16話 本音、ぶつかりあって

 その日、フリューゲル邸宅の執務室は朝まで明かりが灯されていたといわれている。


「……許可、許可、却下、許可、却下、許可、ベロチュー、許可、却下、許可、却下」

「適度に休みなよ。凄い量だから」


 しかしそこにいるのはアマト・フリューゲルではなく、その婚約者ノルン・カルディコットだった。

 一心不乱に書類の整理を進めていくノルン。同じ作業の繰り返しは基本的に飽きがくるものだが彼女はある約束を胸にモチベ―ションを保ち続けている。

 しかしいささか暴走気味なその姿を見てその『約束』をしたリムは頭を抱えていた。

 なぜこんなことになったのか。それはアマトがフィリアと対面してすぐ後のことだった。


「私はと話がしたいんです!今の貴方じゃない!」

「……」


 フィリアの思いのこもった言葉それを無下にすることは出来ないと判断したのか入り口で待機しているリムを呼び出す。


「リム、ノルンを起こしてくれるか?」

「そう言われると思って持ってきたよー」


 『持ってきた』の字面通り、いつの間にかリムはシーツにくるまり簀巻きにされたノルンを片手に持っていた。それが勢いよく部屋に投げ込まれる。


「ベフッ!何だ!?」


 小柄とはいえ大の大人がソファに放物線を描いて落ちたのだ。その衝撃はそれまで熟睡していたノルンが目覚めるのにも十分だった。


「起きたか、早速働いてもらうぞ」


 そう言ってアマトは今だ夢から覚め切っていないのノルンを自身の執務用の机に座らせる。


「……断る」


 ある程度目がさえてきたノルンは積み上げられた書類を見て直ぐに拒否する。単純に量の問題もあるがそれ以上に、これがロイのサボタージュの象徴であり、あの馬鹿の尻拭いをさせられると感じたのが余計にそれへの嫌悪感を際立たせた。


「もう、しょうがないなあ」


 頑なに受けようとしないノルンにリムがそっと耳打ちをする。その内容はノルンの頬を見る間に赤く染めていく。


(クリステルさん経由のアレ、あげる)

「…………マジ?」

「うん!」

「……やる」


 それまでの不機嫌な表情はどこへやら、今度は嬉々としてその提案を受け入れたのだった。

 フィリアとともに部屋を去る間際、アマトは背筋が縮み上がるような奇妙な視線を感じたがあとを任せて去っていく。こうしてノルンが書類を処理している現状が出来上がったわけだ。


「ベロチュー、ベロチュー。フィヒッ!ヘヒヒヒヒヒ!」

(やっちゃったかなぁ。アマトくん何話してるんだろう?案外口喧嘩してたり?)


 そんなリムの逃避のような推測は必ずしも間違っていなかった。

 フィリアの言葉はともすればフリューゲル子爵への不敬にとられかねない。だがその言葉から伝わった強い意思がアマトに何かを伝えたのか、さっきまでリムとフィリアが話していた場所、庭園の中心。星が良く見える場所で向かい合っていた。


