第6話「ドナー」

-01-

私の母様はとても優しい方でした。


私の家には父様がいません、

どこか遠くで暮らしていらっしゃるのだけれど、私は生まれてから一度も会った事は無く、私は母様一人に育てられました。


だからと言って、一度も不自由をした事は無く、

母様は何時でも美味しい食事と綺麗な洋服を私に与えて下さいました。


小さい頃は、優しく本を読み聞かせ、眠らせて下さいました、

何時でも私の健康に気を遣ってくれて、私の事を本当に美しい娘だともてはやして下さいました、

家の用事を言いつけられた事は無く、私はただ健やかに育てば良いと言い聞かせて下さいました。


ただ、男の人とのお付き合いにはとても厳しくて、彼氏を作る事は許して頂けませんでした。




-02-

高校生になったある夏休み、母様は私を別荘に連れて行って下さいました。

とても空気の綺麗な山里の、少し山道を奥に入った美しい湖の傍のコッテージで、

夜空には一面の銀河を望む事が出来ました。


私はそれまで余り旅行に出かけた事が無かったので、色々な目新しい物や綺麗な風景に直ぐに夢中になってしまいました

母様は楽しそうな私を見て、とても満足そうに笑っていらっしゃいました。


二日目の晩、母様が初めて私にワインを勧めてくださいました。

それは特別なワインで とても甘い不思議な飲み物でした。

私はとても楽しい気分になって、母様はとても美しい音色のレコードをかけて下さいました

いつの間にか私は眠ってしまっていた様でした




-03-

母様が運んで下さったのでしょう、

気が付くと、私は薄暗い部屋のベッドの上に横になっていました

暖炉の様にチラチラと揺れる火が、天井に影のダンスを映し出すのが見えました。

私は暫くの間、じっとそれを眺めて過ごしました。


やがて、何か別の影が 部屋の中を走るのが見えました。

私はベッドの上で起き上がり、暗い部屋の中を見渡しました


よく見ると其処は、驚くほど殺風景な何も無い部屋でした

暖炉の火の様に見えたのは、小さなキャビネットの上に置かれたアルコールランプの炎で、

部屋には、私の眠っていたベッドの他には、その小さなキャビネット以外何も置かれていませんでした




-04-

そして私は、何も無い部屋の隅に積まれているシーツを見つけました。


目を凝らすと、そのシーツは緩やかに呼吸するように微かに動いているように見えました

私はもっと良く確かめる為にベッドから降りようとして、

そこで初めて、私の足首に鎖が巻かれている事に気が付きました。


鎖は私の足首とベッドの柵とに括りつけられていて、私がベッドから離れられないようにしていました。


私が怖くなってその鎖を引っ張ると、

ジャラジャラと大きな音を立てた鎖に驚いたかの様にシーツの塊が部屋の隅を動き回り始めました


シーツの裾からは、長い髪の毛のようなものがはみ出していて、

確かにその中に生き物に違いないものが潜んでいる事をうかがわせました。




-05-

私は怖くなって、大きな声で母様を呼びました。

しかし、いくら叫んでも母様は返事をしてくれません。


一体何事が起きているのか判らなくなって私はとうとう泣き出してしまい、

やがて、私が動けない事を知ったシーツのお化けは ゆっくりと私の方へと近づいて来はじめました。


それは、シーツの隙間から大きな目だけを出して、じっと私の方を睨んでいました。

私はどんどん恐ろしくなって声も出せなくなり、息を止めてそれを見つめ返しました。


シーツの中から覗いていたのは、どうやら小さな子供の様に見えましたが、

その顔には皮膚が無く、どす黒く血管の剥き出しになっている様でした。


笑っている様にも見える口元は剥き出しになった歯茎で、鼻のあるべき処には、けた肉の塊がぶら下がっています。


私は恐怖の余りそのモノから目が離せなくなり、

涙を流したまま、この後一体どうなってしまうのかと震えていました




-06-

やがて、そのモノは怯えた豚の様な叫び声で鳴き始めました。

その異様な声を聞きつけたのか、とうとう母様が駆けつけて下さいました。


母様:「一体どうしたの?」


私は、恐怖の余り声の出し方を忘れていました。

何もしゃべれない私の代わりに、その奇妙なシーツの生き物が、豚の様な悲鳴を上げながら母様に近づいていきます。


信じられない事に、母様はしゃがみ込んで、その化け物を抱きとめました


母様:「怖かったのね、もう大丈夫よ。」


母様は、とても優しくその生き物を抱きしめていました

私には、何が起こっているのかわかりませんでした。


母様:「目が覚めてしまったのね、お前がこの子を驚かせたの? なんて酷い子でしょう?」


私を見る母様の目はとても冷たく、暗い瞳の奥には一欠ひとかけらの慈悲さえ無いようでした。


母様:「あのまま眠っていれば、お前も苦しまずに済んだでしょうに、全くしようの無い娘だね。」


私:「母様…」


私は、それだけを言うのが精一杯でした




-07-

母様:「この子の姿を見たのかい、お前の目にこの子はどんな風に見えた? この子は醜いだろう? 皮膚は焼けただれてくっつき、大きくなる事も出来ずに骨は歪み、動くたびに裂けるから全身はいつも臭い血と膿で汚れている。 どんなに痛いだろう、どんなに痒いだろう。 お前にこの子の苦しみが解るかい? この子は、お前のお姉さんなんだよ。 まだ小さい子供の頃に大きな事故にあって、こんな不憫ふびんな姿になってしまった。」


姉さん? 私に姉様がいるなんて事は、これまでに一度も聞かされた事はありませんでした。

私は、母様に抱きかかえられたシーツの塊をまじまじと見つめました。


裂けた皮膚から流れ出した血がシーツを染めていくのを アルコールランプの炎が照らし出していました。


母様:「かわいそうだろう。」


私は、母様が涙を流すのを見て そのシーツに包まれているモノが本当に私の姉様なのだと言う事に気が付きました。




-08-

母様:「お前は今日まで何不自由なく暮らしてきた。 だから今日からはお前はこの子と交代するんだ。」


私には、母様が言っていることが判りませんでした。


母様:「これから、お前の脳味噌と、この子の脳味噌を入れ替えるんだよ。」


母様:「私は、その為にお前を生んだんだ。 そして今まで。傷一つ付ける事の無い様に大切に育ててやった。 全ては今日、この子にお前の美しい身体を与えてやる為だったのさ。」


私には、母様が言っていることが判りませんでした。


母様:「さあ、もう一度麻酔をかけて眠らせてやろう。 今度目覚めた時は、お前はすっかりこの子と入れ替わっているよ。」


私:「いや、止めて、母様!」


私は、ようやく我に帰って、大きな声で叫びました。


母様:「お前は、もう喋る必要は無いんだよ。 その美しい声はこの子のものだ。 これからはお前が豚の様に鳴けば良い。」


母様は、キャビネットの上から注射器を取り上げると、ゆっくりと私に向かって近づいてきました


私:「お願い、母様、止めて!」


母様の目は、私の事を見ていませんでした。 その眼窩がんかはただ虚ろな暗い洞の様で、




-09-

私は思わず後退り、ベッドから転げ落ちてしまい、その弾みで鎖を結び付けていたベッドの柵が曲がりました。

私が力いっぱいに鎖を引くと、間一髪で鎖は、ベッドの柵から外れて、私は自由になりました。


私は、裸足のままで別荘を飛び出していました。

足の裏が傷だらけになるのも構わないで、暗い石だらけの山道を走り続けました。


後ろから、母様が何か叫びながら追いかけてくるのが聞こえました。

私は構わずに、振り向きもせずに、走り続けて、


私は、急に地面を失って、真っ暗闇の中を落ちてしまいました。




-10-

やがてどこか、何か硬い岩の上にぶつかって、

鋭く尖った枝の上を転がって、

ざらざらの砂の上を滑りました。


どうやら折れたらしく、脚は思う様に動きません。

震える指も、見た事も無い方向に曲がったままでした。

唇には熱い鉄の味が広がり

目は涙で滲んで何も見えません。

頭は割れて血が流れ出してきているらしいのですが、

不思議な事に、それ程痛みを感じる事はありませんでした。




-11-

やがて、誰かが私の身体をひっくり返して、仰向けに寝かせた様でした。

その人は、はあはあと息が荒く、獣のような匂いがしました。


母様:「全く、こんなにボロボロになっちゃ、使い物にならないじゃないか。」


母様の声でしゃべるその人は、

それだけ言うと、それっきりどこかへ行ってしまいました。




-12-

朝が来て、私は山道を通りかかった子供に見つけられ、

それから病院に運ばれました。


私は一命を取り留めましたが、10m近い高さの崖から落ちてあちこちを損傷し

歩けない身体になってしまっていました。




-13-

あれから5年、

母様の消息は知れなくなって、私は施設に預けられる事になりました

幸い傷は目立たなくなり、一番深かった頭の傷も、髪の毛に隠れて判らなくなっています。


実は随分脚も良くなって、少しは歩けるまでに回復していたのですが、今でも私は車椅子の生活を続けています。


時々。どこかから母様が私の事を見ているような、そんな気がして、

元気になった事を知られたら、また…

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