第3話 近づく距離

翌日。

朱里は上機嫌で服を選んでいた。白いブラウスに黒いジャケット、下は白黒のチェックのスキニー、姿見で確認し頷くと化粧をして部屋を出た。リビングに降りると聖がタバコを吸いながら待っていた。いつ見ても聖の私服はかっこいい。ロングTシャツにダークグレーのスリムジャケットを着てダテメガネをかけている。下は濃紺のジーンズをはいている。耳にはピアスを3つつけている。

「待たせてごめん。」

「別にいい。なぁ、そっちよりこっちのが似合う。」そう言った聖は茶色のハットを紺色に変えると朱里のマシュマロブラウンの髪をさらりと撫で出掛けるとぞ玄関に向かった。朱里はふふ、と笑って後に続いた。

 二人は都内の霊園を訪れた。その一画に彼女たちの家族が眠っている。

「あれ?誰か来たのかな?」と朱里が聞いてくる。

聖はタバコに火をつけながら花たてを見る。真新しい花と線香がたてられている。

「ああ、親父が来たんだろう。」

「おじいちゃんが?けど会わないね。」

「朝、早く来て帰ったんじゃねぇか?まぁいい。供えてしまえ。」

朱里が持っていた花は二人が好きだったリンドウと菊を合わせたものだ。

「おや、久瀬様ではないですか?先ほど会長もお越しになりましたよ。」

にこやかに笑いながら住職が話しかけてきた。

聖は後ろを振り返って挨拶をした。

「お久しぶりです住職。やはりそうでしたか。」

「ええ、すぐにお帰りになりましたけど。失礼ですが後ろの方は?」

聖は朱里を横に立たせ言った。

「佐倉朱里、俺の姪です。」

「では、祐一さんたちの忘れ形見ということでしょうか?」

「ええ、そうなります。一緒に来たのは初めてですけど。」

朱里は住職に挨拶をすると聖を小突いた。彼はなんだと目で訴えた。朱里は時計をチラリと見せた。そういえば帰りに水族館に行きたいと言っていたのを思い出す。

「そうですか。では私は仕事がありますので失礼します。」そう言った住職はその場を後にした。

タバコを携帯灰皿に入れ聖は言った。

「兄貴、俺は全てをかけて守りたいと思うものを見つけた。報告したとき怒るんじゃねぇぞ」

「叔父さん、どういうこと?パパたちが怒るってこと?」

「たぶんな。」

「気になるよ。何?」

そのうち教えてやるよと言った聖は手を合わせた。

「つまんない。…パパ、ママ、私にも好きな人ができたよ。また教えるね。」

朱里も手を合わせてそう言った。聖の表情カオが一瞬、冷めたのを朱里は気づかなかった。

「朱里、行くぞ。」

聖は苛立ちを紛らわすように2本目のタバコに火をつけた。朱里はうん、と頷いた。

 駐車場に停めてある黒のレクサスに乗り目的地である水族館に向かう。いつもより少し荒い運転が気になって聞いてみる。

「叔父さん、なんかイライラしてない?」

「別にしてねぇよ。勘ぐるな。それより友達から連絡あったか?なんかされたとか、ラブホに連れ込まれたみてぇなこと。」

「大丈夫だったみたい。そんなに気になる?叔父さんが相手が嫌がることは絶対しないって言ったんじゃん。あれは嘘?」

聖は少し強めの口調で言った。

「嘘じゃない。ただ、男ってのはいつ豹変するか分かんねぇってことだ。例えばこんな風にな!」

聖は路肩に車を止めシートベルトを外すと助手席のシートを倒し朱里の上にまたがった。シートベルトをしたままなので抵抗できる筈もない。聖の親指が彼女の唇をなぞる。朱里の身体がビクと震える。それを愉しそうに眺めながら聖の顔が近づいてくる。シトラス系の爽やかな香りの香水が媚薬のように全身を支配していく。唇が触れそうで触れない距離にもどかしさを感じる。いっそこのままキスしてしまおうかと目を瞑った時、カンと何かが手から滑り落ちた。朱里のスマホだった。二人とも我に返った。

