第23話 赤竜の血/Seething Blood

 ダルガが岩剣を大上段に構え、じりじりと私ににじり寄る。

 私は左腕を盾にするように掲げながら、息を呑んだ。


「ふっ!」


 鋭い呼気とともに、剣が振り下ろされる。

 痛みは全く無かった。


「だ、大丈夫ですか、兄貴!?」

「ああ。見事なもんだね」


 綺麗に鱗と皮一枚を切り裂き、じわりと血が滲みだす腕を見て、私は感心した。

 むしろ駆け寄るダルガの方がよほど痛そうな顔をしている。


 古来、洋の東西を問わず、竜の血というのは万能の薬とされてきた。

 ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』では英雄ジークフリートがファーヴニルという竜の血を浴びて不死身の肉体を手に入れたし、中国では漢方の一種が竜や麒麟の血の塊であるとまことしやかに語られて流通していた。


 私の血にも、そういった効果があるのではないかと期待したのだ。


「えっと、では、頂きます……」

「いや、ちょっと待って。ニナ、兎」

「ん」


 舌を伸ばして私の傷口を舐めようとするアイを押しとどめ、私はニナに頼む。彼女がこくりと頷けば、森がにわかにざわめいて、兎が一匹ぽんと飛び出した。まるで自動販売機だ。


「いきなりアイで試すわけにはいかないからね」


 兎の口元に腕を押し当て、無理やり血を飲ませる。


 効果は絶大だった。


「ピギーーーーーー!」


 そんな鳴き声を上げて、兎の身体の至る所から煙が吹き出す。

 同時にものすごい勢いで暴れだし、兎は私の手から逃れて、二、三歩跳ねたところでその白い毛に火が付いた。そのまま地面の上をのたうち回り、やがて動かなくなる。


 あまりの出来事に唖然とし、しんと静まり返る空気の中、ニナがおもむろに兎を持ち上げてその足に齧り付いた。


「! ……美味しい……!」


 その目が、大きく見開かれる。


「中から高熱で一気に焼き上げられることにより、肉汁が完璧に閉じ込められてる……! それでいて、熱の通り具合は完璧。皮もパリッと仕上がってて、下処理も要らない」

「失敗か」


 いつになく興奮した様子で解説してくれるニナを尻目に、私はがっくりと肩を落とした。期せずして兎の美味しい調理法が発見されてしまったが、アイを美味しく頂くというわけにも行かない。これも、駄目か……


「とりあえず、今日の分の魔法をかけるね」

「はい」


 私はアイを招き寄せ、その頭にぽんと手をのせる。


「暗がりから這い出るもの、世界の縁を歩むもの、息を絶やすもの、輝きを隠すもの、世界の断崖、生の終着点、高き空から舞い降りるものよ。汝が名は老いであり、時の流れであり、死である。彼の者のうちより遠ざかり、消え失せよ」


 毎日模索し、少しずつ呪文を長くしている延命の魔法だ。

 こちらは安全性は確認しているが、代わりに効果の程が確認されていない。寿命の短い虫や小動物で試しているものの、目立った結果は出ていなかった。もし効果があったとしても、気休め程度だろう。


 ――――寿命を伸ばし、私といつまでも一緒にいてほしい。


 一方的とも言える私のそんな我が侭を、アイは悩む様子もなく受け入れてくれた。

 私の方が慌てて、長い寿命を得ることのデメリットや懸念を説明したくらいだ。

 生きることに飽いてしまったり、親しい人の死を見送らねばならなかったり、方法によっては死にたくても死ねなくなったり。

 もっともそれは全て、『つまり先生もそんな目にあうという事ですよね?』という言葉一つで封殺されてしまったけれど。


 本人の意思と協力はスムーズに得られたものの、成果は全く出ていない。

 単純な延命のみならず、色々と手段は尽くしているものの、それらは全て失敗に終わっていた。かなり期待していた竜の血も、ご覧の有様だ。


「なかなか上手くいかないもんね」


 ぺろりと兎を平らげて、行儀悪く指についた脂を舐め取りながら、ニナ。

 彼女はそのスレンダーな体型に似合わず、意外と大食いだ。

 代謝は一体どうなってるんだろう。


「そういえばニナって、今何歳なんだ?」


 彼女の外見は初めて会った時からほとんど変わっていない。

 十代前半くらいのままだ。

 あまりに完成された美しさなのであまり疑問を持っていなかったが、もしかしてこれはただ発育が悪いわけではないのではないか。


「ん? えーと……詳しいことは覚えてないけど、130年くらいにはなるかな?」


 そう思って尋ねてみれば、まさかの年上だった。

 私の享年が89で、竜になって今年で24年だから、合わせて113歳。

 前世を含めてもニナの方が年上だ。


「ニナさん、そんなに年上だったんですか」

「長耳ってのは、随分長生きなんだなあ」


 アイとダルガも知らなかったらしく、目を丸くする。


「……念のため聞くけど、長寿の秘訣とか」

「わかるわけないじゃない」


 ですよね!