「いい加減本題に入ってもらえないだろうか」

「……」


 一向に話す気配がないフィリアにアマトが苛立ち気味に問いかける。何がいけないのかと。


「君が話したいのが今の私じゃないならこうだろうか?……僕に何の用だい?」


 ここまで二人きりで話すように案内したのだが当のアマトにはまともに話し合いをする気はない。それが言葉に現れている。


「怒っているのかよく分からないが、僕が君に何かしたのか?」

「それは!」


 何を言っているんだろうかこの男は?自分に対して何を言ったのか、それを理解していないのか?そう考えたフィリアだったが直ぐに思い直す。


「……違うんです」


 それで気が付く、自分とアマトとの間の決定的な違い。


「怖かったんです」

「?」


 ここで別れた後どうなるのか。アマトは本来あるべき子爵としての生活に戻るのだろう。そこにはノルン、リム、ダグとリンゼ、多くの人がいる。

だが自分は?元に戻ればまた独りだ。


「アマトさん!」


 その負の感情を振り払うようにアマトに詰め寄るフィリア。が、勢い余ってアマトをフィリアが押し倒す形になってしまう。


「おいおい脈絡もなく情熱的だな」

「好きです」


 一瞬、時が止まった。少し経って自分は何を言っているのかと顔を赤くしながら後悔した。だがここまでいってしまったのならいけるところまでいこうと瞬時に判断した。


「……いや本当に」

「貴方と一緒にいたいんです!」


 真正面から本気の好意をぶつけられれば動揺しても無理はない。

顔を赤らめることは無かったがアマトもまたフィリアの目を直視できなかった。


「僕と一緒にいたい、そう言ったのか」

「はい」


 しばらくその体制のまま互いに黙り、間を置いてアマトから投げかけられた言葉。今度は迷わずに答えた。既にフィリアの決意は鉄より硬い。


「……いや、だめだ」


 だがアマトは勢いはないもののはっきりと言葉で拒絶する。


「どうして!?」

「……」


 感情のままにまくしたてるフィリアと対照的に理論で封殺しようとするアマト。だが彼自身の言葉に心が宿っていない以上フィリアを納得させることなど出来なかった。


「僕の近くにいるということがどういう意味か分かっているのか?」

「それは……」


 分からないわけではない。アマト・フリューゲルはフラーズの中でも特に戦場に立つことが多い貴族の一人だ。そんな男に仕えるということが何を意味するのか。学のない上、亜人のフィリアでは人間中心の社会では爪弾き、私兵となって戦争に駆り出される。これ以外にできることは何もない。


「命のやり取りをすることになるんだぞ」

「そんなこと!」


 そんなこと分かりきっている。だがフィリアにとって命を奪うということは生きるために必要なことだった。

 だからすでに覚悟はできているといったフィリアの心をアマトは見透かすように続ける。


「違うんだよ。戦争の中での人殺しはまったく」


 ようやくアマトがフィリアと向かい合いフィリアを見つめ返す。それまでアマトが見せなかった表情。何も宿していないように見えるがそれを向けられたフィリアには強い悲しみ、苦しみが伝わってくる。


「今の君のままでは危険だ!誰かのために誰かを殺して、それに酔いしれていく姿が容易に想像できる!」

「……」


 納得したわけではない、だが反論できなかった。

フィリアの言葉は要約すれば『アマトの側にいるために外敵を殺し続ける』ということに他ならない。だが彼女にとってはそれは『アマトへのまたとない恩返し』なのだ。


「君はまだ戻れる……戻れるんだ」

「もど……れる……?」


 その言葉を最後にアマトは逃げるように庭園から去っていく。


「戻れる……戻る……嫌!戻りたくない!」


 その夜の星空の下、庭園には錯乱したフィリアが独り残されていた。



 ☆☆☆



 その日、ウィルゼールは早朝から強いとは言わないまでもじめじめとした雨にさらされていた。そのためか昨夜熱狂的な宴が行われていた通りも人の往来は少なく、行く人来る人皆急ぎ足で目的地に向かっている。


「よく眠れ……なかったみたいだね」


 そんな往来とは無縁のフリューゲル邸宅の一室。

アマトとフィリアの対話の後、立ち尽くすフィリアを見かねたリムの厚意で彼女の部屋で眠ったフィリア。だがあんなことがあっては眠れるはずもなく、結局ベッドの隣に座り込んで一夜を明かしたのだった。


「言いくるめられちゃったかー」

「言いくる……?」


 昨日となんら変わることなく飄々とした、それでいてどこか法要間を感じさせる態度でリムは語り掛ける。


「まぁ仕方ないかな。アマトくんに屁理屈で勝てる相手なんてこの世に居ないから」

「屁理屈……」


 気にすることは無いと言うリム。だがフィリアの心は確かにアマトのその言葉が心に残っている。


「私に、戻れる。そう言ったんです」

「……は?」

「でも私に戻りたい場所なんてないんです!」


 フィリアの過去にあの頃に戻れたらと思える場所はもうない。ただ一つだけ、父の背中の温かさだけは幸せだったと言えるだろうが。だがそれはもう過去の物、二度と手に入らない記憶になってしまっている。


「でも、でも!」


 アマトの言葉も理解してしまっただけにジレンマに苦しむフィリア。そしてそれ以上にあの時のアマトの顔がより印象に残った。全くの無表情のようでその実こちらを本心から心配していた。


「あーもう!でもでも五月蝿い!」


 しかしそんなフィリアの苦悩を一蹴するかのようにリムが大声を上げる。


「さっきから何?アマト君がそうして欲しいからそうするの?そんな人形になってあなたは嬉しいの?」

「そ、そんなわけじゃ……でも」

「でもじゃないって言ってるでしょうが!」


 結論が出せないままのフィリアに初めてリムがいら立った表情を見せる。

今のフィリアの行動原理はアマトへの恩返しを名目にした盲信のようなもの。恩人への無償の奉仕といえば聞こえはいいかもしれない。しかし今の彼女のそれだけにとどまらず愛情にまで昇華していた。

