第21話 解呪/Disenchant

「何故だ!?」


 私は思わず叫んだ。


「なんで……なんで、溶けていないんだ!?」


 そう。

 ジャックフロストを倒して帰ってきても、アイは凍ったままだった。


「ジャックフロストとかいう奴は消えたはずなんだけど……」


 流石のニナも、硬い声色で眉根を寄せる。


「ああ。それは確かなはずだ」


 ニナがいうには、私がジャックフロストを飲み込んだ後、しばらくして反応が消えたという。改めてアイを包む氷柱に魔法をかけても反応はなく、辺りに降る雪も消えている。


 ジャックフロストが探知魔法への対抗手段を編み出したと考えるよりは、消えてもなお魔法の効果が続いていると考えたほうが良いだろう。


 だがそうだとするなら、一体どうしたら良いのか。


「先生」


 アイを囲んで悩んでいた所にやってきたのは、ガイさんだった。


「ガイさん……すみません。私のせいで、アイが……」

「先生の、せいじゃ、ない」


 辿々しい言葉遣いで、ガイさんは首を振る。


「しかし……」

「先生」


 消え入ってしまいたい思いで俯く私を、ガイさんは力強い口調で呼ぶ。


「俺は、マホウのこと、よく、わからん。コトバも、うまくない」


 彼の言うとおり、ガイさんの日本語は拙い。

 だが大切なことを伝えようとしていることは伝わってきて、私は真剣に彼の目を見つめた。


「だけど、アイのことは、スコシわかる」


 彼は視線をアイに向け、氷の柱にそっと触れる。


「これは、アイがジブンでやった、思う」

「自分で? 何故、そんなことを……」

「先生と、ずっと一緒、いるため」


 簡潔なガイさんの言葉に、私は衝撃を受けた。

 疑問に思っていたことが、全て繋がったからだ。


「岩のように堅きもの、されど風のように澄みしもの。影のように冷たきもの、されど光のように眩きもの、汝水の成れ果てよ」


 私は呪文を唱える。


 アイを包む氷の柱にではなく、氷室の中の氷に向かって。


「私に教えてくれ。お前たちが聞いた想いを。お前たちのうちに閉じ込めた言葉を」


 途端、無数の言葉が流れ込んできて、私はようやく、全部を理解した。


 この世界では私とアイしか知らないジャックフロストの姿。

 二人で訪れた雪山の場所。

 氷室で繰り返し使われた冷気の魔法。


 ジャックフロストの実体化がアイの魔法に依るものだとはいう事は、察しがついていた。しかしそれは、魔法の副作用というか、繰り返し使いすぎたが為の事故のようなものだと思っていた。


