竜歴17年

第17話 成長/Growth

 がらん、がらんと打ち鳴らされる木の板の音に、私ははっと目を覚ました。

 それは村の傍に侵入したものがいるという合図だ。

 私と同時に目を覚ましたのだろう。寝床を飛び出すと、ちょうどニナが隣の小屋から同じように出てくるところだった。


「敵は南、村の端からおよそ百メートル先」


 並んで走りながら、木々の声を聞いてニナが正確な位置を割り出す。


「数は――」


 彼女の言葉を遮るようにして、森の木々がメキメキと倒れていく。

 そして、村をぐるりと囲んで作られた柵が、弾け飛んだ。


「一体」


 目の前にまでやってきた獣をみながら、ニナはうんざりとした表情で言った。


 良くない思い出があるからだろう。

 村に侵入してきたのは、鎧熊だった。

 しかも私とニナが出会った時に遭遇したものよりも、一回りは大きい。


「ニナ。君は村の人達を頼む」

「ん。まあ大丈夫だろうけど、気をつけて……」

「待ってください」


 ニナに背を任せ、一歩踏み出す私を鈴の音のような声が引き止めた。


「先生。私に任せては貰えませんか?」


 アイだ。


「……わかった。でも無理はするんじゃないよ」

「はいっ」


 嬉しそうに頷き、アイは私の前に出る。

 ニナも特に異論を挟むことはなかった。


 私の睨みに動きを止めていた鎧熊は、与し易そうな小さな人間の登場にいきり立ち、唸り声を上げて襲いかかる。


 慎重で控えめなアイが自分から言い出すのは珍しい。

 止めない理由は、それを尊重してやりたいという気持ちもあったし――


「我が腕は熊の如く、我が脚は鹿の如く、我が肌は岩の如く、我が力は――」


 単純に彼女の強さを、私もニナも知っているからでもあった。


「竜の如し!」


 アイは真っ向から鎧熊の拳を素手で受け止める。その身長差は軽く三、四倍はあったが、押されるどころかむしろギリギリとアイの腕が鎧熊を押し返していく。


「えぇーいっ!」


 気合とともに、鎧熊の巨体が宙を舞った。鎧熊は数メートル投げ飛ばされ、ゴロゴロと転がって柵を再び破壊する。


「氷柱の服を纏うもの、秋の木の葉を落とすもの、春の日差しに溶けるもの、雪と氷の精霊ジャックフロストよ。そのたなごころで握りしめ、その吐息持て染めあげよ!」


 突き出されたアイの両手のひらから、凄まじい吹雪が吹き荒れる。鎧熊は瞬く間に雪にまみれ、カチコチに凍りついてしまった。


「明日は、熊鍋ですね!」


 数秒残心を取り、鎧熊が動き出す気配が無いことを確認して、アイは振り返ってぐっとガッツポーズしてみせた。


「……おっそろしい女に育ったもんだなぁ。ありゃ、もう俺でも勝てそうにないですぜ」

「遅い。何今更来てんのよ」


 身体を震わせながら言うダルガに、ニナは文句をつける。


「いやあ、俺が出る幕なんざないでしょう」


 笑顔でずるずると凍りついた鎧熊を引きずるアイをみながら、彼は肩を竦めた。


 私に負けを認めてからというもの大分腰を低くした彼だが、最近はアイの成長におされているのか殊更に殊勝な態度だ。


 ――あれから、五年。

 私がアイを預かってからで考えるなら、六年以上が経った。


 多少の確執はあったものの、結局私達の村とダルガの村は合併した。

 もともと、ダルガの村は彼一人が力とカリスマで束ねていた集団だ。

 彼が私の下に入ることでスムーズに話はまとまり、大きな問題もなく我々は一つの村の一員となった。


 付き合ううちにわかってきたのは、ダルガという男は粗野で短気で自己中心的だが、身内には意外と優しいということだった。


 それは所有物に対するような振る舞いかも知れないが、少なくとも意味もなく傷つけたりはしないし、守るためには自分の命も張る。

 総じて、身内になってしまえばそう悪い奴ではない。


 そんな感じで合併したのは、ダルガの村だけではなかった。

 自分たちではろくに食料を手に入れることもできず喜んで加わった村もあれば、外敵とみなされ襲いかかってきた村もある。


 そんな時に一番役に立ってくれたのが、ダルガだった。

 何せ見た目からして、こいつには敵わないというのがすぐわかる。

 恐れられるという意味では私も同様だけれど、同じ種族であるというのは大きかった。相手が竜なら食べられてしまうと徹底抗戦する村も、かろうじて同じ人間であろうダルガならば簡単に降伏するのだ。


