第4話 突然の訪問者

朱里はあれから一睡も出来ずに朝を迎えた。どんな顔をして会えばいいのか分からない。部屋でうじうじしているわけにいかないので着替えてリビングに降りる。聖の姿が見当たらない。よかったと息をつきコーヒーを入れているとバスルームに続くドアが開いて聖が出てきた。タオルをまいたまま冷蔵庫を開ける。

朱里はあからさまに視線をそらすが気になって見てしまう。筋肉が無駄なく適度についていることがはっきり分かる。理想的な体だ。

「おはよう朱里。」

「お、おはよう…。もう…心臓に悪いよ」

聖はクスと笑うと朱里の腕を引っ張った。

突然のことで自然と見上げる形になる。

「昨日のこと、謝らねぇからな。嫌なら抵抗しろ。これからは我慢しねぇ。」

朱里にそう言って唇を近づける。キスされるそう思った時、インターホンが鳴った。朱里はその瞬間を見逃さず出るねと逃げた。舌打ちしつつも笑いがこぼれる。

「ほんと、飽きねぇなぁ。」

愉しそうに笑いながら聖は服を着た。

「ちょっと待ってください。叔父を呼んできますから。」

朱里の困ったような声に聖は髪をふきながら玄関に向かった。

「どうした?朱里。」

「久しぶりだな聖。」

声を聞いた聖は驚きその人を見る。

襟つきのシャツに濃紺のジャケットを合わせて

ジーンズをはき、本革のスニーカーをはいている。黒髪に切れ長の瞳だが優しそうな人だ。

「義兄さん、突然来んじゃねぇよ。」

「すまない。お前を驚かせたくてな。」

「は、ガキじゃあるまいし。上がれよ。姉貴は来てねぇの?」

「ああ。仕事がたまり過ぎて缶詰めになってる。」

「そうかよ。」

状況がのみ込めず呆然と立ち尽くしていると聖が言った。

「わりぃ。紹介しねぇとな。姉貴の旦那の新宮司しんぐう つかさ。彼女が佐倉朱里。」

「初めまして。どうぞ」

「ありがとう。お邪魔します。」

司はそう言って中に入った。朱里はリビングまで案内するとコーヒーとお菓子を出した。

「ありがとう。君は目もとが祐一にそっくりだね。」

「…ありがとうございます。」

「義兄さん、朱里をいじめるなよ。」

「いじめてない。それに世間話をしに来たわけでもない。これを渡そうと思ってな。」

 司が手渡したのは上等な和紙の封筒だった。丁寧に蝋印ろういんまでされている。

それを受け取った聖は一瞬、眉を寄せて言った。

「強制参加、ってことみてぇだな。」

「ああ、よほど君を紹介したいみたいだなあのたぬき義父おやじは。」

 突然、話を振られた朱里は困惑した様子で聖に助けを求めた。聖はふぅと溜め息をついて言った。

「義兄さん、不安を煽るような言い方をすんじゃねぇよ。」

今まであまり聞いたことがないような低い声で聖はそう言った。朱里はぞわと寒気がした。

 司は気にした風もなく言った。

「悪かった。だが、なにか裏があるのは確かだろうな。まぁ、そのときはお互いに援護しよう。」

朱里は遠慮がちに手を挙げて言った。

「…あの、話がみえないんだけど…」

「あー。週末に久瀬家主催のパーティーがあってな、それに参加しろってことだ。」

 答えになっていない気がするがとりあえず、頷くことにした。

「叔父さん、それって私も参加するの?」

「ああ。そうなるな」

「いやいや、無理だから!私、ドレスも持ってないし、そんな場所不釣り合いだから!!」

必死にいい募るが聞き入れてくれる気はないらしい。

「うるせぇ。明日、講義が終わったらドレス買いに行くぞ。予定入れんじゃねぇぞ。」

「勝手に話を進めないでよ。行くなんて一言も言ってない!」

「お前に拒…――」

聖が言おうとした言葉をさえぎり朱里が言った。

「私に拒否権はない?そう言いたいわけ?それで叔父さんの思い通りになると思わないで。私を巻き込まないでよ。」

あのなぁと口を開きかけたときだ。

「聖。」

それだけで聖を黙らせるには十分だった。空気が張りつめる。

「朱里さん、君はなにか勘違いしてないか?両親が亡くなり、君は名字は違うがに入ったんだ。久瀬家ウチの人間である以上参加するのは決定事項だと理解してくれないか?フォローはする。」

