第18話 氷の精霊/Jack o' Frost
「ホウ、ホウ、ホウ」
それは、私達の様子を伺うようにゆっくりとした動作で氷室から這い出てきた。
一歩踏みしめる度にその足元には霜柱が立ち、その手が触れた氷室の壁が凍りつく。
背丈はさほど大きくはない。アイと同じ程度だろうか。
丸い身体に、丸い頭。
「そんな、馬鹿な……」
私は思わず呟く。
この世界には、私の見知った生き物なんて全くいない。熊とか鹿とか兎とか、そう言った名前はすべて似たような生き物に当てはめているだけだ。地球のものよりやたらと巨大だったり、足の数が多かったり、角が生えていたりと、進化のバリエーションは地球よりもかなり広いように思える。
似通った生き物がいるのはわかる。進化というものは機能に応じて収斂する。空を飛ぶ鳥に翼が必要なのは、魔法というものが実在するこの世界でも変わらない。魔法というのは、そう言ったもともとの能力を発展させるところから生まれるものだからだ。
だがしかし、こいつは。
ジャックフロストは、地球上においても架空の存在だ。その外見は必要性の刃に削られて作られたものではなく、ただの空想によって捏ねられた粘土細工のようなものだ。
それが何故、今、現実に目の前にいる?
「先生」
ジャックフロストから視線を外さないまま、アイが硬い声で囁く。
「逃げて下さい」
ジャックフロストはパッカリと口を開けると、そこから凄まじい冷気が吹き出した。
反射的に、私は口を大きく開いて炎を吹く。
炎と吹雪はぶつかり合い、打ち消し合った。
言い換えれば、私の炎と同じくらいの強さがあるということだ。
「……嘘だろう!?」
だが、全く勢いの衰えない吹雪に対し、私の炎は吐き続ける事が出来るものではない。何せ呼吸と全く同一なのだ。私は咄嗟にアイを抱きかかえると、翼を広げて宙へと舞った。
「一体何なんだ、奴は」
「先生、駄目です! 降りないと!」
アイが叫ぶと同時、叩きつけるような雪とともに、暴風が私の身体を吹き飛ばす。何とか体勢を立て直そうと翼に力を入れるが、猛烈な冷気で凍りついて上手く動かせず、私はくるくると落ちていく。まずい。このままでは、地面に激突してしまう!
せめてアイだけでも守ろうと、彼女をぎゅっと抱きしめ尻尾と翼で包み込む。
だが、数秒後にやってきたのは硬い地面の衝撃ではなく、私を受け止める柔らかな枝と葉の感触だった。
「何やってんの、あんたは」
「ニナ!」
高く伸びた枝の上に小鳥のように止まりながら、ニナは私を見下ろした。
「おおおおおお! らぁっ!」
木の下から聞こえる蛮声に視線を向ければ、ダルガが岩剣を振るってジャックフロストを両断しているところだった。
ぶわっと雪が舞い散って、ジャックフロストはバラバラに砕け散る。
しかしすぐに、雪の塊は再び集まって、元通りの雪だるまを形成した。
「なんだあ、こりゃあ!」
これには流石のダルガも目を剥いて飛び退る。
「兄貴、一体こいつは何なんです!?」
「いや……私にも、分からない」
ジャックフロストであることは、確かだ。
確かだが、一体何なんだ?