 自分の思いに従えばアマトを悲しませることになりかねず、アマトの言葉通りにすれば自分はまた独りぼっち。


「何をどう悩む必要があるの!?」

「悩んでいるんですよ!あなたの結論を押し付けないで!」


 今度はフィリアも言い返す。考えているのは自分だと、どちらを選べばいいのか?いや、答えは出せる寸前まで来ている。だが決めるのは自分だと。

 そんなフィリアにリムは嘆息しながらも笑みを見せる。


「はいはい好きにしていいよ。でも今日中には答えだすようにね?」

「え?」


 今日中に、その言葉が意味するものが分からず聞き返すフィリア。

それに対してリムは待ってましたというかのように懐から一枚の紙を取り出した。


「えっと……『アマト・フリューゲルの護衛選抜試験 目指せ!成り上がり街道』……んんん!?」


 その内容には流石に驚かされた。明日の早朝からアマトの身辺を守る護衛を一人選出する試験が始まるのだ。しかも出自不問、種族すら問わない。まるでフィリアのために調整されたかのような試験だ。そこでフィリアが不審に感じたのはその文面。主題はもちろんのこと本文にも所々『♪』や『☆』など、アマトが作った物とは考えられない全身全霊を込めてふざけ切った文字が使われている。


「……リムさん?」

「てへっ」


 フィリアが目を向けた途端舌を出すしぐさをしたことで誰がこれを考えたのか直ぐに理解できた。


「……ありがとう、ございます」


 素直に感謝の礼を述べる。一日、考えをまとめる時間が出来た。今日中に結論を出して、今度こそアマトにぐうの音も出させない自分の思いをぶつけるのだ。


「あっ、これ日付の手違いでね、期限今日なの」

「…………はああああああ!?」


 そんなフィリアの心の中の決意を無視して投げつけられた爆弾。明日までのはずの猶予が彼女が言うにはあとわずか。


「ちょ、ふざけないで下さい!」

「あーと1分♪」

「いやちょっとぉ!?」


 楽しそうに踊りながらもう一枚懐から紙を取り出すリム。よく見ずともわかる。それを取るか否かでフィリアの人生は分岐する、一分で。


「待って!考える時間を!」

「ああっとぉ?あと数十秒でこの参加用紙が何の価値もない紙切れになっちゃうなぁ。もったいないもったいない」

「……やります、やればいいんでしょ!?」

「そんな態度の人にアマト君の護衛は任せたくないぬわぁ~」


 もはや体面も何もあったものではない。今つかみ取らなければすべて終わりだ。

こんな場面で皮肉にも自分の本心に正直になることが出来たフィリアは音速の勢いでリムがはためかせている紙を奪い取り、唯一アマトから教えられていた自身の名を書き込んでいく。


「やらせてくださいお願いします!」

「はぁい。じゃあこれね」


 参加者の印である数字と『フリューゲル』の証である翼の文様が彫られた銅貨を受け取る。

何とか手続きは間にあったようだ。


「試験は今日の昼から、この建物の入口の前に集合だから、頑張ってねー」


 頑張る?言われるまでもない。ここが人生の分かれ道なのだ。結果を出し、アマトと同じ道を歩むのだ。


「……いろいろと悲壮な決意は台無しにされた気がしますけど」


 完全に納得したわけではないが決めた以上やるしかないと三度目の正直。

決意を新たにフィリアは部屋を出て行く。


「……趣味の悪い奴」

「うわぁ!?起きてたなら言ってよ!」


 その部屋で眠っていたもう一人の女、書類整理だけを続けやがて達成感とともに机に倒れていたノルンがリムの死角から話しかけてくる。


「……別にあれは昼の直前まででもいいものだろう。なぜ結論を急がせた?」

「んー1つはねぇ、あたしがあんな感じのなよなよしたカマトトが嫌いだから」


 昔の自分みたいだからねー、と続けて理由を語る。だがノルンは他にあるだろうとクマだらけの左眼を向ける。


「もう一つはアマト君があの子のことを好きになりそうだから」


 一点の曇りのない目で言いきった。この点でノルンは自身との決定的な差を感じることになる。フィリアと同じく、リムもまた自身の世界はアマトを中心に回っているのだ。そうなりたいかといえばノルン含め大半の人が間違いなく否と答えられる。だが同時に自身の生涯すべてを他者に捧げるという発想に至るまでにどんなものを見てきたのだろうか、という疑問が頭から離れなくなるのもまた事実だ。


「……お前たちのような奴らはこれ以上増えないでほしいがな」

「おや?彼女が護衛になることは反対なの?」

「……それとこれとは話が別だ」


 それ以上は冷やかしと受け流しの連続になると分かっているのか二人とも口を閉ざした。


「……あの件、忘れるなよ」

「行ってらっしゃい変態さん」


 最後にそう言い残しノルンも部屋を出て行く。地獄の書類作業を乗り越え、天国へのチケットを掴み取った友人に対してリムは後ろから手を振るのみだった。一瞬ちらと見えたノルンの横顔にははっきりと歓喜が見えていたという。


「ふぅ……さぁて、あの子は使えるかしらん?」


 誰に向けた言葉なのだろうか、一人残された部屋でリムは笑みを浮かべながらそう呟いた。

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