第10話 "顔合わせ"

 総会の前日。玲於は祖父、英吉の見舞いに訪れていた。

「調子はどうだ?」

「快方に向かっておる。すまんな任せっきりにしてしまって。」

 玲於は気にするなと笑って花瓶の花を替える。

「玲於、明日の総会にわしの代理として出席してくれんか?」

「…いきなり何だよそれ。オレにも予定があるんだぞ。」

 花瓶をテレビ台の脇に置いて反論する。

「─総会は年一回、各財閥の現当主、そして次期当主も出席する。これは別名""とも言われている。意味くらい分かるだろう。」

「…人脈の構築か?」

「そうじゃ。お前はいずれわしの後を継ぐ。その前座だ。」

「…わかった。」

「詳しくは慎也に聞け。準備をしているはずだ。頼むぞ。」

「ああ。」

 玲於はそう答えて座った。

「帰らんのか?」

「もう少しいる。なぁ、じいちゃんの代わりは誰が来るんだ?」

「隆晃に頼んだ。ではじゃからな。」

「有名?」と言いながら眉を寄せる。

 彼はあまり納得していない様子だった。

「そうよ。伯父さまは顔が広いから。」

 玲於の疑問に答えたのはお見舞いに来た美玲だった。

「美玲。」

 玲於が驚いた顔をする。

「来るのが遅くなってごめんなさいお祖父様おじいさま。」

「かまわんよ。1人か?」

「いいえ。入って郁斗いくと。」

「お久しぶりです会長。」

 律儀に一礼する郁斗に英吉は言った。

「久しぶりじゃな郁斗くん。ご家族は元気かね?」

「おかげさまで。その節はありがとうございました。」

 英吉はいやいやと笑っている。

 玲於はそれを見て少し胡散臭いと感じたが言葉にすることはなかった。

「じゃあオレ、そろそろ帰るわ。」

 立ち上がろうとする玲於を郁斗がとめた。

「郁斗?」

 郁斗は英吉の前に立つと真剣な面持ちで言った。

「会長、…―美玲さんと結婚させてください。覚悟が決まらず返事を先延ばしにしたことをお詫びいたします。」

 もう一度頭を下げる郁斗に英吉は満足そうに笑っている。

「その言葉を待っていた。」

「はい、お祖父様。玲於、立ち合ってくれてありがとう。」

「ああ、おめでとう。郁斗、美玲。」

 心から祝福する玲於に二人はありがとうと答えた。


 ――その様子を外で聞いていた男が1人、隆晃だ。

「やれやれ…、やっと腹を決めたか。―もう少し派手にしてやるか。――あ、俺だけどプランBに変更な。」

 上機嫌で電話を掛けその場を後にする。

「えらく機嫌がいいな。―何かいいことでもあったのか?」

「ああ。白峰もこれで安泰だろうよ。」

 アクセルを踏み込みながら真輝もまた彼と同じことを言った。

「…やっとか。なかなか思い通りにはいかないもんだな。」

「そうだな。けど…ここからだ。マンションに戻れ。」

 真輝は驚いて隆晃を見る。昔の記憶がよみがえってくる。

「…わかった。もう引き返すつもりはないからな。」

「好きにしろ。あ~明日の総会、お前にも出てもらうからな。」

「―…それは俺に"家柄"ブランドを出せと言ってるのか?」

「ああ。玲於は新参、後見がいなければ孤立する。それだけは避けたい。」

「―わかった。なら一式持ってこさせるか。」

 言いながら真輝は電話をかける。

 ――あ、俺や…明日、朝イチでスーツ一式頼むわ。ああ、隆晃のマンションまでな。じゃ、よろしく。

「…相変わらずクセが抜けてないな。」

「まぁな。実家はどうしても気がぬける。ほら、着いたぞ。」

 真輝は車を停めて促した。

 二人は途中で買ったお酒を手にマンションへと入って行った。


 玲於は美玲たちと別れ、駐車場に向かっていた。

 電話が鳴り画面に名前が表示される。

 ――もしもし。

 ――あ。朱里です。連絡が遅くなってごめん。今、ひ…あ、いや…叔父さんを送ったところなんだけど迎えに来てくれる?

 ――いいけど。今、どこにいる?

