竜歴511年
第9話 最初の一歩/The First Step
「というわけで、留学生の三人。ルカ、リン、シグだよ」
各々準備を終えて、三人の留学生はヒイロ村へとやってきた。
心配症のタウロに大量の荷物を持たされた
車椅子を酷使し、すでに三つ破壊した人魚の女の子、リン。
着の身着のまま故郷を後にした
「……子供ばっかりじゃないの」
その面々を見やって、ニーナは不満げに言った。
「まあ逆に言えば将来性があるっていうことで。それに、一応理由もあるんだ」
「理由?」
訝しげに半目で視線を送ってくるニーナに、私は頷く。
「いずれは彼らの故郷と貿易……互いに取れるものの交換をしようと思ってるんだ」
人魚たちはたやすく海の魚を捕らえられるし、自分では食べられなくとも木の実や野菜を肉に交換できるなら、まだ狩りのできないリュコスの子どもたちでも家計に貢献できる。リザードマンたちとは望み薄だけど……彼らだって霞を食べて生きてるわけじゃないし、全く交渉の余地が無いというわけでもないだろう。
「だからまずはこの村の人たちにも、彼らの姿に慣れてもらう。子供ならそんなに恐ろしくもないし、親しみやすいかなって」
人間に極めて近い姿を持つエルフと違って、三人の留学生は皆わかりやすい異形だ。私の竜の姿を見慣れているからそこまで抵抗はないかもしれないが、それでも奇異に思うことはあるだろう。そうした種族による差別を、少しでもなくしておきたかった。
「ふうん。なんか取ってつけたような理由だけど、まあいいわ」
興味なさげに答えるニーナに、私はぎくりとする。今言ったのは本心ではあるけれど、思いついたのはリンを預かることを決めた後だ。シグだって他に来たがるリザードマンがいなかっただけだから、偶然といえば偶然である。
「とにかく! この三人と、あと紫さんを、あわせて留学生として我がヒイロ魔法学校に迎え入れようと思います」
私は咳払いを一つして、改まった態度でそう宣言した。
「よろしくお願いしますね」
「よろしくー!」
「あ、はい、えっと、よろしく、お願いします」
にこやかに紫さんが挨拶をすると、リンがぶんぶんと手を振ってそれに答え、やや気後れしたようにルカがぺこりと頭を下げる。
「……僕は別に仲良くするつもりなんかないけど」
だがシグは、口をへの字に曲げてそんな事を言い出した。
「何、この生意気なの」
すっと目を細め、ニーナが柳眉を逆立てる。
「なんだよ。僕はここに強くなりに来たんだ。弱い奴の言うことなんて聞かない。それとも、あんたも竜だっていうのか?」
「いや、まあ、彼女は竜ではないけど……」
私が言葉を濁しているうちに、「来なさい」と告げてニーナはシグの首を引っ掴んで教室の外へと向かっていった。
「竜より強いから気をつけてね……と、遅かったか。まあ取り敢えず」
私は残る三人に向き直り。
「彼は荷物もないし後でもいいだろ。行こう、部屋に案内するよ」
外から聞こえてくる悲鳴は聞かなかったことにして、そう告げた。
* * *
その翌日。
「さて。それでは最初の授業を始めたいと思います」
新しく作った小さな教室に並んだ四人の留学生たちを見回して、私はそう切り出した。
この学校で教えている科目は大きく二つ、一般的な知識と魔法の使い方だ。
文字や言葉、簡単な算数のようなものを一般教育として、それはヒイロ村にいる他の生徒たちと合同で教える。だが魔法に関しては、実験的な意味合いも強いために別に時間を取って教えることにした。
今回は初回ということでニーナにも副担任として同席してもらっているが、基本的にはこちらは私の受け持ち。一般枠がニーナと紫さんの受け持ちだ。
「何か質問があったら手を上げて、はい、と合図してくれ」
銘々に頷く留学生たちには、まだ椅子と机すら無い。
というのも、紫さんはともかくとして他の三人の体型にあったものを用意できなかったからだった。
車椅子から下ろすと移動もできないリンは仕方ないにしても、シグも普通の椅子では尻尾が邪魔でうまく座れないし、下半身が四足の狼のルカに至ってはどんな形状の椅子を用意すればうまく座れるのか想像もつかない。
というわけで、紫さんには申し訳ないけどリンを除いて皆平等に床に座ってもらっていた。まだ字をかけない生徒も多いから、机は要らないといえば要らない。
「まず最初に覚えないといけないのは、魔法というのは名前でできている、ということだ」
「はいはーい!」
私が魔法についての基本の基本。最重要の事柄を口にした時、早速手をあげたのはリンだった。
「なまえってなに?」
「え」
だがその予想もしなかった質問に、私は思わず唖然としてしまう。
「そんなことも知らないのか? お前の名前はリンだろ」
呆れたような口調で、そこにシグが口を挟んだ。
「それはわかるよー。でも、なんであたしはリンなの?」
「なんでって……親がそう名前をつけたからだろ」
妙に哲学的な問いを投げるリンに、シグは気勢を削がれてそう答える。
「じゃあ、シグはネテスケね、ってつけたらネテスケなの?」
「そんなわけないだろ! 勝手に変な名前をつけるなよ!」
「でもリンってなまえは、かってにつけられたよ?」
リンの言葉にシグばかりか、私も言葉に詰まった。
「……最初につけられたものが大事、ということでしょうか?」
「そうでもないわね。真名は後からでも変えられるから」
小首をかしげる紫さんに、腕を組んで難しい表情でニーナ。
確かに、植物や鉱物、動物なんかには人間が勝手につけた名前でも魔法をかけられる。反面、人には本人がそう自覚した真名じゃないと干渉できない。今まで考えたこともなかった。この差は一体何なんだ……?
