14話 それぞれの夜へ
「負けたか」
挟撃のために潜ませた部隊が戻らないことを確信したドリスは兵を引き上げるように命じる。だがそれに副官は納得できず抗議の声を上げる。
「し、しかしまだ初戦!」
「『足がかりを作る大役を任されて逃げ帰って来ました』か。もう命は無いと見るべきか」
「気を確かにして下さい!」
しかしドリスは一種の心神喪失状態。副官の言葉がまともに耳に入っていない。
自身の策を完封され、たった一匹の
彼はかねてから『数を使いこなすことで勝利の道が開かれる』という戦争論を信じていた。それが根底から覆されたのだ。気絶せずに意識を保っているだけ立派な部類だろう。
「退くぞ」
「ドリス将軍!?」
「反論は聞かん」
人間、もうどうしようも無いところまで追い込まれてしまえば驚くほど冷静になれるものだ。現にドリスはそれまでの勇敢な指揮官としての面影は消え去り、まるで憑き物が落ちた様な悟りの表情を見せている。
「責任は、全て私にある」
だから心配はいらないと周囲の兵士を宥めるが副官からすれば今そんな言葉に意味はなかった。この戦いは勝つ前提で成り立っていたのだから。
「このまま王都に戻ればサンデルの周辺国への優位性が失われるのですよ!?」
「ならどうしろと言うのだ!?挟撃は失敗し、バリスタの矢も数えるほどしか残っていない、挙げ句敵にはまんまと逃げられた。今頃砦で他の兵と合流しているだろうさ」
具体的な突破口を示さずに反論し続ける副官をドリスは一喝する。というよりは八つ当たりに近いだろう。
「だからと言ってこのままでは……!」
「それに他の国が横から掻っさらうという事の懸念なら一切いらん」
「!」
口に出そうとしていた反論を先読みして抑える。
もう何も言わなくていいのだと暗に言うように。
「アマト・フリューゲル、奴がいる限りサンデル、そして周辺の国々がフラーズに勝つことは無い。今後一切な」
ここまではっきりと断言されてしまっては兵達の士気も保てない。
内心でドリスを臆病者だと誹りながらもその言葉は周囲に受け入れられることを理解していた。最早数で勝利できる戦いの時代は終わりを告げるだろう。
副官は遂に軍を退くことを受け入れた。
☆☆☆
「圧勝圧勝、鮮やかに決まったなぁ」
意気消沈のサンデルとは対照的に負け戦を切り抜け、斥候部隊から敵が引き上げていくことを知ったフリューゲル軍は熱に浮かされた様に上機嫌だった。特にロイが顕著で既にグラスを手に取り酒樽へ向かおうとしている。
「しかし、まだ初戦だ。気を抜くのは……」
正反対に警戒を緩めないのはグリフィス。
元来の石橋を叩いて渡る性格の上、今回の窮地を切り抜けることが出来たのは単に敵味方ともに予想外のタイミングでのアマトの復帰、そしてアマトが従える怪物の登場だったのだ。もしそれがなければどうなっていたか、そしてこれからどうするべきかを考えている。
「……」
正反対の考えを持った二人、どちらの観測が正しいのか周囲の兵はアマトに目を向ける。だがその中でアマトは一言も発することは無かった。
衣服の上から腹を押さえている。それだけならまだしもその目はどこか虚ろでその場の何にも焦点が合っていない。
「アマト様?どうされたのですか?」
いち早くグリフィスがその異変に気付いた。歩み寄ろうとした刹那、アマトが前のめりに倒れ込む。
「アマト!?」
「アマト様!」
押さえていた腹からは血があふれ出ている。体に無理をさせ過ぎ、傷が開いたのだろう。いくらフィリアの手当てを受けたといっても素人の拙い応急処置程度、その後も満足に治療することもなく旅を続けたため一気にツケが回ってきたのだった。
「どう…た………まさ…ア…トく…」
「……り、む?」
意識が落ちていく直前、アマトは自身に駆け寄る女の声を聞いた。
☆☆☆
「……嫌な予感がする」
「予感来るの遅過ぎるでしょう!?」
ザンドラを出たノルンとフィリア、ダグとリンゼはまたしても野盗に襲われていた。
夜の旅は危険度がこのように跳ね上がる。だと言うのに何故1日待つと言うことをしなかったのか?
