第9話 贈り物/Dragon Offering

「……準備出来たよー」


 炎を浴びてホカホカと湯気を立てる泉の水を尻尾で掻き混ぜながら、私は諦念を滲ませた声をあげる。


「待ってました!」

「おじゃま、します」


 すると背中の後ろから、じゃぽんと勢い良く水の音。それに続いて、控えめな水音が聞こえてきた。ニナとアイが、それぞれ泉に入ってきた音だ。この時ばかりは鋭敏な竜の耳が疎ましい。


「あー、気持ちいい……温度バッチリね」

「ほっとします……」


 くつろぐ少女たちとは裏腹に、私はどうにも落ち着かない気分だ。何せ、後ろでは二人共一糸まとわぬ姿で湯に浸かっているのだから。


「ねー、なんで毎回後ろ向くの? こっち向きなさいよ」

「いや、それはちょっと」

「わたしのかお、みたくないですか……?」

「いや、そういう訳じゃないんだけどね」


 普段は何かと私の味方をしてくれるアイの方までそんな事を言い出すので、いつもこの時間は私にとって苦難の時だった。

 だが私が入っていなければ湯の温度はすぐさま下がってしまうから、別々に入るというわけにもいかない。


「どうしてこっち見ないのか、ちゃんと説明しなさいよ!」


 ニナがぐいっと私の長い首に腕をかけて引っ張る。

 だが私には、上手い説明なんて全く出来る気がしなかった。

 そもそも彼女たちには裸を見られて恥ずかしいという感覚がないのだ。


 恐らくそういう感覚というものは人間が生来持っているものではなく、どちらかと言うと文化的なものなのだろう。親から裸は恥ずかしいものだと躾けられるからそう感じるようになるのだ。


「だから、その……君たちは今、服を着ていないだろう?」

「あんたが脱げって言ったんじゃないの」

「それは、そうなんだけどね」


 私がしどろもどろになっていると、アイがはっと息を呑む音が聞こえた。


「わたしに……うろこが、ないから……?」

「違う違う違う。そんな問題じゃないよ」


 絶望を滲ませた声に、私はぶんぶんと首を振った。


「一応私は男で、君たちは女なんだ。男が女の裸を見るというのは、その……あまり、良くないことでね」

「何よそれ。女が男の裸を見るのはいいの?」

「それも、あまり良くはないかな……」

「でも、あんたいつも裸じゃない」

「!!」


 衝撃だった。

 言われてみれば、確かにその通りだ。竜の姿だから気にしたことはなかったが、私は服なんてものを着たことはない。


 常に全裸だ。


「いや、いや、いや、違う。待ってくれ。ほら、私は……竜だから、服なんて必要なくてだね」

「だったら別に、男だの女だの関係ないじゃない」


 ニナが直球で正論を投げてきた。

 確かに、その通りだ。要するに私は、未だに人間の意識を引きずっているのだ。

 竜になりきれていないと言い換えてもいい。


 自身は竜だからと言い訳をして、彼女たちにだけ人としての価値観を押し付けるのは筋が通らない事だ。


「……わかったよ。私の負けだ」


 しぶしぶと、私は後ろを振り向いた。池の水はどこまでも澄んでいて、二人の少女の身体つきはまるで隠れていない。その上腕で隠すような素振りもないので、上から下まで丸見えだった。


「あの、せんせい……だいじょうぶですか? わたし、きもちわるくないですか?」

「いや、断じてそんなことはないよ」


 不安げに問うてくるアイに、私は首を振る。


「でも……じゃあなんでこっちをみてくれないんですか?」


 思った以上に君の身体が発育しているからだよ!

 などとは、流石に言えなかった。


 所詮二人とも十代前半。まだまだ子供だ。気恥ずかしさはあるけれど、変な目で見てしまうようなことはないだろう。そんな考えを、アイは正面からぶち破ってくれた。


「……そうか、もう一年にもなるんだっけ」

「いちねん、ですか」

「そう。アイが私の所に来た時も、だいたいこんな暖かさだっただろ?」


 この世界というか、この星の一年は大体四百日くらいで、地球より少し長い。アイに出会ってから今日で確か三百八十四日になるので、ほぼ一年が経った。その一年で、彼女の姿は随分様変わりした。


「そういえば、いつの間にか私より大きくなってるもんね、アイ」


 そう。

 私もニナも体格は殆ど変わってないが、アイだけは急速に成長していた。


 恐らく栄養が足りてなかったのだろう。十歳前後にしか見えなかった背丈はぐんぐんと伸びてニナを追い越し、ガリガリに痩せていた身体つきはどんどん丸みを帯びて女性らしくなっていった。今の彼女は十五、六歳くらいに見えるし……その胸元は、何というか、かなりの存在感を放つに至っていた。


 ちょっと直視するのが難しいくらいに。


 その点、ニナは比較的気が楽だ。確かに目も覚めるほどの美少女ではあるが、それがかえって肉体の生々しさを感じさせない。ある種の芸術品のようなものだ。胸も実にささやかな膨らみがあるだけで、アイのように強烈な視線誘導力を持っていないので助かる。紳士として凝視するのは有りえないことだが、しかしそこに魅力を感じる程度の感性は私のような朴念仁にだってしっかりと備わっているのだ。


