第8話 宣戦布告

朱里が玲於のマンションに一時的に滞在するようになって2週間がたったが臣たちからの連絡はまだない。

リビングには出来立てのコーヒーの香りが広がっている。

「玲於さん、臣さんたちいったい何をしてるの?」

「─知りたいか?」

「ああ…なんとなく分かったからいい。」

だろ?と玲於は2人分のコーヒーを注ぎながら言った。

朱里は少しずつ気を許し今ではいろいろと話をしてくる。まるで聖のことを考えないよう現実逃避しているかのようだ。それでは面白くない。

コーヒーを差し出した玲於はふと語調を変える。

「─いつまでも逃げてちゃ何もかわんねぇぞ。何のために離れたんだ?」

朱里は何も言えなくなる。

玲於はそれだけ言うとシンクにマグカップを置いて会社に向かった。彼はクラブオーナーであると同時に有坂ホールディングスのCEOでもある。ホテル経営が主で従業員の丁寧な接客には定評があり多くのセレブや著名人が利用している。

玲於がホテルに着くと支配人が出迎えた。

「おはようございます。」

「ああ、おはよう。朝礼するからみんなを集めてくれ。」

「わかりました。」


「皆さんおはようございます。先月に続き売上が業界トップとなりました。これが継続できるよう頑張りましょう。本日もよろしくお願いします。」

無駄なことは一切言わずに事実のみを伝える。そうすることで従業員のモチベーションは上がる。

一同が揃ってあいさつをする。そして、持ち場へと戻っていく。

「社長、楽しそうですね。何かありましたか?」

「ああ。分かるか?」

秘書の問いかけにそう答えて資料を受け取りながら社長室に向かう。

「ええ。付き合いも長いですからね。─本日の予定ですが10時から会議、13時から赤沢社長のアポが、19時より会長との食事会が入っております。」

聞くにつれ玲於の表情がヒクリと引きつる。

「…白峰しらみね、お前は鬼か!休む暇がない。夜はクラブに顔を出さなきゃならないんだぞ!」

「─それは暗にをかまえないということか?」

急に白峰の口調が軽くなる。社長室に入ったからだ。玲於は白峰を思いっきり睨んだ。

2人は大学のときに知り合いそれからの付き合いになる。卒業して大手企業に就職した白峰を玲於が引き抜き、今に至る。

「ああそうだよ。お前だってそういうヤツぐらいいるだろう?オレとお前は似てるからな。」

白峰は否定はしないと笑った。

椅子に腰かけ株価を見ていると着信音が響く。

「─ちっ。またか…。はい。」

──有坂、おはよう。

「おはようございます。今、仕事中なんですが?」

──それは悪かったな。話はすぐ終わる。

「なんでしょう?」

──朱里が連絡をするたびにお前の話をするんでな。

「…─。それは必要以上に近づくな。ということですか?」

── …話が早くて助かるよ。

「私は何もしていません。普通に接しているだけですが…。」

──ああ。今後もそうしてくれ。

「分かりました。─ですが時間ときが経てば人は変わります。あなたも私も彼女だって…ね。失礼します。」

聖の返事を待たずに通話を一方的に切ると携帯をデスクに置いた。

白峰はクスクス笑う。

郁斗いくと、なんだ?」

玲於が静かな怒りを込めた口調で言う。

「すまない。久しぶりにお前のそんな姿を見たらつい愉しくてな。」

「黙れ阿呆あほう。」

白峰を一喝した玲於は再び画面に視線を戻す。

「─真面目な話、本気で奪う気か?」

「んー?やってみる価値はあるだろう?」

さらりと言う玲於に白峰は変わってないなぁと呆れた。

彼は大学のころから恋愛に関しては奔放だった。それなりの大人になった今では昔ほどではないが未だにそのスタンスは変わっていない。

それを知ってか知らずか有坂家の人間はあまり口を出してこない。

「─お前、結婚したいと思わないのか?」

白峰の問いに玲於は答えた。

「…思わない。それに有坂うちには幸い美玲がいる。─ああ、そういや爺ちゃんが嘆いてた。いい加減、腹を決めろと。美玲にはお前がふさわしい、オレもそう思ってる。」

「…俺の意思はどうなるんだ?」

玲於はふ、と鼻で笑う。

「意思も何も、お前だって美玲以外を選ぶことはないだろう?爺ちゃんがに結婚しねぇと後々、面倒だぞ。」

「どういう意味だ?」

玲於は軽く息をつき説明した。

「オレたちの両親が事故で亡くなったことは美玲から聞いてるだろう?」

「ああ。」

「あの時、次の当主になるのは伯父おじだった。だが、爺ちゃんはそうさせなかった。伯父には器がないと断言し、父の子であるオレたちに継がせると宣言した。─言いたいことは分かるだろう?─それに…爺ちゃんはそう長くない。」