当然と言うべきかその理由はアマトの身を案じてのことだ。
今回の出来事はあまりにも唐突過ぎた。アマトにとってもウィルゼールの者達にとっても。そしてアマトは完治しているはずもない身体に無理を言わせて突撃していった。心配するなと言う方が無理であろう。
しかし、フリューゲル領の危機について詳しいことを知っているのはこの中ではノルンただ一人が腹に収めている。
つまりフィリアはアマトが戦場へ向かっているということを知らないのだ。もし教えたらどんな反応をするのかと興味を持ったがそんな悪趣味を優先してもいられないのだ。
「……もっと急げ、死ぬぞ。お前だけ」
「チクショー!やるしかないじゃないですかぁ!」
今回は逃げの一手。数はそれ程でもなくノルン単騎で直ぐに全滅させることも出来る。
しかし今は馬車の中にダグとリンゼの二人がいる。まだ幼い二人に血に濡れた姿を見せたく無いという意見が一致し、ウィルゼールへの全力疾走という状況に至っている。
「いやああアァァ頬っぺたを掠ったぁ!?」
つまり今馬車を動かすために御者として固定されているフィリアは動く的の様なもの。
木陰に隠れて弓を放つ敵が大多数を占めているため、手綱を握りながらほぼ全方位に注意を配り続けなければならない。さらにザンドラからウィルゼールまでの道は作られておらず、まともに舗装されていない砂利道を走る羽目になる。非常に危険だった。馬車の中にいるダグ、リンゼはまだ子供だ。万が一にも何かあってはいけない。
「あはははは」
「えへ、えへへへ」
しかし当の本人達はこういった経験が新鮮なのか楽しんでいる。馬車の内側からは外がどうなっているのかは殆ど見えず、今のところ馬車の中に矢が貫通することは無く安全だと言い切れる。
更にノルンが二人にフィリアも実は遊んでいると言い含めている。
「笑い事じゃなぁぁぁい!」
本人はそんなこともつゆ知らず、必死で矢の雨を躱し続け馬に当たりそうなものがあればそばに置かれた鉄の板を出して防ぐ。
「ノルンさんも手伝ってくださいよ!」
「……断固拒否する」
フィリアが根を上げようとしても対処できているうちはノルンは一切手を出そうとしない。鬼畜と思われても仕方ない行動だがノルンなりにちゃんとした目的はある。
(お前がアマトのそばにいたいと本気で思うならこの程度、凌いで見せろ)
ノルンのフィリアへの評価は日を追うごとに変わっていた。
調子に乗りやすいくせに妙なところで神経質、他人が傷つくこと、他人を傷つけることを必要以上に恐れる。
ノルンが当初抱いていた卑劣な亜人という印象はとうに彼方へ消え去っている。だからこれは彼女を見定めるためのもの、そして彼女が愛する男とともにいる価値があるかどうかフィリアの覚悟を試している。アマトから託された『ダグとリンゼを守ること』が出来るかを試している。
「はーっ!?また掠ったぁ!」
もっともそれは半分、ノルンもまたこの状況を愉しんでいる。
ノルンからすればここで死んでも構わないのだが死なれても困るといったところか。いざとなれば防御に加わる準備を整えておきながら必死で笑いを押さえている。
「ゼェ、ハァ…た、助かった?」
そして、フィリアは野盗からついに逃げ切りウィルゼールの門に到達する。やり遂げた。そのうえでノルンの信頼を知らぬうちに手に入れたのだった。
「に、逃げ切った」
「……ご苦労」
馬車から降りたノルンにまるで感情のこもっていない労いの意を示されフィリアは更に不機嫌になる。少なくともノルン本人は混じりけ無しに言葉通りの意味を乗せたつもりだったが。
続いて降りてきた二人からは笑顔で「ありがとう」と言われて漸く機嫌を直すがダグとリンゼの目が輝いていることに気づいた。
「え、と……どうしたの?」
罪を知らない無垢な少年少女の瞳。境遇を知れば喜ばしいことだ。しかし先程あの様な目にあったばかりなのに何故そんな目が出来るのか?否、フィリアの中で結論は出ている。それでも外れていて欲しいと淡い期待を掛け尋ねる。
