第6話 明かされた正体

 週末、久瀬家主催のパーティーが盛大に催された。

 各界の著名人、芸能人が自慢のドレスコードで参加している。そんな中で朱里たちも負けず劣らず目立っていた。

 朱里のドレスは背中と胸元が大胆に空いたパープルのロングドレスを、夏希はネイビーのスレンダードレスを着ている。どちらもオフショルダーで彼女たちの美しさを際立たせている。

 聖たちも三つ揃えのスーツを着こなし、他の女性たちの目をくぎ付けにしていた。


 朱里は聖の影に隠れるようにして歩いていた。

「朱里、堂々としていろ。悪い印象しか与えないぞ。」

 そんなことを言われても無理な話である。日数が少なかったため簡単な社交レッスンしか受けていない。それを実行しろなど無茶を言うにも程がある。

 抗議の声をあげたかったが社交の場でそんなことを言うわけにもいかず言葉をのみ込んだ。後で文句を言おうと決意した朱里だった。そう割り切った朱里は顔をまっすぐ上げ、レッスンで習った通りにした。

 すると、今までザワついていた場内の空気が変わる。

 聖は満足そうに笑うと朱里の耳元で言った。

「いい子だ…。そのまま俺の数歩後ろを歩け。」

 朱里は頬を紅潮させながら頷いた。ちらりと横を見ると夏希は美しい所作で歩いていた。さすが白河家の令嬢である。


 聖たちは一通りあいさつをすませると会場を出て隣の部屋に向かう。

「朱里、今から父さんたちに会う。かしこまらず普段どおりにしてればいい。」

 微笑を浮かべた聖は朱里に手を差し出した。

「…こわい。でも…」

 朱里は意を決して聖の手を取った。すると彼の体温が伝わってきて緊張と不安が一気に吹き飛んだ。

「行くぞ。」

 聖は朱里の手を握り返すと扉をノックした。

 すぐに「入れ」と返事が返ってきた。

 中に入ると老齢の男女と司、女の人がソファに腰かけていた。

 朱里は司に向かって会釈した。

「久しぶりだね朱里。」

 そう言って司はニコリと微笑ほほえんだ。

「司くん、知り合いか?」

 老齢の男性がそう聞いた。風格と威厳があり、少し後ずさりしてしまう。

「ええ。先日、会いました。」

 司は静かに答えた。

「そうか…─。似ているな。」

「ああ。朱里、こっちへ。」

 聖に手招きされ隣に立たされる。

「父の京一郎きょういちろう、母の礼子れいこだ。」

「は、はじめまして…。佐倉朱里です。よろしくお願いします。」

 緊張しながらも何とかあいさつをする。

 京一郎と礼子は顔を見合わせ嬉しそうだ。

「…朱里、こっちへ」

 京一郎が手招きする。チラとうかがうようにこちらを見る彼女に聖はこくりと頷いた。朱里はドキドキしながら近寄っていく。骨ばっている優しい手が頭を撫でる。

「─え…」

 ふと記憶が蘇る。幼い頃に同じように撫でられたことがあった。わしゃわしゃと撫でたあと、前頭部に向かって撫でる仕草は変わっていたので覚えている。

「あ、あの…間違ってたらごめんなさい。おばあ─柊子さんの家に行ったことありますか?」

 どう話していいか分からず他人行儀になってしまう。

 京一郎は目をしばたたかせながら言った。

「…何度かあるがそれがどうかしたのか?」

 朱里は嬉しそうで泣きそうな表情カオで京一郎を見る。

「朱里?」

 心配そうに問いかけると彼女はゆるゆると首をふる。その様子を見ていた聖がすぐにやってくる。

「ごめんなさい…。何だか懐かしくて…、会ったことあるんですね…。よくおばあちゃんに礼子さんの話をしてたのを思い出したから。」

 京一郎の顔が赤くなっていく。礼子のほうは嬉しそうに頬を紅潮させている。

「ああ、あの時か─。…母さんが入院してた頃だな。」聖の瞳が冷たくかげる。司たちも同様だ。

 一瞬、部屋の空気が張りつめる。

 ごほんと咳払いが響く。聖たちはスッと表情を戻した。

「朱里、恥ずかしいからそれ以上言ってくれるな。」

「いいじゃない。私は聞きたいわ。」

 礼子が続きを促す。話そうとするとある声に遮られた。

「お邪魔するよ。」

 ノックもなしに入って来たのは人気俳優、逢坂蓮おうさか れん凰咲零おうさき れいだった。

 これには全員が驚いた。

「ノックくらいしてもらいたいんですがね…。」

 あきれ混じりに司はそう言った。

「したよ。君らが気づいてないだけだよ。」

「そうでしたか。失礼しました。で、用件は?」

「あいさつだ。久瀬、司、失敗は許さん。もし出来なければ皐月を返してもらう。」

 ピクリと司の眉が動く。聖も同様だ。

 3人の間で進んでいく会話に誰も入ることができず成り行きを見守るだけだった。

「…それは困るな。逢坂、皐月は渡さない。」

「ふ、いい顔をするじゃねぇの?そそるわ。」

「零、戻るよ。彼女たちが怯えてる。」

 零はいたのかという顔で朱里たちを見回すとじゃあなと片手を挙げる。手袋の下から手の甲がチラリと覗く。一瞬しか見えなかったが彼の甲には黒い薔薇の刺青タトゥーらしきものがあった。

