4話 女、四人寄らば?
「フィリア、居るか!」
「あ、お帰りなさ……どうしたんですか!?」
ノルンとリリィ、応接室で二人のいがみ合いを間近で見せつけられていたフィリア。それを落ち着かせることのできるアマトが帰ってきたことで歓喜の笑みを浮かべながら振り返った先にはアマトに抱きかかえられ血を流しているリム。
「リムの手当てを、腹から血が出ている」
「は、はい!」
アマトの様子からただ事ではないと感じ取ったフィリアはすぐに常備している道具で応急手当てを行う。応接室が入り口から一番近く、こういう時にノルン、リムから鬼のような扱きで学んだことが役に立つとアマトが判断したからだろう。事実フィリアは手慣れた動きで包帯を巻いている。
「アマトは戻れ」
「いや、しかし」
「……安心して、ここにこれだけいるから」
「……そうか、分かった」
アマトはその場を女性陣に任せて部屋を去っていった。
アマトがこの場にいたいと望んでもアマト・フリューゲルには時間の余裕がない。それを分かったうえでノルン、リリィの二人はアマトを行かせた。
「う、ん……」
ちょうどその直後にリムが意識を取り戻した。
しかし手当てをしていることに気付かないまま起き上がろうとしたためフィリアの手元がずれて傷口に包帯が食い込んでいった。
「いだだだだぁ!?何してるの!?」
「え、あ、ごめんなさい!」
「……全く」
想定外のことが起きるとすぐに動転する。本人が知らないフィリアの悪い癖が出てしまい見かねてノルンが手伝いに入る。
「……何があった?」
リムの手当てが終わり状態も落ち着いたところでノルンが事の顛末を聞こうとする。
「あはは、ちょっとね」
本人ははぐらかそうとしているが、ちょっとのことではリムがこんな怪我をするはずがないだろう。そうフィリアが言おうとする直前。
「気にするだろうが!」
声を張り上げたのはリリィだった。
「あれ?来てたんだぁ」
「来てたんだぁ、じゃない!」
直情的な印象は初めからあったもののフィリアの想像以上に荒々しい怒りの声を上げる。
「お前が死んだらアマトが死ぬだろうが!」
「ええ!?」
あまりに飛躍したリリィの言い方にフィリアは戸惑いを隠せなかった。確かに普段のアマトの態度を見ればリムを他の誰よりも特別扱いしていることは分かる。
だからといって英雄アマト・フリューゲルが一人の女の後を追うようなことをするだろうか。
するのだろう。自分より付き合いが長いのだろうリリィがそう言うならそうなのだろう。この三人との間に、フィリアは言いようのない壁のようなものを感じた。
「ごめんね、気を持たせちゃって」
「はあ、何でこう楽観的なんだ」
「……まぁ、結果的には問題ない」
あははと軽く笑いながら謝るリム、呆れて怒りを失うリリィ、それを観察するようにポーカーフェイスを貫くノルン、その疑問を抱いたのはフィリア一人であった。
アマトといる時間が三人と比べて少ないということもあるが何か拭いきれない疎外感を彼女は感じていた。フィリアはこの三人と同じ土台に立つことすら出来ていない。その現実を突きつけられるようだった。
「まぁ、ちょっと調子に乗っちゃって……」
そんなフィリアの心情を知る由もなく、リムは何が起きたかをおおざっぱではあるが語り始める。フィリアの訓練ののち、暗い森の中を不審な三人組が邸宅の方向へ向かっていることを察した彼女はその三人組を相手取り、二人を蹴散らしたものの最後の一人に不覚を取って気を失ってしまう。リムからは最後にアマトの後姿がわずかに見えただけだったという。
「アマト君なら負けるはずはないと思うけど、死んだかどうかはあたしには分からないかな」
「十中八九無惨に殺しただろ」
「……同感」
(……どうだろう?)