「さっきの、もう一回」
「絶対いや!」
その日最後の絶叫を上げたフィリア。
後に彼女は『あの日が私の運命を決定づけた日だった』と語ることになるのだが、それはまた別の話。
フリューゲル軍帰還。その知らせがフラーズ全土に伝わる少し前、フリューゲル子爵領の街ウィルゼールでは勝利を讃える宴が行われていた。
元々『アマト・フリューゲルの失踪』は公には伏せられていたため戦場でのアマトの活躍はすんなりと民衆に受け入れられ、アマト様万歳と声高に叫ぶ者もいる。その中には留守を任されていた兵士の姿もちらほらと見られた。
「此処は……」
ウィルゼール中央部、フリューゲル子爵邸宅。
時の人となっている当の本人は日が沈む頃に眠りから目覚めた。
初めはゆっくりと瞼を開いていくが意識が覚醒した瞬間、大きく目を開き起き上がろうとする。
「どうなった!敵は!?…うっぐっ」
が、身体中に鋭い痛みが走り反射的に胸を押さえる。自身の体を顧みると全身包帯だらけ。肌を晒しているのは手先と顔面程度しかない。それで理解した。あの戦いの最中に身体中の傷が開いたのだと。
「駄目だよ!体中傷だらけなんだから、そのままでいて」
アマトが横たわるベッドの側で一人の女性が椅子に座り見守っていた。
水色の瞳にこれまた水色の長髪を後ろで纏めている。衣服のセンスは一種独特なもので上は白地にy字型に重ねられた持ち出しなどの一部分が青く染められた簡素な服、下はマキシスカートの様な膝下まで届く紺色の物を着ている。
しかし何よりも印象的なのはその背の高さ、流石にアマトほどではないが女としては非常に大きい。フィリアより頭一つ分ほど高く、人間の成人男性はおろか亜人、獣人にも彼女より背の高い者はそういないだろう。
一つの事実としてウィルゼールの官民合わせて二番目の背の高さに納まっている。
彼女の名前は、リム・フリューゲル。
「ここはウィルゼールだよアマト君」
「リム、君か……」
互いの存在を認めると同時に笑顔を向ける。リムはあどけなさの残る無垢な笑顔を、アマトは大切な者を見つめる優しい笑顔を。
「あんな無理しないで、もうやだよ?今はゆっくり眠って」
「でも……」
「あたしたちはまた話せる。ね?」
「……ああ、そうだな」
二人の会話はどこまでも穏やかで安らぎに満ちている。
公に婚約者とされているノルンを差し置いてこれほど男女としての仲が睦まじいのは本来なら問題の種となるが彼女は例外の一人と周囲からみなされている。
「でも怪我人と一緒のベッドで寝るのはどうかと思う」
「そう?」
それがたとえ同衾であっても非難するものも、それをネタにアマトを脅す者もいない、ノルン以外は。
「ここは…静かだな」
「うん、ゆっくり休んでね」
ベッドの中で二人は衣服と包帯越しに体を密着させる。
そう、これでも問題とする者はいないのである、ノルン以外は。
「リム」
「なぁに?」
再び薄れていく意識の中でアマトは言葉を紡いでいく。それは帰ってきた自身へ向けた自己暗示であり、それ以上に待っていてくれたものへの感謝のしるし。
「ただいま」
「……うん!」
☆☆☆
アマトが目覚める少し前、祭りの真っ最中に南西の門からウィルゼールに入る一つの馬車があった。
ウィルゼールは他と比べてそれほど大きい街ではない。ウィルゼールを出入りする際に私用の馬車は一ヶ所に集められ、街中では歩くことを余儀なくされる。
前述の土地の広さと事故が起きないようにとのアマトの配慮が理由としてあってかそれ自体を特に不便に思うものはいない。
「な、何だか凄く賑やかですね」
その宴が始まってから程なくしてアマトを除く一行は到着した。
顔見せで通れることになれたノルンと対照的にフィリアは未だに外套を羽織っている。
今は代わりに人込みでごった返す通りに往来の流れが出来ず、思うように前へ進めないのが問題点だった。
