第26話 決闘/Duel

『……良いだろう。ならば、我が精兵三人を倒したならば、お前たちが十分な脅威であり、力であると認めよう』


 長老はそう言って、『ここでは狭すぎる』と我々に外に出るように促した。

 彼が外に出てすっと手を掲げると、周囲の木々がざわめき、意思を持つかのようにそこから離れて、あっという間に広場が出来上がる。ニナよりも強力な木々の操作を、呪文も使わずやってのけたのだ。


『いいのか? あんたたちの武器を遠ざけちまって』

『問題ない。常緑よ、相手をしろ』


 長老の声に答えて出てきたのは、大柄なエルフだった。

 ただ背が高いだけでなく、腕も足も太く、顔も厳つい印象だ。

 例外なく優美で細身のエルフの中ではかなり良い体格をしていると言えた。


 とはいえ。


『よう、おちびちゃん。そんな身体で俺と殴りあうつもりかい?』


 身長二メートルを優に超え、全身巌のような筋肉に包まれたダルガに比べれば、可愛らしい女の子のようなものだ。


『何故長老が問題ないと言ったかわかるか?』

『どっちにしろ負けるからか?』


 常緑と呼ばれたエルフの問に、ダルガは軽口で答える。


『いいや――』


 メキメキという音とともに、見る間に常緑の身体は膨れ上がっていく。

 腕にいくつも筋が走って赤茶けた太い枝となり、身体はガサガサとした鱗のような樹皮が覆って分厚い幹となる。


『我ら自身が森だからだよ、おちびちゃん』


 高さ十メートルはあるだろうか。

 巨大な木人となった常緑は、わさわさと葉を揺らしながらダルガを見下ろした。


『ふぅん』


 それを見上げながら、ダルガは興味もなさそうに相槌を打った。


『さて、死なないでくれよ』


 巨木の枝が唸りを上げて、ダルガに向かって振り下ろされる。

 そしてそのまま、ぐしゃりと音を立てて潰された。


「ダルガさん……!」


 私の横で、アイが息を呑む。


『なあ』


 だが、枝の先に生えた葉の影から聞こえてきたのは、いつもどおりの呑気なだみ声だ。


『この木の身体ってよ。ぶっ壊したら、あんた、死んじまうのか?』

『いいや。これは飽くまで仮初のものだ。その心配は必要ない』


 答える常緑の胴体に、ぴしりとヒビが走る。


『そいつぁ良かった』


 メキメキと真っ二つに裂けていく巨木を見上げながら、ダルガは言った。


『死んじまったら寝覚めが悪いもんな』

『見事だ……!』


 裂けた樹の中から常緑が現れて、膝をつく。


『まだやるかい?』


 軽く拳を掲げるダルガに、常緑は苦笑しながら首を横に振った。


『そら、次だ。一気に二人がかりでも別にいいんだぜ』

『紫。次はお前だ』


 ダルガの言葉に答えることなく、長老は次の相手を差し向ける。


 今度は小柄で細身のエルフだった。

 エルフは皆中性的な美形だから性別がわかりづらいが、多分女性だろう。


『御相手します』


 紫と呼ばれたエルフは丁寧な口調でそう言って、左手を前につきだした。

 すると彼女の身体は見る間に茨に包まれて、盾と鎧で武装したようになる。掲げた手からは長い薔薇の茎が伸び、剣のようにダルガの方へと向けられた。


『なるほど、紫か』


 得心したように、ダルガは頷く。

 彼女の鎧にはところどころ、紫色の薔薇の花が咲いていた。


 常緑といい紫といい変わった名前だと思っていたが、それは彼らの魔法を端的に示したものなのだろうとわかった。群青もきっと、群青色の花か葉をつけるから群青なのだ。


 だとするなら、ニナはどうなんだろう?


