2話 来訪者
「……さあシよう、Hなことしよう」
「落ち着け、と言いつつ私は忙しいんだが」
ノルン・カルディコット、公式に認められているアマト・フリューゲルの婚約者である。
お互い対外的には寡黙な性格で第三者から見ればどこかミステリアスな空気を纏っているように見える二人、背丈の差が大きすぎることさえ除けばフラーズ内でも有数の美男美女の好一対だ。
といってもその経緯は紛れも無く政略結婚であり、お互いに適度な距離感を保っている。
ただしノルンは周囲には知られていないがアマトのそれとは違い寂しがりやという一面を隠し持っている。その反動なのかアマトが忙しく部屋に籠もり話し相手にすらななれず数日が経った際には倫理観が一気に欠落し令嬢らしからぬ卑猥な言動を連発する爆弾と化す。そして今がまさにその状態だった。
「男女逆なんじゃないのかこれ?」
「……黙れ、出て行け」
勿論その対象はアマトだけであり、それ以外には殺意と大差ない悪感情をぶつける。そのせいかアマトと行動することが多い連中、今回はロイが割を食うことになる。
「わ、わかってるって」
「は?おい!私をここで一人にする気か!?」
「悪いけど死にたくないのね……そういうことだから」
だが周囲から見ればノルンを無視し続けるアマトの構図に見えなくもない。
さらにアマトの援護をすれば後でひどい目に遭わされる。
かつて身を持って体験したことのあるロイはあっさりとノルンの言葉に従った。その足をよく見ると小刻みに震えている。
アマトの制止も無視し、生まれたての子鹿のような内股気味の足取りで部屋を去っていった。
「……邪魔者はいない、よし」
「僕は何も良くないがな」
ロイという味方……いや、壁を失い窮地に立たされるアマト。仮にも婚約者に迫られ、身内への甘さがあるアマトは厳しく突き放せないでいる。先ほどまでのフィリアもそうだが、武人アマト・フリューゲルの弱点はこの女性関係の優柔不断さにあるだろう。
「……安心して、何も変なことはしないから」
「何もしないなら帰ってくれないだろうか?」
「……下の棒晒せばそれでいいから」
「底冷えするから嫌だ」
そう言って無下にあしらい続けている、だが内心は決して穏やかではない。
するとノルンがアマトに向けてにじり寄り、太腿に乗りかかる。当然密着しながら向かい合う形で、だ。
「分かった!今夜相手するから!今は止めろ!」
「……本当?」
無表情な彼女だがこういった際には目に見えて機嫌が良くなり、アマトは根負けしやつれた表情になる。
「ちょっと外に出るよ」
「……駄目、全部中に出せ」
そこでついに忍耐の限界に来たアマトは手に持った紙の束でノルンの頭を叩き、部屋中にスパァンと小気味良い音が鳴り響いた。
「……痛い」
☆☆☆
アマトがノルンの対応に四苦八苦している頃、フリューゲル邸宅の訓練場、そこでフィリアは戦闘能力の底上げを目的とした訓練を行っていた。
もともとフィリアは誰の手を借りることも出来ずに生きてきたこともあって生きるために最低限必要な能力の大半を備えている。
勿論文化圏に入ればお話にならないようなものばかりで立ち振る舞いや食事のマナーも同時に教わっている状態だった。
そんなフィリアの今回の訓練の内容だが、リムとの実戦訓練だ。基本的に
「あと20……やっぱり40回」
「絶対根に持ってるやつだこれ!」
1日に50戦の組手の形でフィリアの目立つ癖や無駄な動きを少しずつ矯正していく……のだが今回はリムは少々不機嫌だった。
「ほら今の間合いは三歩で詰められたよ」
「近づいたらボコスカにするくせにぃー!」
フィリアは決して弱くはない。初期から一対一なら並の兵士は足元にも及ばない程度の実力を備えている。
「えりゃあああ!」
「動きが見え見え」
だが相手が悪かった。リムは身内からアマトの部下の中でも最高格の実力者とみなされている。
「間合いに入ったらすぐ攻撃する!」
「あだっ!」
服装こそ型破りだが戦術は至ってシンプルで避けて倒す、それだけだ。事実、フィリアからの攻撃を今に至るまですべて掠ることすらなく躱し続けて、額を小突くなどで挑発交じりに反撃している。
「今度こそ!」
「速けりゃいいって物じゃないでしょ?」
この訓練はフィリアがリムに傷を負わせられる日まで永遠に続き、終わり次第次の訓練へと移る。
そのルールはウィルゼールの徴用試験の内容と全く変わりが無かった。これはリムからのメッセージである。
『この訓練を越えられなければ貴方は所詮まぐれだけの存在だ』と。
「さぁ、もっと来なさい。掠り傷一つ付けられればすぐに終わるんだか……」
異変はその時訪れた。フィリアは何も気付かなかったがリムは構えを解き、北西の方角にある森の方を見つめている。
「隙あり!」
「ふんっ!」
それを千載一遇のチャンスと思ったのかすかさず間合いを地面を人蹴りで詰め、手持ちのナイフでリムの服の袖を狙って切り付ける。
「…………べふっ!」
「あ、ごめん」
その謝罪は真剣に訓練に向かわなかったことに対してか、それとも不意に受けた攻撃につい全力で反撃してしまったことなのか、どちらにせよその言葉は鳩尾を押さえて蹲り小刻みに震えるフィリアには届くことはなかった。
「今日はこれで終わり」
「あああ……あぇ?」
まともに立ち上がれないでいるフィリアにそれだけ言い残すとリムは急ぎ足でその場を立ち去っていった。
「何で?」
『おーいそこの奴』
いったい何がリムに起きたのか理解できぬままその場に取り残されたフィリアは脇腹の痛みが引いてもしばらく立ち尽くしていた。
「おーいそこの耳付き!聞こえないのか!?」
「え?あ、私ですか?」
しばらくして自分が誰かに呼ばれていることにようやく気付き、そして振り向いた先には一人の少女がいた。いや、少女と表現するべきなのだろうか、見た目の歳の頃は5歳前後の褐色の肌。それだけでも印象に残る容姿だが身に付けている装飾品が凄まじい。
衣服は木の葉のようなものを縫い合わせて作った上下一体。さらに頭に牛の頭骨のような何かを被っている。見た目の総評は古い世界の部族といったところか。
「お前以外に誰がいるんだ耳付き」
「アマト・フリューゲルに会いたい。ここに呼べ」
耳なら誰でも付いているだろうと反論する暇すら与えられることなく繰り出される言の葉にたじろぐ。見た目以上に舌が回るその様を見て警戒心を強める。
「おいおいそんな怖い目をするなよワタシは客人だぞ、それも最上級の」
客人とは何かと一瞬考えたフィリアだったがそんな考えは一瞬で吹き飛ぶ。
一秒過ぎて行くごとにその少女の機嫌が目に見えて悪くなって行く。
そしてそこから覗く目が幼年期の少女のそれではなかった。その眼をフィリアは知っている。いくつもの修羅場を味わった者の瞳。ナイフに映ったかつての自分、そして人を殺す直前のアマトもこのような目をしていた。
「……貴方、何ですか」
「お?やるかわんわん?」
それをフィリアは警戒する。アマトに何の用なのか、敵か味方か、そもそも衛兵が守っているはずの唯一の入口である正門を騒ぎ一つ立てずにどうやって突破したのか、それを確認しなければ絶対にアマトに合わせることは出来ない。そう心の中で決意し、足元のナイフを拾い臨戦態勢に入る。
それに対して相手は喧嘩なら買ってやると余裕の表情とそれに合わない殺意を纏っている。
「……来ないのか、ん?」
(……殺される!)
