第11話 ツートップ
あの後、玲於が全ての仕事を終えたのは朝方だった。ワークスペースはワンフロアになっていてソファを境にベッドルームが続いている。
ベッドに倒れスマホを見ると午前5時、外はうっすら明るくなり始めていた。
「…3時間しか寝れねぇ。」
今日も仕事があるので8時には起きなければ間に合わない。
「寝よ。」
アラームをかけてそのまま目を
「玲於さん、そろそろ―」
様子をみに来た慎也はベッドでスースーと寝息をたてている玲於をみて言葉をのみ込んだ。
「寝てるのか?」
慎也の後ろから現れたのは隆晃と真輝だった。
「はい。ぐっすりと」
隆晃は毛布を肩まで掛けてやる。起きる様子はない。
「弟クンにそっくり。」
「ああ。」
そう答える隆晃は玲於の頭をそっと撫でた。
「行きましょうか。」
慎也に促され隆晃と真輝はその場を離れた。
一階に降りた隆晃は書斎に向かった。そこには手付かずの書類が積まれていた。
「親父はバカなのか?これだけの量を玲於1人でやらせるのは酷だろう。」
「言えてる。しかもこれ全部、重要案件じゃないか?」
「ああ、ってお前は赤の他人だろうが。勝手に見るな!」
「そうだね。でもお前がここに連れてきてる時点で赤の他人じゃないよな。また付き合い出したんだし…。」
隆晃は反論もせず黙殺した。椅子に座り、いくつか書類を手に取った。
「…―深澤、ちょっといいか?」
「はい、何でしょう?」
「この2件、俺のほうで預かる。」
「かしこまりました。」
隆晃が預かると言ったときには口出しをしないのが暗黙の了解である。
「 ―とりあえず、期限が近いものから分けた。それから片づけていけば大丈夫だろう。真輝、帰るぞ。」
「その為だけにわざわざ帰られたのですか?」
心の声が思わず口をついて出てしまった。
「まあな。」
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
隆晃が書斎を出ると彼女とばったり出くわした。
「あれ?君は…―」
一方の彼女もどうしていいか分からず固まってしまう。
「久瀬…朱里さん?かな。」
「…どうしてあたしの名前を…?」
隆晃はにこりと笑って言った。
「あー…。ごめんね。職業柄、一度会った人の名前は覚えるようにしてるから。」
さらりと言われたそれは、もしかしなくても凄いことである。
(あたし、名前なんて言ってないんだけど…。しかも、誰?玲於に負けず劣らずのイケメン。)
心の中でどんどん疑問が浮かんでくる。
それを知ってか知らずか隆晃は言った。
「―そう警戒しなさんな。初めまして、俺は玲於の伯父で有坂隆晃、こっちは紫上真輝。よろしくね。深澤。」
その一言で慎也は朱里の肩にストールをかける。
どうやら何も掛けずに出てきてしまったようだ。
「ありがとうございます。」
「いえ。まだ起きるには早い時間です。戻りましょう。」
慎也は一礼して背を向ける。朱里も一礼し、後を追う。
「隆晃、あれが久瀬の娘だな。聖の恋人であるとかないとか?」
「―正気か?」
「ああ。久瀬も何を考えてんだかな―…?」
会話はそれだけで終わる。
二人がリビングに入ると足音に気づいたらしい2頭が耳をピクリと動かした。そして、匂いで確信したのか隆晃に飛びかかる。
「ちょっ―わ…っと」
大型犬2頭の体重を支えられる訳もなく隆晃はソファに倒された。彼らは尻尾を千切れんばかりに振っている。
「―わかったわかった。長いこと留守にして悪かったな。ダイア、エリス。」
2頭の頭を撫で隆晃は謝った。
「よく覚えてるな。じゃあ、俺はどうかな?」
真輝が左右の手の甲をダイアとエリスの鼻先に近づけた。2頭はくんくんと匂いを嗅いだあと顔を見合わせる仕草した。