四者四様の表情だが意見のベクトルが異なるのはまたしてもフィリアのみだった。
「これで終わり。後のことは分かんなーい」
「……そんなものか」
「まぁ、お前がそう言うならこの話は終わりにしようか。……さて」
リムの話の決着が付いたことで保留になっていた話題が再浮上することになる。口火を切ったのはリリィだった。
「お前まだ居るのか?」
「…………んあえ!?わ、私ですか!?」
まさか自分が話の中心になることは想像だにしていなかったフィリアは時間差で驚きと怯えが混じった情けない声を出す。
だが当然ともいえる。リム、ノルンともにアマトの片腕を名乗るに申し分ない立場を持ち、リリィから見ても親交の深い者同士の間に紹介されたとはいえ見慣れない亜人がいれば疑問を持つのも無理はない。
「さっきから中途半端にワタシ達の話に加わって、傷の手当てが終わったなら護衛ならアマトの側にいればいいだろうが」
「え、いいんですか!?」
だがリリィの口から出た言葉は思わぬ助け舟。これでこの部屋の重苦しい雰囲気からようやく解放される。軽快な足取りで部屋の扉に手を掛ける。
「いいのかなー?その子一人アマト君の下に行かせちゃって?」
「は?何を………………成る程」
リムの悪魔のささやきに近い言葉に言葉にリリィはしばらく考えそして納得する。
「おいワン公」
「わ、ワン公!?」
幸福と不幸は巡るものだとどこかで誰かが言っていたがそれが本当なら今日は特別なと言いたくなるほどの厄日だろう。フィリアはそう確信した。
「何がどうしてこうなったんですか……」
無理やり屋外の訓練場に連れて来られ、立ちつくすフィリアの心情がこの上なく表された一言だった。
「さあ殺す、生きたいなら生き抜いてみせろよ」
向かい合う未開部族のような姿をした少女、リリィは対照的に戦闘意欲を前面に出している。合図が鳴ると同時に殴りかかるのは間違いないだろう。
「がんばれ~」
「……駄目なら死んでもいいぞ」
その場は貸し切り状態、誰もが中央で蛇と蛙向かい合うかのような光景を口を開かず見届ける中、ひたすらにほっこりとした雰囲気で地べたに座り双方を応援するリムとノルン。
「なーんか下が騒がしいけど、どうすんの?」
屋敷の中からロイが見渡し放置していいのかと同室で出支度をしているアマトに問う。
「好きにやらせていればいいさ。それよりお前は仕事をしっかりしろ……少しここを離れる。任せたぞ」
「了解、行ってら~」
フリューゲル領は基本的に戦時下を除き兵士各個人に平民と変わらない自由、責任が与えられている。今回もそれに則っているようだ。
無理やり巻き込まれた者はたまったものではないが……
しかしフィリアはこの場に至ってもリリィという女の行動が理解できずにいた。
フィリアは護衛、そしてアマトにホの字、だから実力を確かめる。
この飛躍し放題の理屈についていくことができなかった。だが現実は待ってはくれない。リリィの臨戦態勢が整ったと感じ取った次の瞬間には強い闘志が目に見えるかのように現れた。
「せいっ!」
距離を詰めての正拳突き。
「うわわっ」
紙一重で左に躱す。
「そらぁ!」
間合いに入ったところで飛び上がりながら裏拳を繰り出す。
「危ない!」
胴体を翻してかすり傷に留める。
「くらえ!」
着地しながら本命の腹部への右手のブロー。
「意外と遅い!」
だがフィリアは後方へと体を回転させてよける。
ここまででフィリアの被弾はゼロ。だが本人からすれば必死だった。リリィから発せられる殺気は紛れもなく本物だった。
『遅いか?』
『いや、殆ど見えなかった」
リムやノルン、一部の兵士を除く大多数が二人の動きに見入っていた。鎧などの格闘の枷になるものが無いとはいえ、蝶のように舞うフィリア、蜂のように刺すリリィ。常人が容易く入ることのできない域に二人は踏み込んでいる。
「ほらほら、どっちかが倒れるまで続くぞ?」
そんな周囲の関心をよそに、ならば勝手に倒れればいいのではないかと一瞬考えたフィリアだったがすぐにその思考を放棄する。直観的なものでしかなかったがもしそうしていたならば目の前の自分よりはるかに幼く見える相手に一方的に嬲り殺される、そんな予感がしたのだった。
「やります!やりますよ!」
ただ受け身に回っていては埒が明かないとようやくフィリアも反撃を始める。
といってもまだ本気になりきれなかった部分もあり、繰り出す技は足払いのような一撃離脱の小技ばかり。
だがそれでも回避重視の動きが崩れたことは間違いない。それまで攻撃を捌き続けたがついに受け流しきれなくなり尻餅をつく……その寸前で踏ん張り一気に攻勢に移る。
「おお!?」
まさか踏みとどまるとはリリィも思っていなかったのだろう。先出しでマウントを取ろうと飛び上がっていたところを狙われ、フィリアの右手の徒手正拳が繰り出される。
「甘い甘い」
だがそれも織り込み済みでリリィは跳躍していたのか、あっさりと手のひらでつかみ取る。
(これで!)
