第12話 かくれんぼ/Hide and Seek

 留学生を迎え入れ、特別教室を始めてから半年ほどが過ぎた。


「だからなんでお前はそう馬鹿なんだよ! 普通に考えればわかるだろ?」

「えー、わかんないよ。なんでー?」


 今日も今日とて、教室内にはシグとリンの喧嘩の声がこだまする。


「はーい、そこまで!」


 だが最近はそこに、ルカが割って入るようになっていた。


「最初はどうなることかと思いましたが、うまくいきそうですね」


 その様子を少し離れたところから見守りつつ、紫さんはニコニコと笑みを浮かべる。


 教室にきてからはオドオドとしていたが、ルカはもともと弟妹たちの面倒を見てきたしっかり者の長姉だ。最近はだいぶ慣れてきたらしく、シグやリンを叱り付ける光景が良く見られた。


「ああしてると本当の兄弟姉妹みたいですよね」


 腰に手を当て注意するルカに、シグが何か弁明して更に窘められてる。その様子を見て指差し笑うリンも、平等に叱りつけられてしょんぼりとしていた。いつもマイペースなリンだが、ルカに叱られるのにだけは弱いらしい。


「本当は私があの役目をしようかとも思っていたのですが。ルカちゃんの方が向いているようですね」


 項垂れるシグとリンの頭を撫で、優しげな表情で声をかけるルカの姿を見ながら、紫さんはほんの少し寂しげな口調で言う。


「紫さんは姉というより、お母さんかなと思いますよ。皆をいつも見守ってくれている感じで」

「あら」


 私の言葉に、紫さんは意外そうに目を見開いた。流石にまだ若いだろう彼女にお母さんは失礼だっただろうか。


「それでは私たちは、夫婦という事になってしまいますね。先生はこの教室のお父さんですもの」


 だが彼女が返した言葉は、予想外のものだった。


「え、あの、その、すみません、そういうつもりは」

「だめーっ!」


 しどろもどろになる私と紫さんの間に、ユウキが割って入る。


「おにーちゃんのおよめさんは、ぼくがなるんだもん!」

「あらあら」


 ぎゅっと私に抱きついてくるユウキを見て、紫さんはおかしそうに笑った。


「何度も言ってるけど、私はもう結婚してるからね」


 ユウキの頭を撫でながら、私は諭すように言った。

 勿論ユウキのその言葉は、幼い子供によくある一時的な憧れだろうとは思う。

 だけどそれを軽んじ真っ直ぐ向き合わなければ、かえって彼女を傷つけることになるということは、過去の経験からよくわかっていた。


「ううー」


 ユウキも不満げに唇を尖らせ唸るけれど、そこまで傷ついた様子もない。


「さあ、そろそろ授業を始めようか」


 一段落ついたところで手を打ち鳴らし、生徒たちが席につくのを待った。

 紫さんとユウキの体格に合わせた椅子やシグの背もたれ部分に穴のある椅子はともかくとして、十五台目となる軽量化と丈夫さを兼ね備えたリンの車椅子や、ルカ用の腹ばいで座れる長椅子なんかは我ながらなかなかの力作だと思う。


「せんせー、きょうはなにするの?」


 教室がうまく回るようになったのは、ルカが委員長をやってくれるようになったというだけじゃない。私も、何となくどうしたら良いのか少しずつだけど分かってきていた。

 ただ知識を与え同じことをやらせるよりも、何か目標を与えて自分なりのやり方でやらせてみた方がうまくいく場合が多い。


「今日は、かくれんぼでもしようか」

「かくれんぼ?」


 私の提案に首をひねったのはシグとルカだ。


「あんなの、子供の遊びだろ」

「かくれんぼって何ですか?」


 だがその意味は正反対で、シグは知っているが故の、ルカは知らないが故の反応だった。


「勿論ただのかくれんぼじゃない。魔法を使って隠れ、逃げるんだ。鬼も魔法を使って追いかける。見つかってもいいけど、触られたら負け。日暮れまで捕まらなければ勝ちだ」

「おもしろそー! あたしおにやる!」


 ルカへの解説を兼ねて説明した途端、ピンと手を挙げてリンが主張した。


「じゃあ僕もやる!」


 それに張り合ってシグまで手を上げる。勝負事にすると必ず彼がやる気を出してくれるので有り難い。


「残念だけど、鬼はもう決まってるんだ」

「ええー」


 私の言葉に、シグは不満げに声をあげた。


「だれなの、おにいちゃん?」


 私が一方的に役割を決めるのが珍しいからだろう。ユウキが不思議そうに尋ねる。


「今日君たちには」


 私はにっこりと笑みを浮かべて、言った。


「森の中を、紫さんから逃げ回ってもらう」



 * * *



「それでは、行ってきますね」

「お願いしますね」


 他の生徒たちが森に隠れにいった後、たっぷり百数えて紫さんも森に向かう。その後姿を見送って、私は懐から小さな赤い欠片を取り出した。竜の姿のときに引き抜いておいた、私の鱗だ。


