第25話 外敵/Foreign Enemy

 ゾンビパウダー。


 それはヴードゥー教と呼ばれる民間信仰で使われていた、地球にする薬物だ。


 幾つかの毒物を配合して作られた、フグ毒のテトロドトキシンを主原料とする薬で、適量であれば人間を仮死状態にするという。私も前世で手に入れたことがある。勿論、実際に使ってみることはしなかったが。


 地球でのそれは飽くまでただの毒物だった。使う量によっては確かに仮死状態になることもあり、運良く――いや、運悪く、だろうか。その過程においてたまたま前頭葉の一部が破壊され、ゾンビのように見える場合もあるかもしれない。その程度だ。


 人間を別の存在にしてしまうような薬ではないし、ましてや延命の効果など無い。だが、この世界なら。魔法が実在するこの世界であれば、そうではなかった。


『つまり、仮死状態にした肉体に樹の命を吹き込むことで寿命を伸ばすと、そういうことなんだね?』

『……恐らく、そうだと思います』


 案内役のエルフから聞き出した話を総合すると、どうやらそういうことであるようだった。


『この薬を使うことなく、樹の命だけを吹き込むことは出来ないのかな?』

『出来ません。この薬を飲ませなければ無理です』


 それは実際にやってみたこともあるのだろう。きっぱりと断言する。


『要するにそれは、本来の命……魂とでもいうものを殺してしまっているのでは?』


 私がそう言うと、エルフはそんなことを考えてもいなかったらしく、きょとんとした。


 話を聞いている限り、彼も理屈や原理をわかって行っているわけではなく、ただ経験則によって「こうすればこうなる」と理解しているだけのようだ。


『魂? 家畜に魂なんてあるのですか?』


 それは蔑みではなく、純粋な疑問の声だった。


 もともと長命であるエルフたち自身にゾンビパウダーを使う意味などない。

 これは本来、山羊や牛のような家畜に使うものなのだそうだ。

 すると普通に飼うよりも遥かに長い間、乳が取れるのだという。


 酷い扱いのようにも思えるが、思い返してみれば前世の我々だって大差はない。

 犬や猫のような愛玩動物も去勢、不妊手術を施すことは当たり前だった。去勢された雄は性格が穏やかになると言われ、不妊手術を受けた雌は望まれない妊娠を避けることが出来るとされて、むしろ愛情と節度を持った飼い主だからこそ手術を施すのが当然であるという風潮さえあった。


 それは我々人間の社会から見れば是であり正であったのかも知れないが、当の動物たちからしてみればたまったものではないだろう。


 そして、実際家畜にしているわけでは無いが、人間もエルフたちにとっては同じカテゴリなのだ。アイにそれを使おうとしたのは悪気があったわけではなく、自分たちと同格である竜が、飼っているペットを長生きさせたいというから薦めただけだ。


『ありがとう。別の方法を長老さんに聞いてみるよ』


 彼は延命の方法を幾らか知っている、と言っていた。

 つまりこれ一つだけというわけではないのだろう。


 それにやはり、ニナのことも気にかかる。

 私達は案内役のエルフに別れを告げて、長老の洞に戻ることにした。


 森の中を歩いていると、突然、コンと何かを叩く音がした。

 何か硬質な物同士がぶつかるような音だ。しかし、木と葉と草しか無い森の中でそんな音がするとも思えない。


 気のせいかと更に進むと、先程より大きくゴンと音がした。

 かなり近くで鳴っているようなのに、見回してもどこで鳴っているのかわからない。


「先生、どうしたんですか?」

「いや、さっきから何か変な音が聞こえないか?」

「変な音……ですかい? 特に何も聞こえませんが」


 私の様子を不審がったアイが見上げてくるが、彼女にもダルガにも聞こえていないらしい。

 首を捻る私の横面に、拳大の石がぶつかってゴッと音を立てる。


『あっしまった』


 石の飛んできた方向に視線を向ければ、『やっちまった』とでも言いたげな表情の群青と目があった。音の正体はこれか。


『よ、ようやく気付いたか、この蜥蜴!』


 どうやら何度か石を投げて私に気づかせようとしていたようだ。だが竜の鱗はあまりに硬く、小石くらいではノーダメージどころか気付くことすらなかった。先ほどの拳大のものでさえ、当たったことはわかっても痛みはなかったのだ。


『――さん!』


 私がじろりと睨みつけると、群青は慌てて私に敬称をつけた。


『何のようだい?』

『お前たち、長老のところに行く気か?』


 そういえば彼はしきりに長老のところに行くのを邪魔してきた。

 ニナがいなくなったのを見て、実力行使に出るつもりなのだろうか?


