第16話 弱さ/Weakness

「……っ!」

「あっ、シグ!」


 シグは自分の出した炎を見て奥歯を噛みしめると、突然踵を返して走り出した。


「待つんだ、シグ!」


 私の制止の言葉も振り切り、彼はあっという間に校庭を飛び出していく。

 結果がそんなにショックだったのだろうか。私は唖然としながら、彼の背中を見つめた。


 確かに考えてみれば、シグがたった一節で炎を出すところを見たことはなかった。いつも長々と呪文を唱えていたが、それは大きすぎる火を出してしまうことへの備えだと思っていたのだ。


「先生、これを……」


 おずおずと、ルカが測定結果の書かれた木板を渡してくれる。


 風は百。土は二十。水はゼロ。惨憺たる結果が、そこには書かれていた。ニーナは言うに及ばず、五人の生徒たちの中でもダントツで低い。


 シグがこの結果にショックを受けて逃げ出したのは、間違いなかった。


 私の考えが、足らなかったのだ。こうして数値にして得手不得手を洗い出せば、シグがこれから何を伸ばし、何を埋めれば良いのかわかると思った。けれどそれは全くの逆効果だった。


「シグ……!」

「待ちなさい」


 慌てて彼の後を追いかけようとする私を、ニーナが呼び止める。


「あんた、追いかけて何て言う気よ」


 その問いに、私は思わず口をつぐんだ。

 正直全く何も考えていなかった。


 一体、私に何が言えるんだろう。何の苦労もなくこの力を手に入れた私に。


「……わからない」


 私は、力なく首を横に振った。


「けど、私は彼の先生なんだ」


 放っておくことは出来ない。

 私がそう思って言うと、ニーナは強く私の背中を叩いた。

 考えもなしにと、怒られてしまうだろうか。


「ん。いっておいで」


 だが予想に反して、彼女が浮かべていたのは満足げな笑みだった。

 私はこくりと頷いて、竜の姿に戻って翼を広げる。


「待って、お兄ちゃん! ぼくも行く!」


 私の足が地面を離れる寸前、ユウキが尻尾に捕まった。


「危ない!」

「だいじょうぶだよ」


 空に舞い上がる時、私の身体には一番重圧がかかる。だがそんな中でもユウキは軽々と私の尾を伝うと、背を通っていつもの定位置、頭の上に座って角を握った。


「……ちゃんと掴まってるんだよ」


 振り落とすわけにも行かず、私は翼を羽ばたかせながら首を下に向ける。

 竜の五感は鋭い。目も耳も鼻も、人のそれとは比較にならない。

 優れた嗅覚はシグの匂いをすぐに捉え、目で見るのと同じくらいの鮮明さで彼の足取りを見つけ出した。


「あっちだ」


 彼が向かったのは村の外に広がる森。よく授業のかくれんぼで使っている場所だった。シグの匂いは木々をかき分け、獣道のような場所を進んでいっている。空の上からそれを嗅ぎ分けながら、私はその後を辿る。

 だがそれが、不意に途切れた。


「おかしい。確かにここを通ったはずなのに」


 旋回しながら匂いを確かめるが、森の中のある地点でシグの匂いははっきりと途絶えていた。


「ぼく、見てくるね」


 言うやいなやユウキは私の上から飛び降りて木の枝に掴まると、そのままするすると地面へと降りていく。


「……お兄ちゃん、これ、魔法だ!」


 そしてしばらく調べた後に、そう叫んだ。

 私も開けた場所から森の中に降りて、人の姿に戻って彼女の元へと向かう。大きすぎる身体はこういうときに厄介だ。かと言って人間の姿だと五感や身体能力が途端に鈍くなるから、痛し痒しである。


「ほら。全然避けずに進んでるでしょ」


 ユウキが折れた灌木の枝や足跡を示す。確かにその痕跡は障害物を避ける気配を全く見せず、大きな木の幹にあたって消えていた。


「追えないように偽装したのか」


 ルカがよく使う、影の分身を作り出す魔法だ。

 しかも痕跡だけではなく、匂いまで残している。


「紫かニーナお姉ちゃん呼んでくる?」

「……いや」


 私は首を横に振り、そこに残った痕跡に触れた。魔法で作った匂いが残っているということは、そこには魔法も残っているということだ。


「汝は彼、彼は汝。写し身なりし影法師。目覚めよ影よ、影の影よ。私をお前の主人の元へと案内しておくれ」


 であればそれは、そのままシグへの誘導呪物になる。地面に残った足跡から影がむくりと起き上がり、リザードマンの少年の姿を取って後ろ向きに駆け出した。


 それを追っていくと、ある地点で影は向きを変えて柑橘の実のなる木の間をくぐり抜け、その先にあった川へと飛び込んだ。流れる水に入った影はまるで墨のように滲み、溶けて消えてしまう。ここで匂いを消したから、魔法も消えてしまったんだ。


