第7話 離れる距離

 聖の言った“事実だ”という言葉が頭から離れず一睡もできなかった。あまりに現実離れしすぎていて思考が追いつかない。両親もそうだったのだろうか。考えても答えは出ない。ベッドの上で膝を抱えているとドアがノックされる。メイドか誰かだろうか?ベッドから降り裸足のままドアを開ける。

 立っていたのは聖だった。怖いはずなのに体が勝手に動いて彼に抱きついた。

「─っと。いきなり抱きつくな。」

 朱里はさらに力を込めた。

「朱里?」

 顔をうずめたまま彼女は言った。

「…なんでだろ?怖いのに体が反応しちゃう。─叔父さん、私…帰ろうと思う。」

 力を込めて押し返された彼女の手はかすかに震えていた。だが、目には強い意志がこめられていた。

 抱きしめたいという衝動を抑えてグッと拳を握りこむ。

「…─わかった。準備しとくから先に風呂入ってこい。石栗いしくり、案内してやれ。」

「かしこまりました。佐倉様、ご案内いたします。」

 朱里はお礼を言ってメイドの後をついていく。ちらと後ろを振り返ると聖は朱里に背を向けて反対方向へと歩いていた。

 いつもは見送ってくれているので少しさみしかった。

「─叔父さん…。」

 小さい呟きは誰にも聞こえなかった。


 聖は司の書斎を訪ねた。会社の資料に目を通していた彼は気配に気づいて顔をあげた。

「聖。どうした?」

「あー…いや。朱里が一度帰ると言い出した。」

「…分かった。有坂あたりが妥当か?」

「ああ。歳も近いしちょうどいい。」

 大きくため息をついた聖はソファに座るとタバコを出した。

書斎ここは禁煙だ。」

 鼻で笑いながら聖は言った。

「義兄さんも吸ってるくせによく言うよ。」

「…正論だな。─そういえば逢坂が例の件、謝りたいそうだ。」

「…ああ、別にいいのに。電話入れとくか。」

 聖はもう1台のスマホを出すと逢阪に電話をかけた。

「…ああ。大丈夫です。少し距離を置きたかったんで…ええ、はい。回してくれていいですよ。─はい、失礼します。」

 スマホを投げた聖は司に聞いた。

「姉貴は?」

「ああ…、だ。1人つけてるから安心しろ。」

「そう。父さんたちは帰った?」

 司は資料を読みながら答えた。

「ああ。昨日の件、秀一郎が当事者だそうだ。派手にやってくれたよなぁ…。お義父さん荒れてたけど、─どうなるかな…。」

 愉しそうに笑う司に聖は一瞬、怖くなった。聖自身も人のことは言えないのだが司は聖よりも冷酷だ。

 だが、裏社会で生きる以上、それは必要不可欠なことである。兄の祐一はそれが嫌で家を出たと聞かされている。そのころ聖は理由ワケあって実家を離れていたので詳しくはわからない。京一郎も彼を無理に連れ戻すことはしなかった。

