第3話 彼等の真実

 激しい光に飲み込まれたカイリが最初に見たものは、水を吹きだし続ける美しい噴水だった。

 それは景観だけでなく、水の流れる音、飛沫の冷たさ、全てをリアルに感じられ、カイリの視線を釘付けにした。

 カイリが転送されたのは、中央に噴水を置いた広場だった。周囲の町並みは中世のヨーロッパを思わせ、空には鳥まで飛んでいる。

 これで広場の外に通じる全ての通路が、鉄格子で塞がれていなければ完璧なのにと、カイリは心の中でため息をついた。


(全員が揃うまでは移動しちゃ駄目、ってことか)


 そんなことを考えつつ、カイリは再び噴水に視線を向ける。水の流れから、水に反射する自分の姿までもの凄くリアルで、吸い込まれるような錯覚を感じた。


「すごいよね、これでバーチャルなんだから」


 背後から突然かけられた声に振り返ると、十代後半くらいの少女が笑顔で立っていた。

 黒い髪に切り揃えられた前髪、所謂パッツンヘアで、腰まで伸ばされた後ろ髪がゆらゆらと風に揺れている。まさに大和撫子とでもいうべき風貌だ。

 剣をぶら下げているところから察するに、カイリと同じ剣士だろう。


「やっぱり正反対」


 カイリには少女の言っていることの意味が理解できず、首をかしげる。少女はその姿を見て、クスクスと笑っている。


「ほら、私って切り揃えられたストレートな黒髪だけど、君ってツンツンした癖のある銀髪、正反対だなって思って」


 そう、カイリと少女の風貌は、全くといっていいほどに正反対だった。

 温室育ちのお嬢様を連想される少女に対し、カイリの姿は野生児を連想させる。実際に人狼という種族なのだから、この世界では野生児といっても間違いではないだろう。


「君、人間? パーツ的には人間だけど、何というか……、全体的に人間っぽくないのよね」


 少女はカイリに近づき、じろじろと顔を見回す。女の子に顔をじろじろと見られれることに恥ずかしさを感じたカイリは、少女から視線をそらす。


「あ、ごめんね、じろじろ見て。私はシア、本名かどうかは分からないけどね。種族は人間で、職業は剣士よ」


 カイリから半歩下がって自己紹介をする少女。見た目はお嬢様だけど、実際は見た目と違って随分と利発なようだ。


「カイリ、職業は同じ剣士、種族は人狼だ」

「人狼? へぇ……、言われてみれば確かにそれっぽい」


 シアと名乗る少女は、納得したと言いたげにカイリの顔をもう一度まじまじと見つめる。

 カイリは小さく苦笑いを浮かべながら、シアから視線を外しつつ周囲に視線を走らせる。周りには自分とシアを含め、十人程度のプレイヤーがいる。

 カイリが最初にいた教室には、大体五十人程度の人間がいた。全体の総数は分からないけど、まだ全然集まっていないことになる。


(あれだけ遊んだから、もっとクリアしている奴がいると思ってたんだけどな……)


 カイリはスピードクリアよりも、ステージを楽しむことを優先してプレイしていた。だから本来ならもっと早くステージクリアできたはずなのだが、実際にはかなりの時間を掛けている。

 それなのにまだ十人程度しかチュートリアルステージをクリアしていないということに、少なからず驚いていた。


「人が揃うまでまだ時間もあるだろうし、話をしようよ」


 何故自分に、と思いながら自分の以外のプレイヤーを見渡すが、角の生えた厳ついオッサンや妖艶さを漂わせる大人の女性など、確かに声をかけづらい人達ばかりだった。


「分かった、確かに暇だしな」


 そう言ってカイリは噴水の縁に腰掛ける。シアもカイリに並んで座り、足をふらふらとさせる。


「ねぇねぇ、装備っどんな感じだった? 職業同じだから、装備も同じかな? でも性別は違うから、同性能の別物かもしれないわね。でもスキルは同じなのかな? ステータスはどんな感じだったの?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に、カイリは気圧されてしまう。

