13話 英雄、帰還

「読みが当たりましたな将軍」


 自軍の誘い伏せがうまくいったことにサンデル軍の副官の男がそう言った。


「戦力は圧倒的に我らが上だ。数で押し込め!」


 それに対して軽く相槌を打つ眼鏡をかけた指揮官、名はドリス。サンデルの2700に新たに加わった2500の兵総てを手足のように扱い着実にフリューゲル軍との距離を詰めていく。


「ここを通すことは絶対に許されない、何としてでも死守しろ!」

「全く、無理を言うしかないとは!」


 ロイも少し遅れて兵を展開する。

 フリューゲル軍が剣士、弓兵合わせて3000人を4:1の比率で編成されているのに対してサンデル軍は剣士が700、増援のほぼすべてが槍兵1800。最初の競り合いで互いに損耗はあれど兵力に大きく変化はない。


「やはり指揮と展開がワンテンポ遅い。確定だな、接近しつつ鶴翼陣形に展開、左右の退路を断つ!」


 今を攻め時と見たドリスは増援の槍兵を二手に分け前左右の三方向から攻撃を始める。


「何だ?……陣形を三鱗……いや陣形を維持して後退!広範囲の攻撃に備えろ!」


 それに対応するようにロイが全軍を少しずつ下がらせる。


「包囲殲滅か?だが……それにこの数では」


 最前線で戦うグリフィスの脳裏にふとよぎる疑問。なぜ槍兵を左右に分けるのか。確かに剣士に対して槍兵をぶつけるのは戦術として何も間違ってはいない。

 しかしなぜそのすべてを左右から攻め込ませるのか?

 そしてもう一つ、三方向からの包囲には数が足りない。これなら被害を被ることなく。林を超えた先の砦まで一時退却できる。


「あと少し、この手が決まれば……」


 後方で指揮するドリスはこれから始めようとしている策を思い浮かべ笑みを浮かべる。


(始まっているか。やはり相手はサンデル……)


 その光景を子爵領の真の長アマト・フリューゲルははるか上空から見物していた。


(敵の鶴翼陣に対して後退しながら弓兵の攻撃……間違ってはいないが動きは妙だな)


 あっさりとしすぎているとグリフィスと似た感覚をアマトも抱いた。


(リムはいない、ならば後ろの砦か)


 アマトが戦場を見渡し考えをまとめている一方、ロイは押され気味の状況を見て撤収する準備を始めていた。


「限界か、全軍後退しろ!いったん砦まで退却する!」

「……成る程そう言うことか」


 それまで高みの見物を決め込んでいたアマトが動き始める。その主の意思をくみ取るかのようにキマイラが急降下し戦場へ突入していく。


「よし、合図をおく……」


 ドリスが直近に置いていた兵士に指示を出そうかという瞬間にそれは起きた。


「なんだ!?」


 戦場に舞い降りる一筋の光。戦場の中心から離れていたロイ、ドリスの両名にもそれは肉眼で見て取れた。様々な生物の特徴を併せ持った巨大な体躯の怪物。それがグリフィスのいる前線のすぐ近くに降り立った。


「やれ」

「グガアアァァァ!!」


 襲い掛かる対象はサンデル軍の剣士、当然、相手はこの状況に対応できなかった。

 その体躯にぶつかり吹き飛ばされる者、脚の爪で引き裂かれるもの、それぞれの頭部に肉体を食いちぎられるもの。

 死を振りまくその怪物を前にしてサンデル軍は一種の混乱状態に陥る。


「うああ!た、たす……!」

「な、なんだこの化物!?」


 戦意を失い武器を放り投げ一目散に逃げ出す者がいれば果敢に立ち向かう者もいる。しかしたどり着く結果はどれも同じ。陣形の崩れた兵隊などキマイラの餌でしかない。


「武器が、ひとりでに?」

「俺たちだけを狙って……!」


 それと同時にアマトが手持ちの武器をすべて展開する。ナイフのような小型のものからサーベルのような大型まで多様な刃物が左右の槍兵に襲い掛かる。

 槍が剣に優位に立ち回れる理由はリーチの長さにある。やられる前にやる。剣士が間合いに入る前に槍の刺突が相手を貫くからである。仮に全く同じ能力の二人が剣と槍で向かい合った場合まず槍が敗北することは無い。

 しかし今、刃物が意思を持ったかのように襲い掛かってくる現状は取り回しの悪い槍との相性は覆される。たいていの敵は対応すら出来ず、弾いたとしても数舜後にはまた自らに向けて突き立てられる。前方の剣士だけでなく槍兵たちも混乱に陥っていた。


