12話 事態急変、子爵の苛立ち
「……アマト」
「何だ?ノルンか、彼女の食器の扱いはマシになったか?」
「なったかー、アハハハ」
「……これを」
ノルンが馬車に現れたのはちょうどアマトとルアンナの会話がひと段落した時だった。両手で抱えていた先程の水晶をアマトに手渡す。
「記録水晶?いつの間に……」
「……いいから早く」
それはただの水晶ではない。魔導を応用した一種の記憶装置、少量の魔力を流した者にのみに記録された映像を映し出し、あたかも自身が体験しているかのように脳内に再現する。
『全く、こんな時に我らが御主人様は何やっているんでしょうね』
『無駄口叩く余裕があるなら陣形を考えろ、指揮はお前が取るんだからな』
『分かってるよグリフィス!俺は少しでも緊張を和らげる為にだな』
『一千人単位の命がロイ、お前に預けられている。その事実から逃げるなよ』
頭に流れ込む記録、その中に映る景色はアマトのよく知る人間、フリューゲル領の兵士が戦争の準備をしている場面だった。
「ウィルゼールか、何時のものだ?」
「……今日の夕方、相手は分からなかった」
「いや、大方の予想はつくさ」
「……どうするの」
「どうもしないさ、しっかりフリューゲル領は機能している。なら何も問題はないだろう」
そう平然と言い放つ。今ここにいるのはフリューゲル子爵ではなく旅人アマトだ。
「……続きはある」
「まだあるのか?」
アマトは再び水晶の記録を覗く。ノルンの言葉そのまま続きの記録。
「…………何だと?」
その中に映し出される一つの景色にアマトの目の色が変わる。
「……どうする?」
「決まっている」
その言葉とともにアマトは今まで身に纏い続けた黒い外套を脱ぎ捨てる。その下にいつの間に手に入れていたのかというほどの大量の刃物を隠し持っていた。それらを懐にしまいながら
「アマトの旅は現時点をもって終了する。ノルン、後始末は任せた」
「……了解した」
今のアマトはそれまでにない焦り、苛立ちを表情に出していた。
「ええー?行っちゃうのぉー?」
空気を読めていないのは勿論ルアンナ、まだ動物と触れ合いたいと自分の体から離そうとしない。
「レーヴェ、ヴァハ、ヤクト、アドラー、リヴァイア、
アマトの言葉は合図か、それともある種の呪文なのか、ルアンナから全員が一斉に離れ馬車を出る。そして文字通り一つになる。三つの頭と雄々しき翼、蛇の頭を尾に携えた巨大な『怪物』へと変化する。
「行こう」
淡々と命令を出しアマトはキマイラの背に直立した状態で乗る。
馬車小屋の入口を突き破りそのままの勢いで北の空へ飛び立っていった。
「あーあ、何であんなに可愛い子達がああなっちゃうのかしら」
「……気をつけて」
夜の空に溶けるまでノルンは祈りを込めながらアマトを見つめ続けた。
「うわ、派手に壊れちゃって……修繕費請求しなきゃ!」
「……自力で何とかしろ」
一方で相も変わらずのルアンナの商売根性に呆れて小屋を去るノルンだった。
「あっ、お帰りなさい。あれ、アマトさんは?」
部屋に戻るとそこには達成感に浸るダグとリンゼ、そしてそれ以上に晴れやかな様子のフィリアが言われたとおりに残っていた。
「……急用が出来た」
「え?」
言われたことがすぐには呑み込めなかったのか、きょとんとした顔でノルンを見る。その視線に不愉快になりつつも言っておくべきだと感じたのか隣の部屋で二人になって事情を話した。
「そういう事」
「それじゃあ私も……!」
血気に逸るフィリアを片手を突き出しノルンが制止する。なぜ止めるんだという抗議の眼差しを向けるフィリア。
彼女にとってはアマトへの恩返しや贖罪が既に存在証明の域まで達していた。
「……お前にはやる事は他にある。私も」
「何ですか……?」
その問いにノルンはアマトに頼まれたこと後始末をより詳しい形で伝えた。
「……あの子達をウィルゼールまで守ること、絶対に」
扉の隙間からダグとリンゼが仲睦まじくじゃれあっている様子を覗き見ながらそう呟いた。
