第13話 剛力/Mighty Power

 その生き物を例えるとして、真っ先に思い浮かぶのは象だった。

 四本の太い脚、巨大な身体、口から生えた長い牙。


 だが象に似ているのはそこまでで、太い首に支えられた大きな顔は河馬か犀、こめかみのあたりに生えた角は牛のよう。長い長い尾には、鰐のようにギザギザとした突起が生えそろっていた。


 しかし何と言っても特筆すべきはその大きさだ。

 四足で歩いているというのにその顔は遥か上、見上げる高さ。

 体高は十メートルはあるのではないだろうか。

 頭から尻尾の先までは軽くその倍だ。


 ガイさんたちどころか、私ですら簡単に踏み潰されてしまいそうな大きさだった。


「ヤリ、ナゲル。センセイ、トブ。カミツク」

「あ、やはり私が止めの役なんだね……」


 ガイさんの説明は簡潔だった。


 半円状に獲物を取り囲んだガイさんたちが槍を投げて追い立て、空を飛んで獲物が逃げる方向に回りこんだ私がそれを迎え撃つ。

 今まで何度かこの方法で獲物を狩ってきた。

 成功した中で一番大きな獲物はイノシシで、その大きさは今目の前にいる巨獣の十分の一にも満たない。


「センセイ、ツヨイ。カテル」


 信頼してくれるのはありがたいが、ちょっとばかり過大評価しすぎではなかろうか。


「まあ、ベストを尽くそう……槍を出して」


 私は目の前に突き出された五本の穂先に手の平をかざし、呪文を唱える。


「長きもの、鋭きもの、貫くものよ。我が声に耳を傾け、我が炎の光を浴びて輝け。汝ら無双の槍なれば、狙い違わず、防ぐこと能わず、かの巨獣さえも射抜く一筋の星とならん」


 そしてふぅっと軽く炎の息を吹きかければ、石で出来た槍は赤く輝きだした。

 そうなるように、呪文の一節を工夫したからだ。


 魔法の効果というのはいまいち不安定で、特にこういったすぐ目に見えた結果が生まれない魔法はいつまで効果が続いているのかわかりにくい。だから、効果が続く限り光を帯びるようにしたのだ。


 ……フィクション、特にアニメなんかでは魔法がかかると光を纏うのはある種のお約束だったが、実際にそうしてみればまさかこんな実用性を兼ねたものだったとは。


「さあ、光が消えないうちに用意して」


 私は翼を広げ、巨獣に見つからないように迂回して空を飛ぶ。

 そういえば、あの獣に名前もつけてしまわないと。


 といっても、思い浮かぶ名前はただ一つだ。


 ベヘモス。


 ベヒーモスやベヘモトなどとも呼ばれる、旧約聖書の怪物だ。極めて巨大な獣で、最終戦争が終わった後生き残ったものの食料となることが義務付けられているという。


 ベヘモスより大きい怪物の名前となるとちょっと思いつかないので、これより巨大な生き物がいないことを私は心から願った。


 私が上空高くに舞い上がったところで、ガイさんたちはべへモスをぐるりと取り囲み、槍を投げた。赤く輝く槍の穂先は魔法でイメージした通り空を裂いて飛び、ベヘモスの身体に突き刺さる。


「やっぱり、硬いな」


 柄の半ばまで突き刺さった槍を見て、私は呟いた。

 イメージした魔法は、完全にべへモスを貫き反対側まで飛び出す槍の姿だ。

 かなり気合を入れて長い呪文を詠唱したのにそうなるということは、それだけベヘモスが頑丈だということに他ならない。


 果たして、私の牙が通るかどうか。


 幸いにもベヘモスは反転することなく、ガイさんたちから逃げ出した。

 もしベヘモスがその気になればガイさんたちなんて簡単に踏み潰せてしまうだろうから、ひとまず上手くいって私はほっと胸を撫で下ろす。


 刺さったのは彼にしてみれば爪楊枝程度のものだろうが、これだけの痛みを感じるのは初めてなのかもしれない。前世の私だって爪楊枝が半ばまで突き刺さったら大騒ぎしただろうから、情けないなどとは口が裂けても言えない。


 次々に投げ放たれる槍から逃げるように走るベヘモス目掛けて、私は急降下を始めた。


 狩りの下手な私でも、これだけ大きい目標で、追い立てられて背後を気にしながらまっすぐ走る相手であれば外しはしない。その喉笛を食いちぎるイメージで、私は勢い良くベヘモスに食らいついた。


「ギュッ……」


 奇妙な声を立てて、ベヘモスの首から空気と血液が漏れる。


 硬っ!


