第5話 それぞれの思惑
朱里が目を覚ましたのは聖のベッドの上だった。あれから寝てしまったようでここまで運んでくれたらしい。
「起きたか?」
パソコンの画面を見ながら聖はそう言った。
「ごめん叔父さん。ベッド独占しちゃって。」
「ああ、ほんとにな。お前が二階じゃ嫌だとか言うからそこで寝かしてやったんだろう。」
今日、何本目か分からないタバコを吸いながら少し乱暴な口調で言う。
「ごめん。そんなに怒らなくても…――。」
聖は手をとめて立ち上がると朱里にずんずん近づいていく。そして彼女の肩を押す。
「キャッ!」
無防備だったのでそのままベッドに押し倒される。
聖は朱里の上にまたがると彼女の両手首を掴んだ。
「あのなぁ…途中で寝落ちされるのが一番キツイって分かってるかお前。」
朱里は拘束を解こうと身じろぐがびくともしない。軽く掴まれているのにだ。
「…だって叔父さん、
頬を赤く染めながら朱里はそう言った。
「…まぁな。」
「その
「ほっとけ。今度は寝落ちすんじゃねぇぞ。」
聖は朱里を拘束していた手を離すとデスクに再び座った。
キスされるんじゃないかと期待したが思い通りにならず少し気落ちした。
「遅刻するぞ。」
正面にかかっている時計を見た朱里はヤバいと口に出しベッドから出ると自分の部屋へと戻っていった。
「忙しいヤツ…。」と思わず笑みがこぼれる。 聖がこんなふうに自然と笑うようになったのはここ数年のことである。それまでは表面的にしか笑わなかった。だが、朱里と同居するようになりそれがずいぶんと緩和されたのは確かだ。
階段からバタバタと足音が聞こえたかと思うと部屋のドアが開いて朱里が言った。
「叔父さん会社に遅刻するよ?」
聖は画面から目を離さずに答えた。
「急に呼び出しが入ったから休む。」
「呼び出し?司
困惑の色を浮かべながら聞く。
「いや…もっと上だ。親父でもねぇからな。」
ますます訳が分からなくなり
聖は溜め息まじりに言った。
「言い方が悪かったな。昔からの腐れ縁の連中だ。心配するな。」
「ふーん。知らないことが多すぎるよ…。」
朱里は小さく呟いた。
それを聞き逃さなかった聖はボソリと呟いた。
「世の中、知らねぇほうがいいことのほうが多いんだよ。」
「え?なんか言った?」
「なんも言ってねぇよ。ほら、送っていってやるから早くしろ。」
聖はキーケースを取ると朱里を促した。リビングに行くとテーブルにサンドイッチが置いてあった。
「朝メシな。俺はいらねぇから食え。」
「ありがとう。でも珍しいね。叔父さんが食べないなんて体調でも悪いの?」
朱里の気づかう口調に
「まぁな…。行くぞ。」
車でサンドイッチを食べながら朱里は言った。
「今日、買いに行くんでしょ?ドレス。」
「ああ。何時に終わる?」
「3限までだから夕方かな。」
「分かった。16時くらいに迎えにいく。」
「うん。いってきます。」
聖はああと手を振って朱里を見送る。
一度マンションに戻った聖はスーツに着替えると机の引き出しを開けひとつの箱を取り出した。
「…さて。」
そう呟きピアスをつけかえる。
これはある組織のシンボルである。
準備を終えた聖が地下駐車場に降りると一台のベンツが止まっていた。サングラスをかけた運転手らしき男が後部座席のドアを開けて言った。
「突然の呼び出しに応じてくださりありがとうございます。」
「挨拶など時間の無駄だ。さっさと連れていけ。」
聖の威圧的な言葉に運転手は
運転席に乗り込み車を走らせながら男は言った。
「機嫌悪いですね聖さん。」
タバコの灰を落としながら聖は答えた。
「ああ、お前らみたいに暇じゃねぇからな。呼び出しのせいで仕事が溜まる一方だ。」
「文句ならボスに直接言ってくださいよ。オレは指示通り動いてるだけですから。」
聖はそうだったなと他人事のように言ってタブレットをイジリはじめた。
しばらく郊外を走ったベンツはとある邸に入った。豪華な玄関が彼らを出迎えた。
車から降りた聖はタバコを消すと運転手に渡した。
