第27話 掌握/Control Magic
「ありがとうね、ジャックフロスト」
「ホウ、ホウ、ホウ」
アイが雪だるまの頭を軽く撫でると、雪と氷の精霊は笑い声とともにふっと掻き消える。途端、空中で凍りついていた木製武器がガラガラと音を立てて崩れ落ち、地面や木々を覆っていた氷も溶けてなくなった。
人間の強みは、その成長の速さだ。
肉体だけでなく、精神的にも、技術的にも、魔法的にも恐ろしい速さで成長していく。アイ自身は勿論のこと、彼女が操るジャックフロストも相当強くなっていた。
今戦ったら私も普通に負けてしまいそうだ。
『これで、私たちを認めてくれますか?』
くるりと振り返って問うアイに、長老は目を閉じて己の髭を撫でる。
『……いや。それでも、そういうわけにはいかぬ』
そして、目を見開いてそう言った。
『何だと。約束が違うじゃねーか!』
もうダメージから回復したのか、ダルガがむくりと起き上がって野次を飛ばす。
『これで最後だ』
長老はその大きな身体を椅子から起こし、厳かな声で言った。
『私が相手をしよう』
魔法とは、意味の集合体だ。それは呪文を使おうが使うまいが変わらない。
つまり基本的には、長く生きていればいるほど、多くの物事を知っていればいるほど強くなる。
だが、氷点下で成長する植物はいない。
アイの氷魔法は植物を扱う彼らにとっては殆ど天敵であるはずだ。
『とは言っても……』
一体どんな戦い方をするのか、と見守る私の目の前で、長老はおもむろにアイへと近づくと、静かに彼女の頭に手を置いた。
『戦いにもならないが』
途端、アイの身体がころりと地面に転がる。
『何をした!?』
『ふむ……竜は耐えるか。何、案ずるな。眠らせただけだ』
言いながら、彼は今度はニナに向かって手をかざし、同じように地面に転がす。
一体、何が起こっているんだ!?
最後に彼はダルガを眠らせて、私に向き直った。
一体どんな魔法を使ったのか、全くわからない。
眠らせたということは、睡眠効果のあるガスか花粉でも撒いたということだろうか。しかしそれにしたって、三人とも抵抗らしい抵抗もせずされるがままに意識を失ったのは解せない。
別に長老は物凄いスピードで近づいたり、姿を消したりしたわけじゃない。彼が歩み寄ってくるのを、三人とも無言で待っていたように見えた。
『そっちが四人目を出したんだから、私だって戦っていいってことだよな』
『ああ。勿論構わないとも』
長老は鷹揚に頷き、私に向かって手を伸ばす。
よくわからないが、何かされる前に倒してしまうべきだろうか。
しかし、近づくのは危ない気がする。
『動くな』
悩んでいるうちにかけられた長老の声に、私は思わず動きを止めてしまった。
『流石に竜でも声に出せば動きは止まるようだな』
これは……どういうことだ?
『お前たちはあまりに迂闊すぎ、無知すぎた。いくら強力な術を使えても、それでは抗うことが出来ない』
長老が何を言っているのか、私には全くわからなかった。
『さあ、お前も眠れ』
長老の手のひらが、ゆっくりと私の目を塞ぐ。
取り敢えず、私はその手に軽く噛み付いてみた。
『ぐあっ!?』
途端、長老は悲鳴を上げて手のひらを押さえた。
『なんだ!? 何故動ける!?』
何故と言われても。
『別にそもそも動けなくなっていないんですが……』
止まれと言われて思わず止まってしまったが、特に身体を動かせない感覚はない。
パタパタと尻尾を振ってみれば、それはいつも通り忠実に動いた。
『馬鹿な……止まれ! 動くな! センセイ! その場から動くな!』
ああ。そういうことか。
私はようやく彼の使った魔法の種に気づいて、己の愚かさに呆れ返った。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
魔法は認識で出来ていて、認識は名前で形になる。
ならば、魔法使いに名前は晒してはいけないものなのだ。
この森のエルフたちが色の名前で呼ばれていたのもそういう理由からだろう。
まだ幼いからか、それともそれが『姫』としての役割だからか、ニナにはそれが知らされてなかった。だから彼女は私に無防備に自分の名前を教えたのだ。
長老以外がその手段を取ってこなかったのだから、そう簡単にできることでもないのだろうが、なるほどこれは馬鹿にされても仕方がない。
