竜歴12年

第10話 破棄/Revoke

「……いた……!」


 慎重に慎重に森の枝葉を掻き分けながら、私はついに獲物を発見した。鹿だ。


 鹿といっても、正確には私の知るそれではない。全体に幾何学じみた紋様が走っていて、その角はまるで稲妻のように雄々しく、ちょっとした木くらいならそれで突き倒してしまうような、そんな生き物だ。

 なんというかこの世界は私といい鎧熊といい、全体的に戦闘能力が過剰なのではないかと思う。


「アイ。頼めるかい?」

「はい……!」


 背に乗せたアイに囁くと、こくりと頷く気配がして、鹿の前方の木々がざわめいた。風に揺れるのとは明らかに違うその気配を鹿は敏感に察知して、反射的に後方へと飛び退る。


 ――――つまり、私達のいる方向にだ。


 そのタイミングで、私は茂みから飛び出し爪を振るう。しかしそれが届く寸前で、鹿は機敏に方向転換して爪を躱した。


「しまった!」


 私が翼を広げると、ぶわりと突風が吹き荒れる。鹿は風にあおられ一瞬体勢を崩したものの、私が追い縋るよりも早く森の奥へと消えていってしまった。


「また失敗か……」

「すみません、先生……」

「いやいや、アイのせいじゃないよ。私がドン臭いんだ」


 もともと、私は大して狩りが上手くない。

 風の魔法はせいぜいよろけさせるくらいにしか役に立たないし、逆に火は火力が高すぎて森の中ではおいそれと使えない。

 竜の体は鎧熊と正面から殴りあって圧勝できる程のスペックはあるが、逃げる草食動物を捕まえられるかどうかはむしろその身体をどう操るかにかかっている。そしてどうやら、私はそれが酷く下手なようだった。

 せいぜいが十回に一回も成功すればいいレベルだ。


 アイのおかげでそれが七回に一回くらいは成功するようになっているのだから、彼女の働きは決して小さなものではない。


 ないのだが。


「とはいえ、どうしようかな……」


 今の生活だと、それでは困るのであった。

 アイの村の人数は総勢十六名。それに私とニナ、アイを足して十八人と一頭。

 私の狩りの成功率では、二人と一頭を賄うことは出来ても、それだけの人数を維持することは難しかった。


 勿論、彼らだって今までこの世界で生きてきたのだ。栄養的には不十分ながらも、自分たちで狩りをし、暮らしていくことは出来る。


 だがその生活に、余裕などというものは一切なかった。


 朝は日が昇ると共に狩りに出かけ、日が暮れると共に眠る。ほぼそれだけの生活だ。それでも、食事は足りるかどうか。獲物を取れずに何も食べられない日もよくあることだったらしい。

 十六人の半分は年端も行かない子供で、実質この集団を支えているのは五人の男性だけだというのも問題だ。一人体調を崩しただけで狩りの効率は激減するし、もし狩りの最中大怪我を負ったらそれだけでこの集団は崩壊しかねない。


 つくづく、教育というものは社会に余裕あってこそのものなのだな、と痛感する。


「仕方がない、今日はこれくらいで帰ろう」

「……わかりました」


 中天に差し掛かった太陽を見て、私はアイに呼びかけた。

 結局今日の収穫は、アイが集めた木の実と朝のうちに私が取ってきた魚、そして貝類だ。これらは大型動物の狩りに比べればかなり安定して手に入るが、非常に傷みやすいので今日食べる分しか取ってこれないのが難点だ。海は遠く、私の翼でもかなりの時間をロスしてしまう。


「ただいま」

「おかえり」

「オカエリー!」

「オカエリ!」


 私とアイが洞窟に戻ると、ニナと子供たちが出迎えてくれた。賑やかに降り注ぐ挨拶に、思わず口元が綻ぶ。

 子供たちの学習能力というものには、本当に驚かされる。私たちが拠点をこの洞窟のほど近くに移してからさほど経ってもいないというのに、既に彼らは簡単な言葉を覚え始めていた。


「今日も大物は取れなかったのね」

「ああ……すまない」

「いや、別にいいんだけどさ」


 狩りの成果を受け取り、手早く壺の中に入れながらニナ。


「やっぱり、私が一緒に行った方がいいんじゃない?」


 ニナの言葉に、私はうぅんと唸った。


 確かに、彼女を連れて行けば狩りの効率は劇的に向上する。

 なにせニナは森の申し子みたいな存在だ。

 どんな野生動物よりも鋭敏に生き物の気配を察知し、虫にも気付かれずに忍び寄り、周りの木々全てを使って獲物を捕らえる。彼女と一緒なら、私でも二回に一回くらいまで成功確率が上がる。