「聖さん、オレはあなたの召しつかいじゃないんですよ。」
聖はふっ、と笑いながら言った。
「ああ、知ってる。だが俺の部下であることに変わりはねぇだろ。」
「無茶苦茶な理由ですね。まぁ、そういうとこが好きなんですけど…。皆さんお待ちですよ。」
「ああ。」
聖は運転手とともに邸の応接室に入った。
「突然、呼び出して悪いな久瀬。まぁ座れ」
黒髪に青い瞳の青年がそう言ってソファを示した。隣には金色に近い茶髪に赤茶色の瞳をした青年がもう一人座っていた。
聖は二人と対面する形で座った。
「時間がないんで簡潔にお願いしますよ。」
「無駄話しをする気はないってことかい?」
「ああ、溜まった仕事を片付けに行きてぇからな。」
金茶の髪の青年はだそうだよと黒髪の青年に同意を求め肩を
黒髪の青年ははぁ、と溜め息をつくと言った。
「…分かった。政府が俺達を排除しようと動き出した。」
聖は大して驚きもせずにそうらしいなと冷静に答えた。これには青年たちのほうが驚いた。前もって知っていたのだろうか?疑問符を浮かべながら聖を見る。それを読んだかのように彼は言った。
「俺には優秀な情報屋がいますからね。知ってて当然でしょう。」
いつものような軽い口調ではなく丁寧な言葉づかいになるのは珍しい。
理由は簡単、聖にとって青年二人は敬意をはらう相手であるからだ。
「そうだったか?」黒髪の青年が意地悪い笑みを浮かべながら聞いた。
「ええ。部下の得意分野ですから。で、俺にどうしろと言うんです?」
「潰せ。」
短く一言。それだけで部屋全体の空気が変わった。氷の刃を突きつけられた、そんな感じだ。
「…無茶なことを言いますね。」
青年はソファの肘おきに頬づえをつきながら言った。
「無茶を言っているつもりはないんだがな。」
実に愉しそうに彼は言った。
「どういう理屈ですか?まぁ、善処しますよ。」
「悪いね久瀬、いつも無理難題を押しつけて」
金茶の髪の青年はそう言った。
「それが俺らの仕事ですから気にしないでください。」
それが当然であるかのように聖はあっけらかんと言ってのけた。
「久瀬、好きだよ。」
金茶の髪の青年が軽口をたたいて立ち上がり聖の額にキスをした。
「やめてください。
「ふふ、君が可愛いからしたくなるだけだよ。」
笑いながらそう言う彼に黒髪の青年が言った。
「やらしい言い方をするな。バカ蓮。」
「
うるさい。と零と呼ばれた青年が言った。
それを黙って見ていた聖は呆れ顔で二人に言った。
「イチャつくなら俺が帰ってからにしてくださいよ。帰るぞ
凰と呼ばれたのは先ほどの運転手である。
「分かりました。それでは失礼します。」
聖は挨拶もそこそこに部屋を出ようと二人に背を向けた。
「久瀬、言い忘れていたがオレたちもパーティーに参加するからな。」
「そうですか…。せいぜい目立たないようにお願いしますよ。あなた方は表の人間でもあるんですから。」
「ああ、分かっている。」
「…自覚があるなら結構ですよ。それでは失礼します。」
聖は部屋を出ると凰に言った。
「
「今、やってます。」
聖はさすがだなと満足げに頷いて車に乗るとタバコを一本、口で引き抜き火をつけた。邸の中は禁煙だったために吸えなかったのでおいしく感じた。
凰は車を走らせながら言った。
「聖さん、会社まで送りましょうか?」
「これで行けってのか?」
「ええ。」
嫌味たっぷりの口調で凰はそう言った。
「バカ言え。このピアスでほとんどの奴にバレちまうだろうが。」
クスクス笑いながら冗談ですと言った凰はふと真剣な
「ええ。まさか久瀬ホールディングスの社長が実は裏社会と繋がってるだなんてマスコミのいいネタになりますから。聖さん、少し寄り道していいですか?」
どこにだと言おうとして気づく。乗せられて来たのは凰のマンションだった。彼の
「分かってます。久しぶりに楽しめそうです。」
シャワーを浴びた聖は着替えるとソファに座りタバコを取り出した。
ベッドでは凰がタブレットをいじっている。
「なんか収穫あったか?」
