第16話 意気地なしのドラゴン/Timid Dragon

 さて、どうしたものだろうか。


『参った。俺の負けだ!』


 地面に這いつくばるようにして頭を垂れるダルガを前に、私は思い悩んだ。


 そう何度も騙されるわけにもいかないし、後顧の憂いを断つならここで殺してしまうべきなのかもしれない。また危害を加えられても困る。


 だが、私に人を殺せるか、といえば限りなく否だ。

 そうするつもりなら、さっきの一撃で消し飛ばしておけば良かった。

 あの激昂の中でさえ、私は殺人を忌避してしまったのだ。


 勿論、アイやニナが無事だったということもある。ガイさん達も、多少傷は負ってはいたものの死ぬほどの状態ではなかった。彼ら彼女らにもしもの事があったら、怒りのままに吹き飛ばしてしまったかもしれない。


 だが結果として実害はなく、こうして落ち着いてしまったらもう無理だ。


 それに、何より、アイの前で人を殺してしまいたくない。

 仮にも教師として、それだけは出来ないと、私は思った。


『……わかった。もういいよ』

『もういい……ってのは?』


 ダルガは恐る恐るといった風に顔を上げる。

 土下座なんて言う概念はないのだろうが、そう這いつくばられてもこちらの気分もあまり良くない。


『もう二度と我々に手出しをしないというなら、今回は見逃してやる』


 私がそう言うと、ダルガはきょとんとした。


『見逃すってのは……俺を殺したり、女を持って行ったりしないってことか?』

『そうだ』

『俺が言うのも何だけどよ……』


 ダルガは困ったような、戸惑うような、奇妙な表情をして言った。


『お前、甘すぎないか?』

『死にたいってことなら、望みを叶えてやってもいいけど』

『待て待て待て、そういうわけじゃねえ!』


 ズン、と前足を踏みしめて口を開けてやると、ダルガは慌てて後退りながら手を振る。


『いいさ。反省せずに約束をやぶるんなら、そうするといい』


 確かに私は甘いのだろう。

 意気地なしであることも認めよう。


 だがそれは、結果としてダルガが最後の一線を守ったからだ。


『その時は、この世に生まれてきたことを後悔させてやる』


 その言葉とともに、久々に意図せず口元から炎が漏れだした。

 ダルガはポカンとした表情で、ただ私の顔を見つめる。

 あまりに陳腐な脅しに呆れているんだろうか。


 彼はやおら立ち上がると、ずんずんと私に近づいてくる。


 まさかいきなりやりあう気か、と身構えた、その時だった。


『兄貴!』


 ダルガは突然私の腕をがしりと掴み、そう言った。


『あんたのことを、兄貴と呼ばせてくれないか!?』

『……は?』


 そのエルフ語は、血縁を指す言葉ではない。

 個人的に尊敬するものを呼ぶ、特別な呼称だと聞いていた。


『俺は今まで、自分より強いやつなんかいないと思ってた。兄貴に負けても、殺すなら殺せばいいと思ってた。……だけどよ、今俺ぁ生まれて初めて、心の底から思ったんだ』


 ああ、そうか。


『――恐ろしい、と』


 私にとっては手垢のついた陳腐な脅しでも、この時代ではそうではないのだ。

 言葉というものが出来たばかりの世界で、まだ比喩や婉曲な言い回しは発達していない。

 ダルガにとっては十分恐ろしい言い回しだっただろう。


『いやまあ、好きに呼べば良いけど……』


 とは言え、単に私を油断させるための作戦かもしれないという疑いは捨てきれず、私はとりあえずそう答える。


『良いのか! ありがとう!』


 ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶダルガはまるで子供のようだ。

 厳つすぎて年齢がどのくらいなのかよくわかっていなかったが、案外若いのかもしれない。


 その様子を見ていて、ふと私はあることを思い出す。


『そは常に汝とともにありて、しかし目に見ること能わず。棘はあれども花はなく、牙はあれども口はなし。我らが仲間に仇為す時、汝は彼の者を受け入れる事を誓うか?』

『んん? どういう意味だ?』


 エルフ語で唱えた呪文の意味がわからなかったらしく、ダルガは首を傾げる。


『私達には二度と逆らわない。そう誓えるか、と聞いてるんだ』

『ああ、そりゃ勿論だ。兄貴には二度と逆らったりしねえ』


 真剣な表情で彼は頷くが、特に変化はない。

 ……しまったな。即興で使ったものだから、効果があったかどうか確認できるような呪文を織り込むのを忘れてた。


『とりあえず、私のことを殴ってみてくれないか?』

『え? 何でだ?』

『良いから』


 流石に逆らうなと言った直後で訝しみながらも、ダルガは拳を振りかぶる。


「ぐっ!」

『がっ!?』


 鈍い衝撃とともに、悲鳴は二つ響いた。


 ……思ったより、かなり痛い。

 あの剣じゃなきゃ竜の鱗にダメージを与えることは出来ないんじゃないかと思ったが、全然そんなことはなかった。頬がじんじんと引き攣れて、まるで振り子のように痛みが行きつ戻りつする。


