「花嫁」「なでしこ」「にぎやか」
矢口晃
第1話
いつか私も、きれいな花嫁になれる日が来るのかしら。可愛いなでしこのブーケを持って、真っ赤な豪華なドレスをまとって、たくさんの人に、賑やかにお祝いされて、世界で一番の幸せなお嫁さんに、なれるのかしらって。
そんな人並みの夢を思い描いて、胸を高鳴らせていたわ。
そう。あの水槽に入るまではね。
あれは七年前のことだった。生まれて三か月、ちょうど年頃になった私は、他の金魚たちと一緒に薄汚いトラックの荷台で何時間もぐらぐら揺られながら、この半島の先っぽの、小さな名もない水族館に運ばれてきたわ。
こんな若くてかわいい私を、他の平凡な金魚と一緒の箱で運ぶなんて、あんまりだわ。もっと特別扱いしてよね。
そんなことを思って、ぷんぷんしていたわ。
やっと水族館に着いたら、息つく間もなく展示室の裏の殺風景な水槽に移されたわ。その扱いの、雑だったことといったら、ありゃあしない。金魚すくいのポイで掬うみたいに、ふわあっと一匹ずつ優しく持ち上げてくれるならまだしも、トラックに積んできた水槽から、水族館の水槽へ、ほぼ垂直にどばあって落とすんだから。まるで私たち、時代劇のお姫様みたいよ。あーれーって。
それで気が付いたら、あの水槽の中にいたってわけ。
中にはいい男もいたわ。筋骨隆々でたくましい感じの子だったり、おっちょこちょいだけど、逆にそこに母性をくすぐられちゃう感じの子だったり。まあ、それ以外はほとんどがぶ男とブスの集まりだったわ。私の居場所じゃないわねって、そう感じちゃったわよ。
でね、私聞いてみたわけ。ずいぶん長くこの水槽に住んでいるっていうおじさん金魚に。そうしたら、聞いて驚いたわよ。この水槽、展示品のお魚のエサになる金魚の保管場所なんだって聞いて。
取り乱したどころの騒ぎじゃないわ。ちょっと待ってよ、おじさん。じゃあ、私の夢はいったいどうなるってわけ? なんでこんなに可愛くて美人な私が、こんなところでピラニアかなんかに食べられなきゃいけないわけ?
でもおじさんは、あきらめろって言って、どっか遠くを見つめているだけ。呆れたわ。諦められるわけ、ないじゃない。
私はおじさん金魚にあっかんべえをして、お尻をふりふり振って、とりあえずどこかこの水槽を逃げ出せるところはないか探し回ったわ。最初は、なかなか見つからなかった。何せ少し泳いだら左から、また少し泳いだら今度は右から、どうみても私とは不釣り合いなどこにでもいる平凡な金魚が、私に声をかけてくるんだから。私はそんなの全部無視して、ご自慢の長いうんちをお尻からゆらゆらさせて、どっかに出口はないか、一生懸命探したわ。
そうしたら、あったの。高いところ、水面ぎりぎりのところに。
どうやらそれは、排水口という、汚れた水を外へ流すための穴ぼこだったみたい。私たちが流されないように金属の網が張ってあったんだけど、どうやら私のスリムな体なら、通れないこともなさそうだったのよね。
そりゃあ、少しは不安だったわよ。穴の向こうが一体どうなっているのか、誰にもわからないんだからね。でも、ここにいたって、お魚に食べられちゃうのは時間の問題でしょう? だったら、少しでも可能性のある道に進んだ方がいいわって、思ったわけ。私のことを待っている、未来の花婿さんのためにもね。
それでね、エサの時間、他の金魚が食べ物に夢中になっているすきを見計らって、私、金網の穴に思い切って頭を突っ込んでみたの。美人には、強運の神様が付いているのね。いともあっさり、頭が通っちゃったのよ。頭さえ通れば、後はこっちのもん。腰のくびれと、ゴージャスな尾ひれをするするっと穴から抜いて、無事に金網の向う側へ。
って思った瞬間、ジェットコースターだったわ。私はものすごい水流で、細い管の中をびゅーんって流されていったの。で、気づいたら、なんだか知らない部屋に来ていたわ。
いたたたた。すごい速さで飛ばされてきたから、部屋に着いた時に、思いっきり頭を地面にぶつけちゃった。もう。大事なお顔に傷がついたらどうしてくれるのよ。
私がぷりぷりしていると、知らない人が突然声をかけて来たわ。
「おや。新入りかね」
「誰よ」
部屋の中は真っ暗で、光一粒さえ見えない。でも、水の流れは意外と穏やかで、ひっそりとした静寂に包まれていたわ。
そんなところで、急に見知らぬ人から声を掛けられたのよ。街角で急にイケメン俳優に出くわしたくらいの衝撃だったわ。
「わしは、お前さんよりもずっと前にこの水族館に来た、金魚じゃ」
金魚っていうより、金爺よね。
でも、それは言わなかったわ。
「ここは、いったいどこなのよ」
金爺は、もったいぶるように答えたわ。
「ここは、浄化槽じゃよ」
「浄化槽?」