最後の言葉は沈んでいた。

「…おいおい、それって─…」

白峰の声も少し震えている。それは美玲からも聞いたことがなかった。

弱々しく笑いながら玲於は白峰を真っ直ぐ見る。そしてふと声の調子を変えて言う。

「爺ちゃんがいる間は伯父が手を出してくることはない。だが、いなくなった後は何を仕出かす分からない。伯父はそういう人だ。十中八九じゅっちゅうはっく、お前たちに横やりを入れてくる。それがあるから爺ちゃんは答えを急かしてくるんだ。─早いうちに答えを出せ。」

タブレットPCをパタンと閉じる。これでこの話は終わりだと言わんばかりに玲於は席を立ち会議室へと向かった。

白峰は一瞬、固まっていたがドアが閉まる音で我に返り玲於を追いかけた。


それからの予定もとどこおりなく進み最後の予定、会長との食事会となった。

会場へと向かう車の中で朱里は緊張していた。

仕事が片付いたからと玲於がマンションに戻って来たのは16時前だった。朱里は大学が午前だけだったので友人とランチをしたあと帰っていた。

「─少しは考えたか?」

開口一番、彼はそう聞いた。

「─…うん。けど…頭では分かってても心が追いつかないの。私にとって叔父さんは全てだから…。」

玲於は一瞬、目を細めて小さな舌打ちをした。

「…─、そうか。」

「ごめんなさい。」

舌打ちが聞こえていたのか?と思いながら様子をうかがう。

「─私が逃げてたのは本当だから。ありがとう玲於。」

いつからか朱里は玲於のことをするようになった。

彼にしてみればそれだけ距離が近づいたと言うことなので気にはしない。むしろ、次の段階へ進む合図だと玲於は認識している。

─(第1段階クリアってとこか?)