「義兄さん、怖い。─なあ、兄貴は久瀬に生まれたくなかったのかな?」

「…どうだかな。真実がどうであれ祐一は祐だ。な?」

 立ち上がった司は寝ている聖の頭をわしゃわしゃなでた。

「なにすんだ!」

「ふ。元気になったな。─なぁ…聖、距離を置くなら、入れていいよな。腕がなまってもらっちゃ困る。」

 司の顔が近づき試すように口端こうたんがつり上げる。

 聖も不適な笑みを浮かべて言った。

「…義兄さん、誰に言ってる?」

「─お前。」

「─期待以上にやってやるよ。」

 司はふ、と満足げに笑うと資料に視線を無駄戻した。


 そして午後、朱里は気持ちの整理がついたら連絡すると言って帰っていった。

「良かったのか?帰らせて」

 見送る聖の背に声をかけたのは尭だった。

「ああ、考える時間をやらねーと。しばらく臣たちが面倒見てくれるから心配ない。」

「そっか。お前はどうする?僕は夏希と明日帰るけど有休か出張扱いにしとこうか?」

 聖は少し考えてから答えた。

「─3日間、有休にしといてくれ。」

「わかった。しっかり働きなよ。」

 肩を叩いて囁く。

「─後さぁ、これは噂だけど有坂って略奪が好きらしいから気をつけなよ。」

 聖の眉がピクリと動き間をおいて答えた。

「─やれるもんならやってみろ。朱里はなびかない。」

「…すげぇ自信。」

 感心する尭である。そう言いきれるのはうらやましい。


「ああ、こちらでしたか聖さん。尭さんも。」

「…どうした鳳?」

依頼仕事です。得意先なので失礼のないようにとの伝言です。」

「─わかった。行くぞ尭。」

 尭は僕も?と息をつく。聖はだろ?と鳳に同意を求める。鳳ははいとうなづいた。


 二人はホルスターに銃を差し込むとガレージに向かう。途中で司とすれ違う。

「頼むぞ二人とも。」

「わかってる。」

 聖たちがガレージに向かうと鳳がエンジンをかけて待っていた。車に乗り込んだ二人は目的地へと向かった。


 応接室に通された二人は出されたコーヒーを飲みながら依頼人を待つ。

「ねぇ聖、なんで僕たちなんだろうね?」

「…さぁ。俺たちのほうがと動きやすいってことじゃねぇの?─ま、どうでもいいけどな。」

「─待たせて申し訳ない。司からは代理を向かわすと聞いていたが…若いな。」

 応接室に入ってきた男性がそう言いながらソファに座る。

 金髪に碧眼へきがんという西洋人特有の容姿を持つ彼は紫筑浹しづきしょう、司の親友でビジネスパートナーでもある。


「…俺たちでは不服ですか?」

「─そうは言ってないだろ。前の奴らよりはずいぶんマシだ。」

「…そうですか。で、ご依頼は?」

 不機嫌さを隠そうともせずに聖が彼に聞いた。

「私の護衛と夜の相手。」

「…帰るぞ尭。」

 立ち上がり部屋を出ようとするとトスと暗器あんきが聖の手元をかすめ、ツウと赤い筋が流れる。

「聖!」

 尭が浹を思いっきり睨んだ。それを鼻で笑うことで一蹴した彼は脱脂綿を取り手当てをした。

「─最後に言った言葉は冗談だ。依頼は私の護衛。…からかって悪かった。」

「いいですよ慣れているので。尭、抑えろ。─依頼はお受けいたします。」

 聖の語気が刺々しい。尭は深呼吸すると契約書を差し出した。

「こちらに署名と押印をお願いします。あと父から伝言が…。あまり派手に動き回るな。だそうです。」

 契約書にサインしながら浹は含み笑いを浮かべた。それを尭に渡したあとタバコに火をつけ、紫煙をくゆらせながら彼は言った。

「─君らは恋人いるのか?」

「いますよ。今は離れてますが。」

「そうか…。離すなよ、私みたいになりたくなければな。」

 浹は自嘲しながらタバコを灰皿に押しつけた。

「どういうことです?」と聖が聞き返す。

「─仕事に追われて構わなかったら逃げられた。まぁ、今となってはどうでもいい話だが…。」

「再婚しようとは思わないんですか?」

 尭の言葉に浹は笑う。

「思わない。結婚していた時より今のほうが充実しているからな。」

「そうですか。」

「ああ。お前たちもいずれ分かる。その時、どうするかは知らんがな。」

 浹の言葉に聖は覚えておきます、と笑った。

 と、タイミングよくドアがノックされおそらく秘書であろう男性が入ってくる。

「─社長、お時間です。」

「ああ。君たちもついておいで。をしておくといい。」

 椅子に掛けていた上着を羽織った浹は部屋を出る。

 連れて行かれたのは彼が所有するホテルで行われているパーティーだった。

「…浹さん。」

 浹の顔が一瞬かたまる。

「─ああ。気に入りませんかこの呼び方?」

「いや。好きに呼んでくれて構わない。」

「わかりました。…これって非公式じゃないですか?」

 クスクス笑いながら浹は楽しそうだ。

「…話が早くて助かるよ。そう、いずれ君たちも踏み入れる場所だ。司…。彼がめんどくさいという理由でお前らに丸投げするはずがないからね。」

「─っ。」

 明らかに先ほどまでとは雰囲気が違う。口調も変わり驚く聖たちだった。