 ――空港のカフェ。

 ――わかった。10分くらいで着く。何か買って待ってろ。

 ――うん、わかった。ありがとう。

 通話を終了した玲於はアクセルを踏み込んで走り出した。


 朱里は飲み物を買い求める長い列に並んだ。待っていると案の定、男たちに声をかけられた。

 彼女は男たちから見れば魅力的な女性に他ならない。本人はそう思っていないと言うが所詮しょせん、自己評価である。朱里は聞こえないフリを通す。だが、男たちに諦める様子はない。

「迷惑なのでやめてもらえませんか?」

 朱里がそう言うと男の1人が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

「迷惑ってそりゃないでしょ、お姉さん。こっちは1人で寂しく並んでるお姉さんに声をかけてなぐさめてあげようと思ってるのにさ。」

「誰もそんなこと頼んでません!もう少しで連れが来るのでお構いなく。」

 きっぱりと断り、きびすを返すが囲まれる。

「…どいてください。」

「なぁ、今からどっか行かない?」

 周囲まわりは見て見ぬフリで助ける素振そぶりすら見せない。

 ―だから嫌なのよ。

「おい、オレの連れに何か用か?」

「ああん?お前こそ何の…―」

 玲於の姿を認識したとたん、男は顔面蒼白になり後ずさる。他の2人も同様だ。

「玲於!」

 助かったと言わんばかりの表情で朱里が振り向く。

 歩きながら玲於はもう一度男たちを見て言った。

「…で、何か用か?声をかけるならもう少し場所を考えろ。恥ずかしいだけだろう?」

「そ、そっスね…、失礼しました。」

 3人の男たちは謝罪すると逃げるように去っていった。

「…何なのアレ?玲於を見たとたん威勢がなくなったけど何かした?」

「―…特に何も。ま、オレはで有名だからな。ほら、列がけた。飲み物買うんだろ?」

「―?ん。何飲もうかな。」

 朱里は玲於の腕を引っ張りカウンターに進んでいく。玲於はされるがまま朱里に付き合うのだった。

 テイクアウトにしてもらい車まで歩く。

「…そういえば電話に出れなくてごめん。」

「別に謝んなくていい。聖さんといたんだろ?

 その時間を優先しろ。」

 玲於は助手席のドアを開けながらそう返した。

「―うん。ありがとう、優しいね。」

 言いながら朱里は助手席に乗り込んだ。

「そうか?」

 ドアを閉めた玲於は運転席に戻ってエンジンをかけた。静かに走り出す車内は彼が好きだという洋楽が流れている。

「そういえばね、臣さんたち明日帰って来れるってメッセージが入ってた。」

「…ん。どうする?臣サンとこ戻るか?それともオレといる?」

「え?」

 即答するように問い返され困惑する朱里に玲於は続けた。

「…オレもこれから忙しくなるしな。好きにしていい。」

「玲於?―…機嫌悪いね。私、変なこと言った?」

 玲於ははっ、と我に返る。

「…―いや、悪い。オレもいろいろありすぎて疲れたらしい。」

「うん。…ごめん、疲れてるのに迎えに来てもらって……。」

「そうじゃない。お前は何も悪くない、ただの八つ当たりだ。」

 それっきり玲於は何も言わなくなった。

 車内には気まずい空気がただようばかりだ。それを救ったのは一本の電話だった。相手は隆晃でこの時ばかりは彼に感謝した。

 ――はい。

 ――明日、18時には迎えにいく。そう深澤ふかざわさんに伝えといてくれ。

 ――わかりました。では失礼します。

 ――おう。…っの、真―っ 。

 突然切れた通話に玲於は首を傾げる。

「どうしたの?」

「何でもない。今日は本邸あっちに帰るけどいいか?」

「うん、大丈夫。」

「そういえばさ、美玲が結婚するんだ。」

「うそ…。おめでとうございます。」

「ありがとう。近いうちに会わせる。」

「楽しみにしてるね。」

 他愛のない話をしながら玲於の実家に着く。やっぱりまだ慣れない。

 車を降りて中に入ると慎也さんたちが出迎えてくれた。

「―お帰りなさいませ。」

「ただいま慎也さん。伯父さんから伝言。明日の18時に迎えにくるってさ。」

「―かしこまりました。ご用意しておきます。」

「…ああ。」

「玲於さん、自信を持ってください。」

 話についていけない朱里はポカンとしている。

 それに気づいた慎也は慌てて謝罪する。

「申し訳ありません。お客様を迎えておきながら…どうぞご案内します。」

「あ、はい。」

「悪いな朱里。オレ、部屋で仕事するからなんかあったら声かけろ。まぁ、吹き抜けで階段上がればすぐだから。好きにしてろ。」

 そう言って玲於は部屋に上がった。

 パソコンを立ち上げ待っていると携帯が鳴った。

 ――はい。

 ――総支配人がシーズンプランの詳細を送るそうだ。俺は承認サインして後はお前の承認だけだ。

 ――ああ。わざわざそんなこと言うために電話したのか?

 ――いや、少し疲れてるように見えたから気になってな。美玲も心配してる。

 ――さすが郁斗。2人ともオレをよく見てる。

 ――悪いな、何も手伝ってやれなくて。不本意かもしれないが隆晃アキさんを頼れ。あの人はお前が思うほど悪い人じゃない。たぶんアキさんが一番家族のことを考えてるよ。

 ―― ……そうか?俺にはよく分からん。

 ――今は…な。じゃあプランの件よろしくな。

 ――おう、週明けには返信するって伝えてくれ。

 郁斗は伝えておく言って電話を切った。

 ふと彼の言葉にひっかかりを覚える。

(今は…ってどういう意味なんだ?)

