17話 フラーズの昼下がり
フラーズ領土の遥か上空、薄い雲のさらに上を飛ぶ生物がいた。地上の人間には地面に大きな影が動く様に映ったため空を見上げる者も多い。しかし距離と逆光の関係でそれが何なのかを理解することは誰も出来なかった。
「よし、ここからだ」
天を翔けるそれは後ろに乗った男、アマトの合図で徐々に降下を始める。雲を突き抜けた先にはフリューゲル邸宅より一回り大きな城を中心に一つの街が見える。フラーズ王国王都ジュレールだ。
「久しいな、ジュレール……」
巨大な飛行物体、キマイラはゆっくりと滑空するように地面に降りてゆく。
関門の前で見張りをしていた兵士は空から降りてきた巨大な影の正体を見るや否や剣を構え、門の上にいる兵は弓を構える。
「なんだ!?敵か!?」
「
関門の中から慌てて出てきた金髪の男がその場を諫めようとする。その様子を低い所から見ているアマト。その服装は今までのそれらとは違い細部まで見栄えを重視して作られたフラーズ貴族の礼服だった。
「お久しぶりです!ご無事で何より……」
「出迎えご苦労、と言えば良いかな?」
兵士達は剣を下げようとしない。その警戒心が自身に向けられたものでないことが分かっていても不愉快なことには変わりなく、アマトは皮肉めいた礼を述べる。
「止めないか!フリューゲル子爵に無礼である!」
後ろを見てそれに気づいた男の一喝で兵士達は渋々引き下がる。
「失礼しました。ですがコレに乗って来られるとは……」
「気にするな。君の言うとおり事前に伝えなかった私に非がある」
心の底から申し訳なさそうに頭を下げる男に対してアマトもまた謝り頭を上げるように諭す。
「部屋の用意も出来ています。案内しましょう」
「優秀な部下がいると助かるよランディア」
「光栄です、アマト様」
ランディアと呼ばれた青年は軽く会釈すると先導する形でアマトと共にジュレールの街を王城へ向かい直進する。
「馬車も無しで……。よろしかったのですか?」
「ああ、こちらの方が都合がいい」
やはりアマトは目立つ。高身長に加えて彫像のような美しさを持つ容姿。そして一日遅れとはいえサンデル軍を圧倒的な数的不利から退けた英雄だ。道行く人々はアマトを見ると十人中九人は振り返る。
貴族の素顔を滅多に見ない民衆の中にはアマトの容姿から王族ではないのかと勘繰る者までいる。
フラーズに限らず貴族が領地以外で平民の前に姿を現すということは滅多にない、というのが従来の常識だった。しかしアマトは爵位を得て以降も積極的に人前に姿を見せるようにしている。
その姿にある者は羨望を抱き、ある者は身なりを妬む。
だがそれらに総じて『今までの貴族とは違う』という印象を与えていた。
「君がいるということはアルベルトさんから手筈は聞かされているな」
「はい、万事滞り無く」
「ふむ」
二人がそうしてこれからの予定を話すうちにジュレールの王城までたどり着いた。
「アマト・フリューゲルだ。陛下との謁見が叶っている」
「……」
城に入るために必要な証明の手形を慇懃な笑顔で渡すアマト。それに対し城門を守る兵士二人は無言、無表情のままその証明を受け取る。
「確認いたしました。どうぞ」
数分待たされようやく場内に入る許可が出された。礼服を汗で汚すわけにいかなかったアマト達は日陰に隠れる羽目になっていたが。
「相変わらず見栄えだけは良いものだ」
王城の内装を見てアマトはため息交じりに言う。
フリューゲル邸宅が質実剛健ならばこの城は豪華絢爛と言えば良いのだろうか。見た目の大きさに加えて内装も非常に手が込んでいる。成金趣味とは少し違うが金細工、銀細工、大きな絵画などの様々な芸術品が廊下の端や壁の随所に見受けられる。
もしこの廊下一つでも民が見ればどう思うのだろうか。
「こちらです」
「こんなものだろうな」
番号が振られた扉を開いた先アマトに用意された部屋はウィルゼール宅にある自身の寝室とさほど変わらない大きさで寝具は四つと奥の部屋に二つ。
子爵に限らず多くの貴族は王都への凱旋時などにはこういった部屋をあてがわれる。公爵や国賓級の扱いとなればまた別であろうが……
「あらら?子爵様。お久しぶりです」