「まあ、もうちょっとアイと頑張ってみるよ。ニナにはこっちをお願いしたい」


 それでもニナを連れて行かないのには理由がある。


「子供たちを守ってあげてくれ」

「仕方ないなあ」


 不満そうに頬を膨らませながらも、ニナは了承してくれた。

 外敵にこの集落が襲われた時、何とか出来るのは私と彼女だけだ。

 その二人ともが集落を離れるのは非常に不安だった。


 アイ一人なら連れて行けば済む話だけど、流石に八人もいる子供たちを抱えて狩りに行くわけにもいかない。しかもそのうち二人は赤ん坊なのだ。


「まあ、アイもどんどん魔法が上手になってるし、そのうち好転するさ」


 とにかく命を繋いでさえいれば、物事はだんだん良くなる。

 私はそう楽観的に考えていた。その為にも、ただでさえ死んでしまいやすい子供たちを殺すことだけは絶対に出来ないのだ。


「さあ、今日も勉強の時間だ」


 私がそういうと、子供たちは「はーい!」と手を振り上げて返事をした。


 勉強の後に木の実を振る舞っているせいもあるだろうが、基本的に彼ら彼女らは非常に熱心だ。教育を受け、魔法を学んだアイという存在が既にいることも大きいのだろう。私がいない間にもニナから貪欲に言葉を学び、簡単な魔法を成功させている子もいる。


「センセイ! ヒ、デタ!」


 中でも一番成長が早いのは、ケンと名付けた男の子だ。


「おお、上手い上手い。凄いぞ、ケン」


 年はアイより少し下くらいだろうか。

 ニナのように理解力が特別高いという感じではないのだが、とにかくコツを掴むのが上手い。教えたことをするりと吸収し、実践してみせるのだ。特に「エネルギー」の概念は非常に理解が難しいようで、ケン以外の子供は木の葉を少し動かせれば良い方だ。


 子供たちが意欲的に学んでいく一方で、問題は大人たちだった。

 狩りで忙しいせいもあるのだが、彼らは一向に言葉を学ぼうとしない。ましてや魔法など興味を持たないどころか、忌避している節さえ見られた。


 まあ実際、現在の魔法は大した役には立たない。ニナくらい扱えれば別だが、アイの魔法だって単体ではさしたる意味などない。木をざわめかせるのは男たちなら自分の腕でやればいいだけの話だし、炎の魔法は焚き木に火をつけることも出来ないのだから。実際に引火する炎を出せるのは、まだ私とニナだけだ。


 とは言え言葉くらいは、覚えて欲しいのだが……


 私はアイから教えてもらって彼らの言葉を覚えたが、大した意味はなかった。

 狩りの時にどう動くか、普段どういう生活をしているのか、こういう時はどうするのか……そういった知識の蓄積がなければ、言葉だけを覚えても意味が無いのだ。


 彼らは皆一緒に暮らし、その人生の大部分を共有している。だからこそ、簡素な合図だけで事足りる。言葉を発して他人に何かを説明する必要がそもそも無いのだ。


 そういった細かい機微までは、流石に一朝一夕に学ぶことは出来ない。仮に学んだとしても無駄だろう。私と彼らでは体格が違いすぎるのだ。人でない私には、彼らと同じ生活をしても同じことを感じることが出来ない。感覚を共有できないのだ。


 だからこそ、異なる価値観の者同士でも分かり合える言葉を覚えて欲しいのだが、言葉を知らない彼らには言葉の有用性を伝えられない。ジレンマである。


「ヒ! デロ! ヒ! デロ!」


 私が頭を悩ませていると、ケンが楽しくて仕方がない、という様子で炎の出し入れを繰り返していた。世界が変わっても子供というのは火遊びが好きなものらしい。

 そういえば私もこの身体に転生した直後は、口から漏れる炎が楽しくて何度も吹いてたっけ、などと思い出す。


「ケン、熱くないとはいえあんまり……」


 とは言え、あまり褒められる行為でもない。

 諌めようとして、私は驚いた。

 彼の出している炎に、普段よりかなり高い熱量があったからだ。

 アイの出す炎がぬるま湯なら、熱湯くらいの温度がある。


「ケン!? それはどうやったんだ!?」


 思わず叫ぶと、ケンはびっくりして火を消してしまった。


「ああ、大丈夫、怒ったわけじゃない。もう一度、火を出してみてくれるかい?」


 こくりと頷き、ケンはおずおずと炎を出す。手のひらに浮かんだそれは、しかしアイが出すものとさして変わらない……いやむしろ、もっと温度の低い炎だった。


「あれ? さっきみたいな火を出せない?」


 尋ねると、ケンは困った顔をする。


「なんでだ……? MP的なものが尽きたとか……?」


 今まで特に気にしたこともなかったが、何の代償もなく無制限に魔法が使えるとも考えづらい。精神力とか、魔力とか、そういったものが尽きて威力が減じたのだろうか。


「火、出ろって言いながら出してないからじゃないの?」


 思い悩んでいると、石のナイフで魚の鱗を削ぎ落としながら何気なくニナがそう言った。


「いや、そんな単純な……ことなのか?」


 半信半疑で、しかし私はケンに口に出すよう促す。


「ヒ……ヒ、デロ!」


 気合を込めたケンの掌から、炎が立ち上った。

 熱と光だけの紛い物じゃない。本物の、炎だ。


「なるほど……そうか」


 何でこんな単純な事に気づかなかったんだろう。


「これは、呪文詠唱だ」


 どうやら私たちは今までずっと、詠唱を破棄していたようだった。

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