フィリアの狙いはここにあった。空中で攻撃を受け止める形の防御をしたなら自然と体はその対象に動きが依存してしまう。それを利用して間髪入れずに掴まれた右腕を振り下ろし地面に叩きつけようとする。
「いよっ!」
それは運か必然か、地面に打ち付けたはずのリリィの体は二本の足でしっかりと大地に立っていた。
それでもフィリアには次の手がある。自身の体重以上の重量を受け動きが鈍った足を即座に払おうとする。そしてそれは成功し、リリィの体は今度こそ宙に浮く。
「……嘘!?」
フィリアにとってそれは確定勝利のつもりで出した一撃だった。背が大地と平行になった時、間髪入れずに四肢を抑え付ければ良い。だがリリィはその先を行った。体が浮いた瞬間、それを逆に利用し体を地面と逆転させる。倒立の形だ。
隙をついたはずのフィリアにより大きい隙が生まれた。それを見逃すことなくフィリアの胴体に足が掛けられる。そのまま勢いをつけて捻り込み、フィリアを地面に激突させた。
フィリアが行おうとした行動を逆に利用された形、完敗だった。
フィリアは動かない。自分は負けたのだと、これからの自分がどうなるのかへの思考を放棄して成るように成ると現実を受け入れようとしている。
「意外とやるじゃないか、合格!」
「え?あ、はい」
何を基準に評価されたのか分からなかったが何とか及第点はもらえたらしい。そのことでようやくフィリアの緊張が解かれ、どっと疲れが噴き出し、汗も垢が取れんばかりの勢いで流れ出る。
見返せば一瞬の幕切れだったが互いに一手一手の攻防が続く勝負となった。
そんなフィリアにリリィが駆け寄り好奇の目線を向ける。
いや、むしろ目線はフィリアの後ろの方向へ向けられている。
「え、ちょっと、何するんですか」
「はぁぁ、さっきからずっと触りたかったんだよこの尻尾!」
突然スイッチが入ったかのようにフィリアの尻尾に抱き着き顔を埋めるリリィ。本人曰く最初は純粋に実力を図るつもりだったが、激しい動きの中で揺れる尻尾の毛並みを徐々に触れたいを感じるようになり途中からはずっとこれが目当てだったらしい。
「あ、くすぐったい!」
「ああ、いい!実にいい!」
亜人獣人ともに神経が敏感な部分は共通している。耳や尾は重要な部分であり弱点でもある。フィリアはそこに肌の密着、加えて牛の頭骨の頭飾りが擦れて不可解な感覚に襲われる。
「んああ!だめですって!あっ、あはぁ、それ以上は……」
だが人間に近い、それも年頃の娘がそれをされると独特の熟し切らない官能的なものを思わせる声が上がってしまう。
「え、ああうん、ごめん」
その声に多少は驚いたのかあっさりと体を離す。
フィリアはしばらくして気づいた。それまで大なり小なり話していた周囲が静まり返っている。そういったことにはそれなりに敏いフィリアは顔を青ざめる。
幾人か股を手で押さえたり武具で隠そうとしている男がいる時点で察せられるだろう。
「…………死にます」
「おおーい!?まてまてまてまて早まるな!!」
結局その場に残されたのは静かに燃える情欲と死にたがる亜人、それを止める前衛的な容姿の少女。
「あたしたちも混ざっていいかな?」
「……右に同じく」
「おいこらぁ!?」
その反応を面白がり手をワキワキさせながら近づく二人、異邦の服をまとう大柄の女性、黒いゴシック長の人形のような無口な少女。
「混ざりたいなあ、でもアマトに殺されるよなあ………………………あぁ、どーしよーかなー!」
それらを高みから見物し、理性と本能のはざまで勝手に揺れ動いている男という混沌とした景色のみだった。
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