 相当、難しい顔をしていたのか朱里が声をかけてくる。

「玲於?どうしたの?」

「あ、悪い。考えごとしてたわ。なんかあったか?」

 朱里はううん、と首を横に振るとトレーに乗せたコーヒーを彼に差し出した。

「どうぞ。ごめん、勝手に使わしてもらって。」

「気にするな。ありがとう、いただくよ。」

 そう言った玲於はコーヒーの香りを堪能ながら一口飲んだ。

「うまい。」

 朱里は嬉しそうに笑うとソファに座った。そしてふと真剣な面持ちになる。

「玲於…私、帰ったほうがいいのかな?」

「ん?なんでオレに聞く?」

「あ、いや…ごめんなさい、また変なこと言ったね私…。」

 玲於はため息をつく代わりにふた口目のコーヒーを飲んで言う。

「―別にお前を責めてるわけじゃない。ただ、帰る帰らないは別としてオレはいつでも歓迎するさ。としてな。」

「どういうこと?」

「そのままの意味だ。迷ってるのか?」

 朱里はこくりとうなづいた。彼らから少し離れて冷静に考えられるようにはなったと思う。でも怖いという思いは消えてはいない。今まで一般人として暮らしてきた朱里にとって受け入れがたい事実であることは確かである。

 玲於は椅子ごと朱里に向き直る。

「―…なら聞くがオレも裏世界あっちと関わりがある。それはどう思う?」

「―!!」

 朱里の顔色が変わる。

「―っ、でも玲於は叔父さんたちとは違うでしょ?」

「だな。有坂家は関わってはいるがそれは国内がおもであり、国外はあまり関わっていない。

 いや、むしろ…と言うのが正しいか。下手に首を突っ込めばこちらに被害が及ぶからな。 ―…答えが出そうか?」

「…―わからない。」

 素直な気持ちを口にする。

 そうか。素っ気なく答えてパソコンに向き直る。これ以上話しては彼女が余計に混乱するだけだ。

 と、慎也が見図らったかのように声をかけてくる。

「佐倉様、お風呂の準備ができました。―伊吹、ご案内を。」

 伊吹は、はいと一礼すると優しく微笑んだ。

「ついて来てください。」

「あ、いや…。」

 遠慮をしているのか朱里はなかなか動こうとしない。その様子見て玲於がクスと笑う。

「朱里、遠慮するな。高級ホテルにでも泊まったと思えばいい。伊吹さん、マッサージもつけてあげてくれるか?」

「はい。では行きますよ朱里さん。」

「…はい。じゃあお借りします。」

 伊吹は朱里を連れて降りていった。

「珍しいですね。あなたが女性を連れて帰るなんて。」

 手を止めてソファに移動する。タバコを咥えながら答える。

「そうだっけ?―言われてみればこっちに来たのは彼女が初めてか?」

「はい。今までこちらに女性を連れて来られたことはありません。」

「…―ふーん。」

「はい。コーヒーのおかわりはいかがですか?」

「もらう。」

 慎也は玲於から空になったマグカップを受け取るとコーヒーを注いだ。作業の邪魔にならないよう、しかし手が届きやすい位置にそれを置いた。

「ありがとう。」

 パソコンから目を離さずにそう言った。

「…よく似てらっしゃる。」

「何が?…父さんにか?」

「ええ。隆浩様もよくそうやって仕事をこなされていましたから。」

「へぇー。父さんさ、家族といるときは一切、仕事しなかったんだよ。」

「ええ。隆浩様は常に家族との時間を大切にされていましたから。」

 そこでふと言葉を切り慎也はソファに座った。それを咎めることもなく玲於は仕事を続ける。

「…そういや母さんが心配してたな。仕事は進んでるのかって。その度に父さんが苦い顔してたっけ。」

「よく覚えていますね。」

 慎也の言葉に玲於は手を止めて再び向き直る。

「ああ。数少ない思い出だからな。」

「そうですね。…仕事が多忙の中、そうできたのは隆晃様の協力あってこそです。」

 唐突に出てきた名前にえ?と聞き返す。

「―おや、お聞きになったことがありませんか?」

 玲於はうんうんと頷いた。

「…隆浩様があなた方と過ごされるときは全ての仕事を隆晃様が引き受けておられました。家族を優先しろと。」

「―…初耳なんだけど。」

「初めて言いましたから。」

 と、下から彼を呼ぶ声が聞こえた。

「おや、何か急用のようです。少し離れます。」

 慎也は立ち上がると上着を玲於の肩に掛けた。

「風邪をひきますから。」

「ありがとう。」

 慎也は会釈をして降りていった。

 玲於が知っている有坂隆晃というのは傲慢ごうまんな男である。

「…―わけわかんねぇーよ。いったいどれが本当のあんたなんだよ―…。」

 思っていたことがつい口に出る。

 玲於は胸にモヤモヤしたものを抱えながら残っている仕事を片付けるのだった。

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