「…オレはただ、アドバイスしただけだ。ゆっくり考えりゃいい。─なぁ、上手い夕飯を食わしてやるから出かけないか?」

「え、どこに?」

「秘密。」

言いながら玲於はネクタイを外し、どこかに電話をかけた。

そうして車に乗せられた。

「緊張しすぎ。ほら、肩の力抜けって。」

抜けと言われても無理な 話だ。

連れて行かれたのは都内の高級住宅街の一画だ。朱里には縁もゆかりもない場所である。車は慣れた様子で敷地に入っていくとそのまま玄関ホールに横付けされた。

先に後部座席から降りた玲於は反対側に回りドアを開けた。

朱里は差し出された手をじっとみつめた。

「ほら、行くぞ。」

そう促され彼の手を取ると自然と背筋が伸びた。

「─しっかり身についてるみたいだな。」

「…そうかな?」

「ああ。」

中に入ると執事らしき壮年の男性とメイド服の女性が出迎えた。

「お帰りなさいませ。」

「ただいま。慎也さん。伊吹さん。」

と、どこからか音が聞こえる。

奥の部屋から走ってきた犬が朱里に飛びついた。

「きゃッ!」

2匹の大型犬の重さに朱里が耐えれるわけがない。

「─っと…。 Sit!!」

玲於が鋭く言い放つと2匹は動きを止めその場でお座りをした。

「いい子だ。ダイア、エリス。」

玲於が2匹の頭を撫でる。

「…ゴールデンレトリバーとシェパード?」

「よく分かったな。レトリバーがダイア、シェパードがエリス。」

「犬飼ってたんだね。」

「ああ。けど初対面でなつくとは思わなかった。こいつらは人見知りが激しくて家族しか触れない。しばらく遊んでやって。慎也さん後、頼む。」

玲於はそう言うと奥の部屋に消えた。

「爺ちゃん入るぞ。」

ノックをしてそのまま中へ入るとあまり会いたくない人がいた。伯父の隆晃たかあきである。

さすが元自衛官、スーツの上からでもがっしりとした体格だということが分かる。数年前に自衛隊を辞め不動産業を継いでいる。

「久しぶりだな玲於。あからさまにイヤな顔するなよ。」

「悪いな。伯父さんとはあまりいい思い出がなくてね。」

「…そんなに嫌か?あれは隆浩たかひろの指示でもあったんだが…。」

「え?」

最後の呟きを聞き咎めた玲於が聞き返す。

「─なんでもない。また来るよ親父。玲於、またな。」

手を挙げる素振りをみせた隆晃は微かに笑って出ていく。その表情カオは父である隆浩にそっくりだ。髪色を除けば後は瓜二つ、双子だからそれは当たり前か。

「…お、玲於。」

「─⁉ごめん。何?」

「何?ではないわ。久しぶりに帰ってきたと思ったら物思いにふけりおって。」

「ごめんて。伯父さんは何をしに?」

「海外に手を拡げるそうだ。その報告ついでに顔を見にきたようだ。」

「ふーん。なんか苦手なんだよな。」

「…そうか。」

一瞬の間があって英吉えいきちがそう言った。

玲於がソファに座りながら聞いた。

「最近、体調はどうなんだ?」

「現状維持かの。まだ時間はある。安心せい。」

「ああ。その言葉が聞けて安心したよ。郁斗には腹を決めろと伝えた。…どうするかは知らないが。」

「…わかった。玲於、いつ本邸こっちに帰って来るつもりだ?」

「─またその話か。いずれは戻る。それに帰るにしても伯父が黙っていないだろう?」

「…それはないと思うがな。あれはあれで苦労しておる。」

「苦労ねぇ…。そうは思わないけど。まぁいいや。じゃ、戻るわ。」

玲於が部屋を出たあと英吉は大きく息を吐いた。息が上がっている。

「…っ。やはり、病には勝てんな。」

内線で薬を持って来るように頼む。ほどなくして慎也が薬を持ってくる。

「大丈夫ですか?英吉様。」

「歳だからな。だが、まだ死にはせんよ。」

慎也はそうしてください。と言いながらコップと薬を置いた。

「すまんな。」

「いいえ。英吉様主人の体調管理も仕事のうちですから。大きくなられましたね。かつての隆浩様を見ているようです。」

英吉はそうだなと答えた。

「隆晃様も事業を拡大されるそうですね。あなたに似て敏腕でいらっしゃる。」

「二人には経営・経済学を叩きこんだからな。あれぐらい出来て当然だ。」

「隆浩様が生きていたらもっと面白いことになってますね。」

「だろうな。隆浩もまた優秀だったからな。」

慎也はそうですねと返し、温かいお茶を置いて出ていった。

「変わらずおいしい茶を入れる。」

飲みながら英吉はしばし、物思いにふけった。


食事会は楽しいものだった。こういう場は基本的に堅苦しくなることが多く朱里は好きではない。今まで一般的なことしかしてこなかったのでそう思うのは自然なことだろう。

だが、有坂家ここは違った。堅苦しさはなく和気あいあいとしていた。

久しぶりに家族と食事したという気持ちになった。

「…懐かしいなぁ。」

「何が懐かしいんだ?」

振り向くと玲於がスウェットに着替えて立っていた。

「あ、玲於。着替えて良かったの?」

質問の意図いとが分からず聞き返す。

「─は?なんでだ?」

「え?家でそんな格好してて怒られないの?」

なんとなく彼女の言いたいことが分かった玲於は言った。