 だが、違ったのだ。


 アイは忍耐強い子だ。

 彼女が人前で不平や不満を零している姿を、一度も見たことがない。


 だけどそれは、不平不満を持っていないという事ではなかったのだ。

 そんな当たり前のことを、私は全くわかっていなかった。


 ジャックフロストは、昨夜突然現れたわけじゃない。

 ずっと氷室の中にいて、アイはその心中を彼にだけ吐露していたのだ。


 そして、彼女を受け入れようとしない私を見て、その姿を現した。

 ジャックフロストは暴走してたんじゃない。

 彼なりに忠実に、アイの願いを叶えようとしたんだ。


「……アイ」


 私は凍りついたアイに向き直り、氷の柱を抱えるように手を当てた。


 アイの身長は、百六十センチくらいだろうか。

 私の体高は二メートル程度だが、長い首を前に垂らしている分顔の位置は低くなり、ちょうど彼女の顔が私の目の前に来る。


 そう。

 よく私の前足にしがみついていた小さな女の子の目線は、もう私と同じ高さなのだ。


 対して、私の身体は殆ど大きくなっていない。

 これ以上大きくならない、というわけではないのは、母を見ればわかる。

 彼女は今の私の十倍以上の体格を持っている。


 寿命が、長いのだ。圧倒的に。

 アイはもはや完全に成熟した女性だが、私は未だ竜で言えば幼年期すら終わっていない。そんな有様だ。


 そうして、アイは私にあっという間に追いつき、追い越し、そして遠いところへ行ってしまうんだろう。


 それが、辛くて、恐ろしくて、私は彼女を遠ざけた。

 一心に、ひたむきに慕ってくれる彼女の気持ちに気付かないふりをして。


 何が、幸せになってほしいだ。

 ただ単に、私は、怖くて逃げていただけだった。


 アイはそんなどうしようもない私のことさえ理解して、凍りついてまで、一緒にいることを選んでくれたというのか。


「……嫌だ」


 本音がぽつりと、転げ出た。


 だけど彼女の魔法は強力で、恐らくかけた本人にしか解くことは出来ない。

 もしそうなら、もうこの魔法は二度ととけないということだ。


 ……いや。

 方法は、一つだけあった。


 ケンが私に呼びかけて炎を呼び出したように、私もアイに呼びかけて、彼女の魔法を使えばいい。私が氷の魔法を全く使えないのは、赤竜だからだろう。息をするだけで炎を吹き、泉に浸かるだけでお湯が沸くような生き物を、氷の精霊が好きになるわけがない。


 だが、呼びかける対象が、アイなら。


「……アイ」


 呼びかける対象の様々な側面から言い換えるのが、私が作った呪文のセオリーだ。

 なのにそれを完全に無視して最初に彼女の名前が口をついて出て、私はなんと呼びかけたら良いのか頭を悩ませる。


「私は……凍りついたままの君と永遠に一緒に過ごすなんて、嫌だ」


 とりとめもなく、まるで駄々をこねる幼児のように、私は言葉を紡いだ。


「君と一緒に食べた魚は、凄く美味しかった」


 上手い呪文なんか全く思い浮かばなくて、代わりに昔の思い出ばかりが去来する。


「君とニナと同じ家で暮らした生活は、本当に楽しかった。……入浴まで一緒にするのは、恥ずかしかったけど」


 ああ、そうか。

 唐突に、私は気づいた。


「今こうやって皆が豊かに暮らせているのも、ずっと君が私のそばにいてくれたおかげなんだ」


 私は今まで魔法のことを、まるでわかっちゃいなかった。


「明日も、明後日も、来年も、その次も」


 どうして呪文は重ねれば重ねるほど、力を増すのか。


「ずっとずっと……君の笑顔を見ていたいんだ」


 それは、そこに込めた想いを、重ねるからだ。


「出てきてくれ。アイ」


 私はぎゅっと、氷の柱を抱きしめる。


「君を――愛しているんだ」


 その瞬間。


 氷の柱は急にその硬さを失い、水となってばしゃりと落ちた。


「私も――」


 声を震わせながら、アイが潤んだ瞳で私を見つめる。


「私もです、先生」

「アイ!」


 抱きしめたくなる衝動をぐっと堪え、私はそっと彼女の両肩に前足の指を乗せた。

 すると彼女はそのまま飛び込んできて、私の顔をぎゅっと抱きしめると、眉間の辺りにそっと口付ける。

 彼女の柔らかな感触と良い匂いが、私の鼻孔をくすぐった。


「おめでとうございます、兄貴!」


 まるで天上にいるかのような幸福な気分が、ダルガのだみ声に一瞬にしてかき消される。


 そういえば。


 無我夢中で忘れていたが、ダルガも、ニナも、ケンも、ガイさんも見ている中だった。それどころか日が昇り、村人たちの多くが私たちの周りに集まってきている。


「いやあ、いつくっつくか、いつくっつくかと思ってたけど、ようやくとはねえ」

「これで、安心、できる」

「ほんと、何年かけるかと思ったわ」

「でも、先生にしては頑張った方じゃない?」

「こんな大勢の前で『愛している』だもんなあ」

「何にしてもめでたい、めでたい」

「めでたいけど、めでたくない……」

「ほらほら、慰めてあげるから」

「ニナは平ぺったいから、いい」

「ぶん殴るよ」


 村人たちは好き勝手に囃し立てる。


 赤竜に生まれて良かった、とこの時私は、心の底から思った。


 これ以上、顔が赤く染まることは無いからだ。

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