第3話 継承/Inheritance

 紫さんはその名前の通り紫色の花を咲かせ、茨を纏って戦うエルフの戦士だ。長老の警護を務める彼女とは決闘相手として出会ったが、今では良き友人としてたまに会っている。


「最近あいつ、暇なんだよ。お前のせいだ」

「私の?」


 黄緑さんと別れて道すがら、群青はそんなことを言い出した。


「蜥蜴人とか、巨人とか、黙らせてきただろ。紫の仕事はそういった連中に睨みを利かせることだったんだけど、ここ百年くらいすっかり大人しくなったっていうんでやることがないんだってさ」

「それは……まあ平和なのは良いことなんじゃないかな」


 蜥蜴人と巨人はどちらも極めて好戦的な種族で、特に理由がなくとも襲い掛かってくる。ヒイロ村も何度か襲撃にあったけど、私とニーナで撃退して、根気強く交渉することでなんとか今は休戦状態といったところだ。


「平和ねえ……相変わらずお前はわけのわからんことを言うな。お、紫いたぞ」


 一体何のわけがわからないんだ、と問い返す間もなく、群青はぶんぶんと手を振った。


「お話はお聞きしております。どうぞ」


 紫さんは柔らかな口調でそう言うと、彼女の家なのだろう。巨大な木の洞の中に案内してくれた。エルフたちは自分の森の中の出来事は木々の囁きでおおよそ知れる。私たちが来たこともその目的も知って準備してくれていたのだろう。テーブルの上には人数分の水が木杯に用意されていた。


「剣の扱いをお教えすればよろしい、ということでしょうか」

「それなんですが」


 全身に染み渡るような冷たい水を飲んで一息ついたところでそう切り出す紫さんに、私はさっき群青の話を聞いていて思いついたことを口にする。


「もしよければ、紫さん自身に私たちの村に来ていただけないでしょうか」

「私が……ですか?」


 思ってもみない申し出だったのだろう。紫さんは驚きに目を瞬かせた。


「はい。ニーナと一緒に、剣だけでなく魔法も教えてもらえれば、と思いまして」


 例え綺麗に肉を切れるようになったとしても、私はあの牧場をヒイロ村に作るつもりはない。だとすると独自に牧畜を研究しなければならないのだが、現状手が足りてない状態だった。


 なにせ子どもたちの人数が多い。一人で教えられるのはせいぜいが数十人まで。数百人いる子どもたちに対して、教師は私とニーナの二人しかいないのだ。日にちと時間を分けて教えてはいるが、とても研究までしている時間はない。


 今後更に増えていくであろう子どもたちに備えて教師役を増やさないといけない、というのは前々からニーナとも何度か相談していた。その点、紫さんであれば適任ではないか、と思うのだ。


「……確かに私も先生の学校に興味はあります」


 紫さんはしばし考えた後に、そう答えた。


「ですが私はこの森の守りの司。おいそれと興味だけで森を出るわけにはまいりません」

「そうはいってもお前、熊猿に負けたじゃないか」


 群青がスパリと指摘するが、紫さんは気を害した風もなくうなずく。


「ええ。あの強さを学ぶためであれば許可はおりるでしょう。ですが、あれから数百年。人の子の命はさほど長くないことは知っております。もうあの方は生きてはいないのでしょう?」

「……はい」


 胸元の石飾りを握りしめ、私は頷く。今でもあの頃の事を思い出すと、私は泣きそうになってしまう。


「お前、どうせ暇なんだし良いじゃないか」

「そういう問題ではありません」


 群青の言葉に、紫さんはきっぱりと首を振る。


「群青が来てくれても良いんだけど」

「絶対に嫌だが?」


 紫さんに勧めておきながら、話を振れば群青は当たり前のようにそう答えた。まあ彼女はそういう奴だし、教師に向いているとも思えない。……そう言えばそもそも群青が魔法を使うところを未だに見たことがないな。多分青い花か葉を生やすようなものなんだろうけど。


「こちらにいらしてくださって、剣をお教えするのならば幾らでも構いませんので」

「ありがとうございます。機会があれば伺わせてもらいます」


 私は水を飲み干して、席を立ち頭を下げる。とは言ってもそんな機会があるかどうか。私の場合、戦うなら剣を使うより竜の姿に戻って殴る方が手っ取り早いしなあ。


「よく、わかんないけど」


 私が帰ろうとしたその時、声をあげたのはユウキだった。


「むらさきさんより強かったら、せんせいになってくれるってこと?」

「……先生がお強いことは、私も存じております。本来の姿になられたら私では太刀打ち出来ないでしょう。……ですが」


 紫さんが腕を振るえば、その手には茨が伸びて剣となる。


「その強さは生まれ持った強さ。竜であるがゆえの強さです。私の求めるものとは違う。剣とは技術。生まれた後に磨き培うもの。私はそれを追い求めたいのです、人の子よ」


 ダルガも生まれながらの強者ではあった。だが紫さんに勝てたのは、私のもとで魔法を学んだからだ。私と出会った当時の彼なら負けていただろう。


「うん。だったら」


 ユウキは腰に下げた剣を抜く。狼獅子の革で作った鞘に収まっていたのは、木製の刀身に石を挟んで刃にした剣だ。


 槍でもなく、斧でもなく、剣。彼女の一族が剣部と呼ばれるその拠り所。それに、私ははっと息を呑んだ。


「ぼくが勝ったら、いいんだよね?」


 ユウキの言葉に、紫さんの瞳がすっと細められる。にこやかな微笑が消えて、彼女は値踏みするようにユウキの姿を見下ろした。


 身長で言えば、ユウキの背は紫さんの胸元辺りまでしかない。種族の違いがあっても彼女が未発達な子供であることは明らかで、紫さんはその意図を伺うように私に視線を向けた。


 ニーナはこうなることを、予測していたのだろうか。本来私一人で来るつもりだったこの森に、ユウキも連れて行けと言ったのは彼女だ。

 もしそうだとするなら、受ける他ない。


「怪我をしないように気をつけて」


 私は二人ともにそう言った。


「ユウキは、強いので」



 * * *



 二人はそれぞれに剣を構えて対峙する。

 板状に茨を固めた盾を持ち、鋭い切っ先を持つ茎の小剣を構えた紫さんと、石を挟んで刃にした木剣を片手で持つユウキ。体格も装備もまるで違うが、その佇まいはどこか似ていた。


「じゃあ勝負がついたと思ったら止めるから、その時はすぐに剣を引くこと。特にユウキ、いいね?」

「うん!」


 ユウキは元気よく頷くが、少しばかり心配だ。とは言えこの勝負自体を了承したのは私なのだから、今更やめさせることも出来ない。


「それでは……始め!」


 私の合図とともに、先に動いたのは紫さんの方だ。雷光のような速さの突きが、長い腕から放たれて信じられないほど伸びる。十分安全だと思っていた距離は一瞬にして詰められて、その一撃はユウキの手元を狙った。


「ぼくは速い!」


 その瞬間、声だけを残してユウキの姿は掻き消える。しかし紫さんが彼女の姿を見失ったのは一瞬のそのまた十分の一にも満たない。森の中でエルフが相手を見失うことなどありえない。


「ぼくは固い!」


 振り向きざまに放たれた一撃を、ユウキはあろうことか空いた手の甲で弾く。大木をもたやすく切り裂くその切っ先は、まるで石に当たったかのような硬質な音を立てて跳ね跳んだ。


「ぼくは強い!」


 それと同時に、加速した剣の一撃が紫さんの喉元を狙う。反射的に紫さんは盾を構え、斬撃を反らした。石の刃は茨で出来た盾を容易く切り裂いて、上半分を切り落とす。


「くっ……!」


 この小さな少女が油断ならない相手であるとようやく悟ったのだろう。飛び退る紫さんの動きに連動するかのように、彼女の全身を茨の鎧が包み込んだ。


 だがそれは、悪手だ。


「きみは遅い!」


 ユウキがそう叫んだ瞬間、紫さんの動きは目に見えて悪くなる。


「きみは柔い! きみは弱い!」


 畳み掛けるように振り下ろされる一撃を紫さんはなんとかかわすが、その脚は力を失って彼女はガクリと体勢を崩す。


「光よあれ! 汝は我の半身にして、全てを捉え切り裂くもの!」


 その隙にユウキが木剣を掲げると、その刀身からまるで稲妻のように光が迸った。


「そこまで!」


 私が叫ぶと同時、ユウキの振るった光り輝く木剣は紫さんが掲げた茨の剣を両断し、彼女の兜を割ってピタリと止まった。


 ……相変わらず、エグい。自己強化を重ね、相手に弱体化をかけ、最後に武器を強化しての一撃は回避も防御も不可能。鎧熊さえ一刀のもとに屠る威力が出る。とても九歳児とは思えない、シンプルだが洗練された戦い方だった。

 彼女が自分のことを「ぼく」と呼ぶのさえ、この為。「わたし」より一音省略できるからという理由なのだから、徹底している。


「今の……その、戦い方は誰から教わったのですか?」


 呆然とした表情で、紫さんはユウキに問う。


「おとうさんだよ、むらさきさん」


 ユウキの答えに、紫さんははっとして彼女の顔を見る。

 その小さな背も愛らしい顔立ちもまるで似ても似つかないが、赤い髪と赤い瞳の色だけはそっくりで。


「おとうさんはおじいちゃんから。おじいちゃんはひいおじいちゃんから。ずっとずっと教えてもらってる、つるぎべのわざだよ」


 剣部。それは私がかつてダルガに贈った、最後のプレゼント。私の知る限りで世界最初のファミリーネームだ。


「ですが……あなたの戦い方は、彼とは違う」


 紫さんの声が、震えていた。

 彼女の言うとおり、ダルガの戦い方はもっと豪快なものだった。自己を強化する魔法こそ同じだが、剣の振るい方や身のこなし方はまるで違う。


「うん。まほうは始祖さまが作ったものだけど、けんの使いかたは、ちがうの」


 ダルガの子孫の皆が彼のように体格に優れていたわけではなかった。だからダルガは、岩剣を砕いて石の刃にし、小さく軽いものでも戦えるやり方を考えた。


「もりでであった、すっごく強いひとの振りかたを、まねしたんだって」


 それは剣部の一族に語り継がれる物語。竜とエルフと女の子との、冒険の話。


「だからむらさきさんと戦えて、ぼくすっごく嬉しい!」


 きらきらと瞳を輝かせ、ユウキは弾んだ声でそう言った。


「……人の子の強さ。そして我が剣の行く末。しかと見させて頂きました」


 紫さんは目尻を指先で拭うと、改まった態度でそう返す。


「それじゃあ……」

「はい。ぜひ、私も先生の学校でお世話にならせてください。……長老が許せばですが」


 最後に付け足された一言に、私はうっとうめいた。やはり彼女の一存では駄目なのか。果たして長老が許してくれるだろうか。


「大丈夫ですよ」


 眉根を寄せる私を安心させるように、紫さんはにっこりと微笑む。


「きっと否とは言わないでしょうから――」


 意味深な笑みを見せる紫さんに、私とユウキは揃って首を傾げるのだった。

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