「ウチは基本的に自由主義だから問題ない。お堅いお嬢様やお坊っちゃまと一緒にするな。じゃないとこんな遊び人、育たねぇよ。」

「遊び人?」

「─ああ、悪い。こっちの話だ。それよりドレス脱げ。」

「え?あ、ちょっ…」

朱里が頬を真っ赤にしている。

「─勘違いするなよ。ドレスがしわになる。」

「あ、そっか。ごめん。」

分かりやすく声のトーンが下がる。玲於はふ、と笑う。

「…った。」

どうやら髪がファスナーに絡んだようだ。

「待て。手ぇどけろ外してやるから。」

朱里はおとなしく手をどけた。

「ありがとう。…そうそう、さっき叔父さんから連絡があって明日来るって伝えとけだって。」

一瞬、手が止まる。

「玲於?」

「…何でもない。ほら、取れたぞ。」

ファスナーが三分の一まで下りているので肩の辺りがあらわになっている。

「…取られたくねぇなぁ。」

玲於はそう小さく呟いて朱里の肩と首に気づかれないようにあとをつけた。

「どうしたの?」

「…ちょっと悪酔いしただけだ。それより汗かいただろう。風呂でも入ってこい。部屋を出て左の奥が大浴場。」

「ありがとう。」

朱里はドレスの上からバスローブを着て部屋を出た。

玲於も部屋を出て自室に戻った。

タバコを吸いながらメールをチェックする。

JXxs情報屋から久しぶりメールだった。開くと新しい連絡先が書かれていた。

玲於はさっそくスマホを取ると電話する。ワンコールして切り、そのあと"雪月花"と打ってメールを送り、またかける。3コール目で相手が出る。

── …久しぶりだな燈禾とうか。死んでなかったか。

──死んでない。少しごたついててな。遅くなった。

──そうか。

──なぁ、…会えねぇ?

──いつ?

──明日。

──わかった。なら消すなよ俺の番号とライン。

──ああ。あと忠告しとくが久世がお前のとこにちょっかい出してるぞ。足もと掬われるなよ。

── …の忠告なら無視できないな。明日な燈禾。

通話を切った玲於はもたれた。背もたれがギシと音をたてる。

「…さぁ、何を仕掛けてくるのやら。」


翌日、玲於は仕事終わりに燈禾に指定されたクラブに寄った。と何ら変わらない。美しく生けられた花々がお酒を邪魔しない程度に香っている。

「あらずいぶん久しぶりね玲於ちゃん。」

「ママ、その呼び方はやめろよ。オレ、26よ?」

「私にとってあなたたちは大切な存在よ。」

「ありがとなママ。そんなこと言ってくれんの身内以外でママだけだ。」

玲於が言うとママは笑った。


飲み初めて少しするとドアが開いた。

「ごめんなさい。今日は貸し切りで…─」

ママの言葉が止まる。

「ママ?どうした。」

燈禾が怪訝けげんそうにたずねる。

「─っ…、どうしてここに…。」

「…どうしてって?可愛い姪っ子に会うついでにお前と聞き分けのない有坂部下に説教をしにきただけだ。」

「よくここが分かりましたね。どうお調べになったんです?」

「俺の情報網をなめるなよ。一杯ちょうだい涼香すずか。」

「……。」

「─どうして久世の人間がママの名前を知ってるわけ?過去に付き合ってたことでもあんの?」

燈禾の質問にママは答えない。彼はそれを肯定と捉えた。

「…─図星か。」

その洞察力に聖は感嘆した。

「…よくそこまで分かるな。さすが有坂の元にいるだけはある。」

「ねぇ久世サン、それって褒めてんの?けなしてんの?」

聖は両方だなと笑って玲於の横に座った。

ママはあるお酒を注ぐと聖の前に静かに置いた。

「まだ覚えてるんだな。俺の酒。」

「…あなたが覚えさせたんじゃない。それにフったのもあなたよ。いまさら何の用?」

ママはそう言うとグラスを取り出しお酒を注いだ。

「ママ、それアルコール強いから飲みすぎるなよ。まぁ、酔ってもちゃんと介抱してあげるけど。」

「燈禾。」

玲於が一言。空気が微妙に変わる。

「…やっぱりただ者じゃないな有坂。」

聖は面白そうに言った。

「…どうだろうな。オレとしてはあなたこそただ者じゃないと思うが?」

玲於がいつもの丁寧さを欠いた口調で喋る。

「完全にプライベートなんだな。まぁ、それも当然か。人の彼女モノに手を出してるんだからな。」

「否定はしない。伝えたはずだ。"人は変わる"と」

「可愛くないなお前。─まぁ、噛みつかれるならお前くらいがちょうどいい。しつけのしがいがある。有坂、によろしくな。」

「ああ。伝えておく。」

「ありがとう、涼香。うまかったよ。」

聖はそう言って店を出た。

「…油断したらこちらが喰われる。」

外に停まっていた車の窓を叩く。

「─戻る。」

ドアが開き聖は乗り込んだ。

走り去る車を見ながら玲於はママを気遣う。

「大丈夫か?」

「大丈夫よ。さぁ、帰って飲み直しましょう。付き合ってくれるわよね?」

ママは有無を言わせない口調で言った。

「…はいはい。」

3人はママのマンションへと向かった。








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