第13話 おにごっこ/Ogre Play
「……これは少し困りましたね」
己の頬に手を当てて、紫さんは首を傾げながら泉を見やる。深い水底には、リンの姿がはっきりと見えていた。
だがかくれんぼとは言え、ルールは触られなければ負けではない。水中のリンにどうにかして近づかなければならないのだ。
森が紫さんのテリトリーであるように、水中はリンの領域である。彼女も泳げないわけじゃないだろうけど、泉に潜って人魚を捕まえようというのは愚の骨頂だ。
紫さんはしばらく迷ったあと、その場を後にした。リンはそのまま水底に潜んでいたが、活動的な彼女のことだ。すぐに痺れを切らし、水面にひょこりと顔を出す。辺りをぐるりと見回し、紫さんの姿がないことを確かめて……
「危ない、リン!」
岸辺に近づいたところで投げかけられたユウキの警告に、リンはさっと水中に身を翻した。木の葉をその身にまとい、木々に擬態していた紫さんの手が空を掴む。その指先から茨が伸び、リンの尾を捉えたが、
「やぁっ!」
掛け声とともにリンが水中で何かを放ち、茨の綱はあっさりと千切れた。
「先生、今のは」
「うーん。セーフかな。自分の体で触らないと駄目」
茨も私の体の一部のようなものなのですが、と紫さんは珍しくぼやいた。彼女にしても今のは悔しかったのだろう。周りを見回すが、すでにユウキは完全に気配を消している。
リンはまるで紫さんを嘲笑うかのように、ぽこぽこと泡を出していた。
「先生、ここ、リンちゃんのおうちなのですよね?」
紫さんはいつもと変わらぬおっとりとした口調で言う。
「そうだけど……」
「しばらく住めなくなってしまっても構いませんか?」
あ、思ったよりもだいぶ悔しかったみたいだ。
「流石にそれはちょっと困ると思うけど……壊されたくなければ出てこないとね」
私の言葉はリンにも伝わる。彼女は流石に少し焦った表情を見せた。
「では、なんとか防いでくださいね」
言って紫さんが腕を掲げると、わさわさと茨が伸びて手甲のように彼女の手を包み込む。それは大きく膨れ上がると、まるで巨人の手袋でもしたかのように巨大な茨の手が出来上がった。
そしてその手をそのまま、泉の中に差し入れる。リンはその指を素早く避けるが、紫さんの狙いは彼女じゃない。水底に沈んだ、巨大な岩だった。
「私は、強い」
岩の縁に指をかけ、紫さんが呪文を一節唱える。これは、剣部の――!
すると茨の手袋は更に大きく膨らんで、ぐっと岩を持ち上げた。彼女はそれを水面まで引き上げると、横を向いて放り投げる。それは泉の入り口。水が流れ込んできている小さな川だ。
この泉には、水が入り込んできている川と、出て行く川の二本がつながっている。そのうち入り口だけを堰き止めることで、干上がらせてしまうつもりなのだ。
紫さんが二つ目の岩に手を伸ばそうとしたその瞬間、リンが勢い良く泡を吹き出した。よく見れば、彼女がさっきから出していた泡は一つも消えることなく水中に漂っている。それは新たに出された泡に押されて水面に飛び出すと、紫さんの周りに溢れ出して囲い込む。
「これは……!」
といっても、その泡に何か攻撃的な能力があるわけじゃない。割れにくいだけで、ただの泡だろう。となればこれは――陽動か!