 とりあえずウィンドウを開き、シアの目の前に移動させるが、肝心のシアは首を傾げている。


「見えないのか?」


 カイリの問いに、シアは『何が?』と言いたげに首を傾げたままだ。

 カイリはこのゲームのウィンドウ画面は、別のプレイヤーには見えないようになっていると判断し、一つ一つ口頭で装備にスキル、ステータスについて説明した。

 シアも自分の装備やスキルについてカイリに説明をする。

 性別の違いからか装備の外観と名称は違ったが、性能は同一のものが装備されていた。

 スキルも職業が同じなので全く同じものを習得していたが、種族の違いからかカイリのスキルは発動速度と回転性能、シアのスキルは速度で若干劣るものの、攻撃力はカイリのスキルよりも高いものになっていた。カイリの習得スキルのような特化型ではないが、全体的にバランスとれた性能といえる。

 そのスキル特性と同じように、ステータスも高速型のカイリに対して、シアはバランス型に設定されていた。

 どうやらカイリの高速型設定は人狼という種族によるもので、人間はバランスのとれた設定になっているのだろう。

 そしてカイリとシアの最大の違い、それはMPの有無である。現時点では魔法の行使の可能性すらみえないカイリに対し、シアは魔法こそ習得していないものの、MPを持っていた。

 これはいよいよ魔法を使える可能性はなさそうだと、カイリは肩を落とす。元々身体を動かして戦うことに楽しみを見いだしていたカイリにとって、魔法はそれほど重要な要素ではないが、使えないと知るとどこか残念に感じられた。

 バランス型の人間が魔法を使うことができるということは、別に魔法に特化した種族がいて、それ以外にも人狼のように特定の能力に優れた種族もいるのだろうと、カイリとシアはそれぞれ考察していた。

 その考察の通り、人間をベーシックなバランス型として、それぞれの能力に特化した亜人が存在している。

 魔法力に特化したエルフ、攻撃力に特化した魔人、防御力に特化した鬼人、特殊能力に特化した妖狐、戦闘能力には乏しいが器用で生産能力に特化したドワーフ、そこにカイリと同じ速度に特化した人狼が加えて六種族。人間を含めれば計七種族となる。

 さらにそこに様々な職業が付加され、各キャラクターの基本性能が決定される。ただし種族によっては付加されない職業も存在している。

 例えば魔法が使えるのはエルフと人間の二種族だけであり、エルフ以外の亜人に魔法職が付くことはない。

 ただし魔法ではないが、魔法に近い特性を持ったスキルを行使できる亜人も存在しており、そういったスキルは逆にエルフや人間には使えず、それに類する職が付くこともない。

 尤もこれらの情報を二人が得るのは、もう少し先の話になる。

 二人が情報を整理している内に時間が過ぎ、広場は人で溢れるほどになった。正確な人数は分からないが、数千人はいるのではないだろうか?

 カイリが若干の居心地の悪さを感じていると、上空に巨大なウィンドウが現れる。そしてそのウィンドウには、仮想現実に入った直後に会った白衣の男を中心に、五人の男が映し出された。


『ようこそ、君達四千八十七人がこのゲームに参加する権利を得た選ばれた者達だ』


 中心に立つ白衣の男が高らかにそう宣言する。どうやらあの五人がこのゲームの管理者で、立ち位置から考えて中心の白衣の男がリーダーなのだろう。

 あんな奴がリーダーなのかと思い、カイリはげんなりと肩を落とす。この素晴らしい世界を作り出したチームの中心人物があんな男で、正直ガッカリしていた。


『まずは自己紹介からさせていただくとしよう。我々はイリュージョンズカンパニー日本支社、研究開発課に所属する研究者だ』


 イリュージョンズカンパニーとは、バーチャル技術を専門に扱う企業だ。関連商品のシェアは世界でもトップであり、仮想現実を世界で始めて完成させたことでも有名だ。

 なるほど、イリュージョンズカンパニーほどの大企業ならば、こんな大掛かりなことを行うことも不可能ではないだろう。


『さて、チュートリアルをクリアできなかった百七人には、早々に退場していただいたわけだが、あの程度のステージをクリアできない者には用はない。より良いデータ収集も見込めないだろうからね』


 退場という言葉を聞いて、カイリは少し疑問に思う。普通に考えればログアウトしたということになるのだろうが、白衣の男の言い方に少し違和感を感じたのだ。

 何よりこれだけ大勢の人間を集め、記憶を消すことまでしたのに、早々に手放すなんてするだろうか? もしかして自分は、何か大切なことを見落としているんじゃないだろうか?