「…きちんとしなよ。」

 二人の前を歩くのは紛れもなく裏で相応の地位を得た立ち姿だった。



 一方、臣たちの店まで送ってもらう車中で朱里は戸惑っていた。

 聖は彼女が寝ている間にどこかへ出かけていたのは知っている。机の奥にしまってあるピアスも普段とは違うデザインで気になったが聞くことはしなかった。

 ミラー越しに考え込んでいる様子に気づいた運転手が声をかける。

「聖様のことですか?答えられる範囲でお答えしますよ。」

「え?私、そんなこと一言も…─!」

「─やはりそうでしたか。誘導尋問は成功ですね。」

 穏やかに笑う運転手に朱里は言った。

「成功って…何ですかそれ?面白い方ですね。─お名前は?」

 思わず笑いがこみ上げる。

「ああ、やっと笑いましたね。私は有坂玲於ありさかれおと言います。よろしくお願いしますね。」

「こちらこそよろしくお願いします。」

 朱里はぺこりと頭を下げた。

「ああ、そうだ。喉が渇きませんか?近くにおいしいカフェがあるので行きません?」

「え、いいんですか?」

「本当はダメですよ。けど息抜きも必要でしょう?」

「…そうですね、有坂さん。」

「─オレ25歳。歳あんま変わんないし玲於でいいよ。敬語も無しな。」

 にこやかに笑う彼につられて自然と笑っていた。

「…─わかりました。じゃあ玲於さんて呼ぶね。」

「ああ。」

 玲於は先ほど言っていたカフェに立ち寄ると車を降りる。

「スーツ着ないのね。」

「ああ。オレは普段から私服だからな。それにラフなほうが変に警戒されないからラクだろ?─いろいろと…な。」

 意味深な笑みを浮かべながら玲於は店のドアを自然な動作で開ける。

「ありがとう。」

「どういたしまして。」

 玲於と朱里が店に入ると注目を浴びた。

 店員も一瞬、見惚れたのか動きが止まる。

「─2名様ですね。お好きな席へどうぞ。」

「どうも。」

 お礼を言った玲於は奥に座った。

 すると店長らしき女性が出てきてあいさつをした。

「久しぶりね玲於。」

 親しげに話しかける女性に朱里は少し嫌な気分になった。

 それに気づいたらしい玲於がクスクスと笑っている。

「久しぶりだな美玲みれい。景気は、よさそうだな。」

「ええ、おかげさまで。」

 美玲が店内を見回してにっこり笑った。

 モデルのような体型に抜群のプロポーション。きれいな二重に形のよい唇がいっそう彼女を目立たせている。

「ご注文はいつものでいいかしら?」

「ああ。頼む。」

「わかったわ。少し待ってて。」

 美玲はそう言って奥へ戻っていった。

「知り合い?」

 美玲が離れたのを見計らったように朱里が聞いてくる。玲於はそれがおかしくてならなかったが笑いをこらえて言った。

「ああ、美玲は双子の姉だよ。…安心した?」

「そ、そんなこと…ない。」

 内心、ほっとする自分に腹が立つ。朱里には聖がいるのに朱里の彼に対する思いは会って数時間しかたっていないのに少しずつ募っていく。

「ちょっとタバコ吸ってくるわ。きたら先に食べてなよ。」

「うん。」

 喫煙ルームに入った玲於は火をつけながら呟いた。

「…素直じゃないなぁ。」

「─玲於。本気で落とすのなら覚悟するのね。なんせ彼女は恋人モノなんだから。」

 耳元で美玲に囁かれた玲於はふ、と笑う。

「…だろうな。まぁ、選ぶのは朱里自身さ。オレは攻めるだけ。─…ここ客用の喫煙ルームじゃなかったか?」

「そうね。防犯のためにスタッフも使ってるの。」

 しれっと言い訳をする美玲に玲於は遠い目をする。

「ウソつけ。オレがいるから来たんだろ。」

「まぁ…そうだけど。なんでまたあの子を?」

「─奪いたくなった。じゃ理由にならないか?」

 美玲は呆れたと首を横に振る。

「あなたの悪いクセね。そのルックスじゃなきゃ許されないわよ。」

「ああ知ってる。お前も人のこと言えないと思うが。」

「確かにそうね。まぁ、返り討ちにならないよう気をつけなさい。」

 そう言った美玲は喫煙ルームから出ていった。

 玲於もタバコを消して出ると席に戻った。

 テーブルにはおいしそうなパンケーキと紅茶が運ばれていた。

「先に食べててよかったのに。」

「ついさっき運ばれてきて玲於さんが喫煙ルームから出てくるのが見えたから。」

「ありがとう。食べるか。」

 朱里はおいしいと言いながら食べている。

 玲於も笑いながらコーヒーを一口飲む。

「─朱里、クリームついてる。」

 玲於は親指でそれを取るとペロリとなめる。

「─っ⁉」

 朱里が頬を真っ赤に染めてうつむく。彼女の心臓は思った以上にドキドキしていた。

「─悪い。」

「だ、大丈夫。ありがとう玲於さん。」

 玲於は口ではそう言いながら内心、楽しんでいた。何となくだが聖が彼女に惹かれる理由が分かる気がする。彼に限らずこんなに表情が変わる女性を世の男たちが放っておくわけがない。真っ赤になったかと思うと急に普通に戻ってみたり、おいしいと言って幸せそうに笑ったり忙しい子だ。