 ……まあ、一番効果的なのは、二人揃って脅しをかけることだったけれども。


 そうしてどんどん大きくなった村の人口は、今や千を超えている。この時代の基準であれば、ほぼ最大級と言って良いのではないだろうか。


「あんた一応警備隊長なんだから、しっかりしなさいよ」


 私がそんなことを思い返して感慨に浸っている間にも、ニナの説教は続いていた。


「それだよ。別に俺なんかを隊長にしなくったっていいだろ」


 ダルガはちらりとアイに視線を向ける。


「この村には、強い魔法使いが四人もいるんだからさ」


 正確には、彼女に駆け寄る青年に。


「アイねーちゃん、大丈夫か!? 俺が持つよ」


 すっかりアイの身長を追い抜いてしまったケン少年が、アイの引きずる鎧熊の死骸を手に取ろうとする。


「大丈夫よ。このくらい」


 しかし、さほど力を込めてもいないであろうアイの腕に、彼の手は簡単に外されてしまった。今の彼女はドラゴン並みの力を秘めているのだ、無理も無い。


「先生も、あんまり危ないことさせないでくれよ」


 かと思えば、彼は矛先をこちらに向ける。


「そうは言っても、本人がやるって言って、やれる実力もあるんだから。もう子供でもないし、頭ごなしには止められないよ」


 私がそういうと、ケンはなにか言いたげに私を睨んだ後、走り去っていってしまった。

 ニナが無言のまま、私の脇腹の辺りを肘でぐいと押す。


「わかってるよ……」


 暮らしや魔法学校は順風満帆だけれど、悩みの種は尽きないものだな。

 私はそう、痛感した。




 村の北の外れに、かつてガイさんたちが暮らしていた洞窟がある。

 十数人で一杯になってしまうようなその小さな洞窟は、今は氷室として活用されていた。入り口を粘土で塞ぎ小さな通路だけにして、中で定期的に冷気の魔法をかけるのだ。


 以前は壷を冷凍庫代わりにしていたが、一つ一つに魔法をかけるのは大変だし、嵩張るし、保温性も低い。洞窟の氷室はそれらの問題を一気に解決したが、それが実現出来たのもひとえにアイの魔法の上達ぶりによるものだった。


 魔法にはどうやら、適正のような物があるらしい。

 私が冷気の魔法を全く使えなかったり、ニナが木々を操るのを得意としているのはわかりやすいが、人にもそれぞれ魔法の種類に合う合わないというものがあるようだった。

 ダルガやガイさんは自分の肉体を強化する魔法以外はさっぱりだし、ケンは炎の魔法が得意。そしてアイは、この村随一の冷気魔法の使い手だった。


 もっとも努力家の彼女は、冷気に限らず様々な魔法を上手に扱う。しかし冷気はことさら上手い。洞窟全体を冷やすほどの魔法が使えるのは、村でも彼女だけだった。ニナでさえ、彼女が起こすような吹雪は起こせないのだ。


「やあ、アイ――」


 扉代わりに垂れ下げられた毛皮をめくり上げ、氷室から出てきたアイに私は声をかけようとして、言葉を失った。


「先生。どうしました?」


 彼女の服には細かい氷の粒が幾つもついていて、月の光を浴びてキラキラと輝き、まるで女神か妖精のような神秘的な美しさを醸し出していた。


「……いや」


 見惚れていた、などとは言えず、私は首を振る。


「てっきり、わたしに見惚れてくれたのかと思いました」


 しかしその想いはあっさりと見透かされ、私は咳払いを一つする。


「そうだね。君は、綺麗になった」


 ――本当に。


「ありがとうございます、お世辞でも嬉しいです」


 そう言って浮かべる彼女の笑顔は本当に魅力的で。

 どうにも困ったものだ、と私は内心嘆息した。


 たった六年。


 それだけの時間で、あの小さくて幼い少女は、成熟した美しい女性へと成長していた。

 癖のあるショートカットだった髪は艶やかに伸びて腰までの三つ編みとなり。

 少年のようにガリガリだった凹凸のない身体つきは、丸みを帯びた女性のそれへ。

 顔立ちからはあどけなさが抜けて、しっとりとした色香を漂わせていた。


「……結婚は、しないのかい?」

「しません」


 問えば彼女の笑顔は消えて、すぐさま硬い声色の返事が帰ってきた。


 これだけ魅力的な彼女だから、求婚する男は引きも切らない。

 しかしその全てを断っていることを、私は知っていた。


 そして多分、その理由も。


「私は……君に、幸せになって欲しいんだ」


 勿論、結婚して子を作ることだけが幸福ではない。

 だがそれでも、私は彼女に人並みの幸福を感じて生きて欲しかった。


「先生、わたしは――!」


 その時だった。


 ちらちらと白いものが上から降ってきて、私達は反射的に空を見上げる。


「雪……?」

「これが、雪なんですか? 初めてみました」


 この辺りの気候は温暖で、冬になっても雪が降ることは今までなかった。アイも雪や氷を理解するために連れて行った山で雪を見たことはあるが、降ってくるのを見るのは初めてのはずだ。


「ホウ、ホウ、ホウ」


 奇妙な声が、氷室の中から聞こえた。


 そいつはのっそりとした動作で入り口の毛皮を捲り上げ、再び


「ホウ、ホウ、ホウ」


 と鳴く。


「ジャックフロスト……?」


 アイがぽつりと呟く。


 それに応えるように、めくれた毛皮が凍りついた。

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