第6話 加密列

 なぜ、こうなったのだろう……?


 自問自答する。真っ白になった頭。けれども、残った意識は目の前で行われた処刑をずっと思い出させる。

 一列に並び、次々と殺されていく仲間、友――。幼い頃に肉親を失った彼にとって地区の者たちは家族同然であった。その家族が次々と殺されていく。抗い叫ぶこともできず、ただ茫然と見ていた。生気を失った眼で自分を見ている者たちもいた。けれども、その者たちもすぐにこと切れる――。

 生き残ったのは――自分だけであった……。

 頭にこびりついて離れない絶望した家族の表情。血の気が引いた肌。瞳孔が開いた眼。血の臭いも返り血のぬくもりも肌触りも全てが鮮明に甦り彼を蔑む。

 自分だけが生き残った寂しさと絶望と共に虚無感が襲いかかってくる。

 いや、彼は頭を振るう。生き残ったのではない。生かされている。食糧を作らせるために家畜のように飼われるだけだ。

 彼は一人、イーグルアイ地区にまでつれてこられ、研究道具の揃った部屋に閉じ込められた。部屋には自分が使っていたガラクタ同然の研究道具と資材が置かれている。

 だが、仲間たちを思い出させる形見の品は一つとしてない。彼等は食糧確保と武器製造のために自分だけを生かされたのだと痛感する。

 そう――自分が食料を作り出したために引き起こされた争い。そして、それにより仲間の命を奪われた。

 頭の中で木霊する言葉……。


――技術は誰かのために使いなさい。例え、自らの技術が争いの火種となり、大切な人を失っても――


――楽園よりも確実に食糧を得られると他の地区から襲撃を受ける可能性がある――


――本当に全ての人間が己の欲に勝ち、協力し合えるならば、楽園は文字通り楽園になっていたはず――


 自分たちが作り出す物が何を引き起こし、その結果がどうなるか知っていた者たち。その上で先を見据えていた者たちの言葉。

 彼等は誰よりも現実を受け止めていた。皆を本当に救うために必要なことをしなければならないと考えていた。考えていたからこそ、動かなかったのだ。


 いや、彼等は皆絶望していたのかもしれない。皆が自分たちと同じように大局を見て協力してくれるならば、何の問題もなかっただろう。だが、誰も彼等の理想と現実を受け止めなかった。自分たちのエゴだけで動いていた。

 人間のエゴを止める術を持たない彼等はただ時が来るのを待っていた。皆の理解が深まるまでただ耐えていた。


 もし、自分が彼等と同じように大局を見ていたら何か変わったのだろうか? いや

――そもそも自分は彼等と同じ土俵にすら立つことがかなわなかった。


 もし、自分があの時、技術と知識を盗んで脱出しなかったら――?


 アドルフが五年と経たずに死に、その全てを人々に平等に与えられたのだろうか?


 もし、他の地区に最初から食糧を分けなければ? その存在を隠していたら?


 もし、アイビーの忠告を聞いていたら――?


 過去の仮定を考えては己の無知さを呪う。


なぜあんなにも愚かな人間を自分は信じていたのだろうか? 


なぜ、甘っちょろい考えばかりで現実を見ようとしなかったのか? 


目の前にあるガラクタを人の生きる力へと変えることに何の意味があるのだろうか?


 ただ争いを引き起こし、悪化させるだけだ。

 この手をすり抜けた大切なもの……。守るために必要なもの、すべきことは何だったのか、今となってはわからない。

 虚無を宿す青き目でかつて使用した研究道具と資料を見つめる。輝いて見えた道具たちはもう凶器にしか見えない。けれども、その中の一つだけ懐かしさと温かさを思い出させる道具があった。


 ただの鉄製の容器だ。必要な道具だと思われて残されたのだろう。だが、彼にとっては祖父の面影を思い起こさせるに十分なものであった。


 昔、祖父がそれを手にしながら言った。


――正しいことを行う人ほど、大衆から虐げられる。だからこそ、誰かを救おうと思ったのならば、見返りを求めてはならない。逆に自分が傷つくだけだ。本当に誰かを救いたいと思うのならば、自分が悪者になるしかないんだよ――