聖の問いに彼は答えた。
「ありましたよ。どうやらボスたちを排除するよう指示を出したのは秀一郎様らしいです。」
「あの野郎、余計なことを…。」
舌打ちまじりで聖はそう言った。と、スマホにメッセージが入った。それを読んだ聖は凰に言った。
「マンションまで送れ。朱里が思ったより早く終わるみてぇだから。」
「それは残念です。もう少しゆっくりしたかったんですけど。」
「また、会ってやるから拗ねんじゃねぇよ」
凰はふぅ、と息をつき服を着はじめた。
マンションまで送ってもらった聖は悪いなと礼を言って部屋に戻った。
ピアスを外しケースにしまうといつものリングピアスに戻す。そして首筋のタトゥーも隠す。キーケースを持ち朱里の大学へと向かう。
途中で電話が鳴る。イヤホン通話にして出ると尭だった。
〈なんだ?トラブルでも起きたか?〉
〈そうじゃないけど…。明日、
〈午前でいい。時間は適当に決めろ。後で急ぎの資料をパソコンに送っとけ。〉
〈了解。例の件のこと詳しく教えてよ〉
尭の言わんとしていることを察した聖はああ、と返事をして電話を切った。
大学に着くと朱里が夏希とともに待っていた。
朱里は少し眉をつり上げていた。窓を開けると同時に一喝される。
「遅い!」
「わりぃ。」
「謝ってないし…。もういい。」
朱里はそう言いながらドアを開ける。
と、夏希が遠慮がちに聖に声をかけた。
「あ…あの、久瀬さん!」
「なんだ?」
「尭が電話変わってほしいって。」
そう言った夏希は聖にスマホを渡した。それを受け取り電話を変わる。
数回のやり取りのあと聖は通話を切って夏希に返した。
「君も乗ってくれねぇか?」
「え?どうして?」
「週末のパーティー、君も尭と参加すんだろ?」
「はい。」
「俺たちもそうだからな。朱里もドレスがねぇから買いに行くとこでな。君も一緒に連れて来いっていう電話だった。」
「え?お店違うんじゃ…」
「違わねぇよ。それよりさっさと乗ってくれるか?目立ってしょうがねぇ…。」
気づくと周囲の学生たちが立ち止まりはじめている。それはそうだろう。大学の前に高級車が止まり、女子大生二人に声をかけているようにしかみえないからだ。
朱里は夏希を後部座席に押し込むようにして車に乗り込んだ。
「早く行こう。」
着いたのは高級そうなドレス専門店。駐車場に車を止めた聖はさっさと店へと入っていく。
「お待ちしておりました久瀬様。」
「ああ。尭はまだか?」
「もう少しで着くそうです。」
「そうか。彼女の採寸を頼む。」
店員はかしこまりましたと一礼して朱里に言った。
「佐倉様、こちらへどうぞ。」
「はい。叔父さんこれ持ってて。」
朱里は聖にバックを預けると店員と奥に入っていった。
「久瀬さん、ありがとうございます。乗せてもらって。」
「ああ。尭のこと頼むな。あいつは自己犠牲が強い。周囲がフォローしねぇと大変なことになる。」
「どういう意味ですか?分かるように…―」
最後まで言い終わらぬうちに店のドアが開き尭が入ってきた。尭は立ち話をしている二人を見て言った。
「珍しい組み合わせだね。遅くなってごめんよ夏希。」
「ううん、大丈夫。」
尭は夏希のバッグを持つと店員を呼んで採寸するように言った。
「タバコ吸ってくる。」
聖はそう言って喫煙室に向かった。そして先ほどから鳴りっぱなしの携帯に出た。
〈早く出てくださいよ聖さん。〉
〈わりぃ。出れねぇ状態だった。で、アポは取れたか?〉
〈相模さんだけで取れました。ラ・ヴィールで明日、22時からです。〉
〈相模に丸投げか…。まぁ、こちらとしてもそっちのほうが都合がいいんだがな〉
〈ええ。相模さんって臣さんの腹違いの弟でしたよね?〉
〈ああ。明日は迎えに来るな。〉
〈分かりました。何かあったら連絡します。それでは。〉
通話を切りタバコに火をつける。
「さて…どうすっかなぁ。」
聖がもうひとつの顔を持っていることを朱里に知られるわけにはいかない。それは彼女を護るためでもあり、捲き込まないためでもある。