「やあリンディス、こちらこそ」
部屋の中にはランディアと同じ金色の髪をした女が一人。リンディスとランディア、二人並べば一目瞭然だが双子の兄妹だ。
「アルベルトさんは?」
「謁見の際の行程を調整に。しかし今日来られるとは思いもしませんでした」
「?何故だ……?」
なぜにそんなことを聞くのか、本当に理解できないといったきょとんとした顔でアマトはランディアに尋ねる。
「え?だって今日から子爵領の徴用試験が始まりますから」
「………………何だと!?」
「きゃっ!?」
突然近くで大声を上げられたリンディスが悲鳴を上げる。
アマトにとってまさに青天の霹靂だった。かつて漂流してから数日、特に問題は無いと考え正確に時を把握できていなかったことが失敗だった。
「アマト様!?何をされるのですか」
「決まっている、今すぐウィルゼールに帰還する!」
「何故です!?」
「それは……」
アマトは返答に詰まる。理由がないわけではない。だが大声で言えるほど真っ当なものではないからだ。
勿論普段のアマトならこの程度は確認と調整のミスとして軽く流し、自領での試験もロイなりノルンなり、適当な人物が取り仕切っているだろうと判断して任せていただろう。
だが今回は違う。ある要素がこれを決定的な失敗にしていた。
(もし彼女がいたら……)
フィリア。自分がかつて救うことが出来ず、であるにもかかわらず自信を救った命の恩人。自身が海岸にある小屋の中で目を覚ました時、彼女は自分の目の前で見守るように眠っていた。そして体に拙いながらも必死だったのだと伝わる包帯での応急措置。
なぜ君が?
その疑問にいくら時間を費やしても答えは出なかった。ただ一つ、生きていてくれたこと。それだけで何か心が軽くなった。
目を覚ました時、この子と話がしたい。無性にそう感じた。アマトとして、アマト・フリューゲルとして彼女をどう思ったかを伝えた。それで後腐れなく終わりと思った途端、彼女の様子が変わった。まるで虚無感に蝕まれていくような……それを見かねて咄嗟に彼女をウィルゼールに向かうまでの旅に誘った。これもまた贖罪なのだと自信を律して。
素直な気持ちを述べるならば、楽しかった。道中、イレギュラーも多少あったがそれも含めて、争いに明け暮れているフリューゲル子爵が、ほんの少しの間でもただ人のアマトに戻れた気がした。
そして紆余曲折有りながらもウィルゼールへ戻り、アマト・フリューゲルへ戻った時、彼女とともにいることはもうできなかった。
だから彼女を突き放した。生きていてくれた命だ。せめてこれからは血を見ることのない生き方を選んでほしかった。結果的にそうなっただけとはいえ、ウィルゼールは他の街や国と比べても亜人や獣人との軋轢もほぼない。ここなら彼女もきっと…………
(なんで……)
そう願っているのになぜ彼女は自分の手を取ろうとするのだろうか。少しでも振り返れば周りには一面の花畑があるというのに、どうして目の前の血に濡れた体に触れようとしてくるのか。
口先の言葉でその場しのぎをして遠ざけようとしても今度は真っ直ぐに好意をぶつけてくる。
だから素直に思いを告げた。君は戻れる、戻れるのだからこちらに引き込まれないで欲しい、と。
だがそれは失敗だった。彼女は自身の居場所が青年アマトの側にしかありえないと決めつけてしまっていた。あの夜、アマトは立ち去った体を装い陰でフィリアの様子を見ていた。少しも待たずにフィリアが半狂乱状態に陥ったときには自分のあまりの不注意さに怒りを覚えた。
考えれば考えるほどどうするべきだったのか、どうするべきなのか、アマトもまた底なし沼のように深みにはまっていく。
もしも彼女がまた想いをぶつけてきたならば自分は今度こそ拒絶するための言葉をだせないだろう。
「失礼します」
これからの対処に悩むアマトの思考を切るかのように部屋に男が入ってくる。礼服姿の似合う初老の男性、間違えるはずもない。コーロニアの馬小屋でアマトが再会したアルベルトだ。
「アマト様、早急に謁見の準備を」
「ど、どういうことですアルベルトさん!?」
「実は謁見の打ち合わせの際に陛下が加わっておりまして、その時にアマト様が来られたということが伝わりましてな」