今まさに行われている祝勝のお祭り騒ぎ。
その中をノルンが土地勘のないフィリア、ダグ、リンゼの二人を連れてフリューゲル邸宅まで連れていくことは骨が折れる。
「……帰ってきたのか」
ノルンが祭りの中に見知った兵士の姿を見掛け、これが勝利を祝う祭りなのだと確証を得た。
「それじゃあ?」
「……アマトは無事に決まっている」
その一言でそれまでの苦労でやつれていたフィリアが一転して笑顔になる。
口から出まかせを鵜呑みにした挙句に何の根拠もない憶測一つで舞い上がるその様子に呑気な奴だと小馬鹿にするが自分もそうかとノルンも自虐を混ぜた笑みを浮かべる。
すれ違う誰もがアマトに乾杯と言っているだけで公式の発表があったわけでもない。ともすれば配下のロイやグリフィスがアマトの死を隠しているのかもしれない。
そんな縁起でもない予想も頭に浮かんだがそれ以上に彼女自身がアマトは無事だと信じているのだから。
「……何だ」
それを頭の中で理解したとき、ふと隣を見るとフィリアがノルンを驚愕の表情で見ていた。
「笑った?」
「……何が悪い」
「い、いや…………何でも無いです」
声に出そうとした言葉をすんでのところで飲み込むフィリア。そうしては悪い方向に転がる未来しか見えなかったからだ。
「……言いたい事はちゃんと言え」
「あ痛。二人が見てますよ……」
フィリアもそうだが、兄妹二人はこうした祭りを見るのが初めてだったのか委縮して先程からフィリア、ノルンの服の裾をつかんで離さない。
「……お前が折れるまで私は止めない」
だがそういった言い訳はノルンの琴線に触れる。それが生来の気質だったのだろうか、意外と調子に乗りやすい彼女はそのことに気付くことなく、そのうえ兄妹からの純粋な目線にも耐えきれず結局フィリアは圧力に屈することになった。
「笑顔が可愛いなぁと」
「…………そうか」
26歳なのに、という余計な言葉を省いて正解だったと心の中でぼやいた。
「……行くぞ」
何もしなかったのはどうでもいいことだったと拍子抜けしたためか、それとも照れ隠しか。
なんにせよフィリアは鉄拳制裁を受けることは無かった。
「え?何処にですか?あ痛っ!」
しかし一瞬の油断が命取りというもの。わかりきった答えを尋ねてしまいノルンの杖が頭部に振り下ろされる。
「……アマトの邸宅だ、行くぞ」
「主語を言ってくれればいいのに……」
小声で愚痴をこぼしながら通りの脇を歩いていく。縦に並び背が一番高いフィリアを先頭にノルンが後ろから見守る形で道を抜けていく。
「はぁー……」
フィリアの口から声になって息が漏れたがそれは疲れからくるものではなく真夜中でも街中で続く宴の絢爛さに心奪われての物である。
ふさわしい言葉は『情熱』だろう。
熱気にあてられているのか黒い外套を着たフィリアを誰も気にも留めない。
「ようようそこのお嬢ちゃん、俺たちと踊らないか」
「おい、そんなことやっている場合か」
若い男二人と鉢合わせた。一人は緑色の髪をした陽気な顔立ちの男。もう一人は黒髪の寡黙な雰囲気の男。
「え…と……」
人生において人間の異性から好色の目で見られることはあった。その時の不快感は今でもフィリアの心の奥に染みついている。
だがこの二人からはその時の感覚を一切感じない。そう言った負の感情には敏感なフィリアには片方の軽い男が祭りの雰囲気にのまれて冗談を言っているだけだと理解できた。
だがそう言った時の対処法を知らないため後ろのノルンに助けを求めようと振り返る。
そこには般若がいた。
「固いこと言うなよ、あいつのことならリムが見てるから大丈夫だって……ん、どうしたのんお嬢さん?」
二人組の会話を聞き流しながら後ろのノルンに目が釘付けになる。元々のツリ目がさらに上向き、額には青筋を浮かべつつも口元は笑っている。それが自身の方向に向かってくるのだ、膝が震えてその場から動けなくなる。
「あれ、もう一人いたの?初めましてお嬢さん。ならちょうど二人で…………」