『なんだ!? 身体が滅茶苦茶痛ぇ!』


 そしてどうやら、魔法は成功したようだった。

 緊箍児。俗にいう、孫悟空の輪っかだ。


『上手くいったみたいだね。私達を攻撃しようとすると、そんなふうに痛むから気をつけて』

『そりゃあ構わねえけどさ……それ、兄貴はわざわざ殴られる必要あったのか? 拳が当たるより先に痛かったぜ?』


 痛みを堪えながら拳を振りぬいたのか。すごい根性だ。


『実験でそっちに痛い思いをさせるんだから、こっちも痛い目見なきゃ不公平だろ?』


 私がそう答えると、ダルガはぷっと吹き出した。


『やっぱりあんたは、甘ちゃんだなあ』


 馬鹿にする色のない、純粋な笑い声だった。






「良いかい、しっかりと捕まってるんだよ」

「はい」


 アイが私の背中に生えた棘を、ぎゅっと抱きしめる感覚。

 髪の毛と同じで、触られていることはわかるけれど、その感触までは伝わってこない。

 有り難いような、もったいないような、複雑な気分だった。


「何してんの? もたもたしてないでさっさと来なさいよー」

「待ってくれよ。こっちは君ほど小回りはきかないんだから」


 上空を飛ぶニナに言い返し、バサリと翼を広げる。

 力強く羽ばたけば私の身体は一気に空高く舞い上がり、ニナを追い抜かして上空へと解放された。


「えっ、あっ、ちょっと待ってよ!」

「もたもたしてないでさっさと来なよ」


 私はおどけた口調でそう言うと、もう一度羽ばたき一気に彼女を引き離す。考えてみれば、ニナと並んで飛ぶのは初めてだった。


「アイ、大丈夫? 怖くない?」

「はい、だいじょうぶです」


 ――誰かを背に乗せて、空を飛ぶのも。


「……怖い思いをさせて、ごめん」

「え? こわくないですよ?」


 不思議そうに答えるアイに、私は首を横にふる。


「違う。君が攫われるような目にあったのは、私のせいなんだ」


 私は、彼女に全てを吐露した。

 ダルガに言われるがままに、彼の村へ行ったこと。

 酒に酔って寝込んでしまったこと。

 私の弱腰のせいで彼に侮られたこと。


 どれもこれも、私の責任だ。


「ちっともこわくなんて、なかったですよ」


 アイは優しい声で同じ言葉を繰り返した。


「だって、きっと先生がたすけに来てくれるってしんじてましたから」

「それは結果論だよ」


 たまたま上手くいったとはいえ、一歩間違っていれば彼女は酷い目にあっていたかもしれないのだ。

 すると、アイはくすくすと笑った。


「アイ……?」

「ごめんなさい。でも、なんだかおかしくて」


 笑い声を押し殺しながら、彼女は続ける。


「だって、先生。魔法って結果だけをうみだすものじゃないですか」


 アイの言葉に、私は虚を突かれた。

 確かに彼女の言うとおりだ。

 炎が酸素と結合しながら熱と光を発生させるのが科学であるなら、魔法は熱と光だけをなにもないところから発生させる。

 いつの間にか彼女がそこまで深く魔法を理解していることに、私は驚きを隠せなかった。


「だから、この結果はあたりまえなんです」


 アイは誇らしげに、


「わたしの先生は、せかいでいちばんの魔法使いさんですから」


 胸を張ってそう言った。


「……買いかぶりだよ。私は、そんなに大したものじゃない」

「そんなことないです」


 有無を言わせぬ口調で、アイは私の言葉を否定する。

 最近ようやく、だんだんとわかってきた。

 アイは基本的に控えめで大人しい少女だが、ある事になると途端に頑固になる。


「先生よりつよくて、やさしくて、すてきなひとは、ほかにいません」


 それは、私に関わる事柄だ。


「私は人では無いけどね」


 照れ隠しに軽口を叩けば、アイはぎゅっと腕に力を込める。


「それでもわたしは、だれより、先生のことを――」


 その時急に、強い風が吹いた。

 ごうと吹く風の音に、アイの声はかき消される。


「ごめん。今、何か言ったかい?」


 私は、そう聞いた。


「……いいえ」


 アイは、そう答えた。


「何も」


 首を振ってただ、そう、答えた。




 ああ。


 ――――やっぱり私は、意気地なしだ。

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