第8話 強者/Mighty

「不要だ。ワレワレにはそんなものは必要ない」

「あ、はい」


 あまりにきっぱりとそう答えられ、私は思わず頷いてしまう。


「いやでも、ベオルさん」

「センセイ」


 低い声で私の言葉を制し、ベオルさんは四本の腕を組みながら傲然と私を見下ろした。

 蜥蜴人リザードマン。そう呼ばれる彼らは、武力を頼みとする徹底した狩猟民族だ。

 端的にその姿を説明するなら直立した四本腕の大蜥蜴、だろうか。太く長い尾を持ち、全身緑色の鱗に覆われた体躯は逞しく、細く鋭い瞳が瞬きもせず私をじっと見つめている。私が人の姿でいるせいもあって、凄まじい威圧感があった。


「ワレは、お前のことを認めている。だがそれは、そのマホウとかいうつまらぬ技故にではない」


 その身の丈は四メートルを有に超え、覇気が全身から満ち満ちている。


「お前が、強いからだ。そのマホウなどという技とは無関係に」


 私はかつて、彼と戦ったことがある。アイの延命方法を探して世界中を飛び回っていた時だ。


「だけど……強さだけじゃどうにもならないことだってある。魔法はそういうことを解決できる可能性があるんだ」

「ワレはそう思わぬ」


 私の説得に、しかしベオルさんはにべもない。


「お前たち赤竜こそ、それをもっとも体現しているものではないか」


 逆に彼の言葉に、私はうっと呻いた。

 確かに、私は赤竜より強い生き物を見たことがない。といっても私自身のことではなく、母の話だ。一度だけ、彼女が戦っているところを見たことがある。

 相手は今の私の倍以上も大きな、青い竜だった。全身から稲妻を迸らせ、凄まじい唸り声をあげて襲い掛かってきたその竜は、軽く撫でるように振るわれた母の手のひらで即座にその日の晩御飯になった。


 私自身だって、魔法を研究するのは生きるためでもなんでもない。ただ暮らしていくだけであれば適当にベヘモスでも狩っていればいいのだ。母が無駄に天文学に長じているのも今なら納得できた。竜はただ生きるだけには無駄に強すぎ、賢すぎるのだ。


「ベオルさんはそうでも、他に興味を持ちそうな人はいない?」

「ワレワレにそんな軟弱なものは――」


 ベオルさんは言いかけ、ふと言い淀む。


「いや。ワレワレの仲間にそんなものは、いない」


 いつも果断なものの言い方しかしない彼が珍しいが、ベオルさんはすぐさまはっきりと言い直した。


「……わかったよ。ありがとう」


 これ以上交渉していても得られるものはなさそうだ。私はそう判断し、彼の棲む洞窟を後にする。


「……よく大人しくしてたね?」


 そして外に出たところで、傍らを歩くユウキにそう問いかけた。


「うん……」


 ユウキは消沈した様子で力なく頷く。

 あんなことを言われ、彼女の性格なら紫さんの時のように戦いを挑んでもおかしくないと内心ヒヤヒヤしていたものだが。


「さっきのひと、すごく強い。たぶん、ぼくじゃ勝てない」


 悔しげに、ユウキはそう呟いた。


「そうだね。難しいと思う」


 ユウキとベオルさんとでは、その体格差は三倍以上ある。ユウキが自分を強化し、相手を弱体化してようやく身体能力は互角といったところだろうか。それはつまり、体格差がそのまま力の差となってあらわれるということでもある。

 大人と子供以上の差ということだ。


「ううーっ」


 私までが正直に認めたのが尚更に悔しかったのか、ユウキは唸るような声を上げた。


「まあ、ユウキはまだ小さいんだから、これからだよ。ベオルさんは私よりも長生きしてるんだ」


 数百年鍛え上げた力を、たった数年で抜かれては彼こそ立つ瀬がないだろう。


「後十年もしたら、ユウキもいい勝負をするんじゃないかな」

「そんなの、ずっとずっとあとだもん」


 ぷうと頬を膨らますユウキ。まだまだ幼い彼女にとって、十年後とは果てしないほど遠くの話なのだろう。私がそんな感覚でいたのは一体いつまでだっただろうか。


「まあ協力を得られなかったものは仕方ない。ユウキ、私の背中に……」

「おにいちゃん」


 竜になってから背に乗せるより、背に乗せてから竜になる方が楽だ。私がユウキに背を向けて腰をかがめると、拗ねていたはずの彼女は鋭い視線を彼方に向けていた。


「だれか、戦ってる。……あっちだ!」


 言うが早いか、ユウキはだっと駆け出した。私は慌てて彼女の後を追いかける。

 人の姿を取っているときの私の身体能力は、相応に鈍い。下手をするとユウキにも遅れを取ってしまいかねない程だ。必死に脚を動かしてなんとか彼女に追いつき……そして見た光景は、とても戦いとは呼べないものだった。


