竜暦510年

第5話 草原の狩人/Grassland Hunter

「あっ、おにいちゃん、あれってべヘモス?」

「本当だ。久しぶりに見たな……」


 遥か眼下に広がる草原をのしのしと歩く巨体を指差して、ユウキが声をあげた。


「昔はよく食べたものだけど、最近はすっかりご無沙汰だなぁ」

「おいしいんでしょ?」

「う……おっと。うん」


 反射的に頷きそうになって、頭の上にユウキがいることを思い出して声で答える。

 私は今、竜の姿に戻ってユウキを乗せ、空を飛んでいるところだった。

 安定性で言うなら頭の上より背中あたりに乗っていて欲しいんだが、それだと距離がありすぎて会話をするのも一苦労なのだ。


「……小さくなったなあ」


 ぽつりと、私は呟く。眼下に収めるべヘモスの姿は、距離が離れていることを差し引いても随分と小さく見えた。勿論、個体差はあるにせよ彼らの身体が縮んだわけじゃない。


 私が大きくなったのだ。


 ニーナとの身長差から考えるに、今の私の体長はおそらく十メートル近く。ベヘモスに比べればまだまだ小さいが、それでも以前のようなどうにもならない程の体格差はない。真っ向から挑みかかっても仕留める自信はあった。


「狩る?」

「狩らない。ここで狩っても二人じゃ持ち帰れないし……それに、かなり数が減ってるからね」


 べヘモスは強く、大きい。だが無敵と言うほどではない。私じゃなくても、ヒイロ村の狩りの名手が何人か集まれば狩れてしまう。だがその巨体から想像される通り繁殖力が低く、また育つのにも長い年月を必要とした。好き放題に狩っていてはあっという間に絶滅してしまう。


「はぁーい」

「ほら、降りるよ。掴まって」


 少しだけ不満げに返事をするユウキに呼びかけて、私は目的の場所へと舞い降りて人の姿を取る。それは草原の中にある、小さな村だった。


「おにいちゃん、ここどこ?」


 ユウキは見慣れない作りの建物を目にして、キョロキョロと辺りを見回す。

 基本的にユウキたちの家は木で作られているが、目の前にあるのは動物の毛や革で作られた天幕のようなものだ。外からは見えないが骨組みはベヘモスの骨で出来ていて、簡単に分解し持ち運ぶことが出来るものだった。


「リュコス達の村だよ。ここに留学生になってくれそうな子がいるはずなんだけど……」

「りゅこ……なに?」


 おかしい。村に気配が感じられない。天幕の中を覗いても、そこには誰もいなかった。囲炉裏にはまだ日が燻ぶっているから、ついさっきまではいたはずなんだが。留守にするとしても、子どもたちまでいないというのはどうにもおかしい。


「おにいちゃん、これ!」


 ユウキが切迫した声色で、地面を指し示した。

 そこにあったのは、幾つもの足跡だった。鋭い爪を持つ、肉食獣のものだ。


「これ、さっきついたばかりだよ」


 珍しく真剣な眼差しで、ユウキは足跡をなぞる。さらさらとした砂地の上についた足跡は、簡単に崩れて消えた。

 つまりそれは、この足跡の持ち主がまだ近くにいるだろうということで――


 気配に気づいた時には、既に私はその獣たちに押し倒されていた。


 銀色の毛に覆われた四本の脚には鋭い爪が生えていて、その持ち主が獰猛な肉食獣であることを主張しているかのよう。長く太いその脚は瞬発力よりも持久力に優れていて、鋭い嗅覚で見つけ出した獲物をどこまでも追い回す。その体つきは、ある一点を除いて私の知る狼にそっくりだった。


 彼らは集団で私の身体を押さえつけ、ぐるぐると喉を鳴らしながら私の腕と言わず肩と言わず噛り付く。


「や――やめろっ!」


 私は反射的に叫んだが、狼たちの動きは止まらない。

 まずい。このままじゃ、怪我ではすまない……!

 仕方ない、こうなったら!