「あれは、『物質操作』か!?」

「だがこの数……まさか!」


 近くにいるグリフィスはもちろん、後方のロイもその光景を見て何が起きているのか、誰が現れたのかに思い至る。


「何をしている、さっさと兵を後ろに戻せ」

「あ、アマト…様」

「聞こえなかったのかグリフィス!」


 戦場で争っている最中に行方知れずの上司が空から舞い戻ってきた、などという状況に出くわしてはグリフィスの反応もやむ無しなのだが

 その時間が惜しいとグリフィスを一括するアマト。


「は、はっ!分かりました!」


 戸惑いを見せていたグリフィスもそれに応えるべく思考を切り替える。


「全員退け!敵が混乱している今が好機だ!」


 アマトの乱入に呆然としていた兵士たちもグリフィスの指示で何とか行動を再開する。


「………………アマト……フリューゲルウウゥゥゥ!何故だ!何故寄りにもよってこんなタイミングで!?」


 最悪のタイミングでのアマト・フリューゲルの登場に味方の陣営も困惑を隠しきれなかったがサンデルのドリスは困惑以上に怒りを露わにしていた。


「将軍!あの連中の手品は何かわかりませんが危険です、早く指示を」

「分かっている!全軍後退せよ!陣形を立て直す!」


 アマト・フリューゲルの無双に隠れているがそれまでの間にフリューゲル軍は着々と後退している。

 この状態ではドリスの用いようとしていた『戦略』は意味をなさなくなる。


「ドリス将軍!今のままでは……!」

「言うんじゃない……我々に今回の失敗は許されていないんだ。何としても奴らを叩き潰す!」


 やがてフリューゲル全軍が後退を完了した頃、戦場をかき乱すだけかき乱したアマトは意気込むドリスを尻目に、キマイラとともにロイのもとへ下がっていく。


「あ、アマト?本当にお前」

「ロイ……」

「アマト……!」


 そして本陣にたどり着き、いま全軍を指揮しているロイと相見まみえる。

 肝心のロイはというとアマトの姿を認めるなり喜びを隠すことなくアマトに飛びつこうとする。


「ふんっ!」

「なんでぇ!?」


 しかし残念ながら殴り飛ばされ拒絶される。


「再会を喜ぶ暇などありはしない。残念だがな」

「痛えよまったくもう」

「あきれてものも言えん。敵の策に乗せられすぎだ」


 そもそもおまえは、と小言のようになり始める前にグリフィスが制止に入る。


「アマト様、敵も兵を整えつつあります。猶予はあまり……」

「ああ、そうだったな」


 直前の自身の言葉を振り返り反省する。心を落ち着け付近を見回す。

 中には傷つき応急手当てを受けている最中の兵もいる。しかし、兵士たちのアマトへの眼差しはどれも期待に満ち溢れ士気を高めた者のまなざしだった。


「ここからは私が指揮を執る……異存はないな?」


 しばしの沈黙ののちこの言葉は盛大な歓声を持って迎えられた。


「ならば良し、陣形を立て直す!」

『おおおおおおぉぉぉ!』

「へーい」


 指揮権を移譲したことで新たな系統で動き出すフリューゲル軍。


「挟撃?」

「ああ、砦とここのちょうど中間辺りだ」


 アマトは近くの兵に地図を持たせてロイと少数の兵に説明する。


「連中の狙いはこの平原を完全に取り囲むことだ。ティリエスは広大だが周囲を森林で囲まれている。それを利用してこちらの裏側に回り込むことは十分に可能だ」

「それなら早く戻らないと」

「もう手遅れだ。既に布陣は完了しているだろう」

「どうしてそこまで……?」

「相手を見てみろ」


 そう言われロイはサンデル軍に目をやる。あれよあれよと言っている間に数の差は逆転していた。


「弓兵の増援が多い、正面突破を許さないつもりだ」

「いやいや、なら早く仕掛けないとダメだろ」


 ロイが言うには敵の布陣が完璧になる前に打って出るべきだというもの。理に適ってはいる。だがアマトの答えはNOだった。


「……なら見てみるか?」

「は?何をってうおおおお!?」


 アマトの言葉の意図をくみ取るようにキマイラがロイの衣服の襟首をつかみながら飛翔する。そこからは先程の弓兵の後ろからさらに何倍もの増援が見えた。アマトが言わんとすることを理解し、同時に高所での浮遊状態から解放されたことへの安堵からロイは膝をついた。


「分かりました、スンマセン」

「よろしい」


 アマトの言葉を理解すると同時にもっと賢くなろうとロイは誓った。が、おそらく三日後には忘れるだろう。そう言う男である。


「アマト様、言われた通りの布陣、完了致しました」

「ご苦労」


 グリフィスが戻りフリューゲル軍の準備は整った。


「どーすんの?」

「前衛を突っついて出方を見るしかないさ。数に差がありすぎる」


 簡単に言うなぁ、とロイがため息をつくがその言葉の具体的な意味を知ってすぐに撤回する。「ああこれなら簡単だ」と。


「サンデル軍、精々引き立て役を演じてくれよ……キマイラ、私が合図する迄手加減はいらん。殺し尽くせ」


 一片の躊躇すら見当たらないアマトのキマイラへの指示を横で聞きながらロイはおっかないおっかないと茶化していた。


「将軍、準備が整いました」

「遅い!」


 一方、サンデル軍の陣形が整い副官がドリスにその旨を伝える。増援を含めてドリスの指揮下に入った兵の総数は5000を超えている。だが当の本人は激昂してそれに応える。


「し、しかしこれだけの大軍の足並みを揃えるには相応の時間が……」

「相応だと?その相応とやらの基準は私が決めるものだ!そして貴様らは相応以上の時間を無駄にしたのだ!」


 これが八つ当たりだと誰しも、ドリス本人にすら理解できている。

 それでもアマト・フリューゲルの唐突な参戦は予想の埒外だった。元々アマトがいるならば数の暴力で押し出し、いなければ一歩踏み出して包囲殲滅という二つの作戦で初戦を勝利で飾るつもりだったのだ。だが後者を選んだ後にアマトが戦場に現れた、この時点で当初の計画は崩壊している。

 そして新たな問題の浮上、アマトとともに現れた怪物。まさに神話に出る悪魔の使いだ、見掛け倒しでないことはすでに分かっている。あれを討ち取らなければ決定的な勝利は得られない。

 もう一つ、すでに配置挟撃用の部隊をどうするべきか。向こうの部隊は深い森林、ドリスからの合図がなければ砦からの増援への警戒と遮断を主軸に動く。ここにきてサンデルの統率された指揮系統が裏目に出てしまった。

 この状況をどう対応するか決めあぐねているドリスだったがその思考も遮られた。一人の兵が件の怪物がこちらに来ると知らせたのだ。


「弓兵隊構え!アレを排除すれば我らを阻むものは無い!」


 増援の中には弓兵も多くいた。それらが一斉に怪物キマイラへ矢を放つ。しかしその攻撃は怪物の口から吐かれる炎によって燃やし尽くされた。


「怯むな!バリスタを回せ!」


 予想していたのか大した驚きを見せずに次の指示を出すドリス。その姿が兵士の怯えを吹き飛ばした。本来こんな場所で使うのではなく森を超えた先に待ち構えている砦を蹴散らすための物、だが出し惜しみをしていられる状況ではないと誰もが分かっている。すぐに攻城兵器バリスタが用意された。大型の弩砲。


「アレを討たねば我らだけでなく待機させている他の隊も一貫の終わりだ、急げ!」


 バリスタ第一射が放たれる。当たりこそしなかったものの反撃せずに躱した。それでドリスは一つの確信を得る。敵は石、金属の矢を使うバリスタに耐えうることは無い。一筋の光明が差し込んだ。


「うお、あいつらバリスタ出しやがった!」

「後詰を考えれば攻城兵器は有って当然だがな」

「しかし、危険ですね。あれは大丈夫なのですか?」

「キマイラだ。問題ないさ、面白いものが見られるぞ」


 自在に空を舞うキマイラを相手に必死に矢やバリスタを放つサンデル軍とは対照的にアマトたちは高みの見物を決め込んでいる。

 弓矢の攻撃に対しての反撃で視界を遮らせ堂々巡りになるかと思われた攻防が一つの転換点を迎えた。牽制用と割り切っていた弓矢が足を掠った。一瞬、動きが鈍くなったその瞬間にバリスタで胴体を狙い撃つ。