聖は常にそれを考えながら毎日を過ごしているのである。
翌日の夜、聖は朱里が熟睡しているのを確認して家を出た。一応、置き手紙をしていく。
車は目立つのでバイクで行くことにした。
ラ・ヴィールに着いた聖はクローズの看板がかかっている扉を開けて中に入る。
「お、来た来た。」
カウンターに座っていた青年が振り返る。彼が
京弥の隣に座った聖は言った。
「用が済んだらすぐ帰る。邪魔しちゃ悪いから。」
「そんなこと一言も言ってない。臣から大体のことは聞いた。奴らも無茶をいう…。」
「だがそうしなければ日本は終わる。」
聖にアイスコーヒーを出しながら臣は静かにそう言った。“表裏一体”そのバランスを崩すことは許されない。それを保つために聖たちがいるのである。
京弥はメガネを外してケースにしまうとタバコを出した。聖はライターを出すと彼のタバコに火をつけた。
「ありがとう聖。」
煙を吐き出しながらネクタイをゆるめた京弥は言った。
「聖、
「ああ、そろそろ─。」
突然、京弥の背中に衝撃が走った。
「―っ…」
「知らねぇぞ尭…。」聖は見てみぬふりをすることにした。
京弥は静かに淡々と言った。
「……尭、俺は遊びに来ているわけじゃない。ふざけるのも大概にしろ。」
怒っているわけではないのに怖いと感じるのは気のせいだろうか。
尭の手が小刻みに震えている。
「ごめんなさい…。」
いつもならこんなに素直になることはないので逆に驚いた。
「─冗談だ。尭…、大きくなったな。」
京弥は腰に回された手を優しく叩いてそう言った。
「そうだよ…。会うの数年ぶりだからさ。」
尭の手にさらに力がこもる。
「そんなに会ってなかったの?」
香帆が驚いた様子で言う。
「そうだ。俺が秘書になってからは会ってない。―いい加減離れろ尭。」
尭は彼の腰に回していた手を離すと左隣に座った。少し目が潤んでいるのは気のせいにしておくことにした。
「…さて、みんな揃ったし本題に入るな。政府としての見解は?」
臣はグラスを拭きながら京弥に聞いた。
「見解、ねぇ…。彼らがいること事態が
「ヤツ?」と尭が聞き返す。
「久瀬秀一郎だよ。」と京弥。
「え?つーことは、何?叔父さんが反対派を焚き付けたってこと?」
「そうだ。アイツならやりかねない。」
聖が静かに同意する。身内のことを言われているのに彼は冷静だった。それが違和感を禁じ得ない。
「どうして冷静なわけ?」
尭は思わず声に出していた。
聖は驚いた
「まだ聞いてなかったのか…。いずれ分かることだし、まぁいいか。京一郎と秀一郎、二人の間に長年の確執があるのは知ってるな?」
「ああ。」
「それがさらに表面化してきて秀一郎が本格的に裏社会を牛耳ろうとしているのさ。京一郎派である蓮さんたちはその障害にしかならないしな。
それから、誤解のないように言っとくが俺と秀一郎は血が繋がってない。あの人は養子だからな。」
「初耳だ。だから距離があったんだ。」
「ああ。」
話を聞いた尭は納得した。どうやら聖にとって秀一郎は叔父という認識ではないらしい。
それだけ危険な人だと彼は捕捉した。
「それが分かっていてなぜ野放しに?」
臣がグラスを片付けながら聞いてくる。
「泳がせて機会を伺ってたんだろう。だが、そうも言ってられなくなって俺たちに回ってきたんじゃないか。」
聖の説明に京弥が相づちを返す。
「ねえ、その漣さんってどんな人なの?会ってみたい。」
尭は好奇心を抑えられない様子でそう言った。
「─今度のパーティーで会えるさ。」
京弥は尭の頭をぽんぽんと叩いてそう答えた。
「まぁ、いつも通りこなせばいいだけの話だな。」
一方の秀一郎はというと綿密に計画を立てていた。
「…必ず、引きずり下ろす。高い金を積んで雇ったんだ。それなりの働きはしてもらう。」
彼の視線の先には数人の男女が立っていた。皆、不敵な笑みを浮かべていた。
それぞれの思いが
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