 今となってその言葉の意味が痛いほどわかる。今更わかったところで意味がないが――。



ガチャ……

 無音の中で響く音。鍵が開いた。恐らくスラッシュだろうと彼は虚ろな視線をそちらへと向ける。

 ここに来てから何もしていない。食糧生産の催促だろう。最も催促なんて生易しいものではない。従わないなら暴力でもなんでも使う男だ。

 逃げ出せないように足の骨を折られている。大分治ったが、逃げ出すには至らない。全身に刻まれた切り傷が、火傷跡が疼く。

 しかし、彼にはどうでもよかった。これで皆のもとへ行くことができるのならば、安い代償だとさえ思っていた。

 さっさと自分を地獄へ送れ――と、扉の方に目を向ける。だが、やってきた人物を見て、その目に光が宿った。

「アイビー……?」

 まるで深い夜空を連想させる長く青い髪。髪の色と合わさって不気味に見えるほど白い肌。頬にあるわずかな赤みがなければ死者を連想させるだろう。それほどまでに白い肌に浮かぶ金の双眸。

 綻び一つない青いワンピースを着て彼女――アイビーはそこにいた。彼女の傍にはワニの頭と獅子の体を持つ魔獣がいる。その魔獣の片目は潰れていた。

「ニゲラ……の方か?」

 魔獣の存在に気付き、彼は身構える。少なくとも、アイビーは魔獣を従えていなかった。だからこそ、ニゲラだと判断した。だが、なぜ彼女がここにいるのかわからない。二ゲラがわざわざ自分を助けに来るとは思えない。

「これ、あげる」

彼女は突如としてある物を彼の目に投げ捨てた。リボルバーだ。


 なぜ、彼女がこんなものを渡すのか、彼には見当もつかない。


 彼は警戒しながら彼女とリボルバーを交互に見る。何を企んでいるのか、彼女の言動に、一挙一動、一句一句に神経を集中させる。決して何一つ見逃すつもりはない。しかしながら、彼女は子どものように無邪気で、それでいて不敵に微笑む。

「弾は一発」

 ふいに彼女は人差し指を立て言った。怪訝そうに彼は睨み付ける。だが、彼女にとってはその行為さえも遊戯のようで、クスクスと笑う。いや、子どもの行動を見て楽しんでいるような反応だ。

「どう使うか、ちゃあんと考えてね。あぁ、イーグルアイから逃げるのは無理だよぉ」

 彼女はまるで子どもが羽虫をちぎり遊んでいるような態度を見せる。無邪気な残酷さ――という言葉がふさわしいだろう。

 何故、そんな態度でいられるのか、そもそもなぜ、彼女がここにいるのか、様々な疑問が溢れ出す。皮肉にもそれが彼の生きる意志を燃やし始めた。

 ぐるぐると思考を巡らせる中、彼女は告げる。


「だってぇ、イーグルアイに武器渡したのはあたしだもん」


「!?」

 簡単に負けるはずのなかったタイガービルが負けた。その事実に驚くと同時に疑問を抱いていた。最もすぐにその疑問は解決した。イーグルアイが自分達よりもはるかに強力の武器を持っているからだ。それが判明した時点でそれ以上は追求しなかった。

 何よりも――仲間たちの死でそれどころではなかった……。


 だが、今となって真実が見えてくる。アイビーが一度自分達の地区まで来て忠告したこと。そして、彼女は武器がないことを心配していた。

 その理由はニゲラが何かが企てていることを気付いていたからだ。だが、彼女が何をしているかまではわからず、どうすることもできなかった。気のせいかもしれないと確信を得ることができず、ただ万が一のことを考えてそれとなく口にしただけだった。このようなことが起きるとわかっていたならば、アイビーももっと対策を打っていただろう。


 全てがたった一人の女によって仕組まれていたことだと知り、彼は二ゲラを睨み付ける。

「全部、お前のシナリオ通りか、ニゲラ?」

 自分の推測通りだとすれば、ニゲラの手の上で自分達は踊らされていた。確かめるように彼はニゲラに問いかけた。拳を握り締め、今にも襲いかかりそうになる自分を押さえつける。相手は二ゲラであると同時にアイビーだ。

