竜歴515年
第14話 度量衡/Metrology
「火よ、赤きもの、熱きものよ。我が手のひらに来たれ」
まだ日も昇りきらない校庭に、声が響く。
小さく囁くアルトボイスは、まだ幼い少年のものだ。
「おはよう。今日も精が出るね、シグ」
「っ……! なんだ。先生か、驚かせないでよ」
私が声をかけるとびくりと身体を震わせて、シグはバツの悪そうな表情でこちらを振り向いた。
いつからかはわからないが、彼が毎朝こっそりと隠れるようにして魔法の練習をしていることに、最近気がついた。授業の態度はいまいちよくない彼だけれど、その実一番熱心に学んでいると言えるのかもしれない。
「……やっぱり、魔法の火っていうのがイマイチわかんなくてさ」
手のひらに浮かんだ小さな炎を私に見せて、シグは呟く。それは私の目の前で揺らぎ、ふっと消えてしまった。
彼の作り出す炎は、いまいち安定しない。私と同じで火との相性が良すぎて、制御の方が上手くいかないのかもしれなかった。
「でも、前より長く出るようになったじゃないか」
私の言葉に、シグは複雑な表情を見せた。人とはかけ離れた造形をしている彼だが、その表情は非常にわかりやすい。少なくとも、喜んではいないようだ。
「僕は硬い。僕は速い。僕は鋭い。僕は重い。僕は強い……」
何度も何度も呪文を重ねながら、シグは拳を握り込む。
強化魔法の制御は難しい。だが彼に限って言えばその心配は全くの無用だった。
一歩踏み込み、シグは拳を突き出す。
ユウキに教え込まれたその身のこなしは、かつてとは比べ物にならないほどスムーズなもの。
それを――私は、片手で受け止めた。
竜の姿ではなく、人の姿でだ。
「ねえ、先生」
彼は強くなっている。それは間違いのないことだ。だけれども……
その歩みは、あまりにもゆっくりとしたもので。
「僕はいつ、あんたに勝てるのかな……」
私は彼に答えるすべを持たなかった。
* * *
「今年からいよいよ、本格的に農耕を始めようと思う」
「やっと!?」
私の宣言に、ユウキがそう返すのも無理ないことだった。
特別教室を始めて、今年で五年ほどになるだろうか。植物の栽培自体は、二年目から小規模ながら試してはいた。最初は見事なまでにすべて枯らしてしまったが二回目からは栽培にも成功し、少しずつ採れる量も増えては来ている。
けれど本格的に農業を開始しないのには、わけがあった。
「本格的にやるってことは、大きな畑を作らなきゃいけないんだよ」
「う……またあれやるのかあ」
以前の作業を思い出したのだろう。嫌そうにユウキは顔をしかめた。
土を掘り返し、草を抜き、石を除いて耕す作業は、ほんの小さな畑でもかなりの重労働だった。何せ重機どころか、農機具さえろくにないのだ。
「どのくらいの大きさで作るのでしょうか?」
「そう。そこがまず問題なんです」
紫さんの質問に、私は頷く。
どの程度の大きさか。
そんな質問に答える手段すら、今の私は持っていないのだ。
何故なら、長さの単位が決まっていないからだ。
長さだけじゃない。体積も、重さも。いわゆる度量衡というものが一切定まっていなかった。
もちろん、私たちが普段使っている言葉は日本語なのだから、メートルだとかキログラムだとか、そういう言葉を使うこと自体はできる。だけれど、それでは一メートルはどの程度の長さかと言われると途端に困ってしまうのだ。
確か一メートルの単位は、地球の大きさだとか、光の速さだとかを元に定義されていた。とは言えそんなものを普段使い出来ないから、メートル原器というのが存在していて、厳重に管理されていたはずだ。
もちろん、私たちの文明レベルで使うのにそこまで厳密な精度は必要ない。大体の大きさでいいのだから、例えばフィートなんていうのはその名の通り人の足の大きさを基準にしていて大変わかりやすい。わかりやすいのだが、この世界で使うのは少しばかり問題があった。
何せ体格差というか、体の作り自体がまるで違うのだ。リザードマンは成長が止まるということがなくどんどん大きくなっていくし、リュコスケンタウロスは狼と同じで指先だけが地面に接していてどこまでが足の大きさと言っていいかわかりづらい。人魚に至ってはそもそも足自体が存在しない。
そしてそれは異種族に限らず、人間にも当てはまる話だった。彼らは私の記憶にある地球人に比べて、明らかに個体差が大きいのだ。ダルガ程の巨漢は流石に珍しいにしても、かなりの長身や、逆に低身長が妙に多い。
