3話 狂気集うウィルゼール

 貴族同士で話し合うための応接室というだけのことはあり、椅子や机、部屋の隅に置かれた小物など、調度品は一目で分かる一級品の数々。

 アマト曰く『工夫と努力と人脈』でこの屋敷を作ったらしいが大半は最後の要因が賄っているのだろうとフィリアは確信する。


「…………」

「…………」


 だが目の前で相手を射殺さんとしている空気のただ中に放り込まれていてはそんな感想も彼方へと飛んで行ってしまう。

 この状況を生み出したのは誰だろうか?アマト・フリューゲルだ。

 この状況を責められるのは誰だろうか?アマト・フリューゲルだ。

 この状況を打開できるのは誰だろうか?アマト・フリューゲルだ。


「ど、どうぞ……」


 アマトの言いつけ通り屋敷の応接用の部屋にリリィを案内していたフィリア。

 重い足取りと反比例するように思考回路はフル回転。

 アマトとの会話や態度から立場が近しい者同士。そんなリリィの機嫌を損ねずかつ護衛としてアマトの顔も立てなければならない。

 だがフィリアを追い詰めるかの如くさらに状況が悪化する。

 廊下でのノルンとの鉢合わせ。普段の冷めきった彼女からはあり得ない程の陽の気を体中から放ち前方から歩いて来たが、リリィの存在を目にとらえると一気に不機嫌な表情へ早変わり、それからは『なぜいる?』『いちゃあ悪いか?』と不仲さを周囲にアピールするかのように喧嘩腰で向かい合う。

 その上そのノルンまで何故か部屋についてくる始末。口に出せるはずもないが二人ともに合わせて消え去ってもらいたいものだった。


「……にが」

「ひっ……!」


 メイドから部屋の外で渡された紅茶の味に苦言を呈し、何故かフィリアが睨みつけられる。


「おいおいあまり理不尽に起こるなよ、アマトが怒るぞ?」

「ひいぃ…………えっ?」


 リリィの庇うような言葉に一番驚いたのは他ならぬフィリアだった。


「……ふぅ」


 ノルンもそれは違うと頭で整理が付いたのか深呼吸をしてその場を収める。


「……肌の艶が減った」

「そっちは丸くなったんじゃないか?全体的に、おもにへその上辺り」


 かと思えばすぐに険悪なムードが漂い始める。既に一触即発、互いが互いに導火線を縮めあっている状態だ。

 今すぐにでも逃げ出すかアマトに救いを求めたい気分だった。



 ☆☆☆



 リムと残り一人の暗殺者との戦闘は膠着状態に入っていた。いや、より正確にはリムにとってジリ貧の状況になりかけていた。


「本当に面倒な……!」


 リムは単純な膂力、実力こそ上回っていたものの相手の有する特殊な力で劣勢を強いられることとなっている。


「威勢だけはいいみたいだが、それもいつまで持つかな?」

「偉そうにっ!」


 常人をはるかに上回る速度で切りかかるリム。だが、その斬撃はこれで何度目か、空を切る結果に終わっている。

 これで何度目だろうか、普通なら胴体を両断しているはずの攻撃は外れる。

 そのカラクリをリムは直感的に見抜いていた。


「無駄だ、俺にそんな攻撃は通じない」

「空間移動、かなぁ?」


 従来の物理法則を無視した能力、超自然的な能力はすべて魔導にカテゴライズされ分類される。その中でも一際特異な力は固有魔導と名付けられている。

 そしてこの相手がそれの持ち主だった。一定範囲内の距離を一瞬で移動する空間支配の能力。直線距離の移動を点と点の転移へと変化させることで動体視力や殺気の察知での追跡が事実上無力と化す。リーチがあるとはいえ重い刀だけを武器にしているリムにとって最悪の相性を持った敵だった。

 現にリムは追い詰められている。

 それが分かっている以上この場は退くことが最適解だった。

 だがそれは絶対にありえない。逃げず、戦い、勝つ。今リムが思い浮かべた選択肢はそれだけだった。


「そこっ!」

「むっ……」


 リムも防戦一方ではあっても一方的に不利というわけではない。転移後、攻撃に移るまでに感じられる微かな気配をたどって反撃を続ける。それが功を奏しているのか一進一退。ほぼ互角の状態まで持ち込めていた。

 いや、長期的に見ればリムが優勢になっていくだろう。初見では不意に受けた攻撃で脇腹を軽く抉られ血が流れているが今では衣服に傷が入る程度で致命傷はすべて避けている。

 次は両断する。そう決めて精神を集中させる。音を立てず、微妙な空気の流れを肌で感じ取り、瞬きすらしない。一瞬の駆け引きで勝負が決まる。

 先に動いたのはリム。ただひたすらに早さに特化した突きの一撃を牽制に使い本命は次の一瞬、狙い通りに背後から現れた標的を振り向きざまに縦一文字に斬り付ける。


「え……」


 斬った。手ごたえはあった。だがその相手はすでに息絶えたはずの暗殺者の片割れ。

 死体の味方を囮にされた。その事実に慟哭する暇も与えられずに本命の一撃がリムに襲い掛かる。返り血が片目にかかり視界が不自由になったリムは右手から繰り出されるナイフの初撃を体を後ろに翻して躱すものの追撃に対応しきれなかった。