 アイビーが目覚めれば何か変わるかもしれない。彼女は人のために科学を使おうとしていた。彼女と協力すればまだ多くの人を助けられる。そうすれば、自分の過ちに償える。

 彼はまだ自分が他者に甘い期待と希望を委ねていることに気付いていない。彼女がいれば亡くなった家族の無念が晴らせるのではないかと心のどこかで期待している。だからこそ、攻撃できずにいる。それが間違えだと気付きもしないで――。


「そうねぇ~」

 二ゲラが唇に指を当て、視線を頭上へとさ迷わせる。

「アイビーの行動には驚いたし、土壇場で考えたにしては上出来のシナリオかな? 害虫がいっぱい死んじゃったから」

 子どものように笑う彼女に怒りがこみ上げる。懸命に生きる人間を害虫と呼ぶ彼女に咄嗟に拾い上げたリボルバーを向けた。

「人の命をなんだと思っている!?」

「……!?」

 銃口を向けられたにも関わらず、少しだけ彼女は目を見開いただけだ。大して動じていない。ニヤリと彼女は不気味な笑みを浮かべた。

「忘れたのぉ?」

 そして、リボルバーを恐れずに自らの額をその銃口へと突きつけた。決して急所を外さないように彼の手を握り固定する。

 その恐れを知らない態度に手がガタガタと震える。いや、初めて知ったのだ。アイビーの時はあんなにも温かった手が今は死体のように冷たい。彼女が化け物であるという事実を改めて思い知った。

「そんな弾じゃあ、あたしは殺せないわよ。それに――仮にあたしを殺したとしても、どうするつもり? 逃げられるの?」

「くっ……!」

 言わなくても彼にはわかっていた。逃げられない。化け物である彼女を殺すことさえかなわない。自分にできることなどない。

「化け物が……っ!?」

精々睨み付けることしかできない。

「化け物――ねぇ」

 ふいに二ゲラが唇を撫でた手を下ろす。

「あたしを化け物と呼ぶのは、自分の私利私欲のために人間を殺すから?」

「あぁ、そうだ。命をなんとも思わない、他者を労らない、思いやれないお前は化け物だ」

「なら、人間のほとんどが化け物じゃない?」

 彼は目を見開く。否定しようとしたが、震える声が零れるだけで言葉にならない。

「アクスやスラッシュなんかまさにあたしと同じでしょ? 自分のためだけに周りの人間をないがしろにしていたじゃない?」

 その通りだ。アクスもスラッシュも自分のために人を傷付けた。他人を悼むことなどない、思いやりに欠けた人間だ。

「それにあなただって自分が生きるために魔獣を殺してきたはず」

「それは生きるためだ! お前らとは違う!」

 二ゲラが冷たい眼差しを向ける。

「生きるためなら命を奪っていい――? それって思考停止じゃない?」

「……は?」

二ゲラが言わんとしていることがわからず、思わず言葉が出た。

「生きるために命を奪っていい――なんてまさに思考停止。自分が奪った命の重さも価値も考えず忘れていく。アクスたちと変わらないじゃない? 自分が奪った命を次に繋げようとしてる? 悼んだことある? 生きるために奪うなら、今度は他を生かすために奪われなきゃ――命を蹂躙する化け物じゃない?」

 体が震える。二ゲラの言葉がわかるようでわからない。

「奪った命を与えられ、命を奪い、生きるなら、今度は他を生かすために自分の命を与える――これが命の営み。自然の摂理。それを無視して、自分や自分の大切なものを生かすために一方的に奪う。そして、奪われる立場になったら相手を化け物と、非道と罵る。それが人間。人間こそが化け物――だよ」

 にっこりと二ゲラが笑った。無邪気な悪魔。決して自分の手に負える生き物ではない。そんな化け物が続ける。

「あなたは人を助けると言っておきながら本当は自分が称賛されたいだけの化け物――。自分の賢さと優秀さを見せつけたいだけ。そう、まるで――悲劇の主人公ね ここがあなたもイカれているの」

 二ゲラが頭を指差す。

「悲劇の主人公気取りさん。悲劇に負けずに無償の愛を振り撒くのは楽しかった? 愚かな人間を信じ続ける優しい人間を演じるのは面白かった? ねぇ、今、どんな気分? 次は何を演じるの?」