悪魔か、妖魔か、妖精か。
竜が実在するこの世界においても、バラバラになって死なない生き物なんて初めてだ。
「兄貴の炎で何とか出来ないんですかい?」
「あいつの吹雪の方が強かったんだ」
「うえっ!? アレよりですか?」
ダルガは五年前のことを思い出したのだろう。風穴が空いたままの山をちらりと見た。
「あれは全力で呪文を詠唱したらだよ。無詠唱の、ただの吐息だ」
「詠唱ありならあいつに勝てる?」
「多分、大丈夫だとは思うけど……」
ニナの問いに、私は首を振った。
「一言詠唱しただけでも、多分氷室が吹き飛ぶ」
「別の手段を考えましょう」
即座にニナはその案を切り捨てた。
炎は、あまりに私と相性が良すぎるのだ。
呪文まで使ってしまうと手加減というものが全く効かない。
「俺がやるよ!」
横から割って入ってきたのは、ケンだった。
「ケン。君も来てくれたか」
確かに彼の炎の魔法なら、ジャックフロストを倒せるかもしれない。
威力の調整ができるという意味では、彼の方が私よりも上手いくらいなのだ。
「話は纏まりましたかい!?」
ジャックフロストを粉々に吹き飛ばしながら、ダルガが叫ぶ。
すぐに再生するとはいえ、その攻撃は全くの無駄というわけではない。
少なくとも、破壊されている間は攻撃できないようだった。
だがジャックフロストの身体は触れるだけで凍りつく。ダルガの岩剣は相当熱を通しにくいはずなのに真っ白に染まっていて、彼の二の腕まで凍りついていた。
というか、何であの状態で剣を振るえるんだ、彼は。
「それじゃあ、私が隙を作るから。ケンは一発大きいの叩き込んで」
「わかった」
ニナが音もなく地面に飛び降りて、ケンは頷く。
「それとさ」
彼はちらりとこちらを一瞥して、言った。
「先生、いい加減アイねーちゃん下ろしなよ」
彼の言葉に、私はアイを抱きかかえたままだったことにようやく気がつく。
「ご、ごめん!」
私は慌てて木の上から降りて、アイから手を離す。
「大丈夫です……あの子を、止めないと」
アイは少しだけ恥ずかしそうに俯いた後、きりりと表情を引き締めてジャックフロストを見つめた。
「木よ、根よ、葉よ枝よ、生い茂って檻となれ!」
ニナの呪文に呼応した木々が地面を突き破って、ジャックフロストを囲みこむ。
だがそれが成長しきる前に、ジャックフロストはぶんとその手を振り回す。
それだけで、手の平に触れた木々は端から凍り付いてしまった。
「もう! なんでこんなに成長が遅いの!」
いつもなら蛇のようにするりと伸びるニナの木が、やけにぎこちない。
恐らく周囲の温度自体が、相当下がっているせいだ。
「火よ」
私は飛び上がって、空へと首を向けて一言だけ呪文を唱えた。
巨大な火の玉が私の口から飛び出して、夜の空をまるで太陽のように照らしだす。
「うおっ……こりゃすげえ」
「蔓よ、絡まれ!」
降り注ぐ熱線が辺りの氷を一気に溶かし、その機に乗じてニナが蔦を伸ばす。ジャックフロストに絡みついた蔦は一瞬にして凍り付いて、その身体を固定した。
「赤き舌を伸ばすもの、炎の衣を纏うもの、薪を食らう火蜥蜴よ――」
呪文を唱えるケンの方向に、ジャックフロストの顔がぐるりと回る。
そして三日月のようなその口から、彼目掛けて吹雪が吹き荒れた。
「
アイの鋭い声とともに、ケンの目の前に氷柱が盾のように聳え立つ。
……そうか。防ぐだけなら炎よりも、氷の方が有効なのか。
「その舌先で貫いて、その吐息持て焼き尽くせ!」
ケンの呪文が完成し、凄まじい熱量を持った火球が彼の指先から放たれた。
それはアイの作り出した氷柱を貫き、そのままの勢いでジャックフロストに突き刺さる。
熱した鉄を水に突っ込んだような音がジュワッと鳴り響いて、ジャックフロストは跡形もなく消滅した。
「ふぅっ、やったか……」
「みたいね」
今度こそ再生してこないことを確認し、ダルガは息を吐いて剣を地面に突き刺す。
ニナも緊張を解くのを見て、私もようやく胸を撫で下ろした。
「しかし兄貴、強すぎるってのも考えものですな」
「火は本当に調整が効かなくてね。それでも並の相手だったら無詠唱の吐息や、爪でなんとかなるんだけど」
何か炎以外の攻撃方法も考えておいた方が良いかもしれない。
風を操るのは割りと得意なのだが、空気は軽すぎるせいで攻撃手段にはあまり向いていないのだ。
「アイねーちゃん、どうかしたの?」
「ううん。なんでもない……」
ケンの問いに、アイは首を振る。
言葉の割りに、彼女はどこか思いつめた表情をしていた。
どうしたんだろう? と見ていると、こちらを向いた彼女と視線がぶつかる。
「あの……先生。ちょっとお話してもいいですか?」
「ああ。勿論、構わないけど」
「では、私の家で」
頷き、彼女の後を追って村へと向かう。
「それって、俺達が聞いてちゃ駄目なの?」
そこを、ケンが止めた。
「駄目ってことは……ないけど」
「だったら――」
「ねえ」
ケンの言葉を遮る形で、ニナが空を見上げながら声をあげた。
「これ、止まないんだけど」
彼女が掲げた手の平に、雪は未だにはらはらと落ちている。
はっと気付いた時には、降り注ぐ雪はくるくると渦を作り、一ところに集まっているところだった。
頭から完成していくジャックフロストの口が、月の形を描く。
私の視線を追ってアイが振り向く動作が、いやにゆっくりに感じられた。
「駄目!」
彼女は両腕を大きく広げ、叫ぶ。
ごう、と白い風が吹き。
次の瞬間には、アイの身体は完全に凍りついていた。
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