 群青は彼女のことを落ちこぼれ……枝葉が落ち花が零れたものと呼んでいた。

 だが、ニナに枯れ木は動かせないはずだ。


 私が考えている間にも、ダルガと紫の戦いは始まっていた。


『チッ……!』


 ダルガは舌打ちしながら身体を引く。その拳と胸元からは、鮮血が滴っていた。


『見た目以上に硬ぇじゃねえか』


 茨の鎧はダルガの攻撃でも簡単には打ち破れない。

 殴りつければその棘が彼の拳を刺し貫き、紫は巧みに剣を操ってダルガが全力で攻撃できないよう牽制している。


『それ以上血を流せば危険です。降参して下さい』


 ピっと剣を突きつけて、紫はダルガに呼びかけた。


 ダルガに使える魔法は、自分を強化するものしかない。

 私やアイのように炎や吹雪を操れたなら、紫にも簡単に勝てたのだろう。

 せめて岩剣でもあれば、これほど血を流すこともなかっただろう。


 だけど彼がここまで追い込まれた原因は、そこにはない。


『お優しいこったな。それじゃあ、先に謝っておくぜ』


 そう言って構えを解くダルガに、紫は小首を傾げた。


「俺は疾ぇ。俺は硬ぇ。俺は――」


 呆れるほどに単純な呪文。

 ダルガは自分を強化する魔法しか使えない。

 それは確かなことだ。


「強ぇ!」


 だがそれは、彼が弱いということを意味するものではなかった。


 ダルガが放った一撃は、握り拳ではなく大きく広げた手のひらだ。


 まるでトラックが衝突するような音がして、紫の身体が鎧ごと吹き飛ぶ。

 そのまま彼女は広場の端の木に激突して、動かなくなった。


『死んじゃいねえよな?』


 手のひらから吹き出す血をピッと払ってダルガは呟く。


『……降参……です』


 紫が何とか立ち上がるのを見て、ダルガはほっと胸を撫で下ろした。


「女を殺したら、兄貴にぶっ殺されるからな」


 あの、女性をモノ扱いしかしなかったダルガが随分丸くなったもんだ、と私は思う。最初から手加減抜きで戦っていたら簡単に勝てただろうに。


『そら、最後だ。さっさとぶっ倒してやるから、かかってきな』

『行け』


 長老に促されて出てきた三人目の姿に、ダルガの表情はさっと青ざめた。


『……おい。降参していいか?』

「駄目」


 剣、槍、斧、槌、鎌。

 木で出来た様々な武器がずらりと並び、ダルガに向かって一斉に射出された。


「待て、待てって! 待ってください、姐さん!」


 一本目を避け、二本目を砕き、三本目を受け止め、四本目を防ぎ、五本目を耐えても、ニナの放つ木製武器は無限のようにダルガに襲いかかる。そのシンプルな飽和攻撃の前に、ダルガは抗しきれず吹き飛ばされた。


「無茶苦茶しやがる……」


 そう言い残し、ダルガはがくりと地面に倒れ伏す。


 そういうことか、と私は納得した。

 枝葉が落ち、花が零れたあとに残るもの。

 それは実であり種である。


 つまりニナの『落ちこぼれ』としての能力は、自由に植物を産み生やすことなのだ。エルフの姫と呼ばれるに相応しい力だ。姫だからその力を持っているのか、その力を持っているから姫なのかは分からないが。


『我らの勝ちのようだな』

『まだです』


 勝利を宣言する長老の前に、アイが声を上げた。


『わたしが、戦います』

『……正気か?』


 長老はアイではなく、私を見て言った。

 人間に、価値を認めていないのだ。


『彼女は――』


 アイはこの中で唯一、生まれつきの魔法使いじゃない。

 魔法というのは、言うなれば天賦の才だ。


 ダルガが魔法使いとなったのは、生まれつき体格に恵まれたからだろう。

 彼が信じるものは己の力だけだから、己を強化する魔法しか使えないのだ。


 私やニナもそうだ。

 たまたま竜に生まれたから。たまたまエルフに生まれたから、強い。


 そういう意味では、アイは今この場にいる者の中でもっとも才能がない。

 そして恐らく、もっとも才能を持っているのはニナだろう。


 ダルガが生まれつきの強者であるように、ニナはエルフの中の天才だ。

 常緑も、紫も、明らかにニナよりも年かさのエルフだった。十年以上経ってもニナの外見は殆ど変化しないのだから、少なくとも百年以上の差があるはずだ。


 それでも、ニナの方が強い。これを天才と言わずしてなんと言おう。


 だからこそ。


『彼女は、強いですよ』


 アイは、人間という種族の強さを示すのに最も適している。


『……では、試してみろ』


 しばし瞑目した後、長老はそう促す。

 アイとニナは静かに相対した。


「手加減は、しないからね」

「はい」


 ニナの言葉に、アイは頷く。


「わたしもしません」


 そしてにっこり笑ってそう答えた。


 心なしか、二人の間に火花が散っているような気がする。

 あれ? ニナを助けるために戦ってるんだよね? あれ?


「呪文の隙なんてあげないから!」


 地面から無数の木々が突き出して、先ほどと同じように武器の形状を取る。


 いや、宣言通り手加減抜きだ。

 ダルガの時には彼の目の前にだけ現れた無数の武器群は、アイの周囲を三百六十度完全に取り囲んでいた。避けることも防ぐことも出来ない完全包囲網だ。


 それが、長々と詠唱する間もなくアイに向かって突き進む。


「出ておいで」


 それに対してアイが唱えられたのは、ただその一節だけ。


 次の瞬間には、あっさりと勝負が決していた。


「また――」


 心の底から悔しそうに。


「腕を、上げたのね……」


 全てが静止した純白の世界で、ニナは呻く。


「ホウ、ホウ、ホウ」


 と、ジャックフロストの声が高らかに鳴り響いた。

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