それで急きょ謁見の時間が今日にずれることに……。
遂に八方ふさがりになった。王から直々にそのような決定をされては誰も覆せず、ボイコットなどしようものならどうなるか、アマトでなくても容易に想像できる。
「…………愚図が」
窓も締め切られた部屋であったがその言葉は誰にも聞こえることは無く霧散していった。
「致し方ない。すぐに行くと伝えてください」
できることがなくなってしまったがそのおかげか、アマトは逆に冷静になることが出来た。
「はい、ではそのように」
こうなってしまった以上謁見の場での王都の邂逅もさっさと終わらせ、一刻も早くウィルゼールに戻るしかない。そう決めたアマトはこれから行われる王との間で交わされるであろう会話を数十、数百と膨大な数のパターンの予測を自身の脳内で行うのだった。
フラーズの現国王は非常に若い。未だ整えるほどの髭も無い青年だ。名はガリウス。ガリウス・フラーズ5世。
世襲君主制のフラーズにおいて前王の急逝によって即位することになったために経験値はほぼ皆無。体面を取り繕うことこそ出来てはいるが政治、軍事の両面において側近がその殆どを取り仕切っているのが今のフラーズの現状だ。
「おもてを上げよ、アマト卿」
要するにガリウスはただの神輿、今回の謁見で語る内容も事前に用意された文章をただ口にしているだけの通過儀礼のようなものだ。謁見と言っても王の隣で髭を生やした老獪そうな男が耳打ちをしてうまく調整している。
「顔を見ることも久しいが、今まで何をしていた?」
「答えられません」
少しの時間も開けることなくそう答えるアマトに対してガリウスは僅かながら眉を吊り上げる。
「アマト卿!陛下の問いに答えられんとは何たる不敬か!」
「まあ落ち着きなさいジェロム卿、彼にも理由はあるだろう」
王の側近の一人である侯爵位の男がアマトを攻めると別の公爵の男が諫めようとする。
「今は答えられない。ということです」
「いずれは分かる。そう解釈して良いのか?」
「はい、否応無しに」
敵意は当然ないものの唐突に見せた鋭い目つきと不穏な台詞回しにその場にいる者は貴族、近衛騎士を問わず背筋に寒気が走る。思わずたじろぐものも幾人かいた。
「……まあ良い、このことについては不問とする」
ガリウスも平然とした風に話しているが内心では目の前の不遜な男への恐怖心が離れない。
フラーズと言う国にとってアマト・フリューゲルと言う男は諸刃の剣だった。
いつからか、どこからともなく現れ、騎士学校を最高水準の成績で卒業すると瞬く間に頭角を現し、子爵位にまで上り詰めた。若い貴族の中にはフラーズ躍進の立役者として心酔するものまで現れている。
だがそんな周囲の評価とは裏腹にアマト・フリューゲルがフラーズと王族に忠誠を誓っているという確証がどこにもないのだ。アマトに限ったことではないとはいえ、もしもフラーズと言う国が彼に見限られでもすれば、信奉を集める者の強さを知っている貴族連中からは無理やりにでも力を削ぐべきであるという考えと懐柔してなびかせるべきだという考えに二分されている。
どちらにせよ今のアマトは従来の価値観を持った世襲型の貴族からは『異端児』であり、好ましく思われていないのが実情だった。
「本題に入ろうか。フラーズ領土に侵攻されたとはいえサンデルの軍を退けたのだ、見事としか言えまい」
言葉だけ取れば惜しみない賛辞を送っているように聞こえる。だが実際には感情が乗っていない、用意された文章を読んで言葉にしているだけだ。
(さっさと終わらせろこの暗愚め。手遅れになった時には八つ裂きにしてくれる)
当の本人もこんな物騒なことを心の中で呟いているのだが。
「だが、いつまた彼らが我が国に攻め入るやも知れない、分かるな?」
「それはサンデルを落とせとの命でしょうか?」
「ああ」
やられる前にやれというわけだ。普段のアマトならばなかなかにうまく事が進んで内心小躍りしているのだろうが今は他のことにも気を取られて思考がうまく回らないでいる。