直感的にフィリアは戦えば一瞬で死ぬと感じ取っていた。こんな時に限って周りに人気がなく、かといって隙を見せた瞬間に自身の血が地面を染める、肝心のリムもいつの間にかどこかへ消えている。八方塞がりに近かった。
「何をやっているんだフィリア?リムはどうした?訓練中では……」
そんな最悪のタイミングでアマトが邸宅から訓練場に出てくる。大方リムに用があったのだろう。フィリアも普段なら狂喜乱舞したのだろうが、今は例外だ。
「アマトさん!離れて下さどわあっ!?」
だがそんなフィリアは飛び蹴りで吹き飛ばされ壁に叩き付けられる、その衝撃を気を失うことは無かったが、フィリアは地面と平行になる。
フィリアを吹き飛ばした少女はそのままアマトへ向かい……
「アマトおおおぉぉ!!」
「君はりりむぐっ!?…………」
不意打ちでアマトの唇を奪った。
その数舜で何が起きたのか、フィリアには理解が追い付かなかった。
「ぷはぁっ……」
アマトに全身を絡めながら唇を重ねる二人。それを終え離れた際、倒れながらも横からフィリアには件の少女の表情が見えた。
それは子供の見せる無邪気なそれとは違い独特の色気を醸し出している。
「相変わらず何も連絡せずに来るんだなリリィ?」
リリィと呼ばれたその少女は今度は見た目相応の純真な笑みを見せる。
「アマトの顔が見たかった」
「それだけ?」
「それだけとはなんだ。ワタシの愛の深さが分からんのか?」
それがフィリアには恐ろしく感じられた。数分たたぬうちに見せた二面相、ただ負の感情を向ける相手以上により恐怖が伝わってくる。
「ところであれは何だ?」
関わり合いになりたくないと思った矢先、自分に目が向けられた。
「?……ああ、お互い初対面だな」
できれば関わり合いになりたくなかった。アマトと親しいという様子は今十分以上に見て取れたがそれでもリリィという少女への恐怖感が拭い去れなかった。
「彼女はフィリア、私の護衛を務めている。こっちがリリィ。一言では説明しづらいがおいおい伝えるよ」
「よろしくな護衛!」
アマトを介してリリィの殺気は消えるが、フィリアからすれば壁に蹴り飛ばされた相手に警戒心をそう簡単に解けるものではない。
「……よろしくお願いします」
兎に角儀礼的に、そしてアマトの顔に泥を塗らないように注意を払い礼をする。
「フィリア、彼女をリリィを部屋に連れていってくれ。私は少し外に出る」
「え?」
今何と言ったか。まさかこの主人は自分に死ねといっているのだろうか。そんな抗議の目線を送るが結局気付かれずにアマトはそのまま街の方向へ向かっていく。
「ちぇっ、せっかくアマトに会いに来たのにつれない奴」
「その、アマトさんは忙しいですから」
「……ほーう?」
「な、何でしょうか」
今日のフィリアは運悪く一々他人の琴線に触れてしまっていた。自業自得な面も多分に含まれているが周囲からみれば不憫で仕方がないものだった。
当の本人も何が目の前の少女の気を引いたのか理解することができないでいる。
「アマトさんときたかぁ、なるほどなるほど」
そして結局、指摘されるまで気づくことがなかった。アマトが目下の者に呼ばれる際は『子爵』『アマト様』のどちらかだ。前者は純粋な敬意を、後者は絶対の崇拝を。一部呼び捨てにする者もいるがそれはより強い関係を持っていること証明でもある。
そんな中でリリィはフィリアのアマトへの呼称に食いついた。
それはフィリアがアマトへの強い想いを持っていることの証明であった故に。
「そんな目が出来るのか。面白いやつだな」
フィリアが反応する前にリリィが驚いた。
自分で自分の目を見ることは出来ない。リリィに意味ありげな言葉を言われたときにどんな顔をしていたのかフィリア自身には分からなかった。
☆☆☆
ウィルゼール北西に広がる森林の中でリムは木々の上部を跳躍する身のこなしで移動していた。
そして目的の相手を見つけると木の上から降り立つ。
「待ちなさい、ここからは行かせないよ」
視線を向けた先には三人組の男、いずれも痩せ細った不健康な姿をしている。
そのうち左右の男は顔を覆い素顔を隠しているが、その間にいる男は一人素顔を晒している。絶対的な自信の表れだろう、確実に標的を仕留めるという。