 体格からして、まだ子供なのだろう。一メートル半くらいのリザードマンたち数人に、彼らより頭ひとつ分ほど小さなリザードマンが囲まれていた。


 小さなリザードマンは血気盛んに殴り掛かるが、その拳はたやすく受け止められて、腕を捻り上げられ、突き飛ばされて地面に転がる。


「いい加減にしろ、『腕なし』。お前が俺たちに敵うわけ無いだろ」


 リーダー格らしきリザードマンがそう言い放ち、地面に転がる小さなリザードマンの腕と足とを四本の腕で掴んで持ち上げる。


 小さなリザードマンが『腕なし』と呼ばれた理由はすぐにわかった。リザードマンに四本ある腕のうち、上側の二本。その肘から先が、彼には存在しなかったのだ。


「やめろ! 離せ!」


 『腕なし』と呼ばれた少年は叫び、首を伸ばして自身を持ち上げるリザードマンの腕に噛み付く。


「こいつっ……!」


 痛みに顔をしかめながらリーダー格のリザードマンは腕を離し、残り三本で身体を拘束したまま殴りつけた。


「そこまでだ!」


 再び地面を転がる『腕なし』の少年にいきり立つリザードマンたちに、私は割り込んで声を上げる。


「自分より小さい相手に数人がかりで取り囲むのが、君たちリザードマンのやり方か?」

「……挑んできたのは、こいつの方だ」


 リーダー格の少年は吐き捨てるようにそう言うと、背を向けて歩き出した。取り巻きのリザードマンたちもそれに倣い、一人取り残された『腕なし』の少年に私とユウキは駆け寄る。


「大丈夫かい?」

「……誰が、助けろなんて言った」


 だが少年はそっぽを向くと、忌々しげにそう答えた。


「それは……」

「知らないよそんなの」


 彼の誇りを傷つけてしまっただろうか。言い淀む私の横で、あっさりとユウキがそう答えた。


「なんだと?」

「助けるかどうかは助けるがわが決めることで、助けてもらうがわが決めることじゃないでしょ」


 あまりにも乱暴な物言いだが、ある意味で真理ではある。

 少年も言い返す術を思いつかなかったのか、ただ押し黙った。


「それがいやなら、強くならないと」

「どうしろって言うんだよ!」


 更に追い打ちをかけるようなユウキの言葉に、少年は噛み付くような勢いで問う。


「僕の腕はこんなだ。身体だって、あいつらよりずっと小さい。どんなに訓練したって太くも大きくもならない。こんな身体でどうやって強くなれっていうんだ」


 奥の歯を噛み締めて拳を握る彼に、ユウキはきょとんとして答えた。


「え? ほうほうなんていくらだってあるじゃない」

「……は?」

「ぶきを使う。まほうを使う。ちけいを使う。さくせんを練る。さっきのいちばん大きいのは、あしが弱いからそこを狙う。そもそもひとりでたくさんあいてにしてるのがぜんぜんだめ」


 当たり前のように……いや、彼女にとってはごくごく当たり前の答えに、少年は目を丸くする。


「武器って、お前たちが使う……そう、それだろ」


 これ? と腰から抜かれるユウキの石剣を指差して、少年はいう。


「そんなの卑怯じゃないか」

「えっ、なんで?」

「そんなのを使うのは弱い奴だっていう証だろ」

「うん」


 あまりに素直に頷くユウキに、私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。


「弱いから、くふうするんだよ」


 人間は、弱い。獣よりも、竜よりも、エルフや半人半狼や人魚や蜥蜴人よりも、圧倒的に弱い。ユウキは自然とそれを受け入れ、そして勝つために努力をしてきた。それは彼女個人だけのものではない。五百年の間、剣部が連綿と受け継いできたものだ。


「きみはぼくより大きいし、うでも多いし、しっぽもつめもうろこもある」


 ユウキは少年の前に立って背を比べ、その柔らかな肌と彼の硬い鱗を示す。


「だけど戦ったら、ぜったいぼくが勝つよ。弱いぼくが」

「なんだと?」


 流石に聞き捨てならなかったのだろう。食って掛かる少年に、


「試してみる?」


 ユウキは余裕綽々といった感じでそう挑発した。


「やめておいた方がいいと思うけど……」

「うるさい! こんなチビに馬鹿にされて、黙ってられるか!」


 少年は私の忠告を無視して叫ぶと、ユウキに殴りかかり――


 次の瞬間には、宙を舞っていた。


「え……な……?」


 自分の身に何が起こったのか理解していないのだろう。少年は三度地面に転がりながら、目を白黒させる。ユウキは武器も魔法も使っていない。ただ突進してきた少年の力を使って投げ飛ばしただけだ。