朱里は黙ったままでなにも言わなかった。

 しばらく沈黙が流れる。

「……わかった。」

「ありがとう。朱里さん。」

「朱里でいいです。」

司はじゃあそう呼ばせてもらうよと優しく笑った。朱里は課題があるからと言って席を立つと二階に上がった。


 聖は満足そうな笑いを浮かべる司を見て言った。

「さすが義兄さん。よく説得できたよな。」

「私の得意分野だからね。タバコを吸ってもいいかな?」

聖はどうぞと灰皿を差し出した。

「なぁ、お前はどう思ってるんだ?」

「どうとは?」

「私が久瀬家の当主であることに関してだ。」

聖もタバコ出しながら答えた。

「別に俺がなりたかったわけじゃねぇからどうも思ってねぇよ。」

「それは本音か?本当は私を失脚させ自分が当主に返り咲きたいと思ってるんじゃないか?」

聖は思いっきり舌打ちをすると司を睨んだ。それを涼しい顔で受けとめた司はさらに言った。

「当時はお前を支持する者が多かった、なのになぜそうしなかった?」

淡々と語る司の言葉に聖は苛立ちを覚えながらも言った。

「あんたは兄貴の右腕だった人だ。久瀬家ウチが裏では何をしているか知ってんだろう。

俺よりあんたが適任だと思ったからそうしたまでだ。

もし、あんたを失脚させるつもりならとっくにやって返り咲いてるに決まってんだろ。」

肩に手を置かれ耳もとでそう囁かれる。司はふ、と笑って聖に言った。

「お前が義弟おとうとで本当に良かったよ。敵ならいちばん厄介だ。あとな聖、男をも魅了するその仕草はどこで覚えた?」

「さぁな、誰かさんを真似してるだけじゃねぇの?」

聖は意味深な笑みを浮かべて司を見た。

「真似しなくていい。」

「経験は積んどくもんだろ。義兄さんみたいにな。コーヒーのおかわりいるか?」

「もらうよ。」

聖は司のカップにコーヒーを注ぎ自分のにも注いだ。

「ああそういえば尭が白河の娘と付き合うことになった。」

「やっと遊びじゃねぇを見つけたか。まぁ、白河は海外にパイプを多く持つ。付き合って損はねぇだろうな。」

「利益があるなしに関係なく付き合うようだ。そこらへんを勘違いするなよ。」

静かだが反論することを許さない口調で司はそう言った。聖は出かけた言葉をぐっと飲み込んだ。

「…分かった。邪魔はしねぇよ。んなことしたら朱里にドやされる」

「ああ。そうしてくれ。お前の方はどうなんだ?」

司の問いに聖は頬杖をつきながら答えた。

義兄にいさんには言ってもいいかもな…。俺にとって朱里は兄貴たちの忘れ形見じゃなく一人の女だ。否定してぇならそうしてくれ。自分がどうかしてるってことくらい分かる。」

 司はなにも言うことなく新しいタバコに火をつけた。深く煙を吸いゆっくりと吐き出すと聖に言った。

「…覚悟があるなら今の関係を続けなさい。」

怒っているとか嫌悪しているわけではなくただ、淡々と事実を述べる司は冷静過ぎて逆に恐ろしい。聖は生唾を呑み込むとタバコをフィルターギリギリまで吸って灰皿でもみ消した。

 こういう冷静過ぎる時の司は何を考え、何を思っているのか皆目見当もつかない。長年一緒に暮らしている皐月や尭でさえもそれは分からないという。皐月たちで分からないことが聖に分かるはずがない。

聖は司の顔を盗み見ながらコーヒーを一口飲んだ。

「……人の顔をじろじろみるな。言いたいことがあるならはっきり言え。」

「…どうしてそんな冷静なんだ?普通なら軽蔑すんじゃねぇの?」

突然、英語で話し出す聖に司はちらと階段付近を見る。聖は目を伏せることでそれに答えた。どうやら聞かれたくないらしい。

「軽蔑…ねぇ。私はそんなことはしない。お前が幸せであればそれでいい。少なくとも私たちはそう思っているよ。」

司は優しく笑って聖の頭を撫でると席を立った。聖がガキ扱いするなと手を払うかと思っていた司だったが当てが外れ少し驚いた。久しぶりに触れた司の手は数年前となんら変わっていなくて嬉しかった。