「……悪い。少し外で頭を冷やしてくる。」そう言った聖は車を降りた。

朱里は高鳴った鼓動を静めるように何度も深呼吸をした。だが心臓はおさまる気配をみせない。しばらく車の天井を見つめていると聖が戻って来た。

「……すまん。どうかしてたみてぇだ。忘れろ。」

「無理だよ…。あんなことされてすぐに忘れられるほど私は大人じゃない…。」

「…どういうことだ?」

「そのままの意味。…早く水族館行こう。時間なくなる。」

「…そうだな。」

聖は再び車を走らせた。水族館に着くまでの間気まずい空気になり朱里たちは一言も喋らなかった。

 駐車場に車を止め、降りた二人を行き交う人たちが振り返る。美男美女のカップルと思われているらしい。臣たちに話を聞いてもらって、聖のことを好きだと自覚してから余計に意識するようになった。

「チケット買って来るから待ってろ。」

「うん。」

朱里は聖の後ろ姿を見送りながら先ほどの出来事を思い出していた。突然、態度が変わった聖に驚いたものの全く嫌ではなかった。むしろ、嬉しかった。あのまま流されてもいいそう思った。

 チケット売り場付近で待っているとまた、物好きな男性が声をかけてきた。

「誰を待ってるの?時間あるならお茶しない?」

朱里は気づかれないように溜め息をついて言った。

「しないですから!…って尭さん!どうしてこんなところに?」

朱里に声をかけたのは尭だった。グレーのカッターに薄手のコートとジーンズ、編み込みの靴をはいていた。

「ああ、雑誌の撮影で来ててちょうど休憩もらったから散歩してたわけ。そしたら朱里ちゃんを見つけて声かけたんだよ。」

「もしかしてモデルもやってるの?」

「副業としてね。お、来た来た。」

尭の視線の先にこちらに歩いてくる聖の姿が見えた。聖も尭に気づいたようで片手を挙げ小走りでやって来た。

「撮影が入ってたのか?」

「ああ。今、休憩もらってる。そうそう、夏希ちゃんとは何もないから安心してよ。まだ…ね。」

「なら、夏希を傷つけるようなことしないでね尭さん。」

笑顔だが目が笑っていない。尭の表情カオがヒクりと引きつっている。

「朱里ちゃんてもしかして僕の本性こと気づいてる?」

聖は面白そうに笑って言った。

「ああ、ちなみに初対面で見抜いたからな。兄貴に似てるよな。こういうとこ。」

「ああ、本当にね。じゃあ僕はこれで。ゆっくり楽しみなよ二人とも。」

尭はそう言うと撮影に戻って行った。

「行くぞ朱里。」

聖は朱里の手を引き入場ゲートまで歩き出した。繋いだ手が熱を帯びてくる。恥ずかしさもあり、手を離そうとするが聖がそれを許さない。それどころか余計に強く握ってくる。まるで離したくないと訴えているかのようだ。