 腕の力が抜けた。彼はリボルバーを降ろし項垂れる。自分の醜さを全て暴かれたような、思い知らされたような絶望感が彼を襲う。





本当はわかっていた……。

多くを救うことはできない。

常に死と隣り合わせの世界。

その苦しみを、恐怖を一瞬で払拭するものがあれば誰だって欲しがる。

与えるだけでは人は生きていられない。

自分たちで生み出し作り出して初めて生きることになる。

その過程を飛ばし与えようとしたのは――全て自分や祖父を認めてほしかったからだ――。




進化の、

文明の発展の手順を狂わせたのは、自分だ――。


魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えなさい。

水を与えるよりも、井戸の作り方を教えない。


 一度壊れた文明にこだわらず、自分たちに与えられた新しい環境で咲けるように新しい文明を作り出さなければならなかった……。


 中途半端に残った文明と技術を中途半端に再現した愚かな科学者たち。

楽園に頼らずに、過去の文明にこだわらずに新しい道を歩むべきだった人類たち。


なぜ、世界は中途半端に残ったのだろう?

いっそうのこと、全てを壊してしまえばよかったのに――。


 今更、願っても何も変わりはしない……。


 頬を伝う滴にさえ、彼は気付かずただその場に膝をつく。

「うんうん」

 そんな彼にニゲラはゆっくりと近付いた。彼の頬に白く細い指で触れながらそっと耳元で囁く。まるで子どもを諭す母親のように穏やかな態度。

「いい子ね。あとはその弾丸の意味を考えなさい」

 そう彼女は嘲笑うように言うと、くるりと踵を返す。

 何者にも屈せず、己の意志を貫く彼女の背は、背負う業の大きさを物語る。同時に彼に自分がそれだけの業を背負うだけの強さがないことを突きつけた。覚悟の差は、結果は、今が物語る――。





 バタン――という扉が閉まる音が響く。一人になった空間で彼は自分の手の中にあるリボルバーに視線を落とす。

 自分に残された道をリボルバーだけが示してくれる。

静かにリボルバーの先を自らのこめかみへと当てた……。

ゆっくりと引き金を引く――。





ガウン!





 背後の扉で響いた銃声。それから数秒遅れて物の倒れる音が響く。かすかな隙間風に鉄と火薬の香りが混ざっていた。

 それに反応したのか、ワニと獅子を合わせたような獣が鼻をひくひくと鳴らす。

「ちゃーんとわかっているんじゃない」

 クスクスと扉の前で少女は笑った。同時に何かを引きずるような音が響く。何かが近づいて来ている。しかしながら、彼女には近付いてくるものがわかっていた。無視してもよかったが、あえて視線を向ける。

 音がしたのは曲がり角だ。そこから一人の男が姿を現す。男は茶髪で顔に刀傷がある。元々傷だらけであったのだが、今は新しい――それもつい先ほど負ったと思われる傷と血でボロボロであった。血だらけの足を引きずりながら少女の方へと歩いてくる。片足はすでに潰れており、彼の体は自らの赤い血液と青い液体に汚れていた。

「あらぁ~スラッシュ、生きていたのね」

 少女は笑いながら、自らに近付いてくる男・スラッシュに声をかける。すぐさまスラッシュが手にしていた銃を少女へと向けた。

「ニゲラ! てめぇ!」

 すぐにでも引き金を引きたいところだが、少女の傍らに控える魔獣が牙を向けているためにそれもできない。引くよりも先に魔獣に食い殺されるだろうことは明白だ。

 恐怖と迷いが伝わったのか、少女――ニゲラは動じない。それどころか、興味がないと言わんばかりに自らの青い髪を指で梳き始める。おちょくるような態度にスラッシュが声をさらに荒げる。

「最初から全部てめぇの企み通りだったのか!? 俺たちに武器をやったのも! あいつに技術を渡したのも! 全部! てめぇの仕業だな! 俺たちを相打ちさせるつもりだったんだな! いや――相打ちできなくとも、生き残った方を皆殺しにするつもりだったんだ! 楽園の悪魔め!」

 怒鳴るスラッシュにニゲラは冷たい嫌悪の眼差しを向ける。声が耳障りだ。

 

 どうしてこうも人間というのは、自分勝手な生き物なのだろう?