「おおきくなったから、せんせいはわたしをみてくれないんですか?」


 思い悩むように俯くアイの発言に、私は危うく炎を吐き出しそうになった。

 それは非常に危険な発言だ。


「違うよ。ただ、その……」


 私は前世で殆ど女性と交際した経験がないことを悔いた。こういう時どうにも、うまい言葉が出ないのだ。


「アイが凄く綺麗になったから、恥ずかしくて見られないだけだよ」


 とにかくわけも分からず思うままを素直に吐露すると、アイも照れたのか顔を赤くして押し黙る。


「私は? 私は!?」

「ニナは、ずっとそのままの君でいて欲しい」

「どういう意味!?」


 ニナが騒いでくれるおかげで変な空気にもならず、私は久々に彼女の存在に心から感謝したのだった。






「じゃあアイ。準備はいい?」

「……はい」


 緊張しているのだろう。頭の上から硬い声色が降ってきた。


「大丈夫だよ」


 私はばさりと翼を広げ、彼女の体を覆い隠す。


「何があっても私が守るから」

「は、はい……」


 余計に緊張させてしまっただろうか。

 返ってきた返事は更にこわばったものだった。


 まあ無理もない。一年ぶりの帰郷だ。おまけにすっかり言葉になれてしまった彼女にとって、家族は一切言葉の通じない者たちだ。正直私だって少し怖い。


 だが、私には秘策があった。


 我が故郷、日本の誇る伝統文化。

 季節ごとの付け届け、お中元にお歳暮だ。


 ついでに春と秋にも、私はアイの家族に鹿の肉やら、木の実やらを渡してきた。最近ではさほど怖れられることもなくなり、良好な関係を築けているという自負がある。


 そして、アイだ。

 風呂でピカピカに磨きをかけ、髪の毛を木製の櫛で梳いて、服も葉っぱや花で飾り立てた。生け贄として連れてこられた時もそんな風にされてはいたが、栄養状態が改善し成長した彼女は本当に可愛らしい。この姿を見れば間違いなく、言葉がわからずとも彼女が大切にされていることは伝わるはずだ。気恥ずかしい思いをしてまで彼女を風呂に入れただけの甲斐はあった。


 更に威圧感を与えないよう、私はあえて空を飛ばずにゆっくりと歩いて洞窟へと向かう。これだけ徹底すれば、友好的だという意思は伝わるはずだ。


「そういえば、彼らにも一応言葉があるんだよね」

「はい。ことばというか、あいずみたいなものですけど」

「じゃあ、翻訳……えーと。彼らが何か言ったら、なんと言ってるのか、教えてほしい」

「わかりました、まかせてください!」


 どんと胸を叩く音がした。

 どん、というか、ぽゆんというか。

 いや、駄目だ。昨日のことは忘れよう。


 ちょうどその時、洞窟から男性が三人ほど出てくるのが見えた。


『帰!』


 彼らが反応するより早く、アイが声を上げる。


「あ、今のは、ただいま、みたいな意味です」

「なるほど」


 事前に習っておけば良かったな、と私は今更気づいた。

 万全のつもりの準備はまったく万全ではなかったのだ。


 男性たちはその場に持っていた槍を置き、跪く。

 どうやら大丈夫そうだ、と私は座って首を下げて、アイを降ろした。


 男性の一人が、アイの姿を見て「おお」と感嘆の声を漏らす。


「せんせい、わたしのおとうさんです」


 アイが振り向き、はにかみながらそういった。

 そういえば、彼女を送り届けたうちの片方が彼だった気がする。


「ええと、どうも」


 取り敢えず頭を下げながら、私は「つまらないものですが」と背に背負ってきた猪を彼の前に置いた。これに、残る二人の男性も歓声を上げる。猪と言っても、アイの背丈と同じくらいの大きさの大猪だ。


 男たちの声に気づいたらしく、洞窟の中から続々と人々が顔を出す。そして皆、猪やアイの姿に驚き、喜びの声をあげる。大人たちが騒ぐのを見て子供たちも顔を出し、とうとう、洞窟の中にいた人々が全員私の前に集まる。


 そして、宴が始まった。


 私が焚き木に火をつけて、猪を丸焼きにし、爪で切り分ける。

 普段は見たことのない小さな子供たちまで総出で、肉に食らいついた。


 皆で一つの火を囲み、男たちは足を踏み鳴らして踊り、女たちは歌をうたう。

 歌詞のないその歌に合わせて、私も吠えた。

 そうして同じ時間を過ごすうちに、私はこの家族に受け入れられたのだという実感を覚える。

 これなら、もっと密接に暮らして、言葉を教えていくことも出来るだろう。

 そう胸を撫で下ろした時のことだった。


 恭しい様子で、一人の少女が連れてこられた。

 既視感を覚えたが、アイは私の隣に座っている。別の少女だ。


 槍こそ持ってはいないものの、二人の男に囲まれて、飾り立てられた少女が私の前に差し出されるところまで全く同じ。


『奉』


 男たちは跪いて、あの時と同じ言葉を発した。


「アイ、今彼らはなんて……」

『否!』


 私が尋ねるよりも早く、アイが何事か怒鳴った。


『我、妻!』


 彼女はぐいと私の前足を引っぱり、短い言葉を捲し立てる。


『不要!』


 そして、引き出されてきた少女を指さして叫んだ。

 男たちは驚きの表情で後退りし、頭を垂れて、少女を連れ戻した。


「ねえ、アイ、今なんて言ったの?」

「なんでも、ないです」


 にこりと笑って言うアイ。しかしその笑顔は何故か少しだけ、怖い。


「いや、明らかに」

「なんでも、ないです」


 笑みを崩さず、アイは繰り返す。

 結局この日、何度聞いても彼女は何と言ったのか、教えてはくれなかった。

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