事実、朱里もそう思っているのでそのまま繋いでおくことにした。最上階までエスカレーターで上がりどんどん降りていくようになっていた。

普通のカップルのように歩けることを嬉しいと思った。

「ジンベイザメだって。大きいよね。」

子供のようにはしゃぐ朱里を見て聖は愛おしいと思った。この場で抱きしめたいと思ったが人前なので我慢する。

「朱里、どうして急に水族館に来たいと思ったんだ?」

「何でだろ?パパたちがよく連れて来てくれて懐かしくなったのかも。」

「そうか。この後どうする?どっかで食べて帰るか?」

「うん。帰って作るのめんどくさいからそうしよ。」

「分かった。」

 館内を回り終えお土産を選んでいると聖のスマホが鳴った。聖は舌打ちしながら電話に出た。

「後でかけ直す。ああ、じゃあな」電話を切り小さな溜め息をつく。

「私のことは気にしないでいいのに。切っちゃってよかったの?」

「ああ、姉貴だったがどうせたいした用じゃねぇよ。早く選んで買ってこい。俺はタバコ吸ってるな。」

朱里はその言葉に疑問を覚えたがうん。と頷きレジに向かった。

聖は喫煙室でタバコを吸いながら待っていた。朱里が来たのに気づきタバコを消して外へ出た。

「なに食いてぇ?」そういいながら聖はポケットに入れた腕をん、と差し出した。朱里は腕を絡めると言った。

「叔父さん嫌じゃないの?」

「嫌じゃねぇよ。もしそうならこんなことするわけねぇだろ。」

「確かにそうだね。恋人みたい。」

「だな。」

二人はそのまま車に向かった。車で近くのファミレスに寄る。聖は社長でありながら庶民的な一面が多く派手な金づかいはしない。

 中に入ると窓際の席に案内された。ここでも注目の的となった。居心地が悪かったので早めに食事を済ませて自宅マンションに戻った。

 部屋着に着替えた朱里はソファに腰をおろした。聖はテーブルに置いてあるタブレットを起動させメールを確認した。秘書からの諸連絡が数件入っているだけだった。メールボックスを閉じて出かける前に途中だった書類作りを再開した。

と、そこにコーヒーを持った朱里が聖の隣に座った。

「はいどうぞ」

「ありがとな。」

「どういたしまして。…ねぇ、叔父さんは好きになっちゃいけない人を好きになったことある?」

一瞬、間をおいて聖は言った。

「突然、何を言い出すんだお前は?」

「ちょっと聞きたくなったから。ごめん。」

「ある。」

朱里はえ、と聖を見る。コーヒーを飲みながら聖は言った。

「相手はどう思ってんのか知らねぇけどな。」

「今でも好きなの?」

「ああ。」

即答した聖に朱里はそうなんだと言ってその場を離れた。自分がこんなにショックを受けるとは思わなかった。

聖はその様子を見て呟いた。

「からかいすぎたみてぇだな。」タバコの煙を吐き出しながら笑う聖は愉しそうだった。

朱里が彼に対して叔父以上の感情を抱いていることに聖は気づいている。あれだけ無意識にアピールされて気づかないわけがない。気づかないふりをしている。そうしないと歯止めがきかなくなるからだ。聖はタブレットに視線を戻すと再び手を動かし始めた。室内にキーボードを叩く音だけが響く。3本目のタバコに火をつけようとライターに手を伸ばしたとき後ろから抱きつかれた。背中に柔らかい何かが当たった。

「朱里、何してんだ?俺に襲われてぇのか?」

「…うん。叔父さんにだったら襲われてもいい。誰にも渡したくない。」

さらに抱きしめる力が強くなった。聖は後ろ手に朱里の頭をぽんぽんと叩いた。

「…朱里、服を着てこい、風邪ひきてぇのか?話はその後だ。」

強めの口調でそう言い返すと朱里はビクと肩を震わせた。

「もういい!」

朱里はそう言って逃げようとする。聖はたまらず後ろから抱きしめた。

「言い方が悪かった。服を着てこい。」

耳もとで優しく囁くと朱里は耳まで赤くしながらコクリと頷いた。

バスルームに戻った朱里を見送り聖はソファに身を預けた。

「…煽んじゃねぇよ。」大きな溜め息をこぼし天井をあおいだ。さっきのは本気で危なかった。正面からされていたら間違いなく手が出ていただろう。理性を抑え込むのは容易なことではない。先ほどのタバコに火をつけ、また溜め息をつく。もう限界だった。