 他者を蹂躙してまでも食糧を得ておきながら、自分が蹂躙される立場になると相手を悪だと罵る。

 こちらは最初から与えるつもりだった、分け隔てなく平等に――。

 それをこちらの準備ができるまで待つこともできず、他人に奪われることを拒み独り占めしようとしたのは他ならぬ人間だ。

 アイビーはまだこんなクズどものために食糧生産課題に取り組んでいる。衛生面や異常気象への対処法、安心して住める住居――とありとあらゆるものを用意している。

 かつて、アイビーはとある地区の付近に自給自足できるように小さな村を作った。村と言っても大きなガラスの球体によって囲まれた大きな建物だ。

 清潔な水も汚染されていない食糧も動物も何もかも用意した。それも科学知識のない、文字が読めない彼等にでも扱えるような簡単な仕組みで作った。万が一壊れても教えればすぐに、彼等でも修繕できるほど簡単な仕組みだった。本当に自給自足ができる楽園。

 けれども、人間たちはそれを信じなかった。楽園の悪魔が何かを企んでいると――自らの手で楽園を壊し、アイビーまでも殺そうとした。アイビーは抵抗しなかった。ただ黙ってみていた。だから、あたしがアイビーを連れて逃げた。

 逃げた先でアイビーが作った小さな楽園が壊されていくのを見ていた。水を浄化する装置も、せっかく用意した薬も何もかも壊していく。建物に使われた鉄や鋼材などをボロボロに壊し、別のものへと変えた。養殖のために用意した生き物もすぐに殺して食べてしまった。服を作るのに必要な植物も、これから実る植物も全て燃やしてしまった。

 そして、彼等はあるだけの食糧や物資を奪い合うために殺し合った。異常気象や疫病から身を守るための建物も壊し、薬も何もかもドブに捨てた。

 結果、彼等は飢えて病で苦しみながら死んだ。

 反撃もせず、言い訳もせず、ただ彼等を救う方法を探すアイビーさえも攻撃する人間なんて死んでしまえばいい。あいつらは生きる価値もない害虫だ。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて死ねばいい。


「……アンディ、うるさい害虫を駆除して」

 うるさいと耳を塞ぎながら彼女は魔獣へと指示を出す。そして、自らはその場から離れた。

 同時に彼女の傍にいた魔獣がスラッシュへとあぎとを向ける――。すぐさま迎撃しようとスラッシュが引き金を引く。だが、銃声が響くことはなかった。

「ぐぎゃっ!?」

 無様な声と共に水飛沫があがるような、水が湧きだすような音が響く。固い肉を獣が食らう音、骨を砕く音と共に租借音が彼女の耳に届いた。

「さて、他の子たちも片づけたかしら……?」

 赤い血だまりに染まった通路を彼女は歩く。赤い血だまりの中には肉片と白い物体が混じっていた。他にも黒い毛髪や人間の者と思われる体の一部が落ちている。それをまるで小石でも蹴るかのように蹴り飛ばし、彼女は歩く。

 人々の悲鳴さえも消えた戦場――いや、戦地で唯一息をするのは魔獣たちだけであった……。




 かつて人々が安全のために作った楽園。そこに安全に辿りつけるようにと彼等は地下通路をも作っていた。地下通路は完成していたが、完成したことを当時は発表されなかった。

 それというのも発表前に世界は退廃を始めたからだ。また、地下通路のことを知っていた者たちも目まぐるしい世界の変化にそのことを忘れてしまった。

 今、この楽園へと通じる地下通路を知り、利用しているのは楽園の者だけだろう。

 もし、ホープの者たちがこの通路のことを知っていれば、楽園は負けていたかもしれない。そんな通路を通り、彼女は楽園への帰路を急いだ。一刻も早く伝えたいことがある、伝えたい人がいる。会いたい人がいる。

 周りの景色もすっ飛ばし、見慣れた道を走り抜けた。愛しい父の元へと辿りつく。

 部屋の半分を占める大きな機械。楽園であるこの塔の中枢コンピューターだ。稼働しているため黒い面には色とりどりのランプが点灯しては消える。

 彼女にはある程度、中枢コンピューターが何をしているかがランプの色で判別できる。今はこの楽園の気温と電気の管理を行っているだけだ。気温の管理をするために中枢コンピューターには人の体温を察知する機能がついている。大体二十六か七前後で設定されているのだが、今日はいつもより暑い。