「…ありがとな。義兄さん」

「ああ。それじゃあそろそろ失礼するよ。」

 聖の頭をもう一度くしゃりと撫でた司は手を離し玄関へ向かった。途中にある階段で足を止めた司はポケットから名刺を一枚出すとペンで何かを書いて言った。

「朱里、立ち聞きはよくないな。降りてこい。」

 言われた朱里は内心ドキっとした。分かっていないと思っていたのに甘かった。対面した時から感じていたが余裕そうに見えて実は隙がない人だったということ改めて思った。司の言葉を無視するわけにはいかないので朱里は降りることにした。

「素直だな。これを渡しておこうと思って呼んだんだ。」

てっきり、立ち聞きしていたことを何か言われるかと思って身構えていたのになんだか拍子抜けした気分だ。

 司が差し出したのは名刺だった。朱里がこれはと司に質問する。

「私のプライベート番号だ。何か困ったことがあればここに連絡しろ。週末に会えるのを楽しみにしているよ。」

司はそう言って歩き出す。朱里は見送るために玄関に向かう。少しして聖もやってきた。

「二人して見送るなんて夫婦みたいだな。ありがとう。じゃあ週末にな。」

「変な言い方すんじゃねぇよ。姉貴にもよろしくな。」

司は聖の頬がわずかに赤くなっているのを見逃さなかった。

「気をつけてね司伯父さん。」

朱里に笑って手を振った司は帰っていった。


 リビングに戻った聖はカップを片付けはじめた。

「優しそうな人だね。」と朱里がやってきて言った。

「ああ、俺が一番ヤバくて不安定な時にずっと近くにいてくれた人だからな。これ、なにか分かるか?」

聖が左の袖をまくりあげてみせた。手首には複数の傷があった。朱里は驚いて目をみはる。

「今はんなことしてねぇから安心しろ。」

朱里は聖がいつも手首を隠すような服装をしていた理由はそれだったのかと納得した。

「…なんでそんなことに?」

重苦しい雰囲気が流れるなか、朱里は恐る恐る聞いてみる。

聖はカップを食洗機にかけると移動してソファに座って答えた。

「兄貴たちが亡くなって精神的に危なかった。その時の名残だ。今の俺があるのは義兄さんのおかげだからな。姉貴も相当、悩んだみてぇだしな。だいぶ重い話をしちまったな。悪い。」

朱里は聖の前でしゃがむと彼の左手を両手で包み込んで言った。

「大好きだったんだね…パパたちのこと。私は突然いなくなったりしない。絶対に。」

聖は泣きそうになるのを必死でこらえながら言った。いつもの余裕な態度で。

「その言葉、忘れんじゃねぇぞ。」

不適な笑いを浮かべそう言った聖に対し朱里も言った。

「望むところだよ叔父さん。」

「期待してる。それとな朱里、立ち聞きしてんのバレバレだったかんな。」

「え!?なんで?司伯父さんだけ気づいてたんじゃないの?」

「んなわけねぇだろう。俺も気づいたわ。」

「そんなに分かりやすかったかなぁ。」

本当は副業の関係で普通の人より五感が優れているということは朱里を混乱させるだけなので言わないことにした。

「朱里、さっきの話どっから聞いてた?」

「ほとんど最初から…。」

朱里の腕を引っ張りソファに押し倒した聖は耳もとで囁いた。

「なら、さっきの英語のやく分かるよな?」

また、ゾクりと全身が震えた。わざと思い出さないようにしていたのにその一言で無条件に思い出してしまう。頬を赤くし視線をそらす。

「朱里、あの言葉は嘘じゃねぇ。俺はお前ことをだと思ってる。お前はどうなんだ?朱里。」

名前を呼ばれ聖を見つめ返す。一生彼から逃れられない気がしてならなかった。

朱里は言った。

「…私も好…き。もう無理だよ。」

聖はふ、と笑って言う。

「覚悟できたと受け取っていいんだな?」

「うん。」

朱里は頷いた。

「一生離さねぇから覚悟しろよ。」

聖の唇が朱里のそれに重ねられた。抵抗することなくそれを受け入れる。

聖はそんな彼女に優しく触れるのだった。
























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