第2話 恋の自覚

あの出会いから数年の月日が流れ朱里は大学三年生になった。当初は高校を卒業すると同時に家を出ようと思ったが踏ん切りがつかずそのまま同居を続けている。

いつものように朝食を作り聖を起こしに行く。

「叔父さんご飯できたよ。今日、朝イチで会議があるんじゃないの?」

「うるせぇ、もう少し寝かせろ。」

「んなこと言ってないで早く起きてよ!」

布団を思いっきりはぐろうとして少しバランスを崩す。立て直そうとするが間に合わない。

「きゃっ!!」

短い悲鳴とともに聖の上にに倒れる形になる。

「…ってぇな。人の胸にダイブしてくんじゃねぇよバカ。」

「ごめんなさい。」

そう言ってどこうと顔をあげると聖の顔が間近にあった。端正たんせいな顔だちに見惚れていると聖が言った。

「どけ。重い。」

朱里は慌ててどけると聖に背を向けて紅潮した頬を両手でおおった。心臓がドキドキしている。あのままキスしたいなどとおかしなことを考えた自分が許せない。相手は叔父で血縁者、絶対にあってはならないことだ。だが、高鳴る鼓動を抑えることはできないようだ。その気持ちを胸の奥にしまい朱里は言った。

「ほら、早くしないと本当に遅刻するよ。先に食べてるから。」

「ああ、すぐ行く。」

そう言って彼女は部屋を出ていった。聖は起きて着替えながら呟いた。

「…危なかった。」

部屋を出るとリビングに向かった。どうやら和食にしてくれたらしい。席につくとご飯と味噌汁が運ばれてきた。いただきますと手を合わせて食べはじめる。

「今日は講義、何限からだ?」

「2限から。その後、友だちと企業説明会に行くから。」

「そうか。俺も今日は帰りが遅くなると思う。黒川社長から飲みに誘われた。本当は飲みたくねぇけどな。めんどくせぇ。」

「叔父さんも社長なんだから仕方ないじゃん。でも、飲み過ぎないでよ。運ぶの大変だからさ。」

「わかってる。」

そう、聖は不動産業やホテル事業などを多く展開する久瀬ホールディングスの社長という肩書きを持っている。久瀬家じたいも財閥に属しているのでその子息とパイプを持ちたいと思う者は多くいる。そのためこうした誘いは月に2、3回ある。そのたびに聖は酔って帰って来て玄関付近で寝そうになる。朱里はそんな聖に肩を貸し寝室まで運ぶのだ。