 そんなことを思い、カイリは微かな不安を抱いた。


『おっとすまない、どうやら不安にさせてしまったようだね。退場したといっても別に特別なことは何もしていない、ちゃんとしかるべき場所に、しかるべき方法で保管しているよ』


(保管?)


 白衣の男の言葉に、さらなる不安を感じるカイリ。シアを含めた他のプレイヤーも同じようで、不安そうにウィンドウを見つめている。


『うむ、研究者としては優秀だと自負しているのだが、どうも人と話をするのは苦手でね』


 白衣の男は顎をさすりながら、そんなことを言う。

 プレイヤー達はこの状況に我慢ができなくなり、ウィンドウに向かって怒声を放つ。多くのプレイヤーが一度に大声を出したため、誰が何を言っているのは全く理解できない。

 それは白衣の男も同様だったようで、男はめんどくさそうに右手を掲げ、指を鳴らす。すると周囲を満たしていた怒声がピタリと止む。

 最初に会った時と同じように、声を封じたのだろう。


『これで静かになったね、それでは話を続けよう。まず君達の言っていた言葉の中に、『人権』とか『犯罪』といった言葉があったが、これについては何の問題もない。なぜなら今の君達に人権なんてものはなく、何をしようと犯罪として立件することは不可能だからだ』


 そのセリフを聞いたカイリが真っ先に思ったことは、『やっぱりか』だった。ショックといえばショックだったが、元々訳ありの人間ばかりを集めているのであろうことは予想していたこともあって、周囲のプレイヤーほどのショックは感じていない。

 そんなカイリの心情を知ってか知らずか、白衣の男は言葉を続ける。


『そのことについて話をする前に、君達には今記憶と呼べるものが存在していない。その理由について説明させてもらおう』


 記憶喪失、すぐに考えることをやめたが、これについてはカイリも引っかかっていたことだ。

 普通にゲームをプレイをするうえでは、記憶を消す必要は一切ない。それに人間の記憶を消すような技術を開発したなんて話は、聞いたこともなかった。

 一度は考えることを止めたとはいえ、カイリもこのことについては気になるのか、白衣の男の言葉に耳を傾ける。


『我々イリュージョンズカンパニー日本支社は、拡張現実が実装されてから家庭用ARマシンの貸し出しを行ったことがある。そのARマシンには、人格収集プログラムというシステムが搭載されていた』


 人格収集プログラム、それはイリュージョンズカンパニーが仮想現実完成のために開発した実験用プログラムの名称だ。

 ARマシンを使用する人間の情報、思考や行動、好みなどを収集し、それを基にしてAIプログラムを形成する。このプログラムを用いれば、その人間の複製というべき人工知能を作り出すことすら可能だ。欠点といえば、その人間が持つ記憶までは収集することができないことだ。

 そう、カイリを含めたこの場にいる者達は記憶を消されたのではない、元から記憶を持っていなかったのだ。持っていた知識についても、一般的な教養のデータをあらかじめ入力されていたに過ぎない。

 彼等は人格収集プログラムによって作り出されたAI、人権など存在せず、何をしても犯罪を立件することは不可能な存在。

 この衝撃的事実にはさすがにカイリもショックを受け、呆然となり白衣の男が映し出されているウィンドウを見つめている。


『我々は拡張現実の研究と平行して、新たな仮想世界である仮想現実の開発にも取りかかった。そして仮想現実の完成には、様々な実験データが必要なことが分かった。しかし何があるか分からない未完成世界の実験に、一般の人間を使うわけにはいかない。そこで我々は考えた、一般ではない人間を作り出してしまえばいいと! 人間と同じ思考回路を持ち、行動する存在を! しかも、AIならば現実の肉体に縛られることなく、永遠に仮想空間に存在し続けることができる!』


