第30話 転生/Reincarnation
空を飛びたい、と思ったことはないだろうか。
青い空を見上げるたび、そこに浮かぶ白い雲を見るたび、自由に飛んで行く鳥達を見るたびに、わたしはそう思っていた。
ああして飛べたら、どんなに楽しいだろう。
言葉を覚える前の事はあまり明確に思い出せないが、そんな事を思っていたように思う。
ろくに食べ物もなく、毎日毎日、森で小枝や木の実を拾い、野獣に怯え、死んでいく兄弟を見送るだけの生活。
それを不満に思っていたかというと、そういうわけではない。
わたしの世界はそれだけだったし、それ以外の生き方なんて考えもしなかった。
ただ漠然と……わたしは、あの空の向こうの事を知ることもなく、やがて死ぬんだろうと言う、諦観めいたものを抱いていたように思う。
それを簡単に吹き飛ばしてくれたのは、空から舞い降りた大きな大きな竜だった。
初めて出会った時は、とにかく恐ろしくて、わたしはこれで死んでしまうんだと、心の底から思った。
だけれど。
「ああ、大丈夫、お嬢ちゃん。大丈夫、私はこう見えてもいいドラゴンなんだ」
何と言っているかもわからなかったその声色はとても優しげで、言葉の意味は通じていなかったけれど、彼の言っていることははっきりと伝わっていた。
だから。
森の端で眠る彼に捧げ物をするために、父が子を選び出した時、私は真っ先に自分が行くと主張したのだ。
あの空飛ぶ赤い竜の下へ行けば、何かが変わるんじゃないか。
そんな、淡い期待を抱いて。
実際は、何かが変わるどころの話じゃなかった。
竜は……先生は、私が思っていた何十倍も何百倍も風変わりで、何一つとして私の想像の範疇にないことばかりを口にした。
そもそも、言葉なんてものすら私たちは知らなかったのだ。
名前。木で作った家。火で焼いた食べ物。土で作った器。塩。スプーン。概念。植物と動物という分類。エネルギー。文字。櫛。お風呂。
そして、魔法。
先生が創りだすものは何から何まで見たことも聞いたこともないものばかりで、幼い私が彼に憧れるのは当然のことだった。……その想いが、やがて思慕に変わるのも。
そうして隣で先生を見ているうちに、私は彼がとても普通の人なのだと気がついた。
平和が好きで、戦うことが苦手で、優しいけれど、怒るときは怒る。
そしてとっても臆病で――――ちょっぴり、優柔不断。
知らないことはないんじゃないかと思うくらい物知りで、誰よりも強い竜なのに、中身は普通の男の人なのだ。
それはかえって変てこな事のように思えたけど、何もかもが凄いただの竜より親しみが持てる気がして、私はますます先生のことが好きになった。
……まあ、ジャックフロストに協力してもらってまで想いを打ち明けさせたのは、我ながらちょっとやり過ぎかなって思ったけど、ニナさん以外にはバレてないし、若気の至りという事で許して欲しい。
他の人がわたしのことをどう評価するかはわからない。
子供も残せず、女としての喜びもついに知ることなく、最後に一度好きな人に抱きしめられただけで死んでいくわたしの事を、無為な人生だったと思う人もいるだろう。
例えば、ニナさんとか。
あの人は結構そういうことをハッキリ言う人だ。
けれど、わたしはそう思わない。
先生の隣にいられた一生は、ほんとうに、ほんとうに、幸せだった。
そこに悔いは一片もなく、こんな生き方をしなければ良かったなんて全く思わない。十度やり直せば十度とも同じことをするだろう。
魔法は、名前で出来ている。
先生は何度もそう口にしていた。
彼は勿論、ただ単純に魔法の原理の話をしていただけなんだろう。
でも私にとってはそうじゃない。
彼が一番最初にわたしにくれたもの。
それはまさしく最高の魔法だったからだ。
師として、父として、兄として、そして夫として。
先生はあふれんばかりの
だから最後に使う魔法も、わたし自身だ。
それが出来るってことも、教えてもらえた。
だから、だから。
何十年、何百年、何千年、何万年かかっても。
きっとまた、
待ってて下さい。
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