黙々と仕事をするよりも気が紛れるのは事実だ。私が前世で暮らしていた世界でも、農業は機械化が進みこそすれ、本質的な作業は紀元前の時代からそれほど変わってはいなかった。
それは魔法の使えるこの世界でも変わらない、極めて地道な作業だ。
「よーし、今日はこれで終わりだ。皆、お疲れ様!」
用意しておいた種を蒔き終えて、私は生徒たちを労う。授業で農作業をさせるのには多少の罪悪感があったが、彼らはあまり気にしていないようだった。むしろ植物を己の手で植え育てるという行為に興味を持っている子が多いらしい。
小規模とは言えすでに実績があるからだろう。わざわざ森へ行かずとも食べ物を取れるという事に、大きな期待と関心を寄せているように思えた。
新しく教えることが出来た関係上、最近は私も一般教室の方で教鞭を振るうようになっている。長さや重さの測り方。重さから量を知れるということ。季節の移り変わりや暦の読み方など、教えなければならないことは膨大だ。
「お疲れ様」
「お疲れ」
凝り固まった腰を伸ばしていると、ニーナが近づいてきて互いに労いの言葉を交わす。農作業を終えたばかりだというのに、彼女の衣服には土汚れ一つついていない。流石は土と木の申し子だ。皆が皆彼女くらい魔法が使えたら、こんな苦労しなくてすむんだけどなあ。
そんなことを思っていただろうか。ニーナは突然、私の腹をぽすんと殴った。ほとんど力は込められておらず痛みはなかったが、何かまた怒らせるようなことをしてしまっただろうか。
そう思って覗き込んだ彼女の顔には、しかし笑みが浮かんでいた。
「ええと、何?」
「べーつにっ」
言葉とは裏腹に何か言いたげな様子で、彼女は私の身体にその背を預ける。よくわからないけど、上機嫌そうなのでまあいいか。
「はー、疲れた~」
そうしているとユウキがやってきて、もたれかかるようにぼふんと後ろから私に抱きつく。前をニーナ、後ろをユウキに挟まれるような形になった。
「お疲れ様、ユウキ」
「ありがとー。もう、アマタったら、ほんっと容赦ないんだもん」
文句を言うユウキの身体には、しかし傷らしい傷は殆ど無い。あんなに容赦なくぽんぽん転がされていたのにだ。それがかえってアマタの高い力量を感じさせて、私はもはや感嘆を通り越して、呆れに近い思いさえ抱いた。
そしてそのアマタでさえ当主のアマガには遠く及ばないというのだから、つくづく剣部一族はどうかしている。
「でも、始祖さまはもっと強かったんでしょ?」
「うーん、どうだろうな」
技術で言えば間違いなく今の彼らの方が洗練されている。ユウキの方が優れているくらいだ。けれど実際戦う姿を思い浮かべれば、ダルガが負ける姿は全く想像つかなかった。それくらい、全盛期のダルガは強かったのだ。
「あたし、その頃の話聞きたいな」
「うん、勿論――」
構わないよと言いかけて、私はふと違和感を抱いた。今何か、いつもと違う響きを聞いたような気がする。
「あたし?」
怪訝そうにニーナが繰り返して、私はようやく気づいた。ユウキの一人称が、変わっているのだ。
「う……やっぱり、変かなあ」
「変じゃないよ」
恥ずかしげに身を竦ませるユウキに、私は首を横に振る。最近では髪も伸び、見た目だけは随分女性らしくなってきている。少なくとも、以前のように少年に見間違えられるようなことはないだろう。
女なのだから女らしく振る舞えなどと言うつもりはないけれど、かと言って敬遠すべき変化というわけでもない。この世界のこの時代ならむしろ、喜ばしいことと言っていいだろう。
「……まあ、別にいいんじゃない」
だと言うのに、ニーナの声色からは先程までの上機嫌が失われていた。いつも通りの、淡々とした平坦な声。だけれど私にだけはわかる。これは密かに怒っている時の声だ。
え、なんで?
長い付き合いだ。いい加減、対応の仕方はわかっている。ニーナがこういう怒り方をしているときはけして触ってはいけない。どんなに理由を聞いたって教えてくれないし、聞けば聞くほど余計に機嫌は悪くなっていくのだ。
「良かった! ね、約束だからね、お兄ちゃん!」
嬉しそうに笑うユウキと、不機嫌そうにぐいぐいと体重をかけてくるニーナに挟まれて。私は一人、首を傾げるのだった。
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