 とはいえそれは、いつものように「天才だから」と捨て置くわけにはいかない情報だった。


「ニナ以外のエルフに話を聞いてみたい。どこに住んでるかとか、知らないか?」


 私がそう尋ねた途端、ニナの表情に影が差す。


「……わからない。その、私が森を出てから、結構経ってるし……」


 いつも直截に話す彼女が、妙に歯切れが悪い。


「長耳どもの住んでる場所なら俺が知ってますぜ、兄貴」


 そこに、ダルガが手を挙げた。

 そういえば、彼はエルフ語を話せるんだった。

 当然エルフとも会ったことがあるはずだ。


「案内してもらえる?」

「ええ、勿論です。そう遠くはありませんよ。歩いてもまあ半日ってとこです」

「なら背に乗せて空を飛べば、今日中には帰ってこれそうだね」


 ダルガの身体は見た目以上に重く、乗せて飛ぶのはかなり大変なのだが背に腹は代えられない。


「待って」


 早速準備を始めようとする私たちを、ニナが呼び止める。


「……私も行く」


 彼女は思い悩んだような表情で、そういった。






「あそこです。あの森で、俺は長耳に会ったんです」


 それはかつてダルガたちが住んでいた集落の更に先。

 ゆっくり飛んで一時間くらいの場所にあった。


「……って大丈夫ですか、兄貴」

「な、なんとかね……」


 ぜえはあと肩で息をしながら、私はダルガに答える。


「ごめんなさい、やっぱり私、待っていた方が良かったでしょうか?」

「いや……大丈夫。アイのせいじゃないよ」


 結局、ダルガに加えてニナもついていくと言い張り、それならとアイも同行することになり、留守はケンや他の生徒たちに任せて、私達は四人でエルフの里へ向かうことにした。


 とは言え歩いていくには結構な距離だ。

 何とか魔法を併用して、皆で飛んでいけないか。

 そんなことを考えたのが間違いだった。


 背中にダルガを乗せ、両手でアイを抱え持ち、尻尾の先にニナが掴まる。

 アイとニナは飛行の魔法を使えるからそんな体勢でも飛べるんじゃないかという考えは、ある意味ではあたっていて、ある意味では間違っていた。


 重さという点では、問題なかった。

 むしろアイが協力して私を浮かせてくれたおかげで、普段より軽く感じたくらいだ。


 問題はその体勢である。


 両手で包み込むアイの身体の柔らかい事といったら、本当にダルガと同じ生き物なのだろうかと真剣に疑問に思うほどで。

 邪な気持ちよりも、力を込めすぎて潰してしまうのではないかという恐れの方が先に来てしまい、一時間全く気が休まらない思いだったのだ。


「ニナは大丈夫だった?」

「ん。ヘーキ」


 後ろを振り向いて尋ねれば、ニナは言葉少なに頷いた。

 こちらはこちらで目が届かないので心配だったが、どうやら無事らしい。

 顔色が少し悪いのは、別に飛行に酔ったとかではないだろう。


「ニナ。気が進まないようなら、待ってていいんだよ」


 私がそういうと、彼女は無言で首を振った。


「ま、姐さんが大丈夫ってんなら大丈夫でしょう。行きましょう、兄貴」

「ああ……」


 引っかかるものを感じつつも、私はダルガに首肯し森の入口へと向かう。


 足を一歩踏み入れた瞬間、私は首筋にぞわりと総毛立つような感覚を覚えた。

 と言っても毛は無いので、鱗が粟立つとでも言うべきか。


「……見られてますね」


 私と同じことを感じたのだろう。

 アイが私に身を寄せながら、小声で囁いた。


『おら、耳長! 出てこい!』


 一方でダルガは全く気づいていないのか、それとも気づいた上でやっているのか、辺りの木をドカドカと蹴りつけてエルフ語で怒鳴る。


『相変わらずお前は騒々しいな、熊猿』


 音もなく現れたのは、現実離れした美人だった。

 身長は170センチくらいだろうか? すらりとした長身に均整の取れた長い手足。その肩の上に乗っているのは恐ろしく整ったかんばせだ。

 かおではなく、かんばせ。そう表現したくなる気持ちをわかってほしい。


 ニナも相当な美少女だが、その顔立ちはまだ女の子らしい愛らしさを備えている。

 しかし目の前に現れたエルフは、もはや美しすぎて性別すらわからなかった。


『なんとも奇妙な面々だ。熊猿に、蜥蜴に、猿の娘。それに、ああ。落ちこぼれまでいるじゃないか』


 エルフは眉をそびやかせ、大仰に言った。


『落ちこぼれ?』


 思わず、私は鸚鵡返しに問い返す。

 熊猿というのはダルガのことだろう。正直似合いすぎていて、何の違和感もない。

 蜥蜴というのは当然私のことだ。今まで何度も言われているので何とも思わない。

 猿の娘は、多分アイ。正直腹立たしいが、ぐっと堪える。


 となれば、落ちこぼれというのが誰を指しているのかも消去法でわかる。


『……久しぶりね、群青』


 我が家の天才が、面白くもなさそうに吐き捨てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る