第ニ章:言葉の時代

竜歴509年

第1話 ゆっくりとした破滅/Slow Bane

「参ったな……」


 カリカリと木板に走らせていたペンの手を止めて、私は頭を抱えた。やはり何度計算しても間違いない。


「どうしよう」


 腕を組んで頭を悩ませていると、にわかに教室のほうが騒がしくなった。窓に目を向け、赤く染まった空を見て、もうこんな時間かと息をつく。


「せんせー、さよなら!」

「ああ、さようなら」


 窓の外を元気よく走っていく村の子供達に、私はにっこりと笑って手を振った。

 彼らは村を受け継いでゆく、大事な存在だ。だからこそ、この問題は見過ごせない。


「あー疲れた。やっと終わったわ」

「ニーナも、今日もお疲れ様」


 ぐっと身体を伸ばしながら職員室に現れたニーナを労う。と言っても、職員は私とニーナだけだけど。


「どうしたの。いつも以上に情けない顔をして」


 すると彼女は私の顔を一目見るなり、そう聞いた。彼女と出会ってから、もう五百年近くになるだろうか。思えば長い付き合いだ。顔を見ればお互いに何を考えているかは何となく分かる。ほとんど表情に変化はないが、彼女なりに心配してくれている時の顔だった。


「ああ、それが……」


 私が言いかけた、その時。


「おにーちゃーんっ!」


 元気の良い声とともに飛びついてきた小さな影を、私は反射的に受け止めた。


「おべんきょう、終わったよっ!」


 二つ結びにした赤い髪に、輝かんばかりの笑顔。大きな赤い瞳がきらきらと輝くその顔は将来は美人になるだろうという予感を抱かせるが、本人はまだ殆ど男の子と同じような格好で、腰から剣を下げていた。


「ああ、お疲れ様、ユウキ」


 元気いっぱいに私の身体をよじ登ってくる小さな女の子は、学校に通う子供の中でも特に私に懐いてくれている一人だ。


「すみません、ユウキがここに……ああ。来てますね」


 ユウキの相手をしているとすぐに、彼女にそっくりな顔の少年が姿を現した。ユウキに落ち着きを持たせ、少し成長させて髪を短く切ったらこうなるのではないかと言った感じの、少女と見まごうほどの美少年。


「君もお疲れ様、アマタ」

「いえ、妹がご迷惑をおかけしてすみません」


 ぺこりと頭を下げる彼の所作は、幼いユウキと一つ二つしか違わないはずなのに随分と落ち着いている。子供なんだからもう少し子供らしく振る舞っても良いのに、とは思う。


「ほら、帰るぞ、ユウキ!」

「やだーー!」


 例えば、全力で私に抱きついて離れようとしないこのユウキみたいに。


「……それで」


 そんな光景を眺めながら、不意にニーナが声をあげた。


「何に困ってるんだっけ? あんたは」


 え、この状況で聞く?


「ユウキが離れてくれないのは少し困るかな」


 私がそう言うと、ユウキはぱっと手を離す。


「おにいちゃん、ぼくのこと嫌いになった?」

「なってないよ。大丈夫」


 心配そうに見上げてくるユウキの頭をくしゃりと撫でる。


「で?」


 どうやらニーナは誤魔化されてはくれないようだった。


「あんまり子供の前で話したい話でもないんだけど……」

「良いじゃない。こいつら剣部なんだから」

「うん! ぼく、つるぎべだよ!」


 ニーナの言葉に、ユウキは覿面に反応して目を輝かせ、ぶんぶんと手を振り上げた。


 私は深く息をつき、両手を上げて降参する。まあ、この子達に話してどうなるものでもない。


「実は……このままだと、この村が滅ぶことがわかった」

「ええっ!?」


 ニーナが僅かに目を見開き、アマタが息を呑んで、ユウキが驚きの声を上げる。


「と言っても百年以上先の話だし、このまま何もしなければの話だけどね」

「なあんだ」

「ちょっと驚きました」


 その隙を見計らって悪戯っぽく言えば、ユウキとアマタはほっと胸を撫で下ろした。そう、百年。


 たったの百年後だ。


「どういうこと? あんた、未来を見れるの?」


 ニーナだけが私と同じ感覚を持ち、硬い声で尋ねる。ユウキやアマタにとって百年後は想像もつかないほどに遠い未来。恐らく二人とも死んだ後の話だ。だけど、私とニーナにとってはそうじゃない。うかうかしていればあっという間に過ぎてしまう程度の時間だった。


「予言じゃない。予測だよ。単純な計算だ」


 私とニーナ……そして、アイ。三人で始めた魔法学校は、ヒイロと言う名がつけられたこの村と一緒に大きくなってきた。魔法の研究が進んで暮らしが楽になるほどに村の人々の数は増え、村が発展するほどに学生の数も増えて魔法学校も大きくなる。そんな好循環。


 どちらも極めて順調に大きな問題もなく進み――

 そしてそれは、あまりにも順調すぎた。


「食料が足りなくなるんだ、このままだと」


 村の食料は、未だに狩猟と採集に頼っている。そんな不安定な生活では普通なら抱えられないほどの人数になってなお、余裕を持って冬を越せるほどの備蓄があった。魔法があるからだ。


 冷気の魔法で作った氷室は長期間肉を保存できるし、魔法で強化した槍や弓は狙いを外れても獣に刺さる。木々を操り草の声を聞けば、小さな子供でも安全に森に分け入って高いところになった木の実を手に入れることができた。


 外的な脅威からは私やニーナが守り、大きな疫病が流行るようなこともなく、何の問題もなくここまで来れた。

 来れてしまった。


「食料になる動物や植物の量は、年々少しずつだけど減り続けている。それに対して、人口は増え続けてる。このままだと皆ご飯が食べられなくなる……それが、今から百二十八年後の話なんだ」


 私の説明がよくわからなかったのか、ユウキとアマタはぽかんとした表情で口を開ける。ニーナだけが「なるほどね」と頷いた。


「でも、おにいちゃんがなんとかしてくれるんだよね?」

「ああ、もちろんだよ」


 無論、この村を滅ぼす訳にはいかない。私はもっともっとこの学校を大きくして、世の中に広く知られるようにしなくちゃいけないんだから。


「でも、具体的にはどうするのですか?」


 真剣な表情で聞いてくるアマタに、私は頷いて答える。


「農耕と牧畜を、始めるんだ」

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