第2話「食罪」

腹が痛くて目が覚めた。

シクシク痛い、

脂汗が出るくらい痛い、

呼吸が浅くなって、

目を開けてるのに何を見てるのか判らなくなるくらい痛い。



一人暮らしだから、こういう時は辛い、

誰にも甘えられないからだ。




僕の心の声:「何か、変な物食べたかな…」


昨日食べた物を思い出そうとするが、…良く思い出せない。



ちょっと、治まった、

この隙に本棚に置いた薬箱から胃腸薬を探す。




僕の心の声:「確か、苦い胃腸薬が有った筈…」


水道水で喉の奥に…クスリを流し込む。




僕の心の声:「今日は、会社は休もうかな、」


でも欠勤の連絡を入れるには、まだもう少し時間が早い。


軽くシャワーを浴びて、ラフな普段着に着替えて、

僕は近くの小さな町の病院にでかける。




僕の心の声:「医者に来る位だから、決してずる休みじゃないよな。」


でも受付が開く迄には、まだもう少し時間がある。


よれよれになった診察券と保険証を 診察券入れに投入して、

僕は待合室のソファに腰掛ける。




不思議な事に、

大体いつも、病院迄来ると具合の悪かったのが治まってしまう。


今迄騒いでたのが、大袈裟だったかの様に思えて来る。


せめて、もう少し痛くなってくれないか等と願ったりする。




気がつくと…

何時の間にか 狭い待合室は大勢の人で溢れていた。



苦しそうに咳き込んでる人、

ワザとらしく咳き込んでる人、

学校に行く前の学生らしい姿も在る。



受付の人:「望月サン」


僕の心の声:「あっ、僕の番だ…。」




小柄で眼鏡をかけた白衣の先生の前に座る頃には、僕のお腹はもうそんなに痛く無くなっていた。



先生:「今日は、どうされました?」


僕:「ちょっと、お腹が痛くて…」


先生:「ふむ、診てみましょう、」


初老で白衣を着た小柄な先生が 冷たい掌で僕のお腹を探る。



先生:「…、」


何度か、お腹の周りを行き来した後、



先生:「ちょっと、横になってみましょうか。」


診察室の隅にある 白くて四角いベッドに 僕を寝かせると、

…先生は再び触診する。



先生:「痛かったら、言って下さい。」



何だろう、期待に応えられなくて申し訳ないが…それ程痛くは無い。


むしろ、先生に腹をマッサージされて少し気持ち良かったりする。



先生:「どうですか?」


僕:「うーん、今は そんなに痛く無いです。」


先生:「ふーん」



先生は、何だか気になる所が有るらしい、

何度も、同じ場所を行ったり来たり触診する、

それで、時折 くーっと深く押す。



僕:「押すと、ちょっと、…イタいです。」


先生:「ふーん」


先生:「念の為に レントゲン撮ってみましょうか。」


先生:「朝、何か食べました?」



僕:「いえ、腹が痛くって それどころじゃなくて…」


僕は診察室の時計を見て それどころじゃなくなっていた。


もう、会社が始まっている時間だ。主任もとっくに出社しているだろう。



僕の心の声:「早く連絡しなきゃ…」


先生:「昨日は、何時頃に食事しました?」


僕:「えっと、よく覚えてないんですが、多分10時頃だと思います。」



先生:「川崎サン、造影剤の用意。」


先生は僕の心配事など他所よそに、奥の部屋の看護師さんに何か伝えている。







看護師:「望月サン、こちらに来て下さい。」


看護師:「上は全部脱いで、ズボンも脱いで、この服に着替えて下さい。」


何だか、青い布切れを張り合わせただけの浴衣の様な服だ。


後ろで2カ所、紐をくくる様になっている。




レントゲン室に入ると、宇宙飛行士が訓練に使う様な機械が置いてあった。



先生:「この台に背中をくっ付けて立って下さい。」


僕:「どこか、変なんですか?」


先生の表情に緊張感が漂い、僕はちょっと心配になる。



先生:「直ぐに、判りますよ。」


胸の前に四角い箱(おそらく中にカメラが入ってる)がセットされる。



先生:「バリウムを飲んだ事有りますか?」


僕:「いえ、無いです。」