『そのつもりだけど、いけない?』


 ぐっと首を突き出し、私は凄んで見せる。

 なるほど、最初に会った時のダルガはこんな気分だったんだな、と私は思った。

 相手が怯えているのは思ったよりもはっきり伝わってくるのだ。


『落ちこぼれを、助けに行くのか?』


 しかし群青が放ったのは、予想外の言葉だった。


『助ける? ニナは助けなきゃいけないような状況なの?』

『馬鹿! 人の名前をそんな気軽に呼ぶ奴がいるか! 落ちこぼれと呼べ!』


 群青は剣幕で私の言葉を聞き咎める。

 そこにあったのは侮蔑や蔑みではなく、憂慮と気遣いのように思えた。


『落ちこぼれってどういう意味?』


 私はその言葉を、劣ったものという侮蔑の言葉として捉えていた。


『どういう意味も何も、言葉の通りだろう』


 群青は怪訝な表情で言う。


『枝葉が落ち花が零れたもの。贄として捧げられる姫巫女の事だ』


 そんなのわかるわけ無いだろう、と私は思った。






 だが、気付くべきだったのだ。

 アイがやってきた時、ニナは彼女のことを『贄』と呼んだ。

 そんな言葉があるということは、同じ風習がエルフたちにもあるということに。


『長老!』

『別の延命方法を聞きに来た……というわけでは、なさそうだな』


 ニナが周囲の森の事を一つも漏らさず熟知しているように、長老も森の中で成された会話など先刻承知なのだろう。群青がわざわざ回りくどい方法でコンタクトをとってきたのも、本来は森の外に私を誘導する意図だったらしい。下手すぎて意味がなかったけれど。


『ニナは大事な友人なんだ。贄にされるのは、困る』


 だから私は隠すことなく、正直にそう言った。


『では我々を滅ぼすか? 竜の子よ』


 長老の言葉に、私はうっと呻く。


『我々には外敵が多い。北の影の民、東の蜥蜴人ども、西の巨獣や南の魚人……お前たち竜もそうだ。我々が生き抜くには、贄が必要なのだ』


 ならば滅べ――などとは、とても言えなかった。

 全のために個を犠牲にする。それは、生存戦略として間違ったものではない。

 たまたま、その個が私の友人というだけだ。


 私個人のエゴのために彼らに滅びを強いることなど出来ない。


『なら……私が、守る』


 だが。

 それ以上に、ニナを見捨てることなど出来なかった。


『私があなた達を外敵から守る。そうすれば、贄なんか必要ないはずだ』


 長老は痛ましげに眉根を寄せた。


『気持ちは嬉しいが、竜の子よ。それは無理だ。いくら火竜とはいえ、お前はまだあまりに幼すぎる。その小さな身体、百年も生きてはいまい。それでは守るどころか、我々にすら勝つことは出来ぬだろう』


 確かにその通りかもしれない。

 だが、それを認めるわけにはいかなかった。


『なるほど。じゃあ、話は簡単だな』


 唐突に話に割って入ってきたのは、ダルガだった。


『俺達があんたらと戦って勝てばいいってこったろ? そうすりゃあ、守ってやれるって証にもなるし、そうでなくても十分脅威の外敵だ。贄とやらを差し出して貰えばいい』

『定命の者が、言葉を覚えた程度で随分囀る。竜ならばまだしも、お前たちが我々に敵うわけがないだろう』


 それは嘲りでも油断でもない。

 確かに、人間がエルフに敵うわけはなかった。


『試してみろよ』


 ダルガは拳を構えて不敵に笑う。今回は岩剣すら持ってきていないのだ。


『……恩義ある竜の連れだ。殺しはするな』


 長老がそう言うと、エルフが一人進み出る。


 それと同時に無数の木の根が辺りから這い出し、ダルガの両手足を縛り付けた。

 エルフは全員が生まれつきの魔法使いだ。人間が、敵うわけがない。


 ――ただしそれは、その人間が魔法使いじゃない場合の話だ。


『守るって話の相手だ。殺しはしてねえよ』


 意趣返しのようにダルガは言った。彼が木の根を引きちぎってエルフの腹に拳を沈めるまでの動きは、私でさえ目で追うのがやっとだった。


『さあ、次はどいつが相手だ?』


 ダルガは密林の虎のような、獰猛な笑みを浮かべてみせた。

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