『悪いね、長老さん。あなたの術は私には効かないみたいだ』
本当は単に、先生というのが私の名前でもなんでもないだけだが。
私は長老の肩に爪を立て、喉の奥に炎をくゆらせながら言った。
『さあ、我々を認めるか、消し炭になるか、二つに一つだ』
『……………………参った』
今度こそ、長老は敗北を認めた。
「あーもう。馬鹿。ほんっと馬鹿なんだから」
「そんなに怒らなくても良いじゃないか」
エルフたちの集落を抜けてから、ニナはずっとご機嫌斜めだった。
しかし彼女がなぜ怒っているのかが、全くわからない。
「長老さんには私たちの集落を同盟と認めてもらえたし、延命の方法も一応教えてもらえたし、ニナも一緒に帰れるし、何がいけなかったって言うんだ?」
「もー……だからあんたは馬鹿だって言ってるのよ!」
ニナは私の背の上で、首の辺りをポカポカと殴ってきた。
全く意味がわからず右を向けばダルガは口笛を吹きながらさっと視線を反らし、左を向けばアイは苦笑しながら私をじっと見つめていた。
二人ともどういうことなのかわかっているらしいのに、教えてくれないのだ。
「もしかして、私のしたことは完全に余計なお世話だったのか? ニナは集落に残りたかった?」
「そんなわけないでしょ!」
また頭を叩かれた。
衝撃を感じるということは、少なくとも群青の投げた石よりは強力な一撃を叩きこまれているということである。別に痛みはないが、少し怖い。
その時、私は天啓のようにある考えに思い至った。
「そうか。群青か」
「はあ? なんでそこで群青が出てくるのよ」
完璧な私の推理に、ニナは怪訝な声をあげる。あれ?
「随分ニナの心配してたから。彼と離れがたかったんじゃないの?」
「…………彼?」
「えっと、群青さんは女性ですよね?」
声を更に一オクターブ落としてニナが問い返し、アイが慌てたように言った。
「いや、わかりますぜ、兄貴。長耳はどいつもこいつも平たくって、男だか女だかわかりにくくていけねえ」
「平たくて悪かったね」
「あの、でも、胸大きいと結構邪魔なんですよ」
「あんたたちちょっとそこに並びなさい。全員ぶん殴るから」
どうやら炎にダルガが薪をくべて、そこにアイが油を注いだようだった。
「結局なんで怒っているのか、教えてくれよ。何故怒っているのかもわからなければ、謝ることも反省することも出来ないじゃないか」
「なんで怒ってるかわかってないから、怒ってるの!」
これ以上怒らせることはないだろうと思って聞いてみれば、理不尽というか哲学的というか、ちょっと理解し難い感じの答えが返ってきた。
「ちなみに先生」
悩んでいると、くいとアイが私の腕を引く。
「わたしもちょこっとだけ怒ってます」
「なんで!?」
何かヒントをくれるかと思ったのだが……いや、これもまたヒントなのか?
「もしかして、ダルガも怒ってる?」
「いや、俺は……むしろどっちかっていうとめでたいんじゃないかなと」
「何が!?」
めでたくて、アイが怒ることで、ニナが不機嫌になること。
何ら共通点がないように……
「……あっ」
鈍い私であるが、流石に気づいた。
「もしかして……ニナが、私の、その……奥さん扱いになるってこと?」
恐る恐る尋ねてみれば、アイとニナは同時に頷いた。
アイはニコニコと、ニナは憮然と。どちらも怖い。
そういえば、一夫一妻制などという常識はこの世界にはまだないのだった。ダルガも何人か奥さんはいる。
しかし、それと感情は別物である。
当然アイとしては面白く無いだろうし、ニナだってこんな経緯で私なんかと結婚したくはないだろう。
「いや、その、大丈夫だよ。別に何か確約したわけでもないし……そういうのはないものとして、今までどおり付き合ってくれれば」
私がそういうと、かなり太い木の枝が頭の上に降ってきた。
「先生、流石にそれはないです」
しかもよくよく見れば、氷が張り付いて硬さと重さが強化してある。
「じゃあ、結婚した方がいいってこと?」
「そんなわけないでしょ」
「そんなわけないです」
そう問えば即座に二人は声を合わせて答えるのだから、わけがわからない。
ダルガの無責任な笑い声だけが、青い空に響いていた。
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