「……三日ぶりだが、執務はどうした?ロイ」
大通りの壁際、光が当たらないギリギリのところでノルンはアマトの右腕の男と再会する。勿論双方にとって最悪の形で。
「いやあの、これには深いわけがあってね、重大な……」
「こんな場所で女を誑し込むことが領地の運営より重大なわけか……言い残すことは」
「許してくださああああい!!」
通りの中心にいる人々も思わず振り返る程の大声で謝罪…否、命乞いの台詞を叫び土下座をするロイの姿がそこにあった。
その姿をフィリアは奇人変人を見るような目で見つめ、グリフィスは「いつもこうだ」と頭を抱え、ダグとリンゼは土下座のロイを不気味がり益々フィリアにしがみ付く腕の力を強めていた。
「痛ぁいッ!暴力反対!」
ノルンがロイを路地裏へ引き込み殴り続けて数分は立っただろうか。さすがにやりすぎと感じたのかダグとリンゼもフィリアの陰に隠れて怯えている。
「待って、話聞いたがががが」
「……黙れこの生ゴミが。今の貴様に反論する権利など無い」
アマトがいない間の領地経営という大役を一手に担うロイがこんなところで遊び呆けているというだけでも問題であるが更にアマトの婚約者である自分と知らずに軟派したのだ。ノルンの怒りは急上昇、杖で殴るのに疲れれば次は死なない程度に魔導術で吹き飛ばす。
「あの、止めないんですか?」
「ん?ああ、あいつは何度でも痛い目を見ていい」
ノルンが恐ろしくて手を出せないフィリアとは違いグリフィスは余裕そうな顔でその光景を静観している。
それが不思議になってフィリアが質問するが返答はこの通り。一体このロイという男は何をやらかしているのか知りたいような知りたくないような、
「違うんだって!だから……」
「……なんだ?」
「その、居づらくなって……」
何を言ってもノルンの怒りは抑えられなかっただろう。
だがそれが一番火に油を注ぐ言葉だった。フィリアとダグ、リンゼにだけは言葉の意味が分からず首をかしげている。
「……だったら」
立ち振る舞いだけなら今までよりもずっと冷静だがあと一つでもきっかけがあればロイを本気で殴り飛ばすだろう。噴火前の火山のような静けさがあった。
「ノルンさん!」
ついにフィリアが見かねて横から割って入る。なぜ邪魔をするのかと言わんばかりに機嫌の悪い目で睨み返されるがせめてもの助け舟として強い意思を持って反論する。
「行きましょう。アマトさんが無事か確かめないと」
が、言葉は助け舟にはなっていない。当然といえば当然である。
「……分かった」
言った本人も驚くほどあっさりと怒りを沈めるノルン。さっきまでの怒りは何だったのだろうか、ノルンの行動に妙な引っ掛かりを覚えたフィリアだったがアマトともう一度会うことを優先してその疑念を振り切った。
後ろに隠れていた兄妹も直感的にノルンが矛を収めるのを感じ取ったのかほっと安心した顔になる。
「……おい」
「はひぃッ!?」
話の流れから抜け出し匍匐前進で逃げようとするロイをノルンが呼び止める。
フィリアにナンパを仕掛けた時の見る影もなく、まさに滑稽と言う他ない姿を晒していた。
「……フィリアに感謝するんだな」
「フィリア?……ああその亜人の子だな分かった感謝してるやめて杖向けないでころされるぅぅぅ!…………行った?」
「ああ、行ったよ」
フィリアたちを先を急ぎフリューゲル邸宅へ向かう。あとには、『怯えきっている』その感情を全身で体現するかのように地面に付したロイとそれを見下ろしながらなぜこれが自分より重宝されているのかと頭を抱えるグリフィスがいた。
「先に戻っているぞ、お前といると決まってこうだ……」
結局グリフィスもロイを見捨ててフリューゲル邸へ戻っていった。
☆☆☆
フリューゲル邸を見たフィリアたちの感想は、大きい。これが全てだった。向かう途中からこの建物は見えていたがその大きさは一国の王城と比べても間違いなくこちらが上だと断言できる。
ノルン曰く、この建物は普段アマトが行う執政だけでなく兵士の宿舎、怪我人、病人の治療、図書の保管、ほかにも多くの建物の機能を一ヶ所に集中させたためこのように巨大になっていったのだという。
その邸宅までたどり着いたフィリアたちは非常に丁寧な対応で迎えられた。やはりアマトの公式の婚約者であるノルンが居たからだろう。使用人などはノルンの姿を見るなりお辞儀をし、ダグとリンゼを見て一部の者はぎょっとする。
大方アマトとの子供とでも勘違いしたのだろう。その目線にノルンはポーカーフェイスだがどこかまんざらでもないといった雰囲気を醸し出している。
一方のフィリアはいいようのない不快感を拭いきれなかった。自分の後ろで使用人がひそひそと自分達を見ながら話しているのを感じ取っていたからだ。この感覚は彼女にとってつらい記憶を呼び起こさせる。奴隷時代から久しく忘れていた感覚、自分が亜人であり弾圧される対象だということを実感させる視線から逃れるようにノルンの後をついていく。
(あの子供は?アマト様の隠し子?)
(シーッ!もしノルン様に聞かれたらどうするの!)
と思ったら全く違った。周りからの目線はむしろダグとリンゼの二人の子供に注がれている。
やはり話題はアマトとの関係だったが、何か安心したような拍子抜けしたような。だが亜人であるフィリアが街の中枢に入っても誰も不審に感じないのはフリューゲル領の特異性を現している。
「ノルン様!お帰りなさいませ」
そんな一考の前に早足で現れた妙齢の女性、名をグロリアと言う。ノルンの世話係であり古くからの知り合いでもある。
「……ここで様付けはやめて」
「いえ、私はノルン様に仕える身です。これだけは譲れません」
その関係がどのようなものかは会話から推し量ることが出来るだろう。
「……ならいい、アマトはどこに?」
「子爵でしたら医療区でまだ眠っていらっしゃると思いますが」
その言葉にはダグとリンゼも不意を突かれた。
だがフィリアはどこかでそうなるのではと感じていた。素人の応急処置ではけがをすぐに治すことなどできない。剣闘祭で既に傷が開かなかった方が不思議なのだ。それでも無理を押し通したのだからある程度の覚悟はあった。だから眠っているという表現を聞いてフィリアだけはほっとした表情を浮かべていた。
「先に行く!」
しかしノルンには不安を煽る言葉でしかなかった。この中でただ一人真実を知っていたのだから。言うが早いかノルンが駆けだしていく。フィリアも後を追おうとするがすんでのところで踏みとどまる。二人の兄妹が不安げにこちらを見ているのに気づいたからだ。
「大丈夫、アマトさんはこんなことで……えと、会えなくなるなんてことないから」
「……ほんと、です?」
「本当に」
二人に、そして自分に言い聞かせるようにフィリアは笑顔でそう言い切った。それを見て二人もほっとする。
一日もないほど短い間しか付き合いのない二人だがアマトにはなついていた。子供の直感でアマトが信じられるかどうか分かったのだろう。フィリアに対してもそうだが、ダグはリンゼを守ろうとする意識から多少周りを警戒しているが一番心を許しているのはアマトだろう。
「失礼ですが、貴方は一体子爵とどういった関係で?」
フィリアの後ろから唐突にグロリアが話しかけてくる。アマト・フリューゲルが亜人と関わりが深いという話は聞いたことがないとのことらしく、興味本位で聞き出そうとしてくる。
「恩人と恩知らずです」
間を置くことなくフィリアは笑ってそう言い切る。この数日間でアマト、ノルンとともに旅をし、その中で許された自分なりの、自分だけの答えだった。
「ノルン様にもあなたのような余裕を持ってもらいたいですわね」
その答えに何かを見出したのかグロリアもまた優しい笑みでそう返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます