第11話 魔法書/Grimoire

「枝よ、動け!」


 私の言葉に従うように、水琳檎の木の枝が微かに揺れる。


「炎よ、舞い上がれ!」


 しかし次に投げかけた言葉は、枝葉をそよがせることすらなく虚空に消えた。


「ふむ……水琳檎の枝よ、伸びて私に木の葉を一枚おくれ」


 そう唱えればその通りに、枝はぐっと伸びて私の手元に木の葉を落とす。

 私はその葉をじっと見つめた後、気合を込めて詠唱を始めた。


「……煉獄より聳えし禁断の知恵の木、ダークネスウォーターアップルよ、今こそその軛を解き放ちて、我がもとにその果実を与え給え――――」

「何言ってんの?」

「うわぁっ!?」


 突然後ろからかけられた声に、私は文字通り飛び上がった。


「ニ、ニナ。早いんだね」

「なんか森がガサガサ言ってるから何かと思って。さっきの何?」


 せっかく誰にも見られないように日の出前の朝方を選んだのに!


 いや、落ち着こう。彼女に、『厨ニ』なんて概念がわかるわけがない。

 聞かれていたって問題ないはずだ。


「なんかすっごく変な事言ってた気がするんだけど」


 本当に勘がいいなこの子は!!


 私は彼女の類まれなる理解力を、今はじめて恨みに思った。


「君が変に思うのも仕方がないことだ。私は今、画期的な魔法の使い方を試していたところで、これによって魔法の威力が数段高まる可能性がある。しかし、より効率的に使うには様々な実験を試してみる必要があり、中には多少奇妙に思えるようなものも」