 合気道なんて私が大雑把な概念を教えただけなのに、彼らは数百年の蓄積でそれを見事に技にまで昇華してみせた。恐ろしい一族だ。


「おにいちゃんのがっこうに来れば、きみも強くなれるよ」


 ユウキが、手を差し出す。少年は彼女に視線を向けず……しかし、その手を取った。


「いだっ、いだだだだだっ、痛い痛い痛い痛い折れる!」


 ユウキはすぐさまその手を返し、関節を極める。


「だいじょうぶだよーこのくらいならまだ折れないから」

「まだ!? まだってどういうことだよ!?」


 叫びながらじたばたともがく少年の傍らに、私は跪く。


「ええと……君の名前は?」

「何でそんなの……シグ! シグだよ! だからやめろっ!」


 ぐぐぐ、と体重をかけるユウキに少年……シグは慌てて名前を白状した。


「もし君がどんな手段を使っても強くなりたいと思ってくれるなら、手助けできるかもしれない」

「……あんたが?」


 シグは私を胡散臭げに見つめた。まあ、どう見たって強くはなさそうだろうし、自然な反応だ。


「そう。少なくとも、私くらいは倒せる程度に」

「……あんただったら今でも倒せそうだけど」


 にっこり笑って見せる私に、シグはそう言った。


「じゃあ、おにいちゃんが勝ったらがっこうに来るってことにしようか」


 パッと手を離し、ユウキはそんな事を言い出す。


「僕が勝ったら?」

「えー、ぜったいむりだから、そんなの考えなくてもいいよ」


 極められていた腕を振りながら聞くシグに、ユウキは悪気なく答える。別に挑発しているつもりもなく、素直に答えているだけなのだろう。


「見てろよ!」


 だけどシグに対して効果はてきめんで、彼は拳を構え私に向き直った。


「ああ、うん、じゃあ、まあ」


 なんだか騙すようで申し訳ないな。

 私はそう思いながら、魔法を解いて元の姿へと戻った。

 纏ったコートが翻り肌に張り付いて鱗に変化しながら、ばさりと裾がはためいて両側に広がって翼になる。腕はゴキゴキと膨れ上がり、爪が伸びて鋭く尖り、口は頬まで裂けて牙を生やしながら長く伸びていく。


 シグは呆然と目を見開いて私を見つめながら、巨大化していく私の体に釣られるように上を向いていった。


「さ、かかっておいで」


 完全に竜の姿に戻って炎混じりの吐息とともにそう言うと、言葉の圧に押されたかのようにシグは後ろに転んで尻もちをついた。


「り……竜だーーーーーーーッ!!」

「うん、そうなんだ、すまない」


 叫ぶ彼に、私は素直に謝った。


「うわああぁぁぁぁぁ!」


 悲鳴のような声を上げ、シグは弾かれたように立ち上がって駆け出す。

 だけれど意外なことに、彼が走っていった方向は後ろではなく、前だった。

 拳を振り上げ、彼は私の鼻面に思い切りそれを叩き込む。


「あっ」


 止める間も避ける間もなく、それは私の鼻先に当たり。


「いっ……てぇぇぇぇっ!」


 シグは己の拳を抱え、のたうち回った。


「気をつけて。私の鱗はすごく硬いんだ」


 彼自身の筋力がさほどないことが幸いしたのだろう。シグの傷は大したことはなさそうだ。下手に剛力自慢が私を本気で殴ったりすると、それこそ拳を痛めてしまう。


 だがシグの戦意はそれでも衰えず、私の足めがけて何度も何度も蹴りを繰り出す。手のひらで叩き、足で蹴り、尾で打ち、歯で噛み付く。彼の思いつく限りの攻撃は、しかし蚊に刺される程の痛みすら私に与えない。


「シグ」


 何十分、そうしていただろうか。既に疲労困憊になりつつもなお諦めず、私の指にガリガリと歯を立てる彼に顔を寄せ、凄むようにして私は名を呼んだ。


「なんだよぉ……なんなんだよぉ……!」


 彼は私の指を噛み、こちらを睨みつけながら、ぼろぼろと涙を流していた。よほど悔しいのだろう。そうだろうな、と私は思う。だって彼は。


「君は、とっても強いんだね」


 私がそう言うと、シグだけでなくユウキまでもが驚いたように目を見開いた。


「私は見誤っていた。君は強い」


 皮肉と受け取ったのだろう。ぎり、とシグの顎に力が篭もる。


「竜にここまで果敢に向かっていけるものは、リザードマンの中にもそうそういない。ベオルさんだって私と戦ったときは君の倍くらい大きかったし、私は今の半分の半分よりもっと小さかったんだ」


 だけど続けた言葉に彼の口から力が抜けて、私の指が解放される。

 自分よりも大きな生き物に挑みかかるというのは、本当に恐ろしいことだ。自分よりも確実に強い相手だとわかっているのならなおさら。

 ユウキですら、負けるとわかっているベオルさんに挑むことは出来なかったんだから。


「君のその心の強さは、得難いものだ。だけれど体と技術がそれに見合っていない」


 私とはまるで真逆だな。そう思いながら人の姿に戻って跪き、彼と視線の高さを合わせる。


「うちに来ればそれを手伝ってあげられると思う」

「……あんたを、倒せるくらいに?」


 疑心と期待の入り混じった目で、シグは私を見つめた。


「そりゃもう。私を倒すのなんか簡単だよ」


 本心からの言葉だったのだが、シグの瞳に映る疑いの色が強くなる。


「……わかったよ。正直胡散臭いけど……あんたの言うことを、少しだけ信じてやる」


 だけど彼はため息をついて、そう言った。

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