16
朝、起きると、おかみさんはあたたかいスープを出してくれた。朝に肌寒さを感じるようになると夏ももう終わりだという実感がわいてくる。しかしこのとき、スープを飲んではじめて、ぼくたちの体がどれだけ温かい飲み物を欲していたかがわかった。スープを飲んでいるあいだ、僕たち3人はひとこともしゃべらなかった。実を言うと僕は、混乱していたのだ。自分の音と、自分の光をさえぎる何かが消え去った今となっては、僕の目に映る何もかもが、新鮮でさえあった。僕はおかみさんと目を合わせただけで、おかみさんの意識が僕の中に流れ込んでくるのを感じることが出来た。それは僕をおどろかせ、そしてしばらくの間、混乱させる結果となった。それは彼女に対しても同じことだった。僕は昨晩、彼女の意識を僕の中に感じ取ることが出来た。彼女だけではない。そこにいるみんなの意識が、僕の中に入ってくるのがわかった。それは、すばらしいことだった。いままでかんじたことのない、感覚だった。世界は僕であり、僕こそが世界だった。しかしそれが僕を混乱させていた。開かれた僕の感覚は、すべてを受け入れるには荷が重すぎたのかもしれない。スープを飲み終わると、彼女は微笑み、どこかへ出かけていった。彼女は、この町に住み、そして今後もここで生活を送るのである。
その日はいちにちじゅう、民宿の中で過ごした。外へ出る気になれなかったし、誰かと目を合わせることがなんだか怖かったからだ。僕は昼ごはんも食べず、自分の部屋で本を読んで過ごした。本を読んだ、といっても、本の内容なんてまったく頭に入っていなかった。僕はただ、することがなかったので、そこにあった本と名のつくものを自分の視界に入るところに置き、文字の羅列を目で追っていた、というだけのことだ。そこにはなんの目的も、なんの結果も存在しない。
阿部が僕の部屋にやってきたのは、夕方の5時を過ぎた頃だった。
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