先生は大き目のプラスチックコップに 白くてとろみの有る液体をたっぷり注いだ物を僕に手渡す。



先生:「先ず大きく一口、口に含んで。」


言われた通りに、

少し冷えていて、甘みの有る、ヌラッとした液体を口一杯に含む。



先生:「一気に、飲み込んで。」


そうは言っても、そんなに簡単にのどを通って行かない。

コクリ、コクリと無理矢理飲み下す。


不味いとは言わないが、決して気持ちの良い飲み物ではない。



先生:「じゃあ、残りも全部飲んでしまいましょう。」


何だか、シロップ入りの石膏を飲んだらきっとこんな感じだろう…という味である。


僕は、言われるままに無理矢理それを食道に流し込む。



先生:「じゃあ、今度はこれを持って」


小さな おちょこ位のコップに、白くて細かな粒粒がいっぱい入っている。

もう一つ渡された小さなコップには、透明な液体。



先生:「粉の方を口に含んで、液体で流し込んで下さい。」

先生:「酸っぱいですよ、それと、混ぜるとガスが出て膨らみますから、一気に飲み込んで、絶対にゲップしないで下さい。」



半信半疑に、粉を口に含む。

何だか、ラムネっぽい味がする。


それで、レモン汁の様な液体を口に入れると、一気に口の中で膨らんだ。



先生:「我慢して、そのまま飲み込んで。」


目が白黒するとはこの事だ、口の中はどんどん膨らんで来る。

今にも破裂しそう。 いや、漏れてしまいそう。


僕は、漸くそれを胃の中に飲み下す。



先生:「じゃあ、台の横のレバーを握って、リラックスして下さい。」

先生:「台が動きますから。」



それからが、また大変だった。


流石に宇宙飛行士が訓練に使う様な機械だけの事が有って、台は上下左右、自由自在に回転する。


水平になったり、その台の上でグルグル回転したり、頭が下になる位ひっくり返されたり、横を向いたり、うつぶせになったり、


しかも、しっかりと閉じた口からは、今にも炭酸ガスが漏れそうなのを必死に堪えている。



先生は、僕に次々と指示を出し、

僕は芸を仕込まれた小猿の様に、忠実に指示に従ってドタバタ回転する。



先生:「はい、もうゲップしても良いですよ。」


元の位置に戻った僕に、先生は漸くお許しを下す。

が、何だかゲップは引っ込んで、暫く出てきそうにも無い。



僕:「何か、判りましたか?」


先生:「ふむ、…川崎サン、大学病院に連絡して。 事情は僕から説明するから。」


大学病院? 搬送? 事情?



僕:「先生、何か悪い所が有るんですか?」


先生:「大丈夫だから、…心配しないで。」



果たして僕は、変な服を来たまま、到着した救急車の前迄歩き、救急隊員が展開したストレッチャに自力で這い上がると、そのまま固定されて…


救急車に載せられた。



僕の心の声:「へー、救急車の中って、こんなになってるんだ。初めて見た。」


いや、それどころじゃないだろう、


僕は、何かとんでもない病気だったのか?

唯の腹痛だと思っていたのに、

ちょっと、一日休みが取れれば、それですっかり気が晴れる筈だったのに、



次第に不安が溢れ出し、僕の中を一杯に満たす。



やがてサイレンを鳴らして救急車が走り出す。

そうは言っても安全運転だ。 驚く程に振動は少ない。


救急隊員達がしきりに病院と連絡を取っている。


誰かが、僕の腕に点滴針を刺した。



誰か:「ちょっと、チクリとしますよ。」


何かが、顔に被せられる。…多分、マスクだ。













目が覚めると、病院のベッドだった。


僕の心の声:「一体、何が遭ったんだ?」


相変わらずぼーっとしているが、少し、お腹はすっきりした様だった。



僕の心の声:「あっ、会社に連絡… まっ、良いか。」


何しろ救急車に乗ったのだから、大抵の事は多目に見てもらえるに違いない。




暫くすると、大柄で眼鏡をかけたプロレスラーの様な男が現れた。

白衣を着ているから、…おそらく医者だろう。



先生:「望月サン、貴方のお腹から出て来たもの、見るかい。」


僕:「えっ」


何で、そんな物を見せるのだろう? …と、不思議になる。

いや、勿論見たいのだが、…普通見せないだろう?