 白衣の男は両手を高らかに挙げ、興奮気味にそう言った。

 カイリを含めたプレイヤー達は皆、呆然と立ち尽くしている。


『そうそう、そんな肉体を持たない君達に、ピッタリの名称を思いついたのだよ。インコンプリーターだ。どうだい、不完全で中途半端な君達にピッタリだろう?』


 まずIncompleteというのは白衣の男が言ったように、『不完全』や『中途半端』を意味する単語だ。そこに『Player』と同じように『er』を付けたわけだが、これには一つ大きな問題がある。『er』は『~する人』という意味で使われ、『Player』は『プレイする人』という意味になる。

 これ照らし合わせて『Incomplete』に『er』を付けると、『不完全をする人』『中途半端をする人』となってしまうため、単語の意味として成立しない。

 では何故白衣の男は『Incompleter』などという言葉を使ったのか、それはそんな単語が存在しないからだ。

 肉体を持たず不完全で中途半端、そして現実には存在しない者。そんな皮肉を込めて、白衣の男は彼等をインコンプリーターと呼んだのだ。


『さてインコンプリーター諸君、君達の運命は我々に握られている。しかし我々も鬼ではない、慈悲だってある。そこでだ、君達にもチャンスをあげよう。一年だ、一年以内にこのゲームをクリアすることができれば、この世界に永住する権利を与えよう。この空間の永遠の存続を、我々が約束しよう』


 永遠に、なんていうことはあり得ない。人はいつか死ぬし、モノはいつか壊れる。しかし利用されるだけ利用されて消されるくらいならと、彼等はそんな風に思っていた。一部の者達を除いて。

 その一人がカイリだ。最初こそショックを受けていたとはいえ、元々リアルの状況になんて大して興味もなく、ただ楽しみたいと思っていたカイリにとって、この状況はむしろ喜ばしいことであった。

 彼の基となった人間が、いったいどのような人生を歩んでいたのかは分からない。それでもきっと、今の自分は基となった人間よりもずっと幸せな状況にいるのだと、そんな風に思っていた。


『このゲームのクリア条件はボスモンスターの討伐だ。この世界にはダンジョンとフィールドで、合わせて十三体のボスモンスターが存在する。その全てを討伐すればゲームクリアとなる。が、十三人が一体ずつを倒してもクリアにはならない。ちゃんと一人で十三体全ての討伐に参加する必要がある。勿論、一度倒されてもボスモンスターもまたリポップするよ、ゲームだからね。何度でも戦えるから、何度でも倒してくれたまえ』


 白衣の男は笑いながらそう言った。倒したモンスターがリポップするのは、ゲームとしては普通のことではあるが、この状況では少し不自然にも感じる。

 尤もカイリにとっては、一度倒したら二度と戦えなくなるなどというつまらない状況にならないというのは、逆にありがたいものであるのだが。


『それと、ボスにたった一回だけ攻撃して討伐に参加した扱いにする、なんて卑怯なやり方は通じない。ボス戦で討伐に参加したとみなされるのは、攻撃回数やダメージ、スキル発動数などからシステムが功績を認めた五人のみだ。それ以外の者は経験値・金貨・アイテムも手に入らないから注意してくれ』


 今の白衣の男が放った言葉に、多くの者達が悪意を感じた。

 要するにどれだけ頑張ってボスを討伐しても、功績が認められなければ完全な無駄足になってしまう。功労者が分配をすればアイテムや金貨は手に入るが、拒まれればそれも望めない。

 本来ならば受け入れがたい事実なのだが、勿論カイリにしてみれば大歓迎の面白い趣向だ。カイリ以外の何人かも、この事実を聞いて密かに笑みを浮かべている。尤もカイリとは全く別の感情を抱いている者もいるのだが。