「わかってないから同じことするんでしょ!」

「悪いな。」

実はそれが少しうれしいと思っていることは言わないでおくことにした。

朝食を食べ終えた聖は食器をシンクまで運ぶと 身支度を整え会社へ向かった。

朱里は片付けを済ませ、大学に行く準備をはじめた。と、スマホにメッセージが届いた。

〈大事な資料を忘れた。寝室の机に置いてあるはずだから大学に行く前に届けてくれ。〉

〈わかった。〉

〈頼むな。受付に渡しといてくれりゃいいからな。〉

朱里は了解と返し準備を再開した。

いつもより早めに家を出て聖の会社に向かう。

受付の女性に資料を渡し会社を出ようとすると二人組の男性が声をかけてきた。

「何しにきたの?」

朱里は舌打ちしたい気分になった。急いでるんでとその場を去ろうとするがうまくいかない。

「今からランチに行くんだけど一緒にどう?」

本気でイラッとしていると声がかかった。

「朱里、わざわざ悪かったな。」

「ううん。どういたしまして。」

資料を受け取った聖が3人のもとにやってくる。

「しゃ、社長。」

男性の一人が目に見えて青くなっている。朱里にはそれがおかしくて仕方なかった。二人はお疲れ様ですと挨拶をするとさっさと逃げていった。

「叔父さん、けっこう怖がられてんだね。」

「そうらしい。急がねぇと講義に遅れるぞ」

そう言われて腕時計に目をやりヤバっと声をあげる。朱里はそれじゃと言って足早に出口に向かう。

それを見送っているといきなり肩にずしと重みがかかる。社長である彼にこんなことができるのはおいである新宮尭しんぐう あきしかいない。歳も近いため二人は仲がいい。

「…あき、重てぇよ。」

「へぇ…あの子が祐一ゆういち叔父さんとこの朱里ちゃんか、かわいい。」

「人の話聞いてるか?お前。」

「ああ、聞いてる、聞いてる。ねぇ聖、禁断の恋ってどう思う?」

「どう思うかなんて人それぞれじゃねぇか。それよりいい加減、体重かけんのやめろ。」

聖は持っていた資料で尭の頭をばしと軽く叩いた。

「いたっ…。容赦ないなぁ、もう。」

と、そこへ秘書らしい女性がやってきて言った。

「社長、副社長もこちらでしたか。会議が始まります。急いでください。」

「もうそんな時間か。行くぞ尭。」

「りょーかい。」

二人は秘書に続いて会議室に向かった。


 なんとか講義に間に合った朱里は友人の待つ席に座った。

「おはよう夏希。」

彼女の名前は白河夏希しらかわ なつき。彼女もまたお嬢様である。

「おはよう朱里。今日は遅かったね。どうしたの?」

「叔父さんが資料忘れてさ、届けてたから。」

なるほどねと夏希は相づちを打った。彼女とは入学式で出会って以来、馬が合うのでよく飲みにいったり相談したりする親友である。

講義を受けながらランチはどうするのかなどを話しているとわざとらしい咳ばらいが聞こえた。すいませんと小さく会釈をして講義に集中する。

講義が終わり学食に向かう。二人は大学内では実は、よくモテる。そのためいつも注目される存在になっている。

「今日は、企業説明会の後どうすんの?」

「う~ん。叔父さん飲みに誘われたって言ってたから遅いだろうし、どうしよう。」

考え込んでいると夏希が言った。

「じゃあ、飲みにいかない?いい雰囲気のバーが近くにあるんだ。」

「バーって…夏希、私たち学生だよ。それに怪しいとこじゃないよね?」

「大丈夫。バーのオーナーは父の友人だし、それにオーナーの奥さんもいるから安心して。」

「それならいいけど、どんな感じ?」

ランチを食べながら夏希は説明してくれた。その店は昼はカフェで夜はバーを経営しているらしい。バーは女性でも気軽に入れるというのをコンセプトにしているという。

説明会の後の予定が決まったので少し気が楽になった。マンションで一人で待っていると聖が帰って来ないのではと不安になるからである。

「…かり、朱里!どうしたの思いつめちゃって?」

「ごめん。少し考えごとしてて。」

「どうしたの?相談なら乗るけど」

朱里は夜に話すと言って話題をそらした。夏希はわかったと言ってそれ以上のことを追及することはなかった。

 その夜、朱里は夏希とともにそのバーへと向かった。

落ち着いた雰囲気の店内は確かに入りやすかった。客層も朱里たちと同じ20代が多い気がした。

「いらっしゃいませ。ようこそラ・ヴィールへ」

「お久しぶりです。」

30代前半と思われる男性が出迎えてくれた。

「ああ。久しぶりだね夏希ちゃん、彼女は初めましてかな。オーナー兼マスターの八重咲臣やえざき おみです。」

物腰が柔らかそうな人だ。

「初めまして、佐倉朱里です。」

「朱里ちゃんて呼んでいいかな?」

朱里は頷きカウンターに座った。夏希も隣に座り辺りを見回す。

「あれ?今日は香帆かほさんいないの?」

「買い物にいってもらってんだ。もう少ししたら帰ってくる。」

「久しぶりに会えるから楽しみだな」

「ああ、香帆も喜ぶだろうしな。で、何飲みたい?」

夏希は少し悩んでブルーローズを2つと頼んだ。臣はりょーかいと笑って作りはじめた。

朱里は何を話していいか分からず沈黙をしていた。

「はい、お待たせ。ブルーローズだよ。」

臣は二人の前にカクテルを置いた。青い薔薇をそのまま溶かしたような色をしている。

「きれいな色。なんか飲むのがもったいないですね。」

「ありがとう。カクテルは味と見た目の美しさを楽しむものだからね。アルコールは少なめだから飲みやすいと思うよ。」

朱里はグラスを持ち口につけた。

「おいしい。」

「でしょ!マスターのは飲みやすいって有名なの。だからリピーターが多いんだ。」

朱里もお酒は苦手であまり飲まないがここのはまた飲みたいと初めて思った。

「そうなんだ。」

「うん。ところで悩み事はなんなの?」

「オレもそれくらいは聞くよ。何でも言って朱里ちゃん?」

 朱里は今まで胸に溜めていた気持ちを語りはじめた。

「私、幼い頃に両親が亡くなって叔父と暮らすことになったんです。初めは同居するなんて冗談じゃないって思ってたのに期間が長くなるに連れて離れたくないって思うんです。それに、キスしたいって…おかしいよね叔父さんのこと異性として見るんなんて……。ダメだって分かってるけどもう止められないんです。」