「当たったか!?」

「ご生憎様だ。キマイラ『分離セパレート』」


 本来なら絶対に聞こえないはずの距離からの合図によってキマイラはその姿を変化させる。小柄な五種類の獣、分離したことで生まれた隙間をバリスタが通過する。

 サンデル軍の皆が言葉を失った。ここは手品師の舞台ではない、戦場だ。なのになぜあんなことが起きるのか、誰も答えを見つけられなかった。


「弓兵隊!矢を放て!一匹でもいい仕留めろ!」


 空を飛ぶ鳥以外はすべて見事に着地しフリューゲル軍本陣へ駆けだしている。

 一番早く我に返ったのはやはりドリス。目の前の光景を受け入れ、倒すそれだけを考え指示する。


「駄目です!この距離では当たりません!」


 しかし、より小型の動物を狙うとなれば狩りの範疇だ。そしてそれは茂みに暮れて静かに狙いを定めるもの、今の騒然とした状態では弓矢も当たらず、大まかな狙いをつけるバリスタは意味をなさない。


「将軍!敵軍が反転して引き返していきます!」

「何だと!?」


 怪物に集中するあまり敵の本陣を疎かにしていた。怪物が分裂することに気を取られたほんのわずかな隙だったと言える。だがその隙をアマトは見逃さなかった。


「不味い、合図を出せ!」


 ドリスは慌てて命令を出す。もし何の指示も出さないまま深い森林の中でフリューゲル軍に攻められれば数で勝っていても形勢不利は免れない。

 そう判断して赤色の光弾を打ち上げる。指示内容は『作戦失敗、迂回し後退せよ』


「そうくると思っていたよ優秀だ。だが残念賞だ」



 ☆☆☆



「チッ、たかだか200の兵でよく持たせる」


 フリューゲル軍を背後から突くため回り込んでいた部隊は今、偶然にも補給、支援の為にベルエット砦から出てきた別の部隊との交戦に入っていた。

 1500の大軍を指揮する立場を任されているサンデル軍の男は功名心もあり少数の敵に梃子摺っていること、そしていつまでたっても空に行動を開始する合図が見えないことに内心腹を立てていた。砦を背に


「隊長!合図が上がりました!」

「漸くか、何色だ?」


 だがその悩みは解決された。補佐を務める男が合図が上がったことを知らせてくる。


です!」

「分かった、こっちの連中をここに留めろ、500人程貴様に預ける。残りは私に続け、敵のを背後から叩く!」


 表面上は冷静に対応しながらも入念に手入れされた顎鬚をいじりながら笑みを浮かべることを押さえられなかった。『行動開始、進軍せよ』この指示がされたことで自身の手柄は約束されたようなものだった。勿論フリューゲル攻略の戦いにおいてこれは小さな一手でしかない。だが確実に勝利を決定づける策の当事者だ。サンデルの実力主義の中で成り上がる機会をくれた指揮官の顔を思い出し感謝の意を向ける。

 しかしそんな浮かれた考えは前方から聞こえる兵士の絶叫で彼方へ飛ばされた。


「何だ、どうした!?」

「て、敵です!フリューゲル軍が正面から!」

「そんな馬鹿な!?」


 まさに青天の霹靂だった。

 合図の意味は『包囲が完了したからチェックメイトにかかれ』というものだ。

 だが現実は?奇襲を受けているのはサンデル、砦とフリューゲル軍に包囲されているのは自分たちサンデル軍ではないか。なぜこんなことが起きたのか、アマト・フリューゲルの存在を知らないものには理解できなかった。


『サンデル軍は近隣国でも屈指の統制された軍だ。だがこちらでさえあれ程距離があるんだ、攻撃するタイミングはこちらにもわかるほど目立つ手法になる。考えうる中で最も確実な方法は光、次善で音だろう』

『まあタイミングが読めてりゃ挟撃でも裏を掛けるよな』

『それともう一つ、その手段は何通りかの種類に分けられている筈だ』

『分けて?』

『極端に言えば赤と青、または緑といったようにな、状況次第で指示は変わるだろう。そこを突く』


 サンデル本陣からの合図を見たアマトはキマイラを構成するうちの一匹、鳥のアドラーに指示を出した。


『あの光を森に見せないように遮断しろ』


 それを受けアドラーは全身で合図の赤い光を覆いかき消す。その隙にアマトたちは同じくらいの高さに魔導の力で青い光を打ち上げた。


「まさかここまでうまくいくとはな、流石アマト大先生ってか?」

「奇襲の合図だから簡易なものだと思ったまでだ。だがまさかここまでうまくいくとはな、同感だ」


 ロイが切り込みながらアマトと語らう。アマト自身も成功したことに多少の戸惑いを見せているようだ。


「言うべきは一つ、蹴散らせ!」


 アマト・フリューゲルのカリスマはやはり大きかった。

 その一言で勢いづく兵士たちは数で勝っているはずのサンデルの別動隊を瞬く間に蹂躙していった。

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