竜歴24年
第22話 不揃いの時計/Uneven Clock
それは、しとしとと雨の降る秋の日のことだった。
小さな木がまばらに立つ、小高い丘の上。
「汝、強きもの、賢きもの、勇敢なりしもの」
私たちは声を合わせて、ゆっくりと呪文を詠唱する。
「汝は時に厳しく、時に優しく、常に雄々しくあった」
集まったのは数十人。その先頭に立って、私は祈る。
「どうか、安らかに、眠り給え」
――――ガイさんの冥福を。
丘の上に掘られた穴に、彼の遺体が納まっていた。
穴の中は別れを惜しむ村の人々が投げ入れた花で埋め尽くされている。
私がそうしろと指示したわけではない。
村の人々がその素朴な感性で、自ずから始めた風習だった。
「……先生」
「ああ」
泣き腫らした瞳で声をかけるアイに、私は頷く。
そして大きく息を吸い込み――ガイさんに向かって、吐いた。
呪文なんて詠唱せずとも、竜の炎は鎧熊を吹き飛ばすほどの高熱だ。
こうして穴を掘って吹きかければ殆ど骨すら残らない。
「土よ、かのものを包め」
厳かにニナが呪文を唱えると、遺灰がそのまま土の中に埋められる。
「そして新たなる芽吹きとなれ」
パラパラと種を蒔けば、それはすぐさま発芽して小さな小さな芽が飛び出した。それはやがて、周りの木々と同じように成長していくことだろう。
感染症対策に亡骸を火葬にするようになったのは私が来てからのことだが、意外にも人々には殆ど受け入れられていた。その理由は私の炎への信頼だけでなく、ニナのこの魔法にもあるのだろう、と思う。
ここに来れば、いつでも会えるから。
「先生」
小さな木の芽を見つめながら、アイはぽつりと私に聞いた。
「本当に、死後の世界というのは、あるのでしょうか」
ない、と答えるべきなのかもしれない。
ジャックフロストが実体化したのは、恐らく私がアイに実在すると嘘をついたせいだ。彼女が毎日毎日ジャックフロストに呼びかけた結果、その想いが積もり積もって、意味の塊……精霊となった。
死後の世界もまた、そのように想像することによって実際に作られてしまうのかもしれない。
「ああ、あるよ」
だから、私はそう答えた。
「死後の世界というのは、本当にある。だからきっとそこで、ガイさんも安らかに暮らせてるはずだ」
亡くなった人と、どんな形でもいい。もう一度、会いたい。
そう思ってしまったから。
私たちが暮らす村から、北にほんの数分飛んだ場所。
数分とはいっても竜の翼ではニ、三十キロは離れているわけだが、そこに私の実家があった。火口のそばにある洞窟に入り、しばらく進めば数年ぶり、懐かしの我が家だ。
洞窟といっても、明らかに天然のものではない。
鍾乳石や
今ならわかる。収束した炎の吐息で溶かし空けたのだ。
ちょうど私が、山に風穴を空けてしまったのと同じように。
その通路を抜けると、大きな広間に辿り着く。すぐ横ではグツグツとマグマが流れていて、多分広間自体が人間には耐えられない温度だろう。アイを連れて結婚の報告にも来れない。……まあ、人間と結婚したなんて言ったら、正気を疑われるだろうからどっちみち言わないが。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま戻りました、母上」
その広間にいる、一見赤い巨大な壁に見えるものが、私の今生での母だった。
ばさりと広がる翼は、一枚だけでも私の身体全体よりも大きい。
「今ちょうどご飯食べてたところなのよ。あなたもどう?」
母は何か巨大な生き物の前足をマグマの中に突っ込んで掻き混ぜ、パクリとやった。まるでフライドポテトをケチャップにディップするような感覚だ。
「あ、じゃあ頂きます」
私も同じように、肉をマグマに付けて食べる。生まれた直後、ここで暮らしているときは、私はいつもこうして肉を食べていた。
「うん、美味しい」
赤竜以外には絶対同意を得られない美味しさだろうな、と私は思う。
味覚の内、辛味というのは熱さと痛さを舌で感じているだけである、という話を聞いたことがある。
竜も同じかどうかは分からないが、マグマを舌に乗せれば流石に赤竜でも多少は熱く痛いのだろう。ピリピリとした刺激が伝わってくる。
竜にとってマグマは、辛いのだ。
しかし。
二人並んでもぐもぐと肉を咀嚼しながら、私は改めて思う。
数年ぶりに帰ってきたというのに、この自然な対応。
竜の気が長いからなのか、それとも母が特別のんびりしているのか、私は判断に困った。
「母上。お聞きしたいことがあるのですが」
「なあに?」
私の鼻先から尻尾の端までよりも長い首を、母はこてんと傾げる。
「母上は、何歳なのですか?」
「二十六よ」
さらりと若作りする母に、私は口の中のものを吹き出しそうになった。
「そんなわけないでしょう。私が今、二十くらいなんですよ」
「二十? ……ああ。季節の巡りで数えてるのね」
母は口を窄ませると、細く長く炎を吹いて地面を燃やす。硬い岩はいとも容易く溶けて、精微な図形を描き出した。熱量も、精度も、私とは比べ物にならない。
「これが、空で輝いている太陽。そしてこれが、私たちの住んでいる星」
それは、太陽の周りを楕円軌道で回る惑星の絵だった。
「412回、朝と夜とを繰り返すと、この星は大体元の場所に戻ってくる。でも、軌道は完全な円じゃなくて、楕円も少しずつずれていくのね」
花びらのように、楕円はずれながら太陽の周りをぐるりと回る。
「で、98回まわると、大体元の軌道に戻るの。それが、一年よ」
私は驚愕に、口をぱっかりと開けてしまった。
母が地動説どころか、惑星の公転軌道という概念を当たり前のものとして理解しているのも驚いたが、2600歳近いことにもだ。いや、そもそも公転周期が地球より長いから、365日で割れば2800歳以上。
途方も無い時間だった。
彼女からしてみれば、言葉すら持っておらず、原始的な石器しか使えず、脆く弱い人間なんてアリのようなものだろう。私は改めて、人間と竜との間の隔絶に、愕然とした。
「……母上が知る中で、一番長生きしている竜は……何歳なんですか?」
「そうねえ。確かお爺様が、200歳を超えていたと思うけど」
200の、98倍。
こっちの暦でも19600歳。もうそんなの、不死と変わらないじゃないか。
「……結構、若くして私を産んだんですね、母上」
私は何とか、そうとだけ答えた。
「お帰りなさい、先生!」
私が村へと戻ると、姿を見かけてすぐに走ってきてくれたのだろう。
村の端までアイが迎えに来てくれて手を振っていたので、私は地面に降り立った。
「ただいま。すまない、寂しい思いをさせたね」
「いいえ」
アイはパタパタと駆け寄るとぎゅっと私の腕を抱きしめて、ニコニコと笑った。
彼女を失ってから、何千年も何万年も生きる?
無理だ。そんなこと絶対にできるわけがない。
かと言って、一緒に命を絶つほどの勇気が私には無いこともわかっていた。
だったら、方法は一つだ。
不老不死。
人類が求め、そしてついに辿り着くことのなかった夢を、この世界で叶えるしかない。
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