数名の医者と 中には医者らしからぬ仏頂面の男達が、僕の周りに押し寄せる。


トレイの上に載せられて、白い布を掛けられた「それ」が運ばれて来た。



プロレスラーの様な先生は、

ここで一度、深い溜息を吐いて、…それから、布を外す。




果たしてそれは、医療用の銀皿に載せられた、


…毛むくじゃらの手首、だった。



僕:「…」

僕の心の声:「何これ?」


先生:「最初は、子供の手かと思ってビックリしたよ。 何でそんな物を食べたのか、」


先生は難しそうな顔をして、イヤ…もしかすると笑いを堪えている様な顔をして、

再び口を一文字に結ぶ、



先生:「これは猿か、何かかな? 造り物で無い事は確かだ。指の骨も血管も神経も、筋肉も残っていた。 皮膚は、胃散で溶けかけていたけどね。」



僕:「えっ、何?」


先生:「世界には猿を食べる国が有るのは知っているよ。 でも、何処で食べたのか知れないけれど、決して勧められた事じゃないね。 …衛生面でも、動物保護の面でも。」


僕は、いよいよ不安になってベッドの上に身体を起こす。



僕:「ちょっと待って、知らない、僕、こんなの知りませんよ。猿なんて、知らない。」


先生:「だって、これは間違いなく貴方の胃の中から出て来たんですよ。 勝手に入るなんて事はないでしょう。 間違いなく、貴方が食べたんだ。」


仏頂面の男達が、咳払いで僕を牽制する。



僕:「本当に、知りません。 僕、猿なんて食べてない。」


先生:「いや、現に貴方の胃の中から出て来たんだから言い逃れ様は無いよ。 然るべき所で、詳しく事情を聞いてもらった方が良いだろう。」




全く、おかしな話だ。


僕は、変な服を着せられたままの格好で、仏頂面の男達に両脇を抱えられて病院の廊下を歩かされる。


証拠の「猿の手首」はビニール袋に詰めて、外から見えない様にタオルでくるんで、別の男が大事そうに抱えている。



全く、身に覚えは無い。


僕の心の声:「そうだ、昨日のアリバイを証明しないと。」

僕の心の声:「昨日の晩は、…何をしていたっけ、」


驚く程 記憶がはっきりしない。



確か、9時頃に主任が帰って、

散々、色々、くだらない事迄、逐一、叱られて、


むしゃくしゃして、

一人で、飲みに行った。


そう、それ位は赦されていい筈だ。



行きつけの居酒屋で、

お一人様で「何時ものメニュー」を頼んだ。


極普通の居酒屋料理だ、

「猿の手」なんか注文した覚えは無い。







僕は、留置場という処に始めて泊まった。


結構、綺麗にしてある。

白い鉄格子がはまった、狭い個室だった。



色々聞かれたが、本当に何も知らないのだから答え様が無い。


「長引くよ」…と脅かされたが、たとえ 本当に「猿の手」を食べたのだとしても、それは、それ程の罪なのか?




結局、猿の被害届も、動物虐待の情報も、虱潰しらみつぶしに調べられた僕の部屋からも、何一つ手がかりは得られないまま…


僕は漸く釈放された。







男性:「それで、結局「猿の手」の謎は解けたのかい?」


行きつけの居酒屋で、たまたまカウンターの隣に座った 人の良さそうな男が僕に酒をいでくれる。



僕:「いや、結局 何も判らないままさ。」


僕は鯨ベーコンをマスタードにまぶして、くちゃくちゃ歯牙んだ。




今でも、たまに脂汗が出る位 腹が痛くなる時がある。

でも、僕は絶対に病院には行かないと心に決めている。


当然、トイレは見ないで流す…。

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