「全てを防ぐ堅きもの、陽光に煌めく赤きもの、我が一部なりし竜の鱗よ。我が耳となりて音を届け、その眼に映りしものを示せ」


 それを地面に五つばら撒き呪文を唱えれば、炎が立ち上ってそこに生徒たちの姿が映った。彼らには同じものを渡してある。それを媒介として、彼らの周囲を映し出す魔法だ。


 まず目に入ってきたのが、リンを背負って森の中をひた走るユウキの姿だった。流石に車椅子では、舗装もされてない森の中を逃げ回るのは難しい。ということで、ユウキとペアを組んでもらった。


 普段車椅子を使っているのと幼い顔立ちのせいでリンは小柄に見えるが、下半身の尾は長い。尻尾の先から頭頂部までの長さで言えば、長身の紫さんより長いんじゃないだろうか。体重も四十キロくらいはあるだろう。そんな彼女を軽々と背負い森の中を疾走するユウキの脚力は流石と言う他なかった。


 一方で、シグとルカのペアは森の中の道なき道を進んでいるようだった。こちらの二人はペアを組む必要はないのだが、リンとユウキにあわせて二人で行動するよう言ってある。もともと人間よりも高い身体能力を持つ二人だ。藪を抜け茂みを掻き分け進むその速度は平地を走るのと遜色ない。


 そしてその後ろを、ゆったりとした動作で紫さんが追いかけていた。特段急ぐこともなく、まるで散歩でもするかのような足取りで道を歩いている。年長者の余裕だろうか、それほど真剣に捕まえようとしているわけではないようだった。


「……あんた、結構酷い条件出すのね」


 不意にかけられた声に振り向くと、ニーナがじっと炎を見つめていた。


「そうかな?」


 確かに森は広大で、隠れる場所も大量にある。常識的に考えればそんな中からたった一人で隠れてる相手を探し出せるわけなんかない。けれど、紫さんはエルフだ。故郷の森ではないとは言え、探し出す方法はいくらでもあるとは思うんだけど……


「まあいいわ。お昼御飯はどうするの?」

「あっしまった、忘れてたな。まあ、森には幾らでも木の実や果物があるから、お腹が空いたらそれを取って食べるくらいのことはするだろ」


 流石に狩りをする余裕はないと思うが……リンとユウキのペアならやりかねないな。性格的にも、能力的にも。


「何なら私の分のついでに作っとくけど」

「晩御飯の話?」

「昼って言ってるでしょ」


 ニーナは私の言っていることが要領を得ない、とでも言いたげにやや憮然としていった。


「あー、昼は戻ってこないよ。休憩時間ちゃんと作った方が良かったかな?」

「あのねえ」


 ニーナは呆れてため息をつく。


「紫相手に、昼まで持つわけないじゃない」

「シグくん、捕まえました」


 そうニーナが言うのと、紫さんの声が聞こえてきたのはほとんど同時だった。

 ええっ!?


 慌てて振り向けば、紫さんはいつの間にかシグに追いついてジタバタともがく彼の腕を捉えている。目を話していたのは二、三分だったはずだ。一体いつの間に!?


 ルカはシグと分かれて逃げることに成功したのか、後ろを気にしながらも全力で森の中を駆けている。


「あなたは私、私はあなた。足を鳴らし腕を振って、駆けていって影法師」


 ルカが呪文を唱えると、地面を這う影が急に厚みを持って彼女そっくりの姿になり、そのまま真っすぐ走っていく。地面に微かな足跡をつけ、細い梢を折り、茂みの葉を散らして進んでいくその影を見送ると、ルカは痕跡を残さないよう慎重に灌木の影に隠れ潜んだ。


 周囲からは彼女の姿は全く見えないだろうが、灌木の中からは周りがよく見える。ルカは頭についた三角形の耳をピンとそばだてて、近づいてくるものの気配に集中した。優れた狩人である彼女たちリュコスケンタウロスの感覚は、聴覚も嗅覚も人間とは比べ物にならないほど鋭敏だ。集中した彼女に気づかれずに近づくことの出来るものなど存在しないだろう。


「ルカちゃん、捕まえました」


 ――エルフ以外には。


「ぴゃっ!?」


 頭上からぶらんとぶら下がって音もなく灌木の葉を避け、首に伸ばされたしなやかな腕にルカは奇妙な悲鳴を上げた。


「あれ、大して力込めてないようにみえるけど、簡単には振りほどけないし無理に逃げようとすると首の骨が折れる持ち方ね」

「紫さん、怪我はさせないようにね!?」


 冷静なニーナの解説に、私は慌てて鱗に向かって叫んだ。


「ご安心ください、そんな下手な真似は致しません」


 するりと地面に降り立って、紫さんは震えるルカの頭を撫でる。


「さて、あと二人ですね」


 にこやかに言う彼女の瞳は、完全にユウキたちのいる方角を捉えていた。

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