「川の向こうにいったのかな?」

「どうだろう。私がシグだったらそうはしない」


 水は私にとっての鬼門だ。四大元素の測定は私も事前にやってみたけれど、雫一滴出やしなかった。水中を追いかけるのは難しいだろう。

 シグは頑固で融通が聞かないところがあるけれど、頭の回転自体は悪くない。私を撒きたいのなら、そうするはずだ。

 だけれど水中に逃げた相手を追うのに、必ずしも水に魔法をかける必要があるわけじゃない。


「硬い土に根を張るもの、豊かな葉を茂らせるもの、美しい花をつけるもの、おいしい実を生むものよ。どうか私に教えておくれ、蜥蜴の少年がどっちへ行ったかを」


 私が柑橘の木に尋ねると、わさわさと木の葉が揺れて川下を指した。ニーナや紫さんなら呪文なんか無くとも歩いているだけで使えるような魔法だけれど、私にだってこのくらいなら出来る。


「ありがとう」


 私は木に礼を言って、川岸を辿っていった。


「この先って……」

「うん」


 シグが向かった先に気づいたユウキに、私も頷き返す。この先にあるのは、最初のかくれんぼのときに、ユウキとリンが紫さんと戦った泉だ。


 果たして、シグはそのほとりに座り込んでいた。


「シグ!」


 私が声をかけると、彼ははっとこちらを向いて、表情を歪めた。

 怒っているような、泣きそうなような――それでいて、どこか嬉しそうな、そんな顔だった。


「探したよ」


 何と言葉をかけていいのかわからず私がそう言うと、彼はぐっと口を引き結ぶ。


「……嘘つき」


 そして投げかけられた言葉が、私の心を突き刺した。


「嘘つき。嘘つき。嘘つき」


 シグは他の言葉を忘れてしまったかのように、何度もそう繰り返す。


「あんたは僕を、強くしてくれるって、言ったじゃないか」

「そんな言い方――!」

「いや、いいんだ、ユウキ」


 反射的に言い返そうとするユウキを、私は手で制した。


「確かに君の言うとおり。私は、嘘つきだ」


 鋭い言葉を投げるシグの方が、ずっと痛そうな顔をしていたからだ。


「だけど君は一つだけ、思い違いをしてる。君が思っているよりも、遥かに――」

「僕の魔法は上達している、って? あんたはいつもそう言ってくれる。けどね、わかってるんだ。僕は魔法には……魔法にも、向いてない。何の才能もないって」


 確かに、生徒たちの中で彼の魔法が一番伸び悩んでいるのは事実かもしれない。


「いいや、そんなことはない。けど、君がしている思い違いっていうのは、そこじゃない」

「じゃあ、なんだって言うのさ」


 苛立たしげに言う彼に、私は頷き。


「君が思っているよりも遥かに……私は、弱いっていうことだよ」

「……は?」


 思っても見ない言葉だったのだろう。シグは間の抜けたような声をあげた。


「信じられないなら、勝負してみようか」


 そう言って、私は見よう見まねで拳を構える。


「いや、勝負って……」

「かかってこないなら、こっちから行くぞ!」


 私は叫び、拳を繰り出した。


「うわっ、なんだよ、ちょっと!」


 シグは慌てて立ち上がって、それをかわす。


 続く一撃は軽くいなされ、蹴りを放てばもう脚を動かすことすら無く身体を逸らすだけでかわされる。


「もう、何なんだよ!」


 数歩たたらを踏んで向き直り、掴みかかろうとすれば私の腕は取られ、そのまま投げられて地面に叩きつけられた。衝撃に胸がつまり、痛みに呼吸ができなくなる。


「ふざけてるの!?」

「ふ、ふざけてなんか、いない、よ……」


 本気で怒声を上げるシグに、私は何とかそう返した。


「これが、本当の私の、全力だ」


 狩りなら何度もしたことがある。守るための戦いも。

 だけれど――喧嘩なんてするのは、生まれて初めてのことだった。

 傷つけたくない相手に殴り掛かるというのは、想像以上に恐ろしい。

 けれど私では彼にかすり傷一つ付けられないというのは分かっていたから、思い切り攻撃することが出来た。


「全力だって?」


 シグは憤慨して、私を睨みつけた。


「竜の姿にならないどころか、魔法一つも使わずに、何が全力だって言うんだよ!」

「正真正銘、全力だよ」


 私は痛みを堪え、身を起こしながら答える。


「人だった頃の私の、ね」