臣は喉の奥でくくと笑った。つい最近、同じようなことを聞いた気がするからだ。 

 「確かに、叔父に恋愛感情を抱くなんてどうかしてるわね。」

朱里はですよね…と瞳を伏せた。夏希はその声の主を見てペコリと頭を下げた。

「世間、一般的にはね。私はそうは思わないわ。人それぞれ恋愛は自由なんだから。好きになったのが叔父だったってだけの話ね。」

その言葉に朱里は胸につかえていた何かが取れた気がして涙が出た。

「なんか、少し胸が軽くなりました。ありがとうございます。」と顔を上げる。そしてあれ、と首を傾げる。九頭身はあるだろうモデル体型の女性がカウンターに立っていた。栗色よりワントーン明るいロングヘアーを後ろで結び、それを右前に垂らしている。ニット生地のセーターにスキニーというカジュアルな服装だ。

「おかえり香帆、買い物ありがとう。」

「ただいま、臣。どういたしまして。」

朱里が困惑したように夏希を見ている。

「この人が香帆さん。で、あたしの隣にいるのが親友の佐倉朱里です。」

 香帆はにこりと笑って言った。

「初めまして朱里ちゃん。急に話に入ってごめんね。でもさっき言ったことに偽りはないわよ。」

朱里は瞳を潤ませて言った。

「ずっと誰にも言えなくて苦しかったんです。夏希にも、言ったら嫌われるんじゃないかって…。ごめん夏希」

夏希は朱里の頬をパンと叩いた。何をされたか理解できず呆然としている朱里に彼女は言った。

「嫌うなんてそんなことあり得ないから!あたしにとっても朱里は大事な親友だから。それを忘れないでね。」

「ありがとう夏希。これからもよろしくね。」

朱里と夏希はお互いに笑い合うとカクテルを傾けた。

「朱里ちゃん、赤くなってるからこれで冷やして」

臣はそう言って濡れたタオルを朱里に渡した。朱里はそれを受け取ると頬に当てた。

「ごめんね朱里。痛かったよね。」

「大丈夫。私のことをそれだけ心配したからでしょ?気にしないで」

朱里の言葉に夏希は頷いた。

 それからは他愛もない話ばかりした。気づけばお客は朱里たちだけになっていた。臣たちと打ち解けた朱里は徐々にタメ口になっていった。

 お酒も進みほろ酔いになったころ、臣のスマホが鳴った。どうやら彼の知り合いらしく口調が少し乱暴になっていた。

「今からか?構わないけど。ついでに前に看板立てといてくれるか。」

そう伝えた臣は通話を切った。

「来るの?彼ら」

香帆の問いにああと答えた臣は高そうなお酒を用意し始めた。

「あたしたち帰ったほうがいい感じ?」と夏希が臣に聞いた。彼はどうかなと曖昧に返事をしながらも時計をチラと見た。時刻は22時を過ぎている。最近、この地域は少し治安が悪くなっているので彼女たちだけで帰らせるには心配だ。

「後で送るからそのまま待ってな。香帆頼めるか?」

「ええ、もちろんよ。」

その時、店のドアが開いて男性一人が入って来た。

「突然誘って悪いな臣。先客がいたのか?邪魔して悪いね。」

少し明るめの茶髪をした彼はそう言った。

「いえ、気にしないでください。」

隣に座っている夏希を見た朱里はあーあと思った。夏希が頬を赤くしている。どうやら惚れてしまったようだった。

茶髪でルックスも良くモテそうだが女性をとっかえひっかえしてそうな気がする朱里である。それにどことなく笑顔が作り物めいて見え、猫被っているんじゃないかと疑いたくなる。そんなことを口に出すわけにもいかないので何も言わず沈黙を通した。