 二人は何か話しながら出ていった。部屋を出た蓮は彼に言った。

「なんでわざと見せたの?」

「─腐れ縁は一生切れないってことを教えたかっただけだ。」

「…そう。」

「─さて、に戻るか。」

「そうだね。ファンサービスは大事だから。」

 二人は華やかな世界へと戻っていく。


 蓮たちが出ていった後、部屋の空気は重かった。

「…直々にあいさつに来るとは思わなかった。」

 そうですね。メガネを指で押し上げた司は京一郎の言葉にそう答えた。

 朱里は聖の袖を引っ張る。振り向いた彼に小声で話しかける。

「さっきのって…、人気俳優の逢坂 蓮と凰咲 零だよね。なんで身内しか入れないこの部屋に入れるの?あの人たち何者?」

「……─。」

 黙り込む聖に朱里はねぇと詰め寄る。

「…教えてあげましょうか?」

 口を開いたのはずっと黙っていた皐月だ。胸元がざっくりと空いたワインレッドのドレスは彼女の美しい肌によく映えている。

「…姉貴!」

「聖、彼女はもう久瀬家の人間よ。真実を知る権利がある。祐一も言っていたはずよ。いつかは話さなければならないことだと。」

「真実?…どういうこと?叔父さん、いったい何を隠しているの?」

 困惑している朱里を見つめた聖は彼女を抱きしめた。

「叔父さん?離れて!これじゃ…。」

「いい!」

 抱きしめる腕に力がこもる。スーツから香る香水の匂いが鼻先をくすぐる。バレるとかバレないとかもうどうでもよくなった。聖の腰に腕を回して言った。

「…叔父さん、教えて?真実ってなに?」

 聖は体を離し、ネクタイをゆるめると首もとをあらわにした。朱里が目を見張る。

 夏希も驚いている。

「…ひとまず座りなさい。」

 京一郎の言葉に従いソファに座る。

 全員が対面する形になった。それを確認した皐月が話はじめる。

「どこから話しましょうか?─都市伝説の一つに日本を裏から支えるがあるというのを聞いたことがあるかしら?」

「─何度かネットで見たことが…。」

「そう。それね、実在するのよ。」

「…⁉」

 と、扉がノックされ女性が入ってくる。状況を察した彼女は言った。

「お邪魔でしたか?」

「いや、かまわぬよ。」

「…お時間です。」

「うむ。詳細は後ほど話そう。まずはパーティーこちらに集中せんとな。司くん頼むぞ。」

「ええ。承知しています。行こうか皐月。」

 司は立ち上がり彼女に手を差し出した。

「ありがとう、司。」

 司は皐月をエスコートしながら出ていった。

 立ち上がろうとした京一郎に聖は言った。

「なぁ、父さん。─俺は義兄さんだから全てを任せてるんだ。そこを勘違いしてくれるなよ。」

 聖はそれだけ言うと朱里たちを連れて会場へと戻った。

 礼子はふふ、と笑いながら言う。

「あらあら、あなたの考えはお見通しのようね。」

「そのようだな。さてわしらも行こう。」

 礼子は頷いて会場へと向かった。