「こらーっ、やめなさい! 先生が困ってるでしょ!」


 私が奥の手を繰り出そうとしたその時、少女の声が鳴り響いた。

 それと同時に私に伸し掛かっていた子たちは一斉に離れ、ユウキは剣に伸ばそうとしていた手をピタリと止める。


「ありがとう、助かったよ、ルカ」


 私はほっと撫で下ろしながら、声をあげた少女に礼を言った。殺気がないから反応が遅かったが、もう少しでユウキが子どもたちを切り捨ててしまうところだった。


「先生なら無理やり振りほどくことだってできたでしょう?」


 少女――ルカは呆れ半分に言いながら、私に手を差し出す。


「そんなことをしたら怪我をさせちゃうかも知れないだろ? それにこの子たちに噛みつかれても、くすぐったいだけで痛いわけじゃないしね」

「先生がそんなにお優しいから、みんな調子に乗るんですっ」


 その手を取って起き上がると、ルカは不満げにその愛らしい頬をぷっくりと膨らました。その仕草は人間の女の子と全く変わらない。

 ……下半身が、狼であることを除けば。


 その顔立ちは人間で言えば十五、六くらいだろうか。実際にはもっと長生きしているはずだが、人よりも寿命の長い彼女たちは成長も緩やかだ。

 下半身の毛皮と同じ銀色の髪の隙間からは三角形の耳がぴょこりと立っている。腰から下は四本の脚を備えた狼になっていて、フサフサの尻尾がパタパタと揺れていた。


「このこたちが、りゅこす?」

「そう。半人半狼リュコスケンタウロスだよ」


 ルカとそっくりな姿をした子どもたちをぐるりと見回し、問うユウキに私は頷く。

 彼女たちは簡単に言ってしまえば、ケンタウロスの狼版だ。狼の身体の本来首があるべき部分に、人間の上半身がくっついている。私が半人半狼リュコスケンタウロスと名付けた彼女たちは、本物の狼と同じように群れで暮らしていた。


 ルカの弟、妹たちはいつも私を見るや否や飛びついてきては噛みつくが、単にジャレついているだけで痛いわけじゃない。狼の姿をしているのは下半身だけで口は人間のものだから、本物の狼ほど牙が鋭くもなければ、噛む力も強くはない。


 そもそも狼の持つ獰猛なイメージとは違って、彼らは皆穏やかで人懐っこい。性質は狼というよりは犬に近かった。以前から交流もあり、留学生をとるなら真っ先に思い浮かんだのが彼らだった。


「それで、先生。今日は何の御用事ですか?」


 パタパタと揺れる尻尾にじゃれついてくる弟妹たちをあしらいながら、ルカは改まった調子でそう尋ねる。


「えーと……ルカもうちの生徒にならないかって誘いに来たんだ」

「本当ですか!?」


 そう言えばどう切り出すかも考えてなかった。

 何のひねりもない私の言葉に、しかしルカは目を輝かせた。


「先生の話を聞いてから、私、ずっと学校に行ってみたかったんです!」


 パタパタと盛んに尻尾を振りながら、ルカは胸元で拳を握って言い募る。


「あ、でも……」


 しかしすぐにその尾は力を失い、頭の上の両耳もへたりと垂れ下がった。


「でも……ごめんなさい。先生、私、行けません」

「ええー、どうして?」


 しゅんと俯向くルカに、ユウキが不満げな声をあげる。


「だって、この子達の面倒を見なきゃいけないもの」


 小さな弟妹たちの頭を撫でながら、ルカは悲しげにそう言った。


「……まさか、ご両親が」


 口にするのも憚られる言葉の続きを、ルカはこくりと首肯する。

 彼女たちリュコスケンタウロスは、十人前後で集落を作りそれぞれ縄張りが被らないように暮らす。集落の中の年少者は年長者に面倒を見てもらいながら狩りを覚え、やがて新しい群れを作るのだ。


 本来ならルカも、まだ面倒を見てもらう側だろうに……


「それにしても、一体どうして?」


 リュコスケンタウロスは生態系の中でかなりの強者に属している。なにせ狼の力と人の賢さを併せ持っているのだ。弱い訳がない。


 勿論この世界には竜だの巨人だのと更に強い生き物は五万といるのだが、それでも両親揃って亡くなると言うのは尋常な話ではない。


「最近、まったくご飯が取れなくなって、それで……」

「君たちを残して?」

「はい。遠いところへ、行ってしまったんです……」


 あまりに痛ましい話に、私は思わず眉間を押さえた。


「それで、君たちはちゃんと食べていけてるのかい?」


 ルカはふるふると首を振る。


「おなかすいた……」


 幼い子供たちが、お腹を押さえて切なげに空腹を訴えた。


「わかった」


 私は決意を込めて、頷いく。

 多分帰ったらまたニーナに小言を言われてしまうのだろうけど。


「私が、君たちの……」

「帰ったぞ、ルカ!」


 親になろう。そう言おうとした瞬間、背後から野太い声が聞こえた。


「おかえりなさい、父さん! 母さん!」


 ルカの表情がぱぁっと輝き、振り返ってみれば大量の獲物を抱えたルカのご両親の姿が。旅装と思しきその服は砂と埃にまみれていて、長い距離をその脚で旅してきたというのはすぐにわかった。


 ああ。遠いところにいってしまったって、そういう……物理的な……


「ところで先生、さっきはなんて?」

「いえ、なんでもないです」


 可愛らしく首を傾げるルカに、私はきっぱりとそう答えた。

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