 吸い終えるころに朱里がリビングに戻って来た。

「叔父さん、ごめんなさい。」

「ああ着替えたか。座れ、こっちじゃなくてそっちな。」

聖は顎で対面のソファを示した。朱里はおとなしく座った。

「お前、自分が何をしたか分かってんのか?」

真っ直ぐ見つめてくる聖に朱里は頬を赤く染めながらうつむいた。

「素直すぎるだろ」と小さく呟く。

「…叔父さんがあんなことするからいけないんじゃん。」

「だな。俺もお前じゃなかったらあんなことしねぇよ。」と軽い口調で言ってみる。朱里が弾かれたように顔を上げた。

「え!?どういうこと…。」

「どうもこうもねぇよ。そのまんまの意味だ。」

「………意味わかんない。あり得ないよ…そんなこと…。」

聖はソファから立ち上がり朱里に近づいた。ギシとソファが沈む。逃げることも出来ず目をつむる。

朱里と優しく呼ばれ目を開けると間近に聖の顔が迫っていた。吐息がかかるほど近づかれ、それに合わせるように心臓の音も大きくなっていく。

「意味、分からせてやろうか?」

唇を親指でなぞられゾクと全身が震える。

「っ…やめて」聖の胸を押し返そうと抵抗してみるものの力の差は歴然だった。

「無理に決まってんだろ。おとなしく奪われろ。」

聖の唇が朱里のそれに重なった。

「…んっ」

閉じた唇の隙間をこじ開けられ中へと侵入された。とろけるような甘いキスは少しタバコの味がした。唇がわずかに離れてまた重なった。

「…はぁ、やめっ…っ…んんっ。」

聖の舌が口内を支配し、絡められたそれは熱くなっていく。物足りなさを覚えさらに深く舌を絡めていくと聖もそれに応えた。静かな室内に二人の息づかいだけが聞こえていた。

聖は唇を離すと朱里に言った。

「俺が言った意味が理解できたか?」

朱里は熱に浮かされた表情カオで聖を見たが何を言われているか分からなかった。酸欠になったらしく頭がくらくらして意識が沈んでいった。

 聖は朱里の反応が無いことに気づき彼女を見ると愉しそうに笑った。

「キスだけでちたか。…これ以上のことしたらどうなるんだろうなぁ。お前は俺の腕の中にればいい。一生な。」

朱里の髪をさらりと撫でた聖は彼女を抱き上げると二階の寝室に運んだ。サイドテーブルには両親と祖父母の写真が飾ってある。朱里をベットに寝かせ写真に目をとめる。

「兄貴…義姉ねえさん、俺には朱里が特別に見えちまう。許せよ…。」

そう言った聖は部屋を出た。それを朱里はベットの中で聞いていた。頬が再び熱を帯びていくのを感じた。

「ずるいよ…叔父さん…。期待していいのかな…。」

唇にはまだキスの感覚が残っている。


 リビングに戻った聖は新しいコーヒーを入れてタブレットを持つと自室に戻った。作った書類をUSBメモリーに保存し、電源を落とした。

そして、パソコンを起動させコーヒーを一口飲んだ。

バイブが振動して着信を知らせる。深夜にかけてくるのは限られている。スピーカーフォンにして出る。

『わりぃ姉貴、かけ直すの忘れてたわ。』

『あなたっていつもそうよね。ほんと勝手な子。彼女とシてたのかしら?』

『勝手に想像してんじゃねぇよ。で、用件ってなんだ?金銭的なのことなら切るぞ』

久瀬ホールディングスのサーバーにアクセスしてそう答える。

『違うわよ。秀一郎叔父様じゃあるまいし。私たちはお金に困ってないもの。』

『ふ、冗談に決まってんだろう。』

タバコを取りだし火をつけながら灰皿をデスクにのせる。

『そういうところが祐一に似てるわ。』

『そりゃ兄弟だしな。姉貴も会いてぇか?』

『できるならね。ってそうではなくて、お父様からの伝言よ。たまには実家に顔を出せと。あれ以来帰ってきていないでしょ。週末にパーティーを計画されたわ。必ず参加するようにと。』

灰を落としながら聖は言った。

『…それは口実、実際は朱里を久瀬家の奴らに会わせたいだけじゃねぇのか?正式な当主としてな。今は義兄さんが継いでるが親父はそれが気に入らない。違うか?』

『だろうな。私も当主を譲る気はさらさらないしな。』

『義兄さん、いたのか?』

『いたのか?ってお前、失礼な義弟おとうとだな、おい。』

『ふふ、すまん。久しぶりに話したからじゃねぇか?』

『ああ、そうだな。聖、最近尭に変わったことはなかったか?』

『変わったことつったら本命の子が見つかったってことかな。』

『やっとか。それならいい。週末会えるのを楽しみにしてる。祐一の娘にもな。』

『ああ。義兄さん、俺は当主はあんたでいいと思ってる。』

『ありがとな聖。皐月、寝るぞ。 おやすみ聖。』

『おやすみ。』

聖は電話を切ると完全に燃えてしまったタバコを置き、新しく火をつけた。

夜は長い。聖は月を見上げながら煙をゆっくり吐き出した。

















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