 会場の扉はスタッフによって開けられた。また注目を浴びることになったがさっきよりは緊張がほぐれていたので堂々と歩けた。テーブルの上には和洋中、色とりどりの料理が並び、参加者をもてなしていた。ビュッフェ形式のパーティーなので皆、好きなものを皿に盛っている。スタッフがアルコール類をトレーに乗せて場内を歩き回っている。

 朱里がトレーに乗ったグラスを取ろうとすると聖がやんわりと彼女の手を掴んで言った。

「朱里、そっちは度数がキツイからこっちにしろ。」

 渡されたのはイチゴの甘い香りがするカクテルだった。一口飲んだ朱里はおいしい。と聖の顔を見る。

「だろ?ストロベリースノウだ。」

 朱里の手からグラスを取った聖はそれに口をつけた。

「─……。なるほど…。」

「─?叔父さん?」

「何でもない。朱里、来い。」

 聖は朱里を連れて会場を出ようとする。気づいた司が声をかける。

「聖、どうした?」

 聖は無言でシャンパングラスを司に押しつけて囁いた。

「狙われてるのは彼らだけじゃない。預けてくる。」

「─わかった。」

 聖の意図を正確に読んだ司は離れた。

「行くぞ。」

 聖に手を引かれ連れていかれたのはVIPルームだ。ノックをすると中からどうぞと返ってきた。聖はドアを開けて中に入った。

「─…何かあったの?」

 ソファに座っていた蓮がワインを飲みながら聞いてくる。

「そうでなきゃ来ませんよ。朱里を預かってもらえませんか?」

「…いいけど。聞かれたことには全て答えるよ。」

「構いません。ではお願いします。朱里、俺を信じろ。」

 うなづく前に朱里の唇を奪った聖はクスリと笑って出ていった。頬を真っ赤にした朱里は動揺する。軽蔑けいべつされるんじゃないかと身構えていたがそんなことはなかった。

「大切にされてるね君。安心してよ言いふらすことも止める気もないから。こっち来て座りなよ。」

「…気持ち悪いって思わないんですか?」

 蓮は手招きしながら言った。

「恋愛は自由でしょ。ねぇ、零。」

 ガラス張りの窓からホールを見おろしていた零がこちらにやってきて斜め向かいに座った。

「そうだな。俺たちの関係もそれに近い。」

「え?」

 思わずそう声が出る。

「意外だった?けど、このことはファンには内緒ね。マネージャーしか知らないから。」

 蓮はクスクス笑いながらそう答えた。

「佐倉朱里と言ったか?あのガキ─いや、聖のどこがいいんだ?あいつはお前が思うほどいいヤツじゃない。」

「零、言いすぎ。」

 蓮がたしなめるが彼は構わず続けた。

「どこまで聞いたか知らないが俺たちは裏の人間だ。その構成員として聖たち、久瀬家がいる。」

 落雷にも似た衝撃が朱里の胸を突き抜けた。言葉が出ない。今、確かに彼はだと言った。聞き間違いではない。

「バカ…。」

 盛大にため息をついた蓮がそう呟いた。

「─…嘘よ。…そ…んなわけ…。」

 零は紫煙をくゆらせて言った。

「─いずれ分かるさ…。」

 彼はそれ以上、口を開くことはなく長い沈黙が流れた。蓮も口を開こうとしない。

 言われたことを理解しようにも脳がそれを拒否して思考が働かない。考えれば考えるほど深みはまっていく。まるで底なし沼に引きずり込まれるかのようだ。それは朱里の意識をも飛ばした。