 噛み付いたベヘモスの首は恐ろしく硬く、まるで鉄の棒に噛み付いたかのようだった。むしろよくこの肌に、魔法を使ったとはいえ石の槍が刺さったものだ。


 半ばまで刺さった牙を、顎に力を入れて何とか押しこむ。まるでアルミホイルを噛んでいるような、嫌な感触だった。こんな肌と激突して折れないのだから私の牙も相当硬いのだろうが、それをも上回る硬さだ。


 何とか首の一部だけでも食いちぎろうと食らいついていると、ベヘモスがぶんぶんと首を振って暴れだす。ここで振りほどかれてしまう訳にはいかない。私は両手両足の爪を立て、何とかしがみつこうと踏ん張った。


 するとぶちりと嫌な音がして、首からがくりと力が抜ける。振られた拍子に、噛み付いていた部分の肉を食いちぎってしまったのだ。

 タイミングは最悪だった。

 口が外れた勢いで爪も外れ、私の身体はベヘモスの肉を咥えたまま落下していく。


 慌てて翼を広げ風を捉えようとすると、巨大な影が私の頭上を通り過ぎていった。


「おおおおおおおおおお!」


 野太い雄叫びとともに、轟音が鳴り響く。

 私は信じられない思いでその光景を見つめた。


 あの太く硬く、私でさえ噛み千切るのに難儀するようなベヘモスの首が、一撃で切り落とされたのだ。


 首を失ったベヘモスの身体はバランスを崩し、そのままずんと轟音を立てて大地に横たわる。私は数度翼を羽ばたかせながら、地面に降り立ってそいつを凝視した。


 ……大きい。

 勿論ベヘモスに比べれば随分小さいが、私の体高と同じくらいの身長がある。

 腕も足も丸太のように太く、発達した筋肉はまるでいわおのようだ。

 癖のあるウェーブした髪は腰まで伸びて、獅子のたてがみを彷彿とさせた。


 体格で言うならば、ベヘモスはおろか鎧熊よりも小さい。


 だが。


 だが、ゴリラとライオンと熊を足しっぱなしにしたようなその生き物は――――


『チ、トカゲの方は殺り損ねたか』


 どうやら、人間であるらしかった。


『エルフ語。君は、エルフ語を話せるのかい』

『お前、トカゲの癖に喋りやがるのか?』


 私たちはどうやら、同じ驚きを互いに抱く。


『エルフゴとやらはわからんが……お前も長耳から学んだのか』

『ああ。こんななりだけど、人を襲ったりはしないから安心して欲しい』


 私の言葉に、男は『ふぅん』と気のない返事をした。

 言葉は通じるものの、私の方は気が気でない。


 ベヘモスの首を落としたのは、巨大な岩を削りだして作った武器だった。

 斧というべきか剣というべきか、とにかく大雑把な作りの重厚な刃物だ。

 こんなもので、竜の牙もろくに通らないベヘモスの首を刎ね飛ばすなんて。


 いや、それ以前に十メートルもこの武器を持って跳躍する時点で普通ではない。いくら恵まれた体躯を持ってしても、不可能なはずだ。


 不可能であるはずの事を可能にする。

 つまり、彼もまた魔法使いなのだ。

 ――しかも恐ろしく強力な。


 正直、もし敵対したら勝つ自信はなかった。


『おう、野郎ども。持っていけ』


 男が腕を振り上げ銅鑼声をあげると、十数人の男達がやってきてベヘモスの身体を解体し始める。


『待ってくれ。それは私達が先に攻撃していた獲物なんだ。一部だけでいいから、分けてくれないか?』


 私は慌てて言った。流石にこれだけの時間をかけて狩った獲物を、横からまるごと掻っ攫われては困る。


『なんだと?』


 大男は不満気に声を上げると、じろりと私を睨みつけた。

 その圧力たるや、鎧熊の比ではない。

 正直震えがくるほど恐ろしかったが、私は毅然とした態度で睨み返す。


 いつでも飛んで逃げられる準備だけはしていたが。


『……まあいい。お前らのおかげで楽にこいつを狩れたからな』


 大男はそう言って、部下と思しき男達に後ろ足を一本、我々に分け与えるよう命じた。


 私はほっと胸を撫で下ろす。我々の集落なら、この程度の量あれば全員に分け与えても余裕で数日分にはなる。もともとこの人数では全部持って帰る事は出来なかっただろうから、十分な成果だ。


『ありがとう。助かるよ』


 私はガイさんたちに合図をして、切り取られたベヘモスの足を掲げ持つ。


『おい、お前』


 肉を持って帰ろうとする私の背に、大男は声を投げかけた。

 まさか、直前になって気が変わったなどと言い出したりはしないだろうか。


『俺の村に来てみないか?』


 そう思いながら振り返ってみれば、飛んできたのはそんな誘いの言葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る