「もう一回さっきの言ってみせてよ」

「……勘弁して下さい……」


 私は潔く、敗北を認めた。


「にしてもやっぱり、言いながら魔法使うと使いやすいのね」

「気づいてたの?」

「何となく。でも、私だけなのかと思ってた」


 ニナは腕を伸ばし、「私にも木の実を一つちょうだい」と木に囁く。するりと枝が伸びて、まるで人の手のようななめらかな動きで彼女の手のひらの中に水琳檎が収まった。


 恐るべき精密さだ。


「どうやら、呪文は長ければ長いほど効果を増すみたいなんだ」

「そうなの?」


 これはどうやらわかっていなかったようで、私は誇らしげに頷く。


「それと、魔法の内容に関係ない言葉はいくら並べても意味が無い」

「そんなの当たり前じゃない」


 少し調子に乗ればこれだ。


「まあ、ニナにとっては当たり前のことなんだろうけど、そういう事こそしっかり調べなきゃいけないんだよ」

「ふうん」


 説明しても気のない風で、彼女は水琳檎をかじる。


「ねえ、長ければ長いほどいいんだっけ?」


 ふと、何かを思いついたようにニナはそう尋ねた。


「うん。どういう理屈かはわからないけどね」


 頷くと、ニナは水琳檎の芯をぽいと投げ捨て、すっと目を閉じる。


 『木よ、土に根を張るもの、葉を茂らせるもの、花をつけるもの、実を生むものよ』


 それは、久方ぶりに聞く彼女のエルフ語だった。


 『木立を揺らす風の囁きに、はらはら落ちる落ち葉の呟きに、根が吸い上げる水の音に、私の声を聞くがいい』


 歌うように、紡ぐように、彼女の言葉は綴られる。


 『そのしなやかなかいなで捕らえておくれ。我らの糧を、四足の獣を、白く跳ねるものを、私のもとに届けておくれ』


 そのうたが終わると同時。


 ――森全体が、轟いた。


 ざわめくなんて生易しい物じゃない。木々が震え、うねり、うごめき、唸りを上げる。大地が揺れて、鳥達が木々から飛び去り、どこからか獣の咆哮が鳴り響く。


「先生、ごぶじですか!?」


 音に驚いたアイが飛び起きてきて、着の身着のままで私に駆け寄ってきた。

 洞窟の中から男達も、槍を持って顔を覗かせている。


 そして――――


 ぽふん。

 そんな軽い音でも立てそうな感じで、ニナの目の前にウサギが一羽、放り出された。


 私も、アイも、洞窟の人々も、そしてウサギ自身も、何が起こったのかわからず目を見開く。そんな中最初に動いたのは、この騒ぎを引き起こした人物……ニナだった。


「獲った!」


 さっと素早く腕を伸ばし、彼女はウサギの長い耳を鷲掴みにする。ウサギは慌てて逃げようと暴れるが、既に手遅れだった。


「びっくりしたぁ……まさか、こんなことになるなんて」


 暴れるウサギを身体から遠ざけつつ、ニナは胸を撫で下ろす。


「私も、心底驚いたよ」

「ニナさんの、まほうだったんですか?」


 アイは私の前足にしがみつくようにしながら、目を白黒させていた。


「まさか呪文の詠唱にここまでの威力があるとは……」


 絶対に呪文詠唱しての炎の魔法は使わないようにしよう。私は、そう心に決めた。


「わたしにも、できますか?」

「アイにはまだ少し早いかな……」


 呪文を作るには多くの語彙と、それを組み合わせる文章作成能力が必要とされる。

 ニナですら、日本語では呪文を作ることは出来なかったのだ。

 アイも大分言葉を覚えては来たが、まだまだ難しいだろう。


「そう、ですか……」


 しゅんと項垂れる彼女を見ていると何とかしてやりたくなるが、こればかりは一朝一夕にどうこうできる問題でも……


 と、そこまで考えて、私はあることを閃いた。


「いや、そうでもないか」


 上手くいくかどうか分からないが、とにかく試してみる価値はある。

 成功すれば色々な問題が一気に解決するかもしれない。


「よし、やってみよう。協力してくれるかい?」

「はいっ!」


 元気に頷くアイの笑顔を、ようやく登り始めた朝日が照らした。






「しろきころもをまとうもの、つららのともがら、ゆきのせいれいジャックフロストよ。そのといきをかしておくれ。こごえるてのひらでつつんでおくれ」


 素焼きの壺を手にしながら、私の掲げる木の板をじっと見つめてアイは呪文を唱える。白い霧のようなものが壺の中にぶわりと立ち上り、私の目はそれが氷点下まで下げられた冷気であることをはっきりと捉えた。


 すかさず、壺の上を大きな木の葉で塞ぎ、板を載せ、更に石で封をする。

 原始時代に作った、簡易的な冷凍庫だ。

 本物ほど長持ちはしないだろうが、それでも内蔵を取り除いた魚ならニ、三日くらいは保つだろう。手に入れやすい魚や貝の保存が効けば生活はだいぶ楽になる。


「できました!」

「うん。ありがとう、アイ。よく頑張ってくれた」


 珍しく誇らしげに胸を張るアイの頭を、指先でそっと撫でてやる。


「そんな、先生のおかげです。これをつくってくれたから」


 はにかみながらも、彼女は控えめな態度で私の掲げる板を指差した。

 そこには、彼女が先ほど唱えた呪文が書かれている。


 言うなれば、それは世界最古の魔法書だ。

 木の板に炭で書かれた、全てひらがなの粗末なものだけど。


 そう、何も呪文は自分で考える必要などないのだ。他人が考えたものでも、三つの要素がしっかり揃っていればきちんと成立する。


 三つの要素とは、意味と、意思と、意図だ。


 まず、呪文の言葉の意味がわかっていなければならない。

 試しにニナに英語の音だけを伝えて確認してみたが、やはり使う本人が言葉の意味を理解していなければ、呪文は呪文として成り立たなかった。


 次に、意思。意味と意図とが揃った呪文でも、使おうとするものに魔法を使う意思がなければ効果を発揮しない。何も考えずにただ呪文を唱えるだけでは、魔法は発動しない。これはありがたいことだった。日常生活の何気ない言葉で魔法が暴発しても困る。


 そして、もっとも大事なのが意図だ。

 呪文に使う言葉には、何故その言葉を使うのかという意図……つまり、関係性がなければいけない。ニナには当たり前だと言われてしまった話だが、きちんと調べてみればそう単純なものでもなかった。


 同じ言葉を繰り返すだけでは駄目なのだ。


 『木よ、土に根を張るもの、葉を茂らせるもの、花をつけるもの、実を生むものよ』とニナが唱えていたように、意味は同じ木のことでも、別の呼び方をすることでそこに意図が加わる。そして意図の分だけ、魔法はその力を増すのだ。


 逆に言うと呪文を用いなかった今までの我々は、意味と意思だけで魔法を使っていたとも言える。


「先生、ひとつ、きいてもいいですか?」

「なんだい?」

「先生は、ジャックフロストをみたことがあるんですか?」


 アイの素朴な問いに、私は答えに困った。

 ジャックフロスト。イングランドの伝承に登場する、雪と氷の精霊だ。


 精霊という存在がこの世界に実際いるのかどうか、私は知らない。ただ単純に、何度も呼びかけるという形式と擬人化の相性が良いから、私は呪文にそれを取り入れたのだった。


「ああ、あるよ」


 もし実在しない存在だと認識したら、呪文が効果を失ってしまうかもしれない。


 私はそう思って、彼女に嘘をついた。

 今、冷気の呪文が力を失ってしまうのは困るから。


 それにあながち嘘というわけでもなかった。出会ったことはある。

 ……ゲームの中で、だけど。


「わたしも、あってみたいです」

「そうだね。魔法の勉強を頑張っていれば、いつか会えるかもしれないね」


 子供らしいアイの言葉に、サンタクロースを信じこませる大人のように私は言った。


 ――――この時私がついた小さな嘘が後々とんでもないことを引き起こすだなんて、思いもせずに。

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