「あの……先生、続きは」
「ああ、そうだった」
思わず考え込んでしまっていると、控えめに尋ねるルカに私ははっと我に返った。
「ともかく、名前というものが何なのかわからなくても、物を見ればその名前が何なのかはだいたいわかるだろ?」
そう問うと一同はうんうんと頷いてくれて、私はホッと胸を撫で下ろす。
「その、名前がわかるってことが大事なんだ。名前がわからないものには、魔法をかけることができない」
私は人差し指をピンと立てて見せる。
「火よ、我が友よ。我が指先に小さく小さく灯っておくれ」
そう呪文を詠唱すると、まるでロウソクのように私の指先に火が灯った。
以前は呪文を使って炎なんて出した日にはこの校舎がまるごと焼け落ちるほどの大火が出るところだったが、この五百年で私も多少は魔法について学んだ。呪文の力は威力だけではなく、制御にも回せるのだ。
二節も使ってロウソク程度の火を出すのは、何とも情けない限りだけど。
「これは『火』だ。火というのは……」
「なんの火?」
かつて、最初に魔法を教えたときの事を思い出しながら説明をしようとすると、シグが遮って聞いた。
「どういうこと?」
「肉を焼く火、身体を温める火、木々を焼く火、色々あるだろ」
ああ。そう言えばリザードマンたちの元々の言語は、火山の麓に住んでるせいか火に関する語彙がやたらと豊富なんだっけ。
「火は火ではないのですか?」
なんと説明したものか悩んでいると、紫さんがそう問い、
「ねえねえ、ひってなあに?」
リンが首を傾げ、
「はい、先生。あの、その火の名前はあるんでしょうか?」
ルカが生真面目に手を上げてそう尋ねるのを聞いて、私は思わず頭を抱えた。
火というものに対しての認識が、各々で違いすぎるのだ。
リザードマンのシグにとって、火はすぐそばにある友であり、用途ごとに呼び分けるほど親しいものだ。
一方で、海の中で生まれ育ち、初めて陸に上がってきた人魚のリンは、火という存在そのものを知らない。
森で暮らすエルフの紫さんにとって、火とは住処を消失させかねない危険の象徴のようなものだ。
だが草原を移動しながら生きるリュコスのルカにとっては、暖を取り調理するためのただの道具の一つに過ぎない。
……留学生たちを一度に教えようとしたのは失敗だったかもしれない。助けを求めるようにニーナに視線を向けようとすると、彼女の姿は忽然と消えていた。
に、逃げたな!?
「火なんかよりもっと強くなれる方法を教えてくれよ」
「私もできれば、別のものが良いですね」
「えっとえっと、あの……」
「ねえねえ! 火ってなに? それなんで光ってるの?」
たった四人の生徒たちだが、同時に口々に騒ぎ出すものだから全く収拾がつかない。
ああ、アイ。私は最初の生徒を思い返した。
思えば彼女はなんと辛抱強く、真面目で、理想の生徒であったことだろう。
私の不慣れな教育にも全く不平を漏らすことなく、懸命に学んでくれた。
それがどれほど恵まれたことであったのか。
五百年の時を経て、私は今更気づいたのだった。
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