「長さの変わらないものがあればいいんだけどなあ」
木や石で基準になるものを作ってもいいのだけど、石は重くて使いづらいし木ではすぐに風化してしまう。
「あるじゃない」
するとニーナが何を言ってるんだ、とでも言いたげに私を見る。
「出来れば百年、二百年単位で長さが変わらないものだと有り難いんだけど……」
「変わってないわよ」
あれ、そんなものあったっけ? 私は首を傾げた。
ニーナなんかはだいぶ変わりなく見えるけれど、そんな彼女でさえゆっくりゆっくりと成長している。出会った時より少しばかり身長は伸びたし、大人っぽくなった。
「少なくともこの五百年、あんたは全然変わらない」
「え? いや私だって成長して……」
言いかけて、ようやく私は気づく。そういえば竜としての私はだいぶ大きくなったけれど、人間の姿は全く変わっていない。魔法だからなのか、竜の寿命が途方もなく長いからなのかはわからないが、二十歳くらいの青年の姿のままだ。
「身長とか変わったりしてないのかな?」
「全然してない」
ニーナはきっぱりとそう答えた。私をほとんど毎日見ている彼女が言うのなら間違いはないだろう。
「じゃあ、私を基準にしてみるか……」
前世の私の身長は、確か百七十五センチくらいだったはずだ。晩年は流石に少し縮んだかもしれないけど、若かった頃はずっと変わらなかったしそれなりにキリもいい数字だったのでよく覚えている。
「ユウキ、私の背と同じ位置に傷をつけてくれる?」
「はーい。お兄ちゃん、動かないでね」
教室の屋根を支える柱の横に立って頼むと、ユウキはすらりと剣を抜いた。そして軽く跳躍して一閃。風が私の前髪を軽くなびかせて、カッと頭上から木の削れる音が聞こえてきた。
「これを七等分……えーと、七って難しいな」
百七十五を七で割れば一つ辺り二十五センチとなって使いやすいが、七等分というのは意外と難しい。
「あ、そうだ。紫さん、ちょっとこの長さの蔓を出してもらえますか?」
「はい」
首を傾げつつも、紫さんは指先からするすると茨の蔓を伸ばしてくれた。私はそれを身長と同じ長さに切ると、くるりと輪を作る。そしてその輪の中に七芒星を描いた。
線を均一に七つに分けるのは非常に難しいが、七芒星を描くのは比較的簡単だ。オカルトマニアだった前世で何度も何度も描いたからな。まさかこんなところで役に立つとは。
七という数字は一桁の自然数の中で唯一、三百六十度を割り切れない数字だ。一週間が七日だったり、顔にある穴の数が目、耳、鼻、口の七つであったりと、魔法的にも重要な意味を持つ。まあ、前世では結局何の意味もなかったんだけれど。
……そういえば今まで気にしたこともなかったけれど、この世界では魔法陣って何か魔法の役に立つんだろうか?
「なに? それ」
「こうすると均等な長さが出しやすいんだよ」
ニーナの問いに、私は星の先端が円に接した場所で輪を切り、束ねてみせる。七つに分かたれた蔓は、全てほぼ同じ長さになった。
切った蔓に同じ要領で今度は五芒星を描いてやれば五センチ単位の出来上がりだ。五芒星はコンパスと定規があれば完璧に正確に描けるけれど、これも手で描いてしまった方が早い。基本中の基本だ。
五センチの蔓でもう一度五芒星を描けば一センチも出来るけれど、蔓自体がぐねぐねと曲がっていてちょっと誤差の方が大きそうだし、そこまで細かい単位も要らないだろうからここまでで良いか。
「ねえねえ、せんせー、それなあに?」
私がやっていることをあまり理解できていないのだろう。切り分けた蔓を見ながら、リンが尋ねた。彼女以外の面々も不思議そうな顔をしているから、ほぼ全員よくわかっていないみたいだ。
「例えば、十個の水林檎と三個のヒイロ芋があったとしたら、どっちが何個多い?」
「みずりんごが七個!」
はいっと手をあげて答えるリンに、私はうんうんと頷いた。
単純な計算だけれど、ニーナの地道な教育の賜物だ。
「じゃあ紫さんとニーナでは、どっちがどれだけ大きい?」
問われてリンは紫さんとニーナを見比べて、眉間にしわを寄せて思い悩む。
そしてはっと何かに気づいたように表情を輝かせると、紫さんの胸を指差して言った。
「紫が二個!」
「殴るわよ」
自信満々で言うリンに、ニーナは拳を握りしめる。……そういえばそっちの方は全然成長してないなあ、なんて思っていると、ニーナの拳は容赦なく私の頭に振り下ろされた。