 カイリのような特殊な者を除いたその他大勢にとって、せめてもの救いは単純にダメージ総量で功績を判断するわけではないことだ。ダメージのみで功労者が決まるとなれば、後方支援型は討伐に参加する意味がなくなってしまう。管理者側もそんなことは望んでいないので、この形式が取られている。


『それと単純にゲームクリアを目指した、型通りの進行をされたんじゃデータ収集にならない。そこで少しばかり趣向を凝らせてもらった。まず一つはクリア報酬なのだが、一番最初にこのゲームをクリアした者に、このゲームの管理者権限の一部を譲渡する』


 白衣の男がいったい何を言っているのか、大半の者達はその真意を理解できずにいた。しかしカイリは理解し、同時に心を踊らせた。


(要するにその管理者権限を巡って、俺達に争えってことだな。うん、面白い)


 そう、白衣の男はたった一つの管理者権限の奪い合いを、彼等にさせようとしている。たった一部とはいえ、ゲームの管理者権限を手に入れるということは、このゲーム世界をコントロールする権利の一部を得るということだ。それはこの世界の支配者になるのと同義である。


『さて、それじゃあ管理者権限で実行可能なことの一部を教えておこうか。先ほど、チュートリアルステージをクリアできなかった者がいることは話したね。彼等をこの世界に召喚し、従えることができる』


 白衣の男が言った『従える』という意味を、正確に理解した者は少ない。そんな中でカイリは男の言った言葉の意味を、ある程度まで正確に理解していた。

 カイリは教室らしき空間にいた際、白衣の男の性格をそれなりに掴んでいた。そしてあの時、白衣の男がカイリにさせようとしたことから考えても、碌でもない権限が与えられるだろうことも把握していた。

 ただし、カイリ自身は碌でもないと思うようなものでも、他の者も同じように考えるとは限らない。事実として、白衣の男た放った言葉の意味を理解した者の中には、明らかに目の色が変わった者が少なからずいた。


(まぁ、これでこの世界の生活に張り合いが出るなら、悪いことじゃないかな)


 管理者権限の一部とはいえ、訳の分からない報酬のために本気にはならない者もいるだろう。これでそういった者の内の何人かが本気になるのなら、カイリにとっては悪いことじゃない。


『面白い趣向はこれだけじゃない。二つ目はこの世界で死んだ時のことだ』


 白衣の男が放ったその一言に、彼等の多くが顔色を変える。わざわざこのタイミングで言うのだから、普通に復活するなんてことはあり得ない。

 ならどうなるのか? もしかしたらAIデータを削除されてしまうのか? 彼等はウィンドウを見つめたまま顔を青くしている。シアもだ。行動不能になったら死ぬ、そんな風に思っていた。

 しかしカイリは違った。白衣の男は先ほど、『チュートリアルステージをクリアできなかった者達を、しかるべき場所に、しかるべき方法で保管している』と言っていた。

 つまりチュートリアルステージをクリアできなかった者達は削除されていない。役に立たないと判断された者ですら消されていないのなら、有用と判断された者を消すはずはない。

 この世界で行動不能になったとしても、削除されずにチュートリアルステージをクリアできなかった者達と同じ場所に保管されることになるだろうと、カイリはそう推測していた。

 チュートリアルステージをクリアできなかった者達は、クリア報酬の管理者権限を使って召喚・従えることができる。つまりこのゲーム内で死ぬということは、ゲームクリアした者の奴隷になるということ。


(でも、なんかしっくりこないな……)


 カイリがしっくりこないと感じているのは、自分の推測ではゲームへの参加人数が減ってしまうことについてだ。

 現時点でも四千人以上の参加者がいる。だから多少減っても問題ないといえば、問題はない。しかしわざわざ人格収集プログラムなんてものを使ってまで集めた実験体を、そう簡単にゲーム世界から排斥するだろうか? 乖離はそれがしっくりこなかった。

 実際にチュートリアルステージをクリアできなかった百七人はこの場から排斥されているが、それは効率的なデータ収集とクリア報酬が絡んだ措置だ。

 正解を導き出せずに悩むカイリ、彼が唯一確信を持てたのは、この世界で死んでもAIデータを消されることはないだろう、ということだ。それ以外のことについては推測をたてることはできても、明確な答えを出すことはできなかった。


『安心してくれていい。この世界で死んだからといって、君達のデータを削除するようなことはしないし、ちゃんとこの世界で復活することができる』


 そう、カイリの考えた通り、この世界で死んでもAIデータが消されることはなく、復活することが可能だ。ではなぜわざわざこのタイミングで死んだ場合のことを口にしたのか?