「人だった……頃?」


 シグは怪訝な表情で、私の顔を見つめた。


「君はさっき、自分には何の才能もないって言っただろう?」


 私が問うと、シグは顔を歪めながら、頷く。


「だけれど本当に才能がないっていうのはね。私みたいな事を言うんだ。魔法なんて何一つ……小さな火、ほんのそよ風一つ起こせず死んでいった、私みたいな奴のことをね」


 私になかった才能は、魔法だけじゃない。自分よりも四十センチ以上も低い少年相手に、本気で殴りかかったって拳一つ当てられない。幼い少女に頼らなきゃ、たった四人の教室すら纏められない。そんな情けない男だ。


「……どういうことだよ。あんたは生きてるだろ」

「私はかつて、人だったんだよ。ずっと魔法を研究して、なのに魔法を使えないまま死んで……気づいたら、竜になっていたんだ」


 隣で、ユウキが息を呑む音が聞こえた。

 前世の話は、結局今までアイにしかしたことがない。

 隠しているわけではないけれど、あまりに荒唐無稽な話だからだ。


「そんなことがあるわけ……」

「じゃあ君は、私以外に人の姿を取れる竜の話を聞いたことがある?」


 シグは押し黙った。

 竜はとかく目立つ生き物だ。絶対数は恐ろしく少ないけれど、見かけられれば必ず人の口に上る。実際に出会ったことはなくとも、竜の話を聞いたことは一度や二度ではないはずだ。


 私は実際に出会ったことも話を聞いたこともあるけれど、人間の姿を取れる竜なんて全く聞いたことがなかった。そもそも弱くなる魔法なんて使う酔狂な竜が、私の他にいるわけがない。


「だから、私は知ってる。努力が必ず実るとは限らないことを。思うように成果が出ないその辛さを」


 私が竜に転生したのは、ただの幸運にすぎない。

 力も魔法も、努力で得たものではない。

 だからこの姿が、本当の私だ。


 ……私を先生と慕ってくれる彼らの前でそれを告白するのは、酷く勇気のいることだった。


「けれどそんな私でも、一つだけ、誰にも負けないものを持ってる」

「……何?」


 訝しむように問うシグに。


「諦めの悪ささ」


 ニっと笑みを見せて、私は言った。


「努力が必ず実るとは限らないけれど、諦めなければ報われることもある。幸運が舞い込むこともある」

「だけど、それは……駄目なこともあるってことだろ」

「うん、だから、君に諦めるな、なんて言わない。そうじゃないんだ」


 少年の問いに頷いて、私は言った。


「私に、もう一度チャンスをくれ。私は諦めない。君を強くする方法を、必ず見つけてみせる」


 シグの赤い瞳が、私の顔を映す。


「……それって、結局僕も諦めずに努力しなきゃいけないって事じゃないの」

「えっ、あれっ、そう……かな?」


 ややあって、呆れたような口調で言う彼に、私は首を捻った。

 確かに私がどんなに方法を考えても、彼自身の努力なくしては達成できない。結局諦めるなって言ってるのと同じことになってしまうのか。


「まあいいよ。そもそも別に、結果が悪かったのが嫌で逃げ出したわけでもないし……」

「えっ、そうなの!?」


 私は驚いて、思わず口を押さえた。人の姿で火を吹くことはないけれど、竜のときの癖の名残だ。


「そうだよ。もう、いいんだけどさ」


 どこか吹っ切れたような表情で、シグは言う。まあ、彼がいいならいいんだけれど……


「そこがそもそも間違ってたんじゃ、私の言ったことは全く意味ないじゃないか……」

「べ、別に、そういうわけじゃないよ。嬉しかったのは確かだし」

「そうだよ! それにさっきのお兄ちゃん、すごくかっこうよかったよ!」


 落ち込む私を、慌てて二人が励ましてくれた。


「格好いいって……」


 客観的に見て私がしたことと言ったら、シグにいきなり殴りかかって、手も足も出せずに無様に地面に転がされたということではなかろうか。

 冷静に考えてますます落ち込む私を、生徒二人が一生懸命慰めてくれる。

 おかしい。私は飛び出したシグを励ましに来たはずなのに。


 ――そして森の真っ只中でそんなことをしていて、ニーナにバレないはずがなく。

 学校に帰った私は、また盛大に呆れられたのであった。

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