そして、隆晃にしたのと同じように飛びついた。
「覚えててくれたのか。ありがとう。」
真輝は2頭の間に顔を埋めた。
「真輝、俺の特権を取るな。」
「別にいいだろ。」
しれっと言う真輝に対し隆晃はため息をついた。
「真輝、寝たい。」
真輝の手が止まり隆晃を見る。
「…わかった。」
隆晃は真輝とともに寝室に向かった。
ダイアとエリスが後を追おうか追うまいかと迷っている。
「おいで。」
隆晃の言葉を聞いた2頭は後をついてくる。
二階に上がって右奥の部屋が隆晃の自室である。
ベッドに寝ころがり目を瞑る。その隣に真輝がやってくる。
男2人が寝ても十分な広さのベッドは長くいなかったことを感じさせないほどに整えられている。
隆晃がいつ帰ってきてもいいように掃除をしてくれているようだ。
慎也には当たり前のことをしているだけです。と言うだろうが。
ダイアとエリスはベッドの脇にあるクッションの上で丸くなっている。
許可しない限り2頭がベッドに上がることはない。
「隆晃、どうしてヨリを戻したんだ?」
「ん?誰と…―お前と?」
「他に誰がいる?」
「そう言われてもなぁ…、困る。仕事もそうだがプライベートでも俺のことを知り尽くしてるのはお前だけでいいと思ったから。」
真輝はそうかと静かに笑った。
――夕方、慎也の運転する車で会場へと向かう。
車内には玲於と隆晃、真輝、そしてなぜか朱里まで乗っている。
「どうして朱里まで乗っているんです?」
黙っていられず口を開く。
「…主催者からのご指名だ。」
「そう…ですか。」
「ああ。」
短い会話。だが、それきり続かない。
「―着きましたよ。」
慎也はそう言って外に出ると後部座席のドアを開けた。緊張で固まっている玲於に隆晃が言った。
「…ほら、シャキっとしろ。後から俺らも出る。」
玲於は一度深呼吸をして外に出た。そして朱里に手を出した。
「さ、降りて。」
朱里は玲於の手を取り車を降りた。
煌びやかなホールには多くの人が集まっていた。
それを見た隆晃は満足げに笑った。
「ふ―。本質は変わらないな。」
「まぁ、隆浩の子やからそうなるやろ。」
「そうだな。さて、玲於の晴れ舞台を面白くしよう。」
隆晃が降り、続いて真輝が降りる。
ホールが一瞬、しん…となる。そしてざわざわと騒がしくなる。
うそだろ。なぜあの二人が…―。などという言葉が飛び交っている。
「玲於、中へ入れ。」
隆晃に促され玲於は歩き出した。
4人は多くの視線に晒されながら会場へと入った。
「…俺は来ないほうが良かったんじゃないか?」
小さな声でそう聞かれた隆晃は返した。
「いや、お前がいてくれることに意味がある。利用されてるみたいで不服か?」
「かもな。けどお前だから許してる。」
「すまない。」
2人は雑談しながらも玲於たちを囲むようにして歩いている。
と、そこへ見知った人物が近づいてくる。視線が一瞬、交差する。玲於の肩がビクリと震える。隆晃はさりげなく彼の前に立つ。
「…久しぶりだな久瀬。本日はご招待いただきありがとう。」
「どういたしまして。ここでは目立つので場所を変えようか?」
真輝がちらと周囲を見渡す。
「そうやな。」
「ではこちらへ。」
「玲於、行くぞ。朱里さんも…」
朱里はうなづいて後に続いた。
案内されたのは久瀬が取ったであろう一泊、十数万は下らないスイートだった。
対面でソファに座ると真輝が口を開いた。
「司は来てないんか?」
「来ますよ。1時間遅れるそうです。それまで相手をしていろ。と言われました。」
「…それは口実だろう。本当は彼女を連れ戻しに来た。とか?」
聖の肩が
「え?」
朱里の反応をよそに玲於は頬杖をついた。
「図星か…。朱里がオレたちの所にいるのはあなた方にとって都合が悪い。いつどのような形で素性がバレるか分からないからな。」