『ただし、その時はキャラクターデータを全てリセットさせてもらう。レベルも装備も金貨も、ボスの討伐情報もリセットされる。唯一リセットされないのは、この世界で過ごした間の記憶だけだ。さすがに君達から記憶を奪うというのは、気が引けるというものでね』


 キャラクターデータのリセット、大したことがないようにも聞こえるが、これはかなり意地の悪い設定だ。

 序盤ならば数回程度死んだところで、取り返すのは簡単だ。しかしもしも終盤戦、ボスを複数体倒した状態でキャラクターデータをリセットされたら、取り返すのにどれだけの時間が掛かるか分からない。

 さらに、もしもモンスタードロップのレアアイテムを所持していたら、それも消えてしまうことになる。一年間という期間が決められている状態で、この条件は厳しすぎる。

 そしてもう一つ、クリア報酬の存在も問題だ。


(よく考えたもんだな。クリア報酬を手に入れることを考えたら、周りと協力するのが一番だ。だけど報酬はたった一つ、いつ出し抜かれるか出し抜かれるか、怯えながら協力関係を維持することになる。実際に死ぬわけでもなく、キャラクターデータがリセットされるだけなら、罪悪感も薄く裏切る奴も出てきそうだ。しかし面倒くさそうだな……)


 面倒くさそうだとカイリが思うのも無理はない。カイリの考える通り、死なないから罪悪感もなく裏切れると考えている者は多くいるだろう。

 しかし死ぬことがないというのが問題だ。何故なら裏切った相手の口を封じることができない、自らの行為を隠蔽することができないからだ。

 一般のMMORPGでも、悪質なPK行為を行う者が吊し上げられることはよくある。このゲームでもそれが起きないとは限らない。

 だからといって『こいつが裏切り者だ』といった情報を、そのまま鵜呑みにすることもできない。トッププレイヤーを貶めるための情報操作、という可能性も十分にあるからだ。

 そういったことを全て含めて、カイリは面倒くさそうだと思ったのだ。

 しかしカイリは面倒くさいと感じつつも、同時に嬉しくて仕方がなかった。何故ならカイリの考えの中には、出し抜き出し抜かれることもゲームの楽しみの一つとしてあったからだ。

 仲良し小好しでクリアを目指そうなんて、そんなつまらないことはしたくない。たった一つのクリア報酬を得るため、騙し騙されながら戦う。

 最高に面白いと、カイリは胸を躍らせていた。

 そんなカイリの横顔を見ていたシアは、何となくだがカイリの考えが分かっていまい、悩んでいる自分を馬鹿らしく感じていた。

 あのよく分からない状況の中でカイリよりも早くチュートリアルステージをクリアし、その後も楽しげにカイリに声をかけることができたシアも、芯の部分ではカイリに近いものがあった。類は友を呼ぶというが、カイリとシアはこの世界で早々に、似たもの同士で呼び合ったのだ。


『そしてこれが最後だが、君達の中に今、ヒーラーと呼べる存在はいない』


 その言葉にこれまでは比較的涼しい顔をしていたカイリの表情が変わった。そしてカイリの突然の表情の変化にシアも驚く。

 カイリにとってMMORPGに、ヒーラーは必要不可欠といっていい要素の一つだという考えがあった。後方に立って味方を支援するスタイルは、カイリ自身の好みではないが、大切な役回りだということは理解している。

 それなのにヒーラーが存在しないと聞いて、驚きを隠せなかったのだ。

 回復アイテムが存在しているのは確認済みだが、ヒーラーの代わりにはとてもならない。

 が、カイリの表情はすぐに冷静なものに戻る。白衣の男は『今、ヒーラーと呼べる存在はいない』と言った。今はいないということは、将来的にはヒーラーが現れるってことなのか?