「そうじゃ。展示室で使った水をいったんここに落として、濾過してきれいにしてから、また展示室の水槽へ送り返す。そのために、使った水を一時的に溜めておく場所じゃよ」
「じゃあ、普段は誰もいないの?」
「ああ。普通は生きている者の入ってくる場所じゃあない」
金爺は結構渋い声でそう答えたわ。
「じゃあ、金爺はなんでここにいるわけ?」
「爺?」
はっ。となったけど、真っ暗だし、金爺にはきっとわかんなかったろうな。って、思ったら、
「お前さん、今、ひどく慌てた様子だったな」
私はうるうるの瞳で、
「え、見えるの?」
って素朴に尋ねたわ。
「ああ、見えるさ。もう長いことここに住んでいるからな。目が暗さに慣れたのか、第六感が備わったのか。それにしても――」
「しても?」
金爺は少し間をおいて、
「爺、はちょっとひどすぎやしないか? わしはこう見えて、まだ六歳じゃぞい」
「ごめんなさい」
ちょこんと頭を下げた。こういうのも可愛いでしょって感じで。
「で、おじいさんはなんでこんなところに来たのよ?」
「んん。話せば長くなるがな」
「いいわよ。どうせ退屈なんだし」
私がお腹を地面につけてくつろいだ様子を見せると、金爺はゆっくりとした口調で続きを話してくれた。
「上の水槽にわしが初めて来たころ、わしはまだ生後三か月じゃった」
私と同じじゃない。
「その頃のわしは、自分の容姿にだいぶ自信があってのう。きれいな花嫁ももらう前から、ピラニアのエサになって死んでなんかたまるかと思ってな」
それで?
「こんなところで死んでたまるかと思って、どうにか水槽を脱出しようと、水槽の中を、あちこち探し回ったんじゃ」
「おじいさん」
「ん? なんじゃ? これからがよいところなのに」
金爺はとてもその先を話したそうに、尾ひれをそわそわさせていた。けれども、
「せっかくだけど、その続き、また今度でいいわ」
私はさえぎっちゃった。だって、私がついさっき経験したことと、そのまま同じだったんだもん。
え?
驚いたわ。私ったら、もう、この暗さに慣れ始めている。さっきまで真っ暗で少し前も見えなかったのに、今は金爺さんが、そわそわと尾ひれを振っている様子までうかがい知れるわ。
それからしばらく時間が過ぎたわ。ここには時間を感じさせるものが何もない。太陽も登らないし、水温も変わらない。カエルの合唱も、メダカの学校も、月の満ち欠けも、何もない。だから、しばらくっていうのが、どれくらいしばらくなのか、わからない。
しばらくいて、気が付いたわ。ここは、とっても居心地がいいってことに。地面は細かな砂利がいっぱいで、お腹を当てるとさらさら気持ちいい。食べ物はいつでも頭の上から大量に降ってくる。むさくるしいおじいさん以外、天敵もいない。
ま、恋人もできないけどね。
でも、いつかここからも抜け出せる日が来るといいわ。そうしたら、きっと私は、映画に出てくる王子様みたいな、きらっきらの好青年と出会えるのよ。
そんな期待に胸を膨らませていられたのも、最初のうちだけ。来る日も来る日も真っ暗闇の中でぼけーっと過ごしているうちに、なんだか私、一生ここから抜け出せないんじゃないかって思い始めちゃったの。
美人は三日で飽きるっていうけど、あれ、本当みたい。初めは私にあれこれ質問してきた金爺も、次第に口数が少なくなって、次第に浄化槽の対角線に離れて過ごすようになっちゃった。あーあ。こんな美人が一つ屋根の下にいるというのに、なんてもったいないのかしら。
そう思っていたら、ある日、突然金爺の姿が見えなくなったの。普段は、わかるのよ。どんなに離れていても、お互いの鱗のかすかな光で、今はあそこにいるなっていうのが。でも、その日はまるでそれがなかったの。
おかしいなって思って、私は浄化槽の中を隅から隅まで泳ぎ回って、
「金爺ー。金爺ー」
って、何度も呼びかけたの。だけど、返事がなかったの。
もしかして、死んじゃったの? そう思って怖くなったけど、金爺のそんな姿も、どこにも見当たらない。
しばらく思慮をめぐらして、私ははっと気が付いたわ。
そういえば、昨日、浄化槽の清掃があった。もしかしたら、金爺はその時に、どこかに流されちゃったのかも、って。
ぶるぶるって、突然体が震えたわ。だって、この浄化槽を出た先は、一体どこかわからないもの。エサ用金魚の水槽に逆戻りするなら、まだいいわ。だけど、運悪く大きなお魚のいる展示用の水槽に流されちゃったり、海に放り出されたりしたら――。
私は、浄化槽の清掃のあった日から、毎日一個ずつ、エメラルドグリーンの砂を浄化槽の端に並べていくことにしたの。一日の図り方は、わかんないから自己流よ。いつもお腹いっぱいご飯を食べる。そうすると、決まった時間にうんちがでる。それで、十回うんちがでたら、一日ってことにしたの。賢いでしょ?