私と同じ結論に至った紫さんは咄嗟に空いた左腕を掲げ、そこに茨の剣を生成する。それと同時、頭上の木から飛び降りてきたユウキの剣がそれにかち合った。
「わっ、ばれてたっ!」
いや、ユウキが持っているのはいつもの石剣じゃない。流石にかくれんぼで刃の付いた武器を使うのはまずいと思ったのだろう。ただの手頃な長さの木の棒だった。しかし紫さんの剣とぶつかって無事ということは、魔法での強化はしてあるようだ。
手を伸ばす紫さんから、ユウキは慌てて距離を取る。以前の勝負と違って、これはかくれんぼだ。仮に紫さんを倒したとしてもユウキの勝ちにはならないし、紫さんは指先だけでも触れれば勝ちになる。
いくらユウキでも、この条件で真っ向勝負して勝つのは難しいだろう。
――だがそれは、一対一ならの話だ。
「あたれー!」
水面から顔を出したリンが、紫さんの背後から叫ぶ。上手い。ユウキはちょうど紫さんを挟んでリンと真逆の方向になるような位置に逃げていた。リンが魔法で飛ばしたのは泡……いや、水の塊だ。さっき茨の蔓を切り裂いたのはこれか。
紫さんは咄嗟に茨の手袋を盾にしてそれを受け止めるが、水弾は茨を抉り吹き飛ばす程の威力があった。しかもリンはそれを連射して来る。何事も大雑把なリンの性格のせいか呪文を使ってなお狙いは甘いが、大量に撃ち出されてくるそれをかわし続けるのは大変そうだ。
「きみは遅い!」
そこに、更にユウキの魔法が飛ぶ。紫さんがつんのめるようにして体勢を崩しかけ、
「私は速い!」
即座に自分の魔法で相殺した。
紫さんといえどもまだ強化魔法をかけながら普通に動くのは無理なのだろう。だから茨の手袋で負荷をかけたり、ユウキの魔法に対抗する形で使っている。素晴らしい。
しかしその一瞬の隙を見逃すユウキではない。ほとんど同時に、脚を払うような低い一撃を紫さんに放っていた。バランスを崩した紫さんにはかわせない一撃。
それを、紫さんは不自然な動きで空中に飛び上がってかわした。
「うそっ!?」
紫さんは転がって避けるようなことはできても、ジャンプできるような体勢じゃなかった。それを見越していたユウキは驚きに目を見開く。紫さんは腕から茨の蔓を伸ばして木の枝に引っ掛け、まるでワイヤーアクションのように飛び上がっていたのだ。
そしてそのまま別の木に茨を伸ばし、次から次へと空中を移動していく。逃げる他の生徒達にあっという間に追いつき、奇襲を可能にしたのはこの動きだ。
頭上を高速で動く紫さんをユウキは打つ手なく見上げる。リンも追いかけるように水弾を飛ばすが、素早く木から木へと渡っていく紫さんにはとてもついていけない。そうしながら、紫さんは更に茨をユウキへと伸ばした。それで捉えようという算段だろう。
とは言え流石にそれをやすやすと食らうユウキではない。手に持つ棒でそれを打払い、切り落とす。その衝撃で紫さんはぐらりとバランスを崩すと、地面に落ちてしまった。
――だが、それは罠だ。
釣られるようにして水弾の目標を下にさげるリン。その射線上に、ユウキの姿があった。
「うわっ!」
まさかのフレンドリー・ファイア。完全に油断していたユウキは水弾を背中に喰らい、その場に転倒する。その身体を、紫さんの茨がくるりと取り巻いた。
「こんなの……!」
ユウキは木の棒を差し込んで、茨を切断しようと力を込める。だがそれより早く、茨はぐっと彼女の身体を持ち上げ、放り投げていた。
「え、わ、ええっと、わぁっ!」
投げ放たれたユウキが落ち行く先は、水面に顔を出したリンの上。リンは咄嗟に腕を広げ、ユウキを受け止めた。衝撃を殺しきれず、二人はぼちゃんと水音を立てて水中に没する。
咄嗟にユウキはリンの腕を掴んで外し彼女を逃そうとするが、時すでに遅し。茨で作られた巨大な両手が彼女たちを囲んでいて、そのままぎゅっと握りしめた。
もしもリンだけだったなら、こうも簡単にはいかなかっただろう。水中を自在に泳ぎ回り、距離を取って水弾を飛ばしてくる彼女を捕らえるのは至難の業だ。だがユウキを放り投げ、受け止めさせることで隙を作った。紫さんの咄嗟の判断の勝利だ。
「ほら、昼までかからなかったでしょ」
中天に差し掛かろうとしたばかりの太陽を指差して、ニーナがどこか誇らしげに言う。
「そうだね。じゃあ皆でお昼ご飯にでも――」
「先生、もう一回! もう一回だけやらせて!」
私の言葉を遮って、シグが悔しげにそう叫んだ。
「別にご飯食べてからでも……」
「あの、先生、私ももう一度やらせて欲しいです。ご飯は大丈夫ですから」
すると、ルカまでもがそんなことを言い出す。
「あたしも! あたしももっかいやりたい!」
「ううーくやしいよおにいちゃん! ぼくももういっかいやる!」
それに同調するように、リンとユウキもそう主張した。
「私は別段構いませんが……どうしましょうか?」
流石に食事を取らずにというのはなあ。食いだめのできるルカは問題ないだろうけど、他の面々は普通に毎日食事を取るのがもともとの生態だ。
「こっちで食べてからもう一度やればいいでしょ」
「嫌だ!」
ニーナの言葉にシグが叫ぶ。すると、ニーナはすっと目を細めた。あ、これはちょっとイラっとした時の彼女の癖だ。
「じゃあいいわ。もう一度やりましょう。ただし――」
底冷えのするような声で、ニーナは告げる。
「鬼は私よ」
その後、紫さんを含めて全員が五分以内に捕まったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます