第2話 魔法の山羊/Tanngrisnir

「わぁっ、すごーい、たかーい!」

「しっかり捕まってるんだよ、ユウキ!」


 頭の上ではしゃぐ声にヒヤヒヤしながら、私は翼をはためかせる。三年ぶりくらいだろうか。私は元の竜の姿に戻って、空を駆けていた。


 竜と人。アイの残してくれた魔法は私に二つの姿を自由に行き来する力を与えてくれた。人の姿で翼だけ出したり、竜の姿で指先だけ人間に出来たりしたらもっと便利なんだけど、どうやってもそれは出来なかった。多分、私の竜としての名前と人としての名前に紐付けられているからだろう。


「さあ、降りるよ」

「うんっ!」


 元気な頷きの声を聞きながら、私は目当ての森の前に降り立つ。同時に翼が捻じれ、鱗がばらりと解けてコート状に広がり、私はユウキの脚を掴みながら彼女を肩車する形で人の姿に戻った。


「あー楽しかった! おにいちゃん、もういっかい飛んで!」

「帰りにね。さあ、手を握って、絶対に離さないでね」


 楽しげにきゃっきゃと笑うユウキをそう宥め、私は彼女に手を差し出した。ユウキは基本的に素直で聞き分けが良い子なんだけど、好奇心旺盛で行動力がありすぎる。掴んでおかないとどこへ飛んで行くかわからなかった。


「うん、おにいちゃん!」

「……その呼び方もなんとかならないかなあ」

「おにいちゃんは、おにいちゃんだよ?」


 何故か昔から、ユウキは私をおにいちゃんと呼ぶ。

 れっきとした兄がいるのに、そちらの方はアマタと呼び捨てだ。

 年齢で言うなら兄どころか、お爺ちゃんでもきかないくらいなんだけどなあ。


「止まれ」


 森の中をしばらく進んだところで、鋭い声に私たちは足を止めた。


「猿が二匹。我らの森に一体何用だ」

「やあ群青、久しぶり」


 鋭い視線を向けるエルフにひょいと手をあげると、彼女は更に表情を険しくした。


「何故私の名を知っている」

「いやいやいや。私だ、赤竜の。何で毎回忘れるんだよ君は」


 私が言うと、群青はパッと表情を軟化させる。


「ああ。あー、なんだ、落ちこぼれのところの蜥蜴か! はー、そうだった。姿を変えられるんだったな。じゃあこっちは落ちこぼれか? ふたりとも随分小さくなったな!」


 言いながら、彼女は気安げに私の背中をバンバン叩き、ユウキの頭をぽんぽん撫でる。


「何でだよ。この子はユウキ。私たちの村の子だよ。ニーナは留守番」

「何? じゃあ、何しに来たんだ、お前は」


 群青が怪訝そうな表情をするのも無理はない。今まで何度かこのエルフの森には足を運んでいたが、それはニーナの里帰りという側面が強かった。思えば彼女を伴わずにここに来るのは初めてだ。


「黄緑さんに会いに来たんだ」

「ふうん。まあ何でも良いや。黄緑ならこっちだ」


 自分で聞いておいてさほど興味なさげに頷きながらも、群青は歩き出した。どうやら案内してくれるらしい。


「ねえおにいちゃん、きみどりってだれ?」

「この森で家畜の世話をしてる人だよ」


 歩きつつ、私はユウキの問いに答える。そう、エルフたちは既に牧畜を成功させているはずだった。実際に牧場を目にしたことはないが、話自体は聞いたことがある。


 牧畜を始めると言っても、私にはそういった知識が全くない。ならば既に始めているエルフたちの知恵を借りよう、というのが今回この森を訪れた理由だ。家畜の飼い方を教えて貰えれば一番良いけど、牧畜に適した動物の種類を知れるだけでも全然違う。


 私の目から見ると、この世界にそんな動物はいないように見えるからだ。牛や豚に似た生き物でもやたらと気性が荒く、戦闘力も高いせいで柵を作っても簡単に壊してしまう。


「おや。センセイ、お久しぶりですね」

「どうも、ご無沙汰してます」


 彼と会うのは百年ぶりくらいだろうか。だが群青と違ってちゃんと私の顔を覚えてくれていたようで、黄緑さんはぺこりと頭を下げた。


「なるほど。別に構いませんよ。元々それを教えよと長老には言われてましたし」

「長老に?」


 事情を説明すると黄緑さんはそう請け負ってくれて、私は首を傾げた。

 ニーナの父親である長老に、私は嫌われているとは言わないまでもあまり好意を持たれてはいない。こちらから何も言わずとも手助けしてくれるとも思えないけど……


「こちらです」


 黄緑さんに案内されたのは、柵もなければ小屋もない。ただただ雑草が生い茂るだけの広場だった。私もよく狩る鹿のような生き物や、山羊に似た生き物が群れてのんびりと草を食んでいる。私たちが近づいても、逃げる様子もない。


「ちょうど、肉を取ろうと思っていたところです」


 そう言って黄緑さんがすぐ傍に生えていた背の高い草に手を添えた。途端、草は更に高く長く生長していって、彼は薄く黄緑がかったその葉を抜き取った。これが、彼の名前に由来する魔法か。


 細長く鋭い先端を持つその葉は、まるで剣のようだ。黄緑さんは手頃な山羊を一頭選ぶと、葉で出来た剣を振り下ろす。


「っ……!」


 尻の辺りの肉を切り落とされる山羊の姿に、私は思わず息を飲んだ。溢れ出る血にでも、鋭利に切り落とされた断面にでもない。肉を切り落とされてなお、逃げるどころか鳴き声一つあげず、表情一つ変えない山羊の姿にだ。


 黄緑さんが木の葉の剣を山羊の傷口に当てると、それは先程までの硬さをまるで感じさせないしなやかな柔らかさで張り付く。彼は更に二、三枚の木の葉を追加しながら手際よく包帯のように傷口に巻きつけた。


「こうしておけば、一月ほどでまた肉が取れるようになります」

「殺さずに……そうやって、傷を治しながら、何度も肉を取るんですか?」

「ええ」


 当たり前のように、黄緑さんは頷いた。

 その反応を見て、私はようやく思い出す。長老が私に教えてやれと言ったのは、かつて不老不死の方法を探していたときのこと。ゾンビパウダーの製造方法だ。


 逃げもせず怯えもせず、ただその場で草を食み続ける山羊たちはそれを用いてこんな状態にされているに違いない。そもそも私が黄緑さんと知り合ったのも、それが縁だったのだ。すっかり忘れていた。


「どうなさいましたか?」


 不思議そうに、黄緑さんは問う。

 彼は別段、冷酷でも非情でもない、ごく普通のエルフの青年だ。


 ――だが、価値観が違う。

 私には死ぬことも出来ず、永遠に肉を削られ続ける山羊たちが哀れで、おぞましく見えた。けれどエルフたちにとってはそれはどうということもないことなのだろう。ちょうど、私たちが木の実を毎年もいで種まで食べてしまっても何とも思わないように。


「おにいちゃん?」


 傍らで不思議そうにしているユウキの顔を、私はちらりと見る。

 こんな時代だ。彼女だって獣の死体に怯えるようなお嬢様ではないし、むしろ嬉々として狩りをこなす。私だって生きたままの獣に齧り付いて食べてしまうこともある。


 殺してしまうより、どんな状態でも生きていた方が良いのかもしれない。

 効率的なその方法が、何百、何千もの人の命を救うのかもしれない。


 だけどそれでも、私はその方法を取る気にはどうしてもなれなかった。

 ユウキに、そんな行為に慣れて欲しくない。そう思ったのだ。


「……あまり参考にはならなかったようですね」


 私の様子から心情をおおよそ察したのだろう。黄緑さんはやや気落ちした様子で肩を落とす。彼も彼なりに、協力してくれるつもりだったのだ。


「そうですね……うちではそんなに見事に肉を切り落としたり、怪我を治すような魔法を使えるものがいませんから」


 行為の好き嫌いは横に置くとしても、ヒイロ村では出来そうにないというのもまた事実だ。黄緑さんの魔法はそれほど見事だった。私も一応小さな傷を治すくらいの魔法は使えるのだが、こんなに大きな傷を一月で元通りに治すのは無理だ。


 切り落とす方も、これほど綺麗に斬るのは竜の爪でも難しい。

 ニーナならそのくらい小器用にできそうな気はするが、子どもたちの教師として忙しく働いている彼女に牧場の世話までさせられない。


「だったらあいつに教えてもらえば良いんじゃないか? 黄緑より切るの上手いだろ」

「確かに、それが良いかもしれませんね」


 不意にそれまで黙って話を聞いていた群青が言って、黄緑さんもそれに頷く。


「あいつって?」

「お前もあったことあるだろ。紫だよ」


 そして、この森で一番強い女性の名を挙げた。

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