 最も今の彼女にはどうでもよかった。

 中枢コンピューターから出るコードの一部とつながった椅子が部屋の中央に一つ。その椅子には一人の男性が腰かけていた。

 くすんだ金髪に、皺だらけの顔。眠っているのか、深く目を閉じている。

「パパぁ~」

 彼女は子どものように笑いながら男性へと近付いた。

「タイガービル地区とイーグルアイ地区を壊滅させてきたよぉ。これでもうちょっとだね。害虫全部退治したら、パパの望んだ平和な世界が――」

 子どものように喋りながら男性へと近付いた彼女だが、異変に気付く。男性は身じろぎ一つしない。眠っているにしては様子がおかしい。

 何かの異変を本能的に感じ取った彼女はじっくりと男性を観察する。胸元を見ると全く動いていない。呼吸をしていればかすかにでも胸元が動いているはずだ。

「パパ?」

 顔色を見た。血の気がなく青い。いや、白すぎるのだ。

「パ、パ……?」

震えた手で彼女は彼の首筋に触れた。

「脈、ない……。呼吸、してない……。冷たい……目……」

 指先を通して伝わる感触が物語る事実に彼女は立ち尽くす。中枢コンピューターは父の体温を察知して管理していた。

 異常に下がった体温に反応して部屋を温めていたのだ。そのせいか、死後硬直が早い。

「アイビー! アイビー!」

彼女は狂ったように叫ぶ。

「パパを助けて! パパを助けてよ! アイビー!」

 突如として彼女は頭を抱え込み、その場にうずくまる。

「アイビー! またパパをマザーコンピューターとつないで! パパを助けてよ!」

 本来ならばとうの昔に寿命を迎えているはずの命を自分のわがままで延命させた。それを行ったのはもう一人の自分だ。彼女には機械は扱えない。科学技術もわからない。

 だからこそ、もう一人の自分に頼るしかなかった。祈るようにもう一人の自分に懇願する。

「アイビー!」

 だが、いくら叫んでも反応はない。今の時間は彼女も起きているはずだ。そう、彼女が起きているのに無理やり押しやった。

「アイビー! なんで出てこないの!? 出てきてよ!」

 出てこないもう一人の自分に声をかけて気付いた。自分は先程、彼女の目の前であの盗人である害虫を死に追いやった。それが原因だと気付いた彼女はもう一人の自分に問いかける。

「アイビー……? 怒っているの? あの害虫、お気に入りだったの? ごめん……ごめんなさい……。アイビー、許して……。パパを助けてよぉ、アイビー……」

 黄金の目から大粒の涙がこぼれる。全身から力が抜ける。

「アイビー、ごめんなさい……。パパを、助けて……」




****




 かつて人類は史上に示さぬだけで何度も絶滅の危機に瀕した。だが、人は何度もやり直した。史上に刻まれぬ歴史の中にも、また人類の歩みがある。

 よく読む本に刻まれた言葉を黄金の瞳で見つめながら、彼女は静かに一人で時を過ごす。自分の触れぬ人の世がいかになったのか、彼女は知ろうともしない……。


 そのつもりだった。それというのも、自分が人間ではないからだ。人を止めた自分が人の世に関わるべきではない。

 けれども、世界はめまぐるしく変わる。自分が犯した、父が犯した、人間が犯した業が世界を変えた。だからこそ、目をそらすわけにはいかなかった。

 人類は滅びた――。

 いや、わずかに生き残った人々は魔獣を喰らいながら世代を重ね、環境に適応するように肉体を組み換え、新たな人類となった。

 また、この惑星も姿を変えて、新たな生き物が生まれた。それは見たこともない生き物でもあれば、かつて存在した動物と類似したものでもあった。

 かつての面影はどこにもない。新たな生命がこの惑星で命の糸を紡ぐ……。


 かつてもう一人の自分が奪った命以上に多くの命を育もう。

たまにそっと外に出て、新たな人類に知恵を、技術を授ける。

いつしか、自分は蒼の女神と呼ばれ、一部の人類からは信仰されるようになっていた。


 救えなかった人間たちのために、救いたかったのに何もできなかった者たちの思いを胸に――永久の命を得た青い髪の化け物は世界を優しく見守る――。


 新たに育まれた八つの人類を静かに見守る――。





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