「おい、お前のタバコ代返せよ。人に買わせやがって。」

と、そこへ彼の連れらしき人が入って来て開口一番そう言った。朱里はその声にえと反応し、ドアの方を振り返る。

「朱里?なんでここにいる?」

「叔父さんこそどうしてここに?」

臣と香帆以外の全員が驚いている。

「私は夏希がいい店知ってるって言うから飲んでるだけ。」

聖はそうかと言って朱里の隣に座った。尭も夏希に隣、いい?と断ってから座った。

夏希は、はいと嬉しそうに答えていた。

「俺も飲みが終わって二軒目だ。臣、いつものくれるか?」

臣は何も言わず先ほど出していたお酒を彼の前に置いた。

「ねぇ、誰?」と目だけを動かして聞く。聖はお酒をグラスに注ぎながら答えた。

「あー。甥っ子の新宮尭。歳が近いからよく飲むんだよ。信用できる奴の一人だ。」

「信用?どういうこと?」

朱里の問いかけに対し、聖は苦笑を滲ませながらそのうち話すと返した。

 しばらくして夏希と尭はカウンターからテーブル席に移動し盛り上がっていた。それを黙って見ていた朱里は思いきって聖に聞いた。

「ねぇ、尭さんて猫被ってない?」

一瞬驚いたらしい彼は咳き込んだ。

「…っ、なんでそう思う?」

「うーん?なんか表情が作り物めいてる。誰とでも線を引いてる感じ?」

「…よく分かったな。さすが兄貴の娘。」

「え、パパもこうだったの?」

「ああ。兄貴は洞察力に優れてた。遺伝したんだろうな。」

「そうなんだ。私、パパたちのことほとんど知らないから。もう少し聞かせてよ。」

朱里は聖の肩にもたれた。聖は気づかれないようにため息をつき理性飛びそうと内心呟いた。それをなんとか押さえ込み平常心で話してやる。

「…兄貴は久瀬ホールディングスを一代でここまで大きくした。」

「すごい。パパって他に親族は?」

「姉貴と義兄にいさん、俺たちの両親。お前にとっては父方の祖父母になるな。そのうち会うことになる。」

「いつ?」

「まだ時期じゃねぇからな。」

聖がそれ以上のことを語ることはなかった。朱里もそれ以上は深く追求せずカクテルを飲みほした。

トイレにいこうと立ち上がるが酔いが回ったせいで少しふらつく。片腕を引っ張られ支えられる。

「飲み過ぎだお前。歩けるか?」

「うん、大丈夫。」

朱里はそう言って聖の手を離すとトイレに向かう。

「朱里ちゃん、右奥だからね。」

聖は次の一杯を注ぎながら尭に言った。

「尭、帰りどうする?こっちから迎え寄越してやろうか?」

「いや、いい。この子送らないとだし。」

尭の横では夏希がすーすーと寝息をたてていた。

「尭、夏希ちゃんておもしろい子だろ?」と臣が聞いた。

「確かにおもしろいな。僕にここまで懐く子はそういない。もう少し遊んでみるか。」

臣はため息をつき苦笑くしょうした。

 一方、トイレにいった朱里は鏡の前で頬を紅潮させていた。先ほどからドキドキが止まらない。彼女自身、あんな大胆なことするとは思わなかった。触れ合っていたところが熱を帯びている。聖はあんなことされて嫌じゃなかっただろうか?考えれば考えるほど深みにはまっていく。考えるのをやめ深呼吸をする。

 用を済ませ化粧を直していると香帆さんが入って来て朱里の横に並ぶ。

「大胆なことしたわね。聖の困惑した顔なんて久しぶりに見たわ。」

「え、そうなの?」

「そうね。」

「あの、香帆さんとマスターって叔父さんとどんな関係?」

「安心なさい、大学時代からの親友ってだけよ。それに私は臣しか興味ないわ。まぁ、かっさらわれないように気を付けなさい。そろそろ帰るみたいだから急ぎなさい。」

香帆はそう言うとトイレを出ていった。朱里もよしと頷くとトイレを出て聖のもとに戻ると彼はタバコを吸って待っていた。

「ごめん、遅くなった。」

「気にすんじゃねぇ。どうせ帰るとこは一緒だろ。」

聖は会計を済ませると臣たちにまた来るわと言って席を立つ。朱里も一礼して彼の後を追う。店を出た朱里はふと気づいて聖に問いかける。

「叔父さん、尭さんと夏希は?」

「あん?あの子なら尭が送ってくって連れて帰った。」

それを聞いた朱里の表情カオが不安げに揺れる。それに気づいた聖は彼女の頭をポンポンと優しく叩いて言った。

「安心しろ。尭は遊び人だが相手を傷つけることは絶対にしねぇよ。送ってくだけだ。」

その言葉に朱里はほっと胸を撫で下ろした。なぜだろう聖の言葉で尭に対する印象が変わっていく。夏希を任せても大丈夫だという確信が持てた。

「叔父さんがそう言うなら安心かも。」

「朱里、明日の講義は入ってねぇのか?」

「うん、明日は教授が不在だから休講になってるけど何?」

「久しぶりに兄貴たちに会いてぇと思ってな。一緒に墓参り行かねぇか?」

ちょうど明日にでも行こうかと思っていたので一瞬驚く。通りでタクシーを拾った聖が朱里?と首を傾げている。その仕草がまた魅力的でかっこいい。

「見透かされてるなぁと思って。私もそう思ってたから。」

聖はそんなつもりはないんだがと苦笑しながら

朱里を手招きして乗せる。そして聖自身も乗り込むと目的地を告げスマホを取り出すとどこかに電話をかけた。数分話をしたあと電話を切り今度はタブレットを取り出して電源を入れた。

「何してるの?」

「あさっての会議資料を見てんだよ。」

「そう。明日、バイクと車どっちで行くの?」

「お前の好きなほうにしろ。」

「じゃあ、車。」

聖は分かったと答えた。

 しばらくして自宅マンションに着いた。聖は支払いを済ませるとタクシーを降りた。朱里はお酒のせいか上機嫌で中へ入って行く。それを見た聖はふと笑いながら朱里のあとに続いた。











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