「オレのも食べる?」

 玲於は皿に残っていたパンケーキを朱里にわたした。

「いいの?」

「食べなよ。」

「ありがとう。」

 朱里はお礼を言って食べはじめた。

 それから他愛のない話をして店を出たのが午後5時過ぎだった。会計は玲於がしてくれたようで朱里が出すことはなかった。

 車に乗り込むと朱里はごちそうさまでしたと頭をさげた。

「どういたしまして。」

 携帯のバイブが車内に響く。

「─ごめん、電話だ。」

 胸ポケットの携帯を出し電話に出る。

「─はい。」

 ──ああ。八重咲だけど朱里ちゃんのことお願いしていいかい?

「何かありましたか?」

 ──あいつの頼みごとがめんどくさいから君に丸投げするよ。

「…臣さん、殴りますよ?」

 ──あはは。それは勘弁してよ。玲於君に殴られたら死ぬから。

「冗談ですよ。わかりました。では私に一任ということいいですね?」

 ──構わないよ。聖にはフォロー入れとくから。

「お願いします。それでは。」

 電話を切った玲於は携帯をしまうと朱里に言った。

「急で悪いけど、オレのマンションに行くから。」

「─⁉なんで?」

「臣さんたち、しばらく帰れないらしいから。反論は聞かない。」

 玲於はエンジンをかけ走り出した。


 連れて来られたのはとあるマンションだった。

 駐車場に車を止め玲於がドアを開ける。

「…降りて?臣さんとこに行けない以上ウチにいるしかないだろ。…それに聖からカギ渡されてないだろ?」

 言われて気づく。そういえばもらっていない。

「……」

「…お嬢さん、お手をどうぞ。入らないと風邪を引く。」

 手を差し出した玲於の目は優しい。

「…うん。」

 玲於の手を取り車を降りる。そのままエスコートされ部屋まで連れていかれる。

「─入れ。」

 玄関は派手すぎないインテリアで飾られきちんと掃除されている。靴を脱いだ玲於は来客用のスリッパを並べた。

「お邪魔します。」

「どうぞ。」

 リビングに案内され座らされる。

「なんもないけどゆっくりしてろ。」

 さっきよりも少し口調がくだけている。

「─男の人にしては片付いてるね。掃除してくれる人でもいるの?」

 それは自然と出た言葉だった。言ってからはっとする。

「あ、うそっ─…ごめんなさいっ⁉変なこと言ってる。関係ないよね。」

 玲於は笑いを堪えるのに必死だった。

 ─あともう一息か?