「うあっ……!」


 もう一方の腕で顎を殴られ頭が揺れる。既にリムは思考を纏めることはおろかまともに立ち上がることすら出来なかった。


「では……これで終わりにしようか」


 先ほどのリムの言葉への意趣返しなのかそう男は言い放ちナイフを構え直す。

 前のめりに倒れ伏したリムの脳天へ向けてナイフが突き立てられる。

 その寸前で男は後ろへ距離をとった。もしそれが数舜遅れていたならば男の胴体は弾け飛んでいただろう。それまで男が立っていた場所には3本の剣が深く突き刺さっていた。


「リム、いつも言っているじゃないか。僕に黙ってこんな無理はしないでくれと」

「あ、うあ……」


 それまで気配すら感じさせなかった。

 倒れたリムを一切の他意なく慈愛をもって抱き留める男。


「……離れて、ゆっくり休んでいて」


 アマト・フリューゲル。暗殺の標的となっていた相手が目の前に現れた。

 その姿を見て思わず成程と男は一種の納得のようなものを感じた。


『美しい』


 依頼主から一番に聞かされた特徴がそれだった。確かに「外枠」は美の完成系と言っても差し支えないほどのものだ。だがその内実はどうだろうか?


「アマト・フリューゲル。ここに現れるとは予想外だが都合がいい。その命、貰い受ける」

「その言葉を聞くのはもう30と5回目だがね」


 その声には美しく透き通るように感じられると同時に体全体に泥の様にまとわりつくような怨嗟、憎悪が入り混じっていた。容姿の清廉さに比べてその情念の何とおどろおどろしいことか。


「今まで相手してきた連中はどれも傷一つ負わせられないただの情報源だったが」


 その声にたじろぐも、次に圧倒的なまでの殺意を当てられ反射的に臨戦態勢に入る。

 それまで戦っていたリムはいつの間にか簡易な処置をされて気を失っている。故に自身の能力が相手に知られていない以上、最初の一撃で勝負を決めればそれで終わらせることができると判断し不意打ち気味に攻撃を仕掛ける。


「貴様だけは別だ、楽に死ねると思うな」


 その異能から生まれた慢心が生死を分かつことになる。気配はもちろん予備動作一つ上げることなく背後から繰り出された一撃。だがしかしアマトは首を横に倒す最低限の動きだけでそれを避け、あっさりと捉えると力づくで右腕を千切り取った。


「え、あ、がああああ!!」

「五月蝿い」


 絶叫を上げることも許さないとなくなった右手があった場所を抑える男の頭を踏みつける。

 この瞬間、対する二人の格付けは終了した。ここからは戦闘ではなく虐殺だ。

 その未来が読めてしまったのか暗殺者の男はそれを避けようと必死に自ら舌を噛み切ろうとする。


「誰が死んでいいと言った」


 だがそれも筒抜けだった。アマトは男の首元をつかみ持ち上げると同時にナイフを奪い取り、下唇へと食い込ませていく。男は痛みに耐えきれず叫び声を上げる。


「ああああああああああ!や、やめ」

「黙れ」


 またしても言葉を発することを禁じる。食い込ませていたナイフをさらに押し込み下の歯茎を切断した。


「貴様はリムを傷付けた。だから骸を地に晒す事すら許さない。肉片一つ残さず消し去ってやる!」 


 最早抵抗する余裕は刺客の男には残っていない。殺してくれと懇願することも許されずただ自分の肉体が獣に群がられた獲物のようにバラバラにされていくのを主観で感じることしか出来なかった。


「この手がリムを殴りつけたのか!」

「やめ…がああああ!」


 恐怖で震える男の左手首の脈をナイフで引き裂いた。


「この足がリムを蹴りつけたのか!」


 残された両足を踏み付けて関節と逆の方法にへし折った。こうなってしまっては達磨も同然だ。


「この眼がリムを睨みつけたのか!」


 両眼を宙を舞う刃物が抉り取った。それでもまだ男には意識が残っていた。恐ろしい、怖ろしい。この狂気を未だに感じてしまう自分が恐ろしい。


「屑が!」


 それでもアマトの怒りは一向に治まる気配がない。

 残った胴体に何度も剣を突き立てる。悲鳴が途絶え、物言わぬ肉塊と成り果てても構うことなくその光景は続いた。


「キマイラァァァ!」


 それがどのくらい経っただろう。

 アマトが呼び出し、木々を分けて怪物が現れる。獅子と二頭の猟犬、大鷲の翼、蛇の頭がそのまま尾となりそれぞれが意思を持って蠢く神秘性と狂気が両立する生物。アマトの眷属として、命あればあらゆるものへその牙を剥く。

 それが人間の死骸だと認識できるかどうかといった段階まで内臓や骨が抉り出された男の肉体を、


「やれ!」


 余すところなく喰らい尽くせと命じた。

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