 そう思ったカイリは、シアが魔法を一切習得していなかったことを思い出した。


(レベルアップで習得……だといたらあの言い回しは不自然だ。魔法適正のあるキャラクターが、何らかのクエストやアイテムで習得するのか?)


 そんな風に考え続け、僅かな時間で十パターン近いヒーラーの出現行程を思い浮かべた。しかしそのどれもが、確信に至るまでにはならなかった。

 カイリはかなりのスロースターターであるが、一度思考回路が回りだすと、もの凄い思考の回転速度を叩き出す。そんなカイリが人狼という種族になったのは偶然なのか、それとも必然なのか。


『しかし安心してくれていい、ヒーラーはこの場で選出して、職業として付加をさせてもらう』


 白衣の男の言葉にカイリは、『なるほど、そのパターンか』と言いたげにうんうんと頷く。シアはそんなカイリの姿を見て苦笑いを浮かべているが、最初に自分がカイリに矢継ぎ早に話しかけていた時に、カイリが同じ表情をしていたことには全く気付いていない。


『ちなみに、ヒーラー職が付加されるインコンプリーターは、全六人だ。全員で仲良く分け合いたまえ』


 そう言って恒例のフィンガースナップを披露する白衣の男、彼等は呆然とその姿を見つめている。

 この人数の中でたったの六人、少なすぎる。ワンパーティを五人編成として考えても、八百人は欲しいところだ。

 が、ヒーラーの数を不用意に増やしては白衣の男の言ったとおり、『単純にゲームクリアを目指した、型通りの進行』を誘発することになる。

 ヒーラーがいない状況でどう戦うべきか、そういった状況におけるデータも欲しいのだろう。


『声は出せるようにしたから、早くヒーラーを探した方がいいんじゃないかな? このゲームにはパーティにもギルドにも、人数に制限があるからね』


 白衣の男がそう言った直後、広場はヒーラーを探しで大騒ぎになる。

 カイリとシアは『この人数じゃ駄目だろ』と結論付け、お互いに苦笑いを浮かべながら見つめ合っている。

 最初こそヒーラーの存在を重要視していたカイリだが、周囲が慌てふためく姿を見て逆に冷静になり、ヒーラーなしで戦う方法を考える方向にシフトしていた。

 何よりカイリにしてみれば、『そっちの方が面白そうだ』と考えても何も不思議なことはない。

 一応魔法適正があるシアがステータスを確認するが、小さくため息をついて首を横に振る。この場にいる総勢四千八十七人の内、ヒーラー職が付加されたのが六人、ジョブが付加される確率は〇.〇〇一パーセント程度。そう簡単に顔見知りに付加されるわけもない。

 そんなこんなしている内に、六人全てのヒーラーが名乗りを挙げ、ヒーラー捜索に引き続いてヒーラー争奪戦が行われた。

 このゲームのパーティ編成は最大で五人、ギルドはランクによって変わるが、最高のSSランクで三百人が上限だ。仮にヒーラーが一人ずつギルドに所属し、そのギルド全てがSSランクになったとして、二千人以上が溢れることになる。

 このゲームの状況から考えて、一度ギルドに所属したヒーラーが、ギルドの外の者とパーティを組むことはまずあり得ない。

 このゲームを有利に進めるための条件の一つが、ヒーラーを要するギルドに所属することだといっていいだろう。

 そんな状況下で行われる大騒ぎを華麗に無視し、カイリはヒーラーなしで戦う場合の最善策を考えるため、自分のステータスを改めて確認しようとウィンドウを開く。

 そしてそこであることに気付いた。ウィンドウのキャラクター表示画面、職業の項目が変更されていた。

 そこにはこう表示されていた。


        ≪治癒剣士(ヒールブレイダー)≫

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