 その後のことはよく覚えていない。気づけば自宅マンションではない部屋で寝ていた。

「─起きたか?朱里。」

 ずっと隣で寝ていたらしく、昨日と同じスーツで上だけ脱いでいる。

「…叔父さん。」

 キスをしようと唇を寄せるが人差し指で止められた。

「─最後のチャンスをやろう。…朱里、零さんが話したことは事実だ。俺たちは秩序を守るために存在する。彼らが命令すれば法も犯す。」

 朱里は驚愕きょうがくの表情を浮かべた。聖は尚も続けた。

「…逃げるかどうかはお前が決めろ。」

 そう言った聖はソファに掛けていた上着を取って部屋を出た。1人残された朱里は何もできなかった。

「聖。大丈夫か?」

 司とあきが心配そうに見つめてくる。

「…無理かも。」

 弱気な笑みを唇にのせた聖は司の胸にすがった。彼はそんな聖の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「…ありがとう、義兄にいさん。尭も。」

「どういたしまして。…夏希もずいぶん時間がかかった。けど受け入れてくれた。だから大丈夫さ。父さん、そういうことだから縁談は今後、一切受けないでよ。」

 そう言った尭は二人に背を向けて歩き出す。

「─尭、とっくに断ってるから安心しなさい。」

 尭はそれに答えるように手を挙げると上機嫌で歩き出し夏希が待つ部屋へと入っていった。

「義兄さん、姉貴が待ってるんじゃないか?早く帰りなよ。俺はテラス行くから。」

「ああ。少しは休めよ。明日からはさらに忙しくなる。」

「わかってる。おやすみ。」

 司はもう一度、聖の頭を撫でて戻っていった。聖は近くの部屋からバルコニーに出るとタバコに火をつけた。遠くのネオン街を見ながら煙を吐き出す。窓が開く音がしたが大して気にもせず灰を落とす。

「─ご一緒しても?」

 横から声を掛けられ振り向くと夏希がタバコを出していた。少し驚きながら問いかける。

「─タバコ吸うの?というか尭は?」

「たまにですけどね。尭はシャワー浴びてます。」

「─イメージないんだけど。もしかして朱里も吸ってたりするわけ?」

 無意識に出た言葉に夏希はいいえと首を振る。

「朱里は吸ってないですよ。久瀬さんは心配性ですね。」

「聖でいい。タバコは体によくないからな。喫煙者である俺が言うのもどうかと思うけど。」

「─ふふ。その通りですよ聖さん。」

 聖は燃えつきたタバコを灰皿に入れ二本目に火をつけた。

「…聞いていいかな?夏希ちゃんは俺たちのことどう思ってる?」

 夏希はしばらく考え込み、そして答えた。

「…怖いですよ。恋人が裏社会の人だったなんて笑えないですから。」

 聖は紫煙を吐きながら笑う。

「はは。確かに。でも別れなかった、それはどうしてだ?」

 ふ、と問われる。おどけた様子は一切なく、改めて彼はの人間だということを思い知らされる。いつ見てもは慣れない。威圧的な人を見透かしたような態度、聖は愉しそうに笑っている。

「…っ。好きだからです。」

 気圧されて一歩後ずさるとトンと何かにぶつかる。

「─尭⁉」

「へぇ…それは頼もしい。戻るよ夏希。

 なあ聖ぃ…、度が過ぎたらいくらお前でも許さないからな?─おやすみ。」

 尭は夏希の肩に厚手のストールをかけてやると部屋へと戻っていった。

 聖はそれを見送りながらくわえていたタバコのフィルターを噛んだ。

「…いい表情カオするじゃねぇか。それくらい図太くなきゃ裏社会ここでは生きれない。」

 灰皿にタバコを入れ部屋に戻るとベッドにそのまま倒れこむ。それを高級なマットレスが受けとめる。疲れが溜まっていたのだろう、眠気がどっと押し寄せてくる。抗えずに目をとじて意識は眠りのふちに深く沈んでいった。












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