(サンデル攻略ならば数か月で終わらせることが出来るだろう。それよりもウィルゼールは今どうなっているのだろうか、徴用試験のことを知る方法は酒場に顔を出すか大通りを通る際に看板を見るかの二通り、どちらも彼女が気に留める可能性は無いとは言い切れないが限りなく低い。不安要素があるとすればやはりリムだろうか、あの子がいったい何を考えているのか分からないがフィリアに興味を示しているようでもある……。最悪試験最中に乱入して中止させるか?しかしそれはあまりにも露骨すぎる。ならば……)
「どうした?出来ないならばはっきりと言えばいい」
しかし黙っている時間が長すぎた。奇妙に思ったガリウスが皮肉交じりにもう一度問いかける。
「いえ、半年の時間をいただけるならば必ず」
「む……そうか、ならば改めて命じよう」
いつの間にか謁見の場はこれからの軍事面での指示を行う場に変わっていた。
勿論予定にはない、ガリウスの独断だ。周囲の貴族も困惑した様子でざわめきが少しの間流れる。
それが良い結果をもたらすかどうかはともかくとしてあっさりと命令は下される。
「アマト・フリューゲル子爵よ、サンデルを下せ」
「御意のままに」
「……陛下、そろそろ」
隣の男の言葉にそうかと軽くうなずくと謁見の時間は終わりを告げた。
(兎に角急いで戻ろう。話はそれからだ)
☆☆☆
雲一つない青空、風も程よく涼しく、絶好の外出日和だ。
だがフィリアの予想よりも集まった人の数は少なかった。と言うよりも少なすぎる。五十人いるのかいないのか、それくらいしかいない。
しかし集まった人たちの話声に耳を立てるとこれでも例年より多いとのこと。
フリューゲル領では強制的な徴兵は行われず、一定の基準を満たすか、騎士学校出身であるかのどちらかでのみ兵士として採用される。実質フラーズの最前線であるウィルゼールがこれだけ平穏なことも併せて、アマトが率いる軍がどれだけ優秀で、故にこの試験も一筋縄ではいかないことが窺える。
さらに付け加えると亜人、獣人もそれなりの数がこの場にいる。フィリアも獣人を見るのは初めてだったため衝撃も大きかった。まさしく動物が二本足になり、服を着た姿だ。一人の顔は見まごうことなく猫のそれだ。
亜人、獣人が偏見の目で見られることなくこういった街の守りに関わる仕事につけるというのはやはりウィルゼールが特殊ということを証明している。
「はい、ちゅうも〜く」
やたらと伸び伸びとした声と共に入り口からリムが姿を現す。
「あらら?今年は人多いな。昨日の夜に飛び込み参加がすごかったらしいが」
「あんなふざけた呼び込みに釣られるとは」
続けてロイにグリフィスと、ウィルゼールに居るフリューゲル子爵の側近が一堂に会した。ノルンが居ないことを不思議に思ったフィリアだったが、理由があるのだと考えを打ち切り、目の前の試験に集中する。
『フヒ、ヘヒ、エヒヒヒヒ!』
アマトの部屋があったところから不気味な声が聞こえたことに関してはあえて無視した。
「おお、確かに多いな」
「こちらとしてはあまり増えてくれない方が助かるのだがな……」
それまで互いに話し合っていた参加者もそれを見て一斉に静かになる。アマト・フリューゲルの直属の部下である。それだけでウィルゼールに於いて大きなステータスとなっているのだ。
「皆さんこんにちは~。堅苦しい挨拶は時間の無駄だからさっさと試験の説明に入りますね~」
その場の緊張をほぐすかのように温和な雰囲気を纏いながらリムが試験の大まかな説明に入る。
「まず第一試験に体力と持久力があるかの確認、とにかく走りまくってもらいます。第二に忍耐力、冷静な判断力の確認、戦士には大切なことですね~。最後の一つが戦闘能力そのものの確認。どれも基準は高いけれど死なない程度に頑張ってね♪」
軽快な口調で物騒な言い回しをするリム。しかし言葉には一切の優しさはない。その異様な雰囲気にある者は身構え、ある者は体を震わせている。
(死なない程度に?冗談じゃない。死んでも合格して見せる)
そしてある者は誰にも負けないと断言できるほどの強い意志で試験に臨もうとしていた。
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