 そんなことを考えながら一応答える。

「…何?ヤいてるのか? ─愉しいなお前。

 オレな、自分のテリトリーに他人が入るのがイヤなんだよ。だからハウスキーパーとか女とか部屋に入れたことない。朱里が初めてだ。」

「─なっ、じょ、冗談でしょ?」

 明らかに動揺している朱里は見ていておもしろくさらにからかいたくなる。

「本当だ。嘘つく必要ないしな。コーヒーとカフェラテどっちがいい?」

「カフェラテ。」

「わかった。荷物はその辺置いといていい。コートはソファーにでもかけとけ。」

「そういうとこはおおざっぱだね。」

 うるさいと言いながら玲於はカフェラテとコーヒーを運んできた。

「どうぞ。」

「ありがとう。テレビつけていい?」

 玲於はテーブルに置いてあったPCの電源を入れた。

「ああ。」

 テレビの音とキーボードの叩く音だけが響く。お互い何も話さないまま時間だけが過ぎていく。

「…玲於さん、私って信用されてないのかな?」

「なぜそう思う?」

「カギ…」

 そこで言葉が途切れる。

 朱里はうつ向いていた。

「─あのなぁ…、お前は聖の過去を知る覚悟があるか?受け入れることができるか?それができないから離れたんだろ?」

 図星をつかれ言葉が出てこない。

 実際、キャパオーバーで現実逃避しているだけだ。

「ふぅ…。朱里、今日はもう考えるのはやめろ。飲めるか?」

「少しなら。」

 待ってろと席を立った玲於はワインとおつまみを持ってきた。

「…ワイン、飲めない。」

「こいつはそんなにキツくないし飲みやすい。」

 言われて一口飲んでみる。すっきりとした甘味で口当たりがなめらかだ。フルーティーで飲みやすい。

「おいしい。これ高いんじゃ…。」

「ノーブランドというかオレが頼んだ特注品だ。他人に出したのは初めてだけど。」

「…なんかうれしい。私が初めてなんて。」

「喜んでもらえたならよかった。悪酔いするからほどほどにな。」

 タバコに火をつけながらたしなめる玲於に朱里は言った。

「玲於さんは叔父さんとは違うの吸ってんだね。」

「そうだな。オレはメンソールしか吸わない。」

「そうなんだ。」

 玲於がほどほどになとたしなめたにも関わらず朱里の飲むペースは落ちなかった。2本目のワインを半分まで空けたところで朱里の手が止まった。

「どうした?」

「うっ…。トイレ…」

 青くなる朱里を支えながらトイレに向かう。

 ──。

 しばらくしてトイレから出てきた朱里は顔色が戻っていた。

「…ごめんなさい。」

「だから飲みすぎるなと言っただろう。今日はもう飲むなよ。」

 そう言って残っているワインを片付ける。

 朱里は素直にはいと返事をした。

 玲於は吸いがらの山を作りながらPC画面とにらめっこをしている。

 かかってきた電話に出ながらキーボードを叩く。

 朱里にはできない芸当だ。邪魔をしないように少し距離をとって座り携帯を見る。聖からの連絡はない。ため息をついてテーブルに積んであった雑誌を開く。メンズなので見ても意味がないが暇つぶしにはちょうどいい。

 読んでいると眠気がおそってくる。

(…─やばっ。)

 キーボードを叩いていると右肩が急に重くなる。

「…ん。」

 手を止めて横目で見ると朱里がもたれかかっていた。

「朱里?」

 規則正しい寝息が聞こえてくる。

「寝たか…。無防備なやつ。」

 玲於は朱里を起こすことはせずそのまま作業を再開した。

 と、玲於の携帯が振動した。ホーム画面には聖と出ていた。

「─はい。」

 ──話は聞いた。朱里が世話になってるようだな。

「ええ。臣さんたちがらしいので。カギもお持ちではなかったようなので私が代わりに…。」

 ──そうか。手は出してないよな?

「もちろん。ですが、彼女が無防備すぎるのでかっさらわれないか心配です。」

 心にも無いことを言っている玲於は薄い笑みを浮かべていた。

 ──そうならないようにしろ。

「承知しました。」

 玲於はそう答えながら朱里を抱き上げて寝室に移動した。ホテルのツインルームのような造りでダブルベッドが2つある。その一方に朱里を寝かせると携帯を持ち直す。

 ──頼むぞ。有坂、万が一朱里に手を出したら…分かってるな?

「─分かってます。(…まぁ、出すつもりだけど。)では、仕事が残っているので。」

 ──仕事の邪魔をして悪かったな。

「いえ。それでは失礼します。」

 通話を切り、玲於は携帯を持ってリビングに戻った。データをUSBに保存し、PCの電源を落とす。眼鏡を外し、バスルームに向かう。

 シャワーを浴びながらお湯をためていると電話がかかってくる。先ほど出た携帯とは違う携帯だ。玲於の本業は実業家であり、クラブのオーナーでもある。そのため携帯は常に2台持ちをしている。

「なんだ?」

 ──玲於さん、人が足りません。

「無理だ。つーか、今日は電話するなつったろう。」

 ──すいません。

「そんなに客がいるのか?」

 ──はい。フル出勤です。

「ほう。それはうれしいな。」

 ──暢気のんきなこと言わないでください。

「わかった。けどオレは無理だ。何人いる?」

 ──2~3人いれば助かります。

「わかった。10分で向かわせる。やりきったら上乗せな。」

 ──マジっすか‼

「ウソでんなこと言わねーよ。切るぞ。」

 ──はい!

 通話を終了し、メッセージを送る。すぐに既読となり返信がくる。

〔報酬は?〕

〔出す。〕

〔わかった、やろう。〕

〔よろしく。〕

 そう返信し、湯船につかる。これで店は回る。

 玲於はふぅと息をついて上がった。

 スウェットに着替え寝室に戻ると隣のベッドでは朱里が寝息をたてている。

「─ほんと無防備な女。隣には男が居るってのに…危機感ねぇなぁ。」

 くく、と笑いながらタバコに火をつける。

 すると空気清浄機が運転モードに切り替わった。
















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