「私に今できること、なんですね……やってみせます」
アマトがいないこれからの旅。フリューゲル領の街ウィルゼールまではそう遠くないとはいえ女二人に子供二人、野盗に襲われる可能性がある旅路を想像しそれでも臆することなく決意を固めた。
「……悪くない」
その姿勢にノルンは初めて純粋にフィリアを高く評価した。
☆☆☆
日が沈みまた昇る頃、わずかに靄がかかった早朝から二つの軍隊が争っている。
「よし、陣形を維持して押し込め!」
フラーズの最北端に位置するフリューゲル領の更に北の平原ティリエス。その場所で開戦の幕が開いていた。
「深追いするな!体制を整えつつ次の攻撃に備えろ!」
フリューゲル領の軍をまとめるのは緑色の髪と柔和な顔立ちをした男、アマト・フリューゲルの片腕にして現状フリューゲル領のナンバー1の男ロイ。
「何だ?エラくあっさり退いたな。退き際を過剰に見る性格か、それとも……グリフィス!いるか!?」
「ここだ、どうした?」
「今の相手、後退するのが早過ぎると思わないか?」
相手が後退していく様子に不信感を覚えロイは副官を任せている男を呼ぶ。
まさに抜身の剣のような鋭い目と全身から冷気のようなオーラを出している茶髪の男。名をグリフィスという、現状フリューゲル領のナンバー2にして事実上領地運営を取り仕切っているのも彼だ。
「確かに、今のを小手調べとしても妙だな。目的があるならばそれが行動に直結するはず」
顎に手を置きながら考える。元々の戦力差がおよそ3000:2700。
数の上でフリューゲル軍が有利と言ってもそれだけで逃げの一手とは考えにくい。
「…………ッ、まさか!?」
そう言った思考の末にグリフィスは一つの推測に思い至る。
「な、何だどうした」
「ロイ、相手の指揮を執っているのは誰だ?」
「え、とあいつだ、あの中央の赤い髪の男だ」
ロイがグリフィスに双眼鏡を渡し口頭で相手を示す。グリフィスに見えたのはロイの言う通りの赤髪に眼鏡をかけた男。グリフィスはそれが誰かを知っている。かつてアマトがフリューゲル領を得て間もないころに争った男。
「……気付かれた」
「何をだよ?」
「あの人が居ない事に決まっている!」
”あの人”はもちろんアマトのことだ。絶対に外部、ましてや敵方に知られてはいけない爆弾。それが露呈してしまった。
「それでどうなるんだ、どちらにしても流れはこっちが掴んでいるんだぞ」
「流れがどうこうの話ではない!もっと真面目に考えろ!」
現状を深く読み込めていないロイは単純に疑問として尋ねたのだがグリフィスはそれを思慮の足りない言葉だと怒りを表す。
「いや、悪かった。……そうだな、もしアマト様がいるかいないかで選択肢を分岐させていたならば……」
しかし我に返った。今はこの戦いに集中しなければ。その疑問をそうグリフィスが自身の推論を語ろうとした時に敵方は動き出した。
誘い伏せ、相手をある程度自陣へ引き寄せた後に伏兵を出し一気に攻勢に出る。今回の場合は今の敵兵力の実に二倍以上の伏兵。
「数で押し切る策に出る、か」
「惚けている場合か!俺は前に出る。全軍の指揮は貴様にある事を忘れるな!」
グリフィスは吐き捨てるように言って走り出していくが最後に一言、頼むと呟いたのをロイは聞き逃さなかった。
「言いっ放しで行きやがって……」
もともとロイは戦略規模での軍団運用に慣れていない。
精々が数十人、多くて百人弱の部隊指揮しか経験のないロイにとって目まぐるしく変わる状況の中で千人もの人を動かす事はある種の試練だった。それも相手は自軍の二倍ほどの数、恐怖心が勝ってもおかしくはない
だが、彼は決してその責任を放擲することは無かった。
「俺はやらなきゃいけないし、やるしかない。そうなんだろ、アマト……」
今ここにはいない友人に思いを馳せ、迷いを振り切る。
「一時後退!陣形を立て直し正面からの防御を万全にするんだ!」
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