そうするとね、新しいことがわかったの。エメラルドグリーンの砂がだいたい三十個並ぶと、あの浄化槽の清掃がやってくるってことにね。
だから、私は浄化槽の清掃が来るなって時は、水槽の隅にしがみついて、じっと体を小さくして耐えていたの。もう、必死よ。浄化槽の中をきれいにするんだから、すごい水流でね。中の水をぐわんぐわん回すわけ。もう、私は洗濯機の中のパンツじゃないんだからって、文句言っても仕方ないわ。とにかく流されないように、必死にこらえていた。
それでも、生き物って賢いものね。何回か経験するうちに、何となく身のこなしというか、やり過ごし方が身についてきちゃったのよね。水圧も以前ほど感じなくなってきたし、ああ、今回もこんなもんかって感じで。十回くらいやったら、特に身構えなくても平気になっちゃった。
後で知ったんだけどさ、私、その頃には、もうだいぶ体が大きくなってたみたい。だって、無理もないでしょう? 真っ暗ですることもないんだし、エサは大量に舞ってくるし、いつもお腹いっぱい食べてるし。
それに、何といっても、恋もしてないしね。
だから、だんだん鯉の子供みたいに体が大きくなってきちゃったわけ。
それから、もうだいぶ長い時間が過ぎたと思うわ。私の予想だと、その間に一回太陽系が消滅して、また再生したんじゃないかしら。それくらい長い時間が過ぎたのよ。
突然、頭上から目も開けないほどの大量の光が差し込んで来たの。
何事よ! って思う間もなく、ずっと昔に聞いた記憶のある、人間の声が聞こえてきたの。
浄化槽の蓋を、誰かが開けたみたい。
それからは、もう、大騒ぎよ。だって、生き物のいるはずのない浄化槽の中に、私みたいな、こんなに美人な金魚がたった一人で潜んでいたんだから。
私は、丁重に網で掬われて、恭しくきれいな水槽に移されたわ。
人間の時間で言うと、七年間。私は暗い浄化槽の中で過ごしていたみたい。
暗いところにいたせいで、鱗がすっかり劣化しちゃって、かつての真っ赤な色が抜けちゃって、なんだか中途半端な金髪みたいな色になっちゃってたわ。それに、体も横綱みたいに大きくなっちゃってる。
七年って、金魚の中では高齢な方だし、体が金色だし、でかいし。
もともと、ピラニアに食べられてすぐに死んじゃう予定だったわけだから、私のことが人間の世界で瞬く間に話題になっちゃってね。おかげで、私はもう大変よ。
展示室のどんな珍しいお魚たちよりも、お客さんの注目を引く看板娘になっちゃったんだから。
私は、水族館の一番目立つ場所に、奇跡の金魚として展示されているわ。
当然よね。
だって、こんなにキュートな金魚が、私のほかにいったいどこにいるって言うの?
気づくのが遅すぎたくらいよ。私が生まれて来たこと自体が、奇跡だったんだから。
長い時間、殺風景な浄化槽の中でくすぶって来た甲斐はあったわ。人間たちが、私のことを一目見ようと、長い列を作ってる。
私はそれを見ながら、長いうんちをお尻からゆらゆらさせている。
でも、そんなことは、どうでもいいわ。
早く、会いたいわ。いったい、どこにいるのよ。
燃え上がるような、恋がしたいわ。
早く現れてよ。
私の、かっこよくて優しい、未来の旦那さん。
「花嫁」「なでしこ」「にぎやか」 矢口晃 @yaguti
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