第8話 才能/Talent
「この、ものを下に向かって押さえつけている力のことを、重力と呼ぶ」
「じゅうりょく」
私の言葉を復唱しながら、アイは文字を書いていく。
青空の下、森を出た所に机代わりの切り株を置いて、なるべく平らになるように割った木の板に炭にした枝で字を書く。
極めて原始的ではあるものの、学校としての形がそこにはあった。
アイの方もひらがなだけではあるものの、文字を大分マスターしてきたようだ。
文字を教えるか、魔法を研究するか。どちらを優先するかを考えた結果、私は同時に進めることにした。彼女が学んだことを覚えるためにも、やはり文字という概念は必要だと思ったからだ。
しかし、それは意外な方向にも作用した。
「よし、じゃあその重力を消してみてくれ。そうすれば、私のように宙に浮けるはずだ」
「はいっ」
力強く返事をして、アイは先ほど書いた木の板をじっと見つめる。
「じゅうりょくを、けす。じゅうりょくを、けす。じゅうりょくを……けす……!」
口の中でそうして何度か呟けば、彼女の身体は突然、ふわりと浮いた。
「うけました!」
ほんの僅かだが、確かに彼女の身体は重力のくびきから開放されて宙に浮いている。私は広げた翼を、ほっと息を吐きつつ畳み直した。
「なんで、つばさをひろげたんですか?」
「念の為にね」
重力を完全に消してしまった場合、そのままこの星の公転速度で空に飛んでいってしまうのではないか、と危惧したのだ。勿論、そんな事にはならなかったが。
この世界も地球と同じ、宇宙を回る惑星だということは既にわかっている。空から見た地平線は丸いし、星や月や太陽の軌道も円を描いているからだ。とは言え、この宇宙のどこかに地球があるとは少し考えにくい。星を隔てたからって物理法則までは変わらないだろうから。
ちなみに星が丸いという事を何の気なしにニナに教えたら、彼女は案外あっさりと受け入れた。
球体なのに下側にいる人間も落っこちないという事についても、「別にどんな方向から生えてても根がくっついてればそんなもんでしょ」との事だった。
彼女の理解力が高いのか、それとも前提となる知識が少なすぎて偏見がないだけなのかはわからないが。
「よしよし、順調だね」
アイはそのままゆっくりと高度を上げて、私の顔と同じくらいの高さまで昇ったところで魔法を解除し、すとんと地面に降り立つ。
「はい。せんせいがおしえてくれた、もじのおかげです!」
この上なく嬉しそうに笑いながら、アイは木の板をぎゅっと抱きしめた。
魔法にとって名前というのは、やはりとても重要らしい。名前をつけていないものはどんなに頑張っても魔法で動かしたり、生み出したりすることは出来ない。名前の数だけ世界は広がり、出来ることが増える。そして、文字にはそれを補強する力があるようだった。
実際に文字というものに力があるのか、それとも精神的にやりやすくなるだけなのかはよくわからないが、とにかく文字で概念を認識させるとアイの魔法は格段に成功率を増す。
当初は名前を教えてもなかなか効果を発揮できない魔法もあったが、文字を覚えてからは少なくとも全く発動しないということはまずなくなった。
「二人とも、ご飯できたよー」
アイと二人で魔法の成功を喜びあっていると、空からニナの声が降ってきた。
見上げれば上空を舞う小さな姿が手を振っていて、アイの笑顔はあっという間に曇ってしまう。
ようやくほんの少し浮けたかと思えば、ニナは既に浮遊ではなく飛翔を自由自在に操っているのだ。無理もない。
魔法にも、やはり才能というか、個人差のようなものは存在しているらしい。
三人とも生まれも育ちも全くの異質なので単純に比べる訳にはいかないが、私達の中で魔法をもっとも上手く操るのはニナだった。
異常に勘がいいというか、一を聞けば十を知るというか、ほんの少し取っ掛かりを与えただけで彼女の魔法はみるみる上達していった。日本語という知識を持つ私より上手いのだから、元々エルフ語で多くの概念を知っているというだけでは説明がつかない。
「ニナさん、まほう、じょうずです……」
「ああ、本当に」
私は深く頷いて、心の底から言った。
「アイが生徒になってくれてよかったよ」
「えっ」
アイがこちらを見上げて驚きの表情を浮かべるのを見て、私は微笑んで見せる。
「ニナは一足飛びに進み過ぎるんだ。その上、どうして自分が出来るのか説明するのが物凄く下手だから、研究の役にはまるで立たない。本当に、アイがいてくれてよかったよ」
元の世界でも得てしてそういうものだったが、天才というのは出来ない者の気持ちを理解できない。ニナは優れたパートナーではあるけれど、生徒役には全く向いていないのだった。
その点、アイは生徒としては最上といえる。
ひたむきで、努力家で、忍耐強く、真面目だ。
一歩一歩しっかりと踏みしめるようにして進んでいくその心根は、ニナの才能よりもよほど得難いもののように思える。
「頼りない先生だとは思うけど、これからもよろしくね、アイ」
「はいっ!」
輝かんばかりの笑顔で、アイは頷いてくれた。
「あっ、いまのは、せんせいがたよりないっていみじゃなくて……!」
「わかってる、わかってる、大丈夫だよ」
その後大慌てで弁解する彼女をなだめるのには、すこしばかり苦労が必要だったけれど。
「そろそろ、頃合いだと思うんだ」
食卓を囲みながらそう切り出した私に、アイとニナは不思議そうに首を傾げた。
「アイのいた村に、もう一度いってみようと思う」
そういった瞬間、カランと音を立てて、アイの持っていた木匙が床に転がった。
「いやです!」
「えっ?」
猛烈な勢いで立ち上がり抗議するアイに、私は目を白黒させた。
「嫌って、どうして?」
「わたし、ここを、はなれたくないです」
彼女はぎゅっと私の腕にしがみつく。
「そうは言っても……」
「よろしく、って!」
私の言葉を遮るようにして、アイは叫んだ。
物静かな彼女がここまで声を張り上げるのは初めてで、私は自分の半分ほどしかない小さな少女に気圧されてしまう。
「これからも、よろしくって! そう、いったのに!」
ん?
「わたしは、ずっとせんせいと――……」
「ちょっと待ってくれ。何か誤解してないか?」
私はアイの肩をぐいと押して、彼女の顔を覗き込む。
「私は君と離れるつもりなんてないぞ」
「え?」
涙をぽろぽろと流す瞳を、アイはパチパチと瞬かせた。
「魔法の研究は私たち三人だけで出来るようなものじゃないし、そもそも人の生活を豊かにするためという目標があるんだ。その成果を共有し、次代へと受け継いでいく必要がある」
「じだい……?」
ああ、まだ教えてない言葉だったか。
「子供や、その更に子供たちにも伝えていかなきゃいけないってことだよ」
私がそういうと、ようやく勘違いに気づいたのかアイの顔は途端に真っ赤に染まり上がった。
「だからそのためには、まずアイの家族や村人たちと交流を持たなければいけないんだ」
「そ……そうですね!」
どうやら納得してくれたらしく、力強く頷くアイに私はほっと胸をなでおろす。
「ニナ、君もそれで……どうしたんだ?」
隣を見ると、何故かニナは天を仰いで額を手でおさえていた。
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