薄暗い森林の中を足音一つ立てずに歩き、向かう先はフリューゲル邸。子供でも分かる単純な推理だ。この連中は暗殺者、そして狙いは当然……
「……どけ女、用があるのはお前ではない」
「それは残念。でもあたしは用があるの」
アマトがこの程度の連中に暗殺されるなど万分の一もあり得ない。
だが、今のアマトは最優先で行うべきことがある。わずかな時間でもこんな連中に拘うようなことはあってはいけないのだ。
「誰にも知られないまま死んでもらうから」
その言葉に相手も臨戦態勢に入った。
すると必然的にリムが単独で刺客に囲まれる形になる。
「えー……」
360度をちょうど三等分にするように包囲され逃げ場所を失った。といえばリムの窮地に見えるが別にそんなことはない。
どんな状況であれ必然的に勝つ。今のリムにはそれしか思いつかなかった。
「めんどくさいなぁ、っと」
軽口を叩く隙を与えることなく敵は攻撃を仕掛けてくる。
まず隊長格を除く二人が左右からナイフで斬りかかる。
「おっとっと」
その行動に振り向くと同時にのけぞり剣戟を躱すがその背後にすでにもう一人の刃が迫っていた。
「はいはい、当たらないよ」
だがそれをリムは読んでいた。視線とは反対方向からの攻撃も軽々と避けていく。
同じだった、かつての剣闘祭の時のアマトの動きと同じ、隙を見ているのでもなく、体力の消耗を狙うのでもなく、言葉にした通りリムは『めんどくさい』から反撃に移ることをしない。
そんな茶番を繰り返し続け、遂に先に折れた二人の刺客が距離を取った。
「ぐっ、何故反撃しない!愚弄するか⁉︎」
「愚弄?愚弄ねぇ…してあげてもいいけど?バカ。バーカ」
二人掛かりで優勢どころかリムの態勢一つ崩せないまま挑発を受ける。暗殺者として訓練を受けている以上安い挑発に乗せられるようなことは無いが、そんな軽口をたたく余裕が相手にあることが二人を焦らせていた。
一方のリムも余裕といった風を装っているが内心では警戒を怠らない。今戦っている二人は実力的にリムに遠く及ばない。
ならば唯一の不安要素は残ったもう一人。眼前の攻防を見ても眉一つ動かさずニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべるだけの不愉快な男だった。
「じゃあ……終わらせるよ」
そしてついにリムが攻勢に出る。腰に差している自身の背丈ほどはあろうかという長さの刀を居合切りの要領で勢いよく抜く。
「え……?」
リムが起こした行動はそれだけである。相手との直線距離は大股で十歩以上は離れている。
そのはずであるのに左翼に陣取った敵の一人が胴体を横一文字に切り裂かれた。
「き、貴様何を……!」
どんな手段を使ったのか、その真実はその場の誰にも理解できなかった。
「次」
「くっ」
相手が沈黙しことを確認するとすぐにもう一人に標的を切り替える。
迂闊な攻撃は出来ないと守りを重視した態勢へと切り替えるがそれが命取りとなる。
大方敵はリムの攻撃が大振りな攻撃を仕掛けてくると予想していたのだろう。正面からの攻撃を躱そうとする。
だがリムの行動はその予想の全く反対、木々の間を移動し、翻弄する。
その動きを目で追うことが出来なかった。手掛かりは音がした場所に立つ木の表面に付けられた何かに蹴られて木の皮が剥がれた跡。
そこからリムの動きを読むことが出来ればまだチャンスはあっただろう。
だが残念ながらその男にはそれだけの実力が備わっていなかった。
出来たことは自身の足元へと切り込むリムの姿をコンマ数秒視界にとらえることのみ。その程度で何かできるはずもなく、両足を無残にも切り落とされ戦闘能力を失うこととなった。直に命の灯も消えるだろう。
「じゃあ、最後の一人」
それまで余裕を保っていたリムの表情が強く引き締まった物に変わる。
最後に残った男はそれまで微動だにしなかった。
黒い長髪を後ろで束ねた男。ともすればアマトの部下の一人グリフィスに似ていなくもないがどんな相手なのか。
(どんな相手でも関係ない、殺す!)
一瞬脳裏に過る名状しがたい不快感を振り切り、男の胸元へと切り込んだ。
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