……すごく、痛い。
「そうじゃなくて……背の高さだよ。紫さんの方が高いことはわかっても、どのくらいかって言われると困るだろ?」
「これくらい、じゃだめなの?」
シグが紫さんとニーナの身長差を手で表す。
「あっ。その『これくらい』に名前をつけるってことなんですね」
「そう、その通りだよ!」
ルカの言葉に、私は膝を叩きたい気持ちで叫んだ。
「木の実を一個二個、鹿を一頭二頭と数えるように、物の長さはセンチで数えるんだ。この小さな蔓一つで五センチ。こっちの中くらいの蔓一つが二十五センチ。私の身長は百七十五センチとなる」
「ひゃくななじゅうご……」
そんなに大きい数字は普段あまり触れないせいか、リンはピンと来ない様子で呆然と繰り返す。
「ねえ。僕はいくつなの?」
真っ先にそう聞いてきたのは、シグだ。
「紫さん、もう一度蔓を出してもらうことはできます?」
「ええ。ちょっとお待ち下さいね」
紫さんは私の切った二十五センチの蔓をつまみ上げると、それを手にしながら集中するように目を閉じる。そしてその先からゆっくりと茨を出しながら、手にした蔓を何度か持ち替えた。
「これで、いかがでしょうか?」
「素晴らしい!」
彼女の作り出した蔓に、私は思わず叫んだ。紫さんが出してくれたのは、二十五センチごとに棘が生えた蔓だったからだ。これはとても便利なものだ。そして同時に、彼女が長さの単位という概念を完璧に理解していることも示している。
「よし、じゃあその柱の前に立って。えーと……」
シグの背に合わせて柱に傷をつけ、紫さんの作ってくれた蔓で長さを測る。五つ目の棘より少し高く、五センチの蔓を足せばほぼピッタリだった。
「シグは、百三十センチくらいかな」
「お兄ちゃん、ぼくも測って!」
「あたしは? あたしは?」
「私も知りたいです」
皆知りたいらしく、にわかに身体測定が始まった。
ニーナは百五十五センチ。紫さんは百七十に少し足りない。ルカはどこからどこで測るか少し悩むけれど、立った状態で頭の高さが百六十センチ。リンも同様にして測ると百センチくらいだけど、身体を真っ直ぐにして尾の先まで測ると百七十センチだった。
「ユウキは……百三十センチか」
「えっ、僕と同じじゃないか!」
最後にユウキを測ると、シグが目を丸くして驚いた。
「あれっ、ほんとだね」
ユウキはシグと並んで頭の上で手を振り、互いの背を比べる。五年前、出会ったばかりの頃はシグの方がいくらか大きかったはずだ。
「今ユウキは、何歳になったんだっけ」
「十五っ!」
もうそんなになるのか。確かに彼女はだいぶ成長した。背も高くなったし、ほとんど少年と変わらなかった体つきもだいぶ女性らしくなってきたと思う。
「ほんと大きくなったよねー」
「うん。結構じゃまなんだ、これ」
その胸の膨らみをリンに鷲掴みにされて、特に気にした様子もなくユウキは答えた。
あまり成長したという感覚がないのは、相変わらずどこか子供っぽい性格のせいかもしれない。小猿のように私の身体に登ってくるのは変わらないし。
「やめなさい、はしたない」
思わずたしなめるが、女性率の非常に高いこの教室では恥ずかしいような思いをしているのは私だけらしい。唯一の男性であるシグも、リザードマンの女性は乳房が発達したりもしないためか、このあたりの感覚がピンと来ないようだった。
「本当は体重も測れると良いんだけどね」
「たいじゅー?」
「重さのことだよ」
首を傾げるリンに、私はそう答える。
とは言えそちらは身長よりももっと難しい。体重計なんてどうやって作れば良いんだ? 正直検討もつかなかった。水を汲んで、天秤で測るしかないか。天秤の作り方も正直あまりよくわからないけど。
「おもさにも、かずがあるの?」
「うん。世の中の大体のものは数で大きさを表すことが出来るんだ」
「じゃあ、まほうも?」
リンの言葉に、私ははっと息を呑む。
確かに、魔法の強さには大小がある。しかしそれを数値で表すという発想が、今まで私にはまったくなかった。
だって魔法は、人によって使える種類もその強さもあまりにまちまちだ。身長のように一つの基準で測ることなんて出来そうも……いや。
「出来るかも、しれない」
私はあることを思いついて、そう言った。
一つの基準で測れないのなら、複数の基準で測ればいいのだ。
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