「玲於、ストップ。」
静かに、だが確実に玲於を黙らせる一言だった。
「すまんな久瀬。」
「いや、確かに有坂の言うとおりだから反論はしない。」
口を挟むこともせず会話を聞いていた朱里を見た真輝がフォローする。
「朱里さん、今の会話は置いといて、現状、どこまで理解できてんの?」
真輝の質問に朱里は少し迷って答えた。
「…両親が一般人じゃないってこと。久瀬家も一般家庭ではない。―あたしは戻るべきか悩んでいる。ウチと有坂家はあまり仲がよくない。」
朱里は淡々と事実だけを述べていく。彼女自身も冷静に話していることに驚いた。
「―遺伝だな。さすが兄貴の娘。」
聖が
「そこまで理解できているなら後は朱里さんの気持ち次第。好きにするといい。」
隆晃はさして興味のないような口ぶりでそう言った。
「…はい。」
「―
「…―有坂、今日で俺の秘書を辞めろ。」
「………なぜですか?」
「お前は有坂家の当主となるんだろ?これから先、両立は難しくなる。その上、ホテル経営もしなければならないだろう。」
「確かにそうですね。―わかりました。では手続きをお願いします。」
「今までありがとう。」
「いえ。こちらこそ学ぶことが多くありました。」
軽く礼をして感謝の気持ちを伝える。
と、そこへボーイがやってくる。
「お話し中失礼します。」
「…何かあったのか?」
玲於の問いにスタッフは答えた。
「いえ、招待状のない方が社長を出せと。」
「誰が?」
「わかりません。会えばわかると。」
「…―わかった。少し外します。」
玲於が立ち上がり部屋を出て行く。
「あの…お手洗い行きます。」
朱里も釣られるように部屋を出ていく。
「…何、女の子ビクつかせとんねん。」
はぁとため息をついて真輝が言う。
「お前が一番怖いだろう。さすが若頭。」
隆晃が嫌みをいうが真輝は涼しい顔で聞いている。
「褒めるな。」
「褒めてないだろうバカ。」
聖は思わず顔を引きつらせた。
「…―俺はいったい何を見せられているんだ…?」
まるで恋人同士がイチャつくかのようなやり取りに聖は呆れた。別にそういう人たちに偏見を持っているわけではないので言うだけだが。
聖も常識的によろしくない恋愛をしている1人なので人のことは言えない…。
「あ、悪い。話の途中だったな。で、もしもあの子が“帰らない”って言ったらどうする気だ?」
隆晃の問いに聖は答えた。
「どうしようか…。少し眠ってもらうかな。」
そこまでして彼女を連れて帰りたい理由は嫉妬からくる独占欲なのかそれとも他に理由があるのか?おそらく、後者だろう。隆晃はそうか。と短く返した。
「―失礼します。久瀬様、お時間です。」
「ああ、ありがとう。」
聖は席を立つと一礼してスタッフの後に続く。
「―無理矢理にでも連れて帰りたい理由って何だろうな?」
「さぁな、あの子にはまだ何かあるってことだろう。少し調べるか…。」
隆晃はそう呟いてスマホでメッセージを送った。
程なくして了解と返信がきた。
深追いするなとだけ打って送信する。すぐに既読がつく。
「…さて、そろそろ来る頃か?」
そう言ったのとほぼ同時にノックされ彼は部屋に入ってきた。
「遅くなり申し訳ない。」
「気にしてない。今日は1人か?」
「ああ、
「誰も、何も言ってない。それよりも、お前がわざわざ来たってことのほうが重要だろう?茶化すな。」
最後の一言で彼の顔から笑みが消え真剣な面もちになった。
「そうだな、悪かった。―槹…彼らが動き出した。」
途中で呼び方を変えたのは隆晃が口元に人差し指を当てる仕草をしたからだ。
「へえ。ここ数年、目立った動きは無いだろ?真輝。」
話を振ると真輝が答えた。
「ああ、マトリや一課、公安が
「気づかれないように動いたということか。その情報、確かなのか?」
確認する隆晃の目は真剣だ。
「ああ。私の部下が持ってきた情報だからな。」
「ふ…。さすが世界を
「…どうだかな。君らは掴んでいるだろう。」
「―ウチにも優秀な
「さすが“裏のツートップ”と言われるだけはある。
独自の情報網をお持ちだ。」
「それはどうも。で、用件は?」
さっきまでにこやかに話していたと思ったのに今はそんな様子は
「彼らを潰すために力を貸してほしい。」
「あ?本気で言ってるのか?」
真輝の声が怒気をはらんでいる。
「もちろん。―あなた方も彼らを追っている。“利害の一致”というやつです。」
「“利害の一致”ねぇ…。―わかった。ただし、こちらが不利になるようなことがあればすぐに降りる。それでいいなら協力しよう。いいな真輝。」
「お前が決めたならそれでいい。」
隆晃はクスリと笑って司を見た。
「…交渉成立だな。しばらく退屈しなくてすみそうだ。さて…玲於は苦戦してるのか?行くぞ真輝。」
隆晃は真輝とともに部屋を出た。
「食えんヤツだな。」
司はそう言って立ち上がると階下を見下ろした。VIPルームからは会場が一望できるのである。
ノックの後、入って来たのは聖と朱里だった。
「義兄さん話はついたのか?」
「ああ。不利になることがあれば降りると言われたがね。」
「…さすがは“ツートップ”侮れないか。」
「のようだ。―聖と来たということは決心はついたかな?」
「…はい。」
「ありがとう。少し飲もうか。」
司たちはソファーに座ってメニューを開いた。
「玲於、片はついたのか?」
真輝とともにエントランスにやってきた隆晃が声をかける。
「ああ。―って、ええ。常連の方なんですが出禁にしたことに腹を立てて乗り込んだそうです。」
「……そうか。それより彼女はいいのか?久瀬と帰るみたいだが。」
「ええ。奪おうかと思いましたが興が剃れたので止めました。」
「…なんやあっさりしてんなぁ。まぁええけど。アキ、会場に戻らんとあかんやろ。」
「そうだな。玲於、めんどくさいだろうがもう少し付き合え。」
会場に戻ると来た当初より明らかに人が多くなっていた。
グラスを持ちながらそれぞれと挨拶を交わす。探るようなやりとりが何回かあったがそれを適当に流しながら時には隆晃たちがフォローする。
「ああ疲れた―。」
慎也の運転する車の車内で天井を仰ぐ。
「アキ、静かにせぇや。玲於クン起きるで。」
「だな。おつかれ玲於。」
ぽんぽんと彼の頭を叩く。
「―着きましたよ。」
「ありがとう。慎也さんも車戻したら休んでいいよ。玲於は連れてくから。」
「わかりました。おやすみなさいませ。」
「おやすみ。」
真輝が車を降りドアを開ける。
「抱こうか?」
隆晃は大丈夫だと断って車を降りた。玲於が起きる気配がない。
「今日も泊まるか?」
「ああ。」
隆晃は玲於を抱いて部屋まで運んだ。上着を脱がしてネクタイも外す。ベッドに寝かせて自室に戻る。
「すまん、シャワー勝手に借りたで。」
「ああ。」
隆晃もシャワーを浴びて着替えるとテラスに出た。
「アキ、風邪ひくで。」
「わかってる。なぁ、今日やけに探ってくるヤツが多くなかったか?」
「言われてみればそうやな。ヤツらが動いたのと関係あるんか?」
「さぁな。そろそろ俺たちも動くか。」
「そやな。―久瀬に先越されても敵わんしなあ…。」
彼らに協力するとは言ったものの、馴れ合うつもりは無い。
「―まぁ、他人とはいえ同業だしな。気